東京アイランド

OCNブログ人サービス終了に伴い、ここに引っ越ししました!

また超超超速達便!

2018-11-12 23:39:20 | 2014~2022青ヶ島
 ずーっと凪ぎが続く、青ヶ島のお友達から届きました!!

 ええええーっ!土曜日の午前中に釣れたてのものを、すぐ郵便局に持っていって、13時30分発の船に積んでもらえたそうです。ということは、三宝港で引き揚げたばかりのお魚を集落のある岡部まで運んでいって、郵便局へ。今度は郵便局のクルマで再び三宝港へ向かって行き、船へ搭載っ!!青ヶ島はとても珍しく、港の近くに役場や商店、住宅街を形成しているわけではなく、かなり遠く離れていて、クルマがないと不便です。今の三宝港が出来る前までは、ヘリポート付近の神子の浦が船着き場になっていて、玄関口。現在は展望台に変わっていますが、崖下に降りることはできません。どう見ても、90度の絶壁断崖。昔の人はかなり苦労しながら昇り降りしていたんだろうな・・・。三宝港ができた記録は1935(昭和10)年。今みたいにコンクリートで打ち付けられたわけではなく、ただの船着き場。それまでの神子の浦より勾配が緩やかでつづら折りの道を作って、集落につながるという理由で今の場所が選ばれたんでしょうか。(現在で言うと都道上手という道ですが、崖崩れのため通行止め)
 日曜日の飛行機で空輸し、今日配達されました。つい2日前までは黒潮のど真ん中で元気よく動いていた、お魚なんですよっ!!
 母はありきたりなお造りだけど、

 クリスマスバージョンにリメイク。いただいたばかりの青ヶ島産レモンも黄色く変わり、シュとかけて、オリーブオイルに塩コショウをまぜたものをかけてみました。

 捌いたアラを煮付にして、身をきれ~いにいただきました!!房総半島で釣れたてのお魚を食べられる、というのは至福のひとときです。本当にありがとうございますっ!!
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戦後まもなくの百圓札

2018-11-12 22:21:40 | 日記・エッセイ・コラム

 駐車場争奪戦のおかげで朝早く駐車場に到着するから、今年の4月からNHKの朝ドラにはまってしまいました。前期は「半分青い」。後期は「まんぷく」。「半分青い」のストーリーの流れが少しイマイチな面もあったが、「まんぷく」は戦時中から戦後にかけてのストーリーなので、レトロっぽさ雰囲気がとても新鮮。
 今のドラマではないけれど、特に切手の貼られている封筒は、小道具担当が時代考証しながら再現したものなんだけど、消印のデザインが微妙に違っていたり、貼られている切手の額面も相違が出たりするのは仕方がないんですが、国内で過去流通していたお札は1番わかりやすい。

 今週は1946(昭和21)年。ヒロインの福子さんの旦那が元兵士さん15名をかき集め、たちばな塩業という会社を立ち上げ。塩軍団が額に汗をたらしながら一生懸命に海水を汲み取り、81枚の鉄板で塩の結晶が出来上がった。社長である、旦那さんが自ら塩を持ち込み、現金を得らればよかったのに、昔から親友だというセラさんという仲介業者に託した。この量だと3千円になるかも知れないと期待していたのに、半額の1500円。
 つまり、セラさんが100円札を30枚受け取った時に「塩ってこんなに入るんだぁ・・・」と、悪知恵が働き、売上金の半分を抜き取り、自分の懐へ。「少し茶色を帯びていたため、評価が下がってこの額になった」と、上のような100円札15枚を旦那さんに渡すシーンが出ている。

 聖徳太子のデザインなので、3千円でも今でいうと30万円の感覚??

 日本円貨幣価値計算機で計算して出た数字はこちら。

<<昭和20年>>
 CPI:1945年(S20)の3,000円は、2017年(H29)の468,571円にあたります(156倍)
 GDP:1945年(S20)の3,000円は、2017年(H29)の1,504,386円にあたります(501倍)

<<昭和21年>>
 CPI:1946年(S21)の3,000円は、2017年(H29)の120,384円にあたります(40.13倍)
 GDP:1946年(S21)の3,000円は、2017年(H29)の323,901円にあたります(108倍)

 CPIは消費者物価指数(持家の帰属家賃を除く総合)をもとに貨幣価値(物価)を計算しています
GDPはGDPデフレーターを利用していますが、1955年以前は戦前基準企業物価指数をもとにしています

 えー、戦後わずか1年だというのに、物価が急高騰。ドラマに出ていた3千円は今の価値だと12万円(CPI)。半分の6万円はセラさんが自分の懐に入れて、残りを渡したというのは、収入はわずか6万円。それをたちばな家の生計、しかも15人の塩軍団へのお給料のことも考えると、結構厳しい。ドラマの世界とはいえ、セラさんよ、人が一生懸命に働いて得たカネを横取りしたらあかんだってば!!
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本日の船は通常通りです

2018-11-12 07:32:12 | 2014~2022青ヶ島
 11月12日月曜日。今日のあお丸は、通常通り就航します。関東では低気圧通過中のため、にわか雨が降っています。
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2018年11月2日の奥多摩湖

2018-11-12 00:00:00 | 奥多摩&檜原

 青梅駅全景。

 外覧は今時風にきれいに塗られていますが、かなり昔からあったもの。初めて青梅に行った、平成の初めころでも同じ建物。調べてみたら・・・
 1894(明治27)年11月19日開業。

 すいません、他のブログに載っていたものを拝借。青梅鉄道公園内の展示物を撮影したものです。
 開業30周年記念の1924(大正13)年、鉄道院ではなく、私鉄の青梅電気鉄道本社ビルとして2代目駅舎建立。戦時買収により、国有化。実際は、青梅電気鉄道はまだ解散しておらず、買収路線復帰運動の際に受け皿会社として活動を再開した。しかし、路線は再び同社の手には戻らず、それでも清算会社として暫く存続した後、1995(平成7)年に解散。青梅傘や、陶芸品を取り扱う地元の物産品などを販売する地下街もあったそうです。国鉄からJRに変わっても、駅舎の所有者は青梅電気鉄道なので、勝手に取り壊したり建て替えたりすることはできなかったかも知れない。
 昭和の第2次世界大戦を迎えても、空襲で破壊されるのも免れ・・・・その後ずーっと建て替えることはなく現在に至っています。94年経っても同じ駅舎が使われており、内装は自動改札機にみどりの窓口。すっかり近代的な設備に変わりました。94年前にタイムスリップすると、どんな雰囲気だったのか気になるところ。

 今度は奥多摩湖へ。11月2日はまだまだ紅葉の世界ではなかったようです。

 1936(昭和11)年、東京都のみずがめとなるように人造湖の小河内貯水池建設のため、旧小河内村と山梨県丹波山村及び小菅村の945世帯約6千人が強制的に移転させられました。丹波山村や小菅村は奥多摩湖から少し離れた地域なんですが、工事が始まると道路も遮断されるからでしょうか。そして旧小河内村は、ダムが完成した、1957(昭和32)年、その大部分が水没しました。湖底では、当時の家屋がまだ残っているかも知れません・・・。

 ヘリポート。

 右側の建物は、水没する前の街並みや風景、旧小河内村の歴史などの展示物が見られます。
 こう書いているうちに、群馬県の吾妻線、川原湯温泉駅のことが気になり、調べてみました。この周辺は八ッ場ダム水没地域になるため、2014(平成26)年に線路を別ルートに移転。旧線がまだ動いているうちに来訪。あれからもう4年。今でもまだ水没はしておらず、八ッ場ダムが完成するのは2年後の2020(新元号2)年。旧駅舎の建物も、ダムの水底に沈むかと思ったら、現駅舎のとなりに復元する計画が出ています。

 今度は奥多摩駅方面へ戻ります。

 ここが市街地。郵便局、東京都最西端のコンビニ。

 奥多摩駅前。雲と雲の切れ目から太陽の光が反射。少し珍しい風景。
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