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令和2年はよい1年でありますようにと願っての「縁起切符」なんだけど、コロナ渦により、どこも行けていない状態。子年は「子」の付く駅名を探したら、ちょうど音威子府。令和に改めて最初の年賀状になるので、令和の里、福岡県県の都府楼南駅を着駅とした、遊び心の切符。対面で買うのに恥ずかしくて買えないんですけど、自分で操作して指定席券売機で発券する「えきねっと」。
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音威子府駅構内にある、無料の資料館。無料でどなたでも自由に閲覧できます。
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廃止になる前に1度乗って行きたがった、急行「天北」。天北線は、音威子府で宗谷本線と分岐し、南稚内で宗谷本線に接続。つまり、北の最果てに2本のレールが敷いてあって、148.9キロ。
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山口県のな~にもない田舎を走る山陰本線もキハ40。急行「天北」も同じキハ40だから、乗り心地を検証するといっても、当時はまだ【学】だから、山口県から北海道の北の果てまで容易に出かけられる状態ではなかった。急行「天北」に乗車するときに、音威子府から南稚内まで途中下車しない限り、特例により、最短距離の宗谷本線経由でも乗車可。
もし、本当に行くなら、
長門二見 → 稚 内
経由:山陰・山陽・新下関・新幹線・東京・新幹線・盛岡・東北・津軽海峡・江差線・函館線・旭浜・函館線・宗谷
平成元年当時の長門二見駅は社員配置の直営駅とはいえ、マルス端末やPOS端末もないので、稚内までの切符は手書きで運賃計算は手作業になりそう。
(※)旭浜・・・室蘭本線に分岐して最初の駅。2006(平成18)年廃駅になり、現在は「静狩」と印字されるケースが多いです。
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音威子府を出ると、天北線なら最初の駅は「上音威子府」。
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今の常磐亭は、駅待合室にありますが、天北線が走っていた頃はホームでも常磐亭。それほど、昔は栄えていた証拠。
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昭和の改札口は、駅員さんが今の列車を見送ると、次の列車を予告するため発車時刻のプレートを手作業で差し替え。昭和は何でもアナログなので、人間の温もりがあって、よろしい。今の時代は自動改札機やLED電光表示で案内とか素っ気なさが進行中・・・。