東京アイランド

OCNブログ人サービス終了に伴い、ここに引っ越ししました!

父島で14日間!?

2020-05-27 21:33:59 | 日記・エッセイ・コラム
小笠原村のホームページより。

【6月中のご来島】
6月中は自粛要請期間につき、
下記にご理解・ご協力頂ける方のみご来島を歓迎いたします!(※1)
① 船内・島内での3密を避け、マスク着用にご協力いただける方
② ガイドライン(※2)に従い、島内に2週間以上ご滞在できる方
③ 来島後2週間以内は、飲食店、商店等の各施設への入場及びガイドツアーへの参加をお控えいただける方

 上記①~③をご理解頂いた上でご来島される方につきましては、来島日証明を発行させていただきます。来島後2週間経過した方は、その来島日証明を掲示していただき、存分に小笠原をお楽しみください!

とのことです。

疑問点 6月中は感染拡大防止のため、到着したばかりの観光客は14日間隔離するという意味に捉えるけれど、そういった隔離専用宿泊施設の用意はできているのか?それとも、予約した宿の部屋でどこも出かけず四六時中在室が決まりになっているのか?来島後2週間は飲食店や商店への入場は控えてくださいって食事はどうするの?14日間の隔離が原則なら、費用は誰が負担するのか?

 6月中に小笠原に行ったら、どのような境遇に置かれるのか、もっと具体的に書け!!要は来て欲しくなければ、6月いっぱいは来島自粛要請すればいいのに。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本日は条件付き

2020-05-27 06:36:48 | 2014~2022青ヶ島
 本日の船は条件付出航が決定されました。緊急事態宣言が解除されたとはいえ、業務関係者以外の出島や来島は自粛継続中。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

門司の九州鉄道記念館へ

2020-05-27 00:23:02 | 2019_春_改元の旅

 途中で新しく交換したものなのか不明ですが、私が物心ついたときからずーっと同じ国鉄様式の駅名票。【九】マークは特定都区市内の北九州市内。200キロ以上の乗車券は小倉が起点になります。日田彦山線の「呼野」という駅も、まわりは何も無く寂しいところなのに小倉南区内。豊肥本線の若松駅も若松区。若松駅に出かけたのは1992(平成4)年あたりかな・・・。電化されていなくて、DD51ディーゼル機関車が牽引する50系レッドトレインがまだ現役だったころ。鹿児島本線の原田(はるだ)まで乗車し、筑豊本線全線は早くもクリア。現在は折尾から桂川まで電化されており、折尾から若松までは最新型の蓄電池電車BEC819系デビュー。電化区間で充電し、非電化区間でも走れる電車ってことです。桂川から原田までは超ローカル線になり、古い国鉄のキハ40を充当。あれから30年近く経つと、筑豊本線も激変。JR九州の中で久しぶりに乗りに行きたくなる路線。
 ユーチューブなどで最近の若松駅の様子を見させてもらいましたが、1992(平成4)年よりかなり劣化。あの頃はみどりの窓口があって、改札もやっていたのに、今はみどりの窓口撤去。朝のラッシュ時(6時30分 - 8時30分)のみ駅員配置、8時半を過ぎると終電まで無人駅。

 真新しい畜電池電車はこの817系をモデルにしたもの。ぱっと見た目似ています。

 0哩(ゼロマイル)
ここは九州の鉄道の起点となったところです。
明治24年4月1日、この門司港駅(当時の門司)から玉名駅(当時の高瀬)まで鉄道が開通しました。
このとき門司港駅に0哩標が建植され九州の産業と文化はここを起点として延びる鉄路とともに栄えてまいりました。

 817系の前代、813系。JR九州は民営化直後新しく製造されたのは811系。交流のみなので、JR西日本につながる直流の関門トンネルを通さなかったのはJR九州のエゴイスト。島国の入り口となる、青函トンネル、瀬戸大橋、関門トンネルはそれぞれ北海道、四国、九州の所有とすると国鉄分割時に決められたのが失敗。本州3社のほうが経営基盤が強いので、それぞれ東日本、西日本の所有としたほうがよかったかも。

 駅舎見学より先に九州鉄道記念館へ。

 私が山口県の何も無い田舎で暮らしていたときからあったものだったかな?と調べてみたら、2003(平成15)年オープン。田舎に帰ることもあったんですけど、ここに来るのは全く初めて。

 今は「門司港」だけど、開業時は「門司」。昔は右から左へ。

 となりの駅は大里(現在の門司駅)。「福岡縣企救郡」。北九州都市モノレールの終点は「企救丘(きくがおか)」と何度も目にしているので、企救郡を見ただけで「きくぐん」と言えたわけですが・・・明治時代の門司は「企救郡」。それが消滅しても、モノレールの駅名に「企救」を採択しているので、ずーっと大昔から伝承。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

便利ツール