東京アイランド

OCNブログ人サービス終了に伴い、ここに引っ越ししました!

本日は条件付きです

2024-01-29 07:37:36 | 2024青ヶ島

 1月29日月曜日。怒濤の1月がまもなく終わります。本日のあおがしま丸は、条件付き出航が決定されました。無事に入港できていれば、10日ぶりです。

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昭和30年代の特急

2024-01-29 00:09:46 | 2023_盛夏_宗太郎駅・岩徳線


 東海道新幹線開業前の東京と大阪を結ぶ、特急こだま号。国鉄151系が使われていました。1958(昭和33)年11月デビュー時は6時間50分。2年後の1960(昭和35)年に若干のスピードアップし、6時間30分。その4年後の1964(昭和39)年10月に東海道新幹線開業。6時間30分から4時間に短縮。

 新幹線「こだま」名称札。開業当時の0系行き先サボに差し込んで使っていたみたいです。60年後の今はわざわざ手作業で差し込まなくてもフルカラーのLED表示。のぞみは黄色、ひかりは赤色、こだまは青色で区別。

 151系の普通席。すべて灰皿付き。東京から大阪まで6時間以上もあるので、ひっきりなく紫煙をくゆらせていたかも知れません。車内の空気は猛烈のタバコの刺激臭が立ち込めていたかも。しかも座席は今のように独立したものではなく、2人で1脚。

 このエアコンに見覚えあり。国鉄時代の特急「にちりん」の天井にあったものと同じタイプです。東芝の旧ロゴマークの傘マークがついていました。全車両喫煙車なので、吹き出し口の冷風とともにタバコのヤニ臭さっぽさが・・・。当時の日本専売公社はたばこを売れば売るほど税収増益につながるので、税収で賄う日本国有鉄道に「禁煙」は到底無理な話だったかも知れませんが、今だったら考えられないような世界。

 座席をコンピュータで管理できるようになったのは東海道新幹線開業1年後の1965(昭和40)年まで。開業から1年間はこの硬券で対応。

 東京駅窓口。硬券のきっぷ収納箱に囲まれたところです。お客さんから行き先及び希望する新幹線の指定席を告げられると、該当する硬券を取り出して、鉄道電話で指定席管理センターに電話していました。

 これは硬券を収納する棚。1つ1つずつ売上げを手作業で確認し、集計が終わったら、赤鉛筆で硬券の裏面の印を付けます。1日に1枚も売れなかったら、赤線もう1本追加。それでも売れなかったらさらに1本。やっと買ってくれるお客さんが現れると、裏面が赤線だらけのきっぷを売ることになっています。昔は手作業で管理して計算していたので、かなり大変だったかも。

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