10月15日木曜日。本日の船は芝浦積み荷作業のため、お休みです。この先の予想なんですが、太平洋に低気圧の前線が張っているので、風も強く時化が続きそう。明日(16日)、明後日(17日)も無理っぽいかも知れません。欠航続きだと日曜日に臨時就航のパターンもあります。
国分を出ると、次は霧島神宮。駅ホームも神社にかたどったような雰囲気。
まだまだ鹿児島県霧島市内。温泉もあり、前回の家族旅行で1度は訪ねたことのあるところ。いつ頃だったかな、と調べてみたら、なんと2015(平成27)年。もう5年前になるんですかねぇ・・・。はやっ!!そのときの記事は こちら。
ほとんど特急ばかり停車し、各駅停車の普通は極端に少なすぎる。
次は「西都城」。もう宮崎県に入ってしまいます。
秘境駅の北永野田駅通過。ここでもまだ鹿児島県。五十市(いそいち)からは宮崎県。
線路がいつの間にか高架になり、都会っぽい駅に停車。
ここが宮崎県都城市の行政エリア(市役所や図書館など)や裁判所、商店街などもあって都会。「みどりの窓口」もあるのかなと思ったら、EーPOS端末設置駅。指定席券も、このPOSから中継で結ばれ、発券も可能。
しばらく高架の風景が続き、地上へ。
都城駅。ここが本家なのに、西都城より少し街外れにありました。
そういえば、ここ。吉都線の乗り換え駅。吉都線とは、肥薩線の吉松から「えびの」を経由してここまで61.6キロ。1998(平成10)年に乗ったきりなので、もう1度・・・と思いましたが、本数が極端に少なくなっています。都城を出ると、次は清武に停まります。
10月14日水曜日。本日はやっと動きます。9日分のお荷物と貨物なので、いつもよりは多量積まれているかも知れません。島の配達員さんも午後から忙しくなりそう。住所は全部「青ヶ島村無番地」なので、フルネームで配達順に仕分け(家の順番まで覚えているのはすごい)。商店の棚もわんさかになり、にぎやかになりそうです。
仙台から東京方面なら左側の座席にすれば海が見える。えきねっとのマップシートで自分の好きな位置を選択。自宅のパソコンを「みどりの窓口」代わりに利用されている方が多く、有人発売の「みどりの窓口」の閉鎖が相次いでいる。1日の乗降客が7万人近くの海浜幕張駅も10月末で「みどりの窓口」閉鎖。その代わり、「話せる券売機」で対応するとのこと。私としては相次ぐ閉鎖は反対します。例えば、経路が長くて複雑な乗車券も対応できるか。おそらく、客:「目的地までの経由は、まず、何々線で、何々駅まで行きます」オペレータ:「はい。〇〇駅まで〇〇線ですね」客:「その駅から何々駅までは何々線」「はい、今度は〇〇駅から〇〇駅まで〇〇線ですね」と1つ1つずつ確認しながらの会話形式になると思うけど、エクセルでとりまとめた表を見るよりも時間がかかるんじゃないかな。
ずーっと向こうは太平洋の海なんだけど、このような風景が続きます。
2020年3月なので田んぼは田植え前。夏だったら、あたり一面「みどり」になっているかも知れません。
仙台を出て最初の停車駅、相馬駅。仙台から54.3キロ地点。時刻表とおりならおよそ40分だけど、岩沼付近で何かのトラブルが起き、10分遅れ。
ここは福島県相馬市。3月14日は9年ぶりに常磐線全線運転再開です!!
今気づきましたが、「そうま」も男の子の名前に多い。女の子の駅名は、「ゆき」(由岐)。JR四国の牟岐線にあります。「吉川美南」も埼玉県の武蔵野線。そうまの次は、日立木と書いて「にったき」。「ひたちき」かと思った。
ここは南相馬市の中心駅、原ノ町駅。相馬を出て、次の停車駅になります。仙台から74.4キロ地点。
磐城太田駅通過。
3月16日17時20分頃。春分の日間近なので、昼と夜の長さは同じくらい。もう少しで日が暮れそうです。
桃内通過~!!次の停車駅は浪江。
10月13日火曜日。台風14号も消滅し、今日は就航できそうだと予想はしていましたが、残念ながら欠航になりました。明日もまだ厳しく五分五分の確率かなと思います。
鹿児島中央ー鹿児島ー(5駅通過)-加治木ー隼人ー国分ー霧島神宮。
ここから4駅連続で停車します。
次は、隼人駅。
男性の名前に多い「はやと」。全国の姓名になっている駅名〇〇から隼人ゆきの乗車券も作れそう。
そういえば、ここは肥薩線との乗り換え駅。
吉松までは通常運転だけど、吉松から先は令和2年7月九州集中豪雨により、鉄橋が流されたりしているので、人吉から一勝地まで、坂本から八代までは代行タクシーまたはバス。2年前の2018(平成30)年8月、嘉例川から肥薩線経由で喜々津までの乗車券で特急SLひとよし号に乗車したのが最後。
真幸駅、矢岳駅、大畑駅・・・校風明媚な風景か続くスイッチバックは不通区間になっています。
この区間も、人吉から一勝地までおよび坂本から八代までは代行タクシー。あとは今も不通区間です・・・。
次は国分駅。国分駅はもともと鹿児島県国分市でしたが、現在は霧島市。市の中心地なので駅前は都会だったと記憶しています。2016(平成28)年12月、日南線全線を片付けるため、終点志布志駅へ。そのまま戻らず、志布志から国分ゆきの路線バスで国分、そこから特急で宿泊地の鹿児島中央駅改札真上のJR九州ホテルにチェックイン。
簡易改札が置かれているとはいえ、目視でタッチしているか確認し、しかも特急券回収。素晴らしい。無賃乗車を野放しにせずちゃんと仕事をしている。
タッチするだけで抜け出そうとした利用者がいたら、「特急券回収させていただきます」と声がけ。
次は霧島神宮駅。ここから宮崎方面はほとんど特急が多く、普通の各駅停車はぐーんと本数が減少。
10月12日月曜日。本日の船は台風14号はまだ八丈島の南370キロにあり、本日中に温帯低気圧に変わるそうです。台風が南進する珍しいケースです。まだ波が残っているため、本日は欠航。明日(13日)は1週間ぶりに動きそうです。
両親が帰ってくる便のダイヤ
当初予定 北九州19:30→東京羽田21:15 この便に乗っていれば仙台16:11発の「ひたち26号」なら羽田空港でちょうど落ち合うことができるけれど、19:30発の便はコロナのせいで急遽欠航したため、1本早い便に繰り上げし、北九州17:45発→東京羽田19:25で帰ってくる。品川に着くのは20:52、京急線に乗り換え、羽田空港には21:30頃到着見込みなので、およそ2時間も待ちぼうけになってしまう。特急もどうにか定刻とおり品川に着けますように・・・。
16時11分。仙台発特急ひたち26号品川行きは静かに動き出しました。あたりは着席率が少なく、まばらな状態。
2日前の3月14日(土)はダイヤ改正が行われ、初日はファンの方がたくさんいらしていたのに、2日すればもう誰も見向きせず・・。仙台を出て、東口の風景。
次の停車駅は東北本線および常磐線の分岐駅、岩沼に停まると思ったら、福島県の相馬に停車。原ノ町、浪江、双葉、大野、富岡、広野、いわき・・・・(かなり長い)・・・終点品川ですと流れる文字で案内。
浪江、双葉、大野、富岡各駅は東京電力福島原発の近くにあり、わざわざ停車させているのは被災地につき、復興推進のため、停車する必要のある駅と定め、原発疎開で他地域に住んでいる住民が帰郷できるようにというJR東日本さんの取り計らいもあります。
特急「ひたち」「ときわ」は全車両指定席で事前に指定席券を購入していれば、頭上のランプが「みどり」。車掌さんが巡回するときに赤いランプがついている座席にお客さんが座っていたら、声かけて特急座席未指定券を持っているか確認する必要があります。特急券を購入せず飛び入り乗車した場合も車内購入時の指定席を発券。赤いランプがついても、素通りする車掌さんは仕事を全うしていない。特に中央線特急の八王子から新宿間。八王子を出るとあっという間に新宿に着いてしまうので、いちいち検札はやっていられない気持ちは理解できるが、JR西日本みたいに複数の機動改札隊も乗務させ、一網打尽に実施すれば新宿までには間に合うはず。どうせ検札に来ないから中央特快より速い特急でサツマノカミ、という輩はきっと多いかも。私が車掌だったら、ビシバシと検札するかも。
岩沼駅手前で数分間停車。「品川に着くのに大幅に遅れると困るから早く動けっ!!」
気づかないうちに逢隈通過。亘理駅で徐行運転。
ゆっくり通過していたので、駅名票もぱちり。
まだまだ宮城県内。富岡あたりだと両親の乗っている飛行機が北九州空港離陸。1時間半後羽田に着いてしまいますが、この特急は羽田に着く頃は水戸あたり。2時間かけて羽田空港ってことになります。
11時50分定刻、鹿児島中央駅を出発。宮崎まで125.9キロを2時間10分かけて走行。JR九州発足時は博多発日豊本線経由西鹿児島行きの「にちりん」があったはずだけど、現在は、鹿児島中央から宮崎までの「きりしま」、宮崎空港から大分まで「にちりん」、大分かから博多まで「ソニック」の3系統に分かれてしまいました。
1つ隣の駅は「鹿児島」。厳密に言うと、鹿児島中央からここまで「鹿児島本線」。
鹿児島を出ると、宮崎方面の右側なら桜島が眺められます。そのため、座席は海側のAB席。
そういえば・・・今年(令和2年)はコロナ渦のせいでまともな海が見られず。昨年の小笠原以来。
3月から9月。半年もどこも行かなかったのはおそらく新記録かも・・・。
竜ヶ水駅通過。1日に数名しか利用者はいないので、IC系交通カードのsugoca(九州は「スゴカ」)対象外。
日豊本線は単線なので、上下線交換のため運転停車。(駅に停車してもドアは開かないので、時刻表では通過扱い)
いつもなら、毎月ごとのJR九州情報冊子(プリーズ)があるはずなのに、今回はなかった。自由に持ち帰りができるものなのに、ほとんどの人は読んだらそこに戻すので、コロナ感染拡大防止のため一時休刊?と思い、ネットで調べてみたら2020(令和2)年5月をもちまして、休刊するとのこと。JR九州発足時の1987(昭和62)年6月の第1号から欠かさず発刊しつづけ、第396号で休刊。計算してみたら、ちょうど33年間で396回発行し続けていたことになる。駅付近の食べ歩き、特産品の紹介など読んでいて楽しい記事だけではなく、鉄道路線図も載っていて、今どこを走っているのかぱっと確認できる便利なものなのに~。
2019(令和元)年7月。その後来る甚大な災害が見舞われた台風15・19号やコロナが無かった頃。来ないのをわかっていて出かけたのではなく、青ヶ島や小笠原行きは7月20日頃から10日程度がベストコンディション。台風の発生もあまりなく、8月に入ると人の動きが激しくなり、下旬頃はもう台風シーズン。今年の9月は珍しく大人しかったんですけど、例年のデータから見るとちょっと危うい。11月なら暑くも寒くも無く快適に過ごせるけど、日の入りが早いのがネック。
2019(令和元)年7月25日12時半頃。ついこの間の7月20日はまだ梅雨が明けていなくて出発時はちょっと肌寒かった記憶がしましたが、この頃は内地に戻っても小笠原と同じく夏本番になりました。
7階のカフェ「ははじま」でパスタをオーダー。すると、電子レンジでチン。粉チーズや青のりを少々ふりかけて完成。粉チーズたっぷり欲しいんですけど・・・。「ちちじま」は本格的なレストランなので、冷凍や即席のものは使わない。「ははじま」はカフェ的なものなので、すぐ出せるようにしているようです。料理を頼まなくてもどなたでも寛ぐことができるスペースがあります。
予定より10分早めの15時20分到着予定。小笠原からずーっとベタ凪ぎなので、揺れることはなくすごく快適な船旅。
13時半。千葉県の富津岬と対岸の横須賀に挟まれた位置。東京湾に入ってもどこかに寄港せず、東京を目指す理由は江戸時代からそうなっています。伊豆諸島では主食であるお米が取れない代わりに島の特産品を江戸に送り、生活の糧を得るなどインフラに欠かせなかった。館山に寄港できれば房総半島の住民は早く自宅に帰れるメリットはあるけど、対岸の三浦半島あたりだと不公平になってしまうので、発着地は東京の竹芝が妥当だと言える。
まもなくアクアラインの真上を通過。
羽田空港も見えるので、ひっきりなく着陸や離陸する様子が見られます。
小笠原で見た海の色が違うわ・・・。
15時20分、竹芝桟橋着陸。およそ24時間の船旅でした。
「長旅で疲れたので、早く帰りましょう!!急げ、急げ!!」
ゆりかもめで新橋へ。
総武横須賀線快速の案内にちょうど「君津行き」が!!
ボロ房線はほとんど千葉で乗り換えなければならず、かなり億劫。
待たずにボロ房線直通の電車に乗れるなんてラッキー。
小湊鐵道の五井駅は乗換通路内の簡易スイカにタッチして、小湊鐵道の券売機で切符が買えるんですけど、こちらは現金専用。中間の簡易スイカ改札はキセルし放題の原因になるので、両社とも業務改善に務めるようにしたまえ。たとえば、JR側は西船橋駅のJRおよび東京メトロの中間改札にちゃんとした自動改札機設置。小湊鐵道側もパスモを導入したり、券売機の裏面を磁化券にしてどちらも五井でちゃんと運賃を精算できるような仕組みを構築しなさいってば。
・昔の記事 (2013年)もう7年経つんですかね・・・。あれから全然改善しとらんな。
いったんJRの改札を出て、JRの券売機ならオレンジカードで小湊鐵道の切符が買える。
小湊鐵道も国鉄のキハ20に似たような雰囲気なので、国鉄のオレンジカードで乗車。
小笠原旅行記はこれで完結しました。長い間お読みいただき、ありがとうございます。
台風14号の影響により、東京~八丈島間の「たちばな丸」は欠航しました。大島から東京行きの昼行大型船以外は全部「×」です。10日から11日にかけて関東に接近しそうです。
仙台から品川行き(上り)
ひたち14号 仙台10時13分 → 品川14時51分
ひたち26号 仙台16時11分 → 品川20時52分
ひたち30号 仙台18時02分 → 品川22時53分
品川(上野)発仙台行き(下り)
ひたち 3号 上野 8時00分 → 仙台12時31分
ひたち13号 品川12時45分 → 仙台17時26分
ひたち19号 品川15時45分 → 仙台20時28分
(2020年3月ダイヤ改正より新規運行、2020年10月8日現在も時刻の変更なし)
このダイヤを見て、旅行のプランに頭をひねったのは確か。出発日の朝、両親を羽田空港で見送ったあと、上野8時00分発「ひたち3号」に間に合うかちょっと微妙。もう少し余裕を持たせ、1時間後の9時発なら間に合う。途中の「いわき」行きの特急に乗り、各駅停車で仙台の方法を考えたが、くるりと回るにはちょっと不便。
ならば、帰りの16時11分に乗れば、両親が羽田空港21時15分到着する便に間に合い、一緒に羽田空港の駐車場で停めているマイカーで自宅に帰ることも可能。と思いましたが・・・
3月16日はコロナの感染者が急増中のさなか、飛行機の便も旅行の数日前に減便決定。21時15分より1本早い飛行機で戻るとのこと。今さら仙台10時発に変更するのに3日間のスケジュールを大幅に予定変更しなければならず厳しい。羽田空港で数時間も待ちぼうけとはちょっと不憫なので、急遽、国王様が迎えに行ってくれることに・・・。
特急「ひたち」は在来線なので、
この1枚だけ自動改札機を通せばいいんですが・・・
入鋏印で「確かに乗車しました」の証明が欲しくてわざと有人通路。
「品川まで乗るのに乗車券は岩沼!?」と怪しまれないように
この切符も一緒に3枚。
列車がまいります。
2011(平成23)年3月11日以前なら旧型の651系が上野から仙台まで走行していたのであろう。茨城県の取手駅で直流と交流に分かれているので、どちらも使えるタイプです。今の新しいE653系がデビューしたのは震災翌年の2012(平成24)年。常磐線が次々と復旧しているさなか、福島原発の近くにある浪江から富岡間はおよそ9年間かかりました。線路が全線連結できたのは2019(令和元)年12月頃。E653系の試運転も兼ね、何度か仙台駅入線。3月のダイヤ改正から本運用に入りました。
品川まで4時間半の旅。「のぞみ」なら東京から山口県内を走行する頃。
7号車は「モハ」でした。
東京行き!?
電機メーカーを連想してしまいそう。
しばらくしたら、正しい表示に切り替え。
特急「ひたち」のネーミングからにすると、山口県下松市の日立製作所がふさわしいのに近畿車輛でした。
モハは車両を駆動させる「モーター」付き。何も付けない「サハ」のほうが静かかも・・・。
せっかく常磐線全線が開通しているのに、ガラガラ。4時間半かけて東京に行くよりも1時間半の新幹線「はやぶさ」のほうがマシなのかも。
よっしゃー!!8番は予想のとおり、見え方が邪魔にならない位置でした。最初は7番かなと思い、予約したものの、座席図を再度確認。2つで1組なので、8番はこの位置になるんじゃないかなと変更したのが正解。JR九州の787系は座席ごとの単独の窓なので、どの席でも大丈夫だけど、JR東日本の特急は悩んでしまいます。
鉄道が好きなら4時間半でも苦にならないと思いますが、そうでない方は退屈に感じるかも知れません・・。
令和2年に入ってから水戸線や両毛線、八高線、常磐線などの自社エリア(JR東日本)管内しか旅せず。3月半ば頃あたりから雲行きが怪しくなり、4月は緊急事態宣言が出たりして外出自粛。コロナ対策を十分にしてから旅行しても大丈夫な雰囲気なので、少し恐れながらも再開したところはJR九州からスタート!!
鹿児島中央駅改札真上にある発車案内。JR九州さんもかなり合理化が進んだのか、すべての列車はワンマン化。
特急なのに、運転士1人で乗務する「ワンマン」なんですかっ!?もし、トラブルが起きたときは本来車掌さんが対応するはずなのに運転士さんの仕事が増えるし、乗客同士のトラブルを起こしても対応できる人がいないし、検札がないことをいいことにして無賃乗車される可能性もあるし、やはり特急は車掌さんも乗務したほうが安心できると思う。
それでは、半年ぶりに改札に入ります。
この乗車券は細長い120ミリサイズの自動改札機非対応なので、
この特急券と一緒に有人通路で改札を受けました。東京行きなのに在来線!?と経由欄をしっかり確認してくれました。
発行箇所は1番窓口なので、「鹿児島中央ーR1」。2番窓口は閉鎖していたので、今年の「R2」は発券できず・・・。JR九州のMR52型(今の端末)は平成30(2018)年頃から新しくなりました。新しい元号の令和が発表される前なのに、まるで次の元号は「R」ですと見込んでの更新。
「R」表示は九州だけで、四国は「M」、北海道および東海は従来と同じく「MR」、西日本および東日本は「F」。「E」はJR東日本のみのオリジナル端末、沖電気製。
人はガラガラです。自由席でも十分空席が目立ちそうですが、JR九州のネット予約会員になってしまえば、指定席、自由席どちらも同額なので、どうしても指定席を選んでしまいます。
平成の初め頃に製造され、2011(平成23)年3月九州新幹線全線開業以前に門司港から西鹿児島の鹿児島本線全線で営業運転していたJR九州を代表する花形特急、「つばめ」。鹿児島中央から新八代まで九州新幹線が一部開業したときも、博多から新八代までをつなぐ「リレーつばめ」として活躍していました。
鹿児島本線の特急「つばめ」は九州新幹線に譲り、活躍の場を無くした787系は日豊本線に転属。それまで活躍していた古い国鉄の485系は残念ながら引退。
向かいは観光列車の指宿たまて箱。
宮崎行きの方向幕。「ワンマン」の文字が入っているので、運転士さんだけ。4両編成もあるのに、車掌さんがいないとなるとやはり心配するんじゃないですかね・・。
この列車名は「きりしま」なんだけど、「つばめ」の名残なのかマークが残っています。左は、たぶん、国鉄特急のゴロマーク(前面にV字のような飾りがあった)を引き継いだもの??
窓全面の風景を楽しめるように、7番A席にしたほうがいいかもと選んだものの・・・
なんだ、その心配は不要でした。2席で1窓ではなく、席ごとの単独した窓でした。さすがに水戸岡さんのデザインした列車。もし、2席で1窓だったら、前の人がカーテンでも閉めてしまったら、後ろの私は車窓の半分しか楽しめなくなる。
1992(平成4)年初デビュー時、新しい香りが抜けられないうちに初めて乗りに行ったときはこのデザインに驚愕。元号がまだ「昭和」なのにJR九州さんが全国のJRグループの中で真っ先に「脱国鉄」のデザインを手がけ、あっと驚くような未来感覚の斬新な783系「ハイパーサルーン」デビュー。(1988(昭和63)年)。30年近く昔に作られたものなのに、あまり「古さ」を感じさせないのが不思議です。
2016(平成28)年にデビューした今の新しい「おがさわら丸」はスイートルームに相当する「特等室」から順に「特1等室」、「1等室」、「特2等寝台」、「2等寝台」、「2等和室」の6つのランキングがあります。若かった頃は1番リーズナブルな2等和室の雑魚寝でも平然だったけれど、ジジィになった今はやはり長旅にテレビが必要なので、「特2等寝台」か、「1等」。さらに上のランキングだと富豪の方がご利用になるお部屋なので、私にとっては高嶺の花。
地上波の番組は東京を出て伊豆大島あたりまでが目安。あとはBS衛星放送でしたら、24時間好きなように見られます。
「1等室」のイメージはビジネスホテルの「ツイン部屋」。2台のベッド、窓際にテーブル、テレビ、小さなソファ、電気ケトル、最小限の備え付けはあります。お手洗いやシャワーは室外の共同。「特等室」だったら、室内にお手洗いや浴槽、冷蔵庫付き。
翌朝の8時頃起床。現在位置を確認すると、八丈島の東側を通過中。東京までおよそ300キロ。
朝ご飯。セットだけではなく、自分好みのオプションを選べるようになり、サラダをもう1品追加。
船内に硫黄島展示コーナーがありました。硫黄島も「小笠原村」なので、今乗っている「おがさわら丸」も深い関わりがあります。年に1回は硫黄島3島(北硫黄島、硫黄島、南硫黄島)へクルーズツアーがありますが、今年はこの時世なので、中止になりました。
おがさわら丸が寄港できる港がないため、東京都主催の戦死者遺族による追悼式は航空機をチャーターして羽田空港から硫黄島へ数時間で行けることはできます。条件は硫黄島で戦死された方のご遺族のみになります。
戦前は「東京府小笠原支庁硫黄島村」。およそ1000名の島民が暮らしていました。戦争さえなければ、写真のような穏やかで平和な日々だったのに・・・。
1000名なので、児童生徒の数も多かった。
一般住民の定住は困難と答申が出たのは1984(昭和59)年。
この島に自衛隊がおよそ400名が暮らしています。数年前から海底光ファイバーが小笠原諸島まで開通しているので、250キロ離れた硫黄島まで携帯電話3社の基地局が置かれたのは2017(平成29)年頃。つまり、硫黄島でもインターネット回線があり、瞬時に内地の情報を得られる時代になりましたが、ネット通販でポチッとしても、宛先が「東京都小笠原村硫黄島」だとなかなか配達してもらえないのがネック。
自衛隊の輸送機に個人宛の荷物を乗せてもらえるかどうかは不明ですが、硫黄島宛に送ってもらうには内地の自衛隊基地の住所でないと送ってもらえないそうです。(ネットで調べたものなので、この情報は正しいのかどうかは不明)
10月6日火曜日。本日の船は台風14号の影響により、太平洋側は時化ています。進路が難しく予想円の範囲がかなり大きくなっています。14号が去るまでずっと海上状況が悪いので、当分の間欠航になりそうです。
次に来るのは1週間後の10月13日(火曜日)になりそう。(これはあくまでも私の予想)