昨日、かみさんの買い物についてスーパーに行ったら、「マンナンライフのこんにゃく畑」が山積みされているのを見ました。何だか、ほっとしました。現在製造中止に追い込まれている同商品ですが、早いところ、製造を復活させて欲しいと願っています。
というのは、特に“おかさん”が同商品のファンだからということではありません。お子様をなくされてしまった方には大変失礼かもしれませんが、ごく一部の例外事項によって、何でもかんでも規制をかけていってしまったら、あれも駄目、これも駄目ということになり、生活しづらくてたまらないという思いからです。
話が少し横道にずれますが、私は、冒険遊び場協会が推進している「プレーパーク活動」に松戸市で関わっておりますが、今の公園は、禁止事項ばかりが多くて、子どもたちが自由に遊ぶ余地を奪ってしまっていると考えています。それというのも、一件でも苦情が出ると、行政が安易に、そのことに関する活動を禁止する、ということが繰り返されてきたからだと思います。
身近な例をあげます。何年か前、近くの公園での事例です。あるとき、初老の男性がお孫さんと毎朝散歩されるようになりました。そのおじいさんは、毎日、お孫さんと公園でハトに餌をあげていました。そんなことが、1週間くらい続いたでしょうか。そうしたら、ある日突然公園の2箇所に、大きな看板が立ちました。「この公園でハトに餌をあげるのはやめましょう!(文面は少しあいまいです。)」というものです。(今でも立派にその看板は残っています。)
その後、其のおじいさんとお孫さんのペアの姿を公園で見かけることはなくなってしまいました。なぜ、直接おじいさんに声掛けしてあげなかったのでしょうか。ハトが増えすぎると、其の糞害で悩まされてしまうから、と。そして、行政の方も、なぜ、苦情を申し出てきた方に、そのように、おじいさんに、話すことを薦めてくれなかったのでしょうか。
「冒険遊び場」のモットーは「怪我と弁当は自分もち!」、「自分の責任で自由に遊ぶ!」です。各人が、何かあったときに、人のせいばかりするのではなく(アメリカ型の何でも、訴訟にすればよいという風潮をまねるのではなく)、もう少し自分自身の過失や過ちを真摯に受け止め、我慢すべきは我慢しなければならないのではないでしょうか?とにかく禁止事項ばかりに、がんじがらめにされた中で生活を送ることは真っ平ごめんです。
長くなりましたが、そんなことを「こんにゃく畑」の山積みから思い起こさせられました。
というのは、特に“おかさん”が同商品のファンだからということではありません。お子様をなくされてしまった方には大変失礼かもしれませんが、ごく一部の例外事項によって、何でもかんでも規制をかけていってしまったら、あれも駄目、これも駄目ということになり、生活しづらくてたまらないという思いからです。
話が少し横道にずれますが、私は、冒険遊び場協会が推進している「プレーパーク活動」に松戸市で関わっておりますが、今の公園は、禁止事項ばかりが多くて、子どもたちが自由に遊ぶ余地を奪ってしまっていると考えています。それというのも、一件でも苦情が出ると、行政が安易に、そのことに関する活動を禁止する、ということが繰り返されてきたからだと思います。
身近な例をあげます。何年か前、近くの公園での事例です。あるとき、初老の男性がお孫さんと毎朝散歩されるようになりました。そのおじいさんは、毎日、お孫さんと公園でハトに餌をあげていました。そんなことが、1週間くらい続いたでしょうか。そうしたら、ある日突然公園の2箇所に、大きな看板が立ちました。「この公園でハトに餌をあげるのはやめましょう!(文面は少しあいまいです。)」というものです。(今でも立派にその看板は残っています。)
その後、其のおじいさんとお孫さんのペアの姿を公園で見かけることはなくなってしまいました。なぜ、直接おじいさんに声掛けしてあげなかったのでしょうか。ハトが増えすぎると、其の糞害で悩まされてしまうから、と。そして、行政の方も、なぜ、苦情を申し出てきた方に、そのように、おじいさんに、話すことを薦めてくれなかったのでしょうか。
「冒険遊び場」のモットーは「怪我と弁当は自分もち!」、「自分の責任で自由に遊ぶ!」です。各人が、何かあったときに、人のせいばかりするのではなく(アメリカ型の何でも、訴訟にすればよいという風潮をまねるのではなく)、もう少し自分自身の過失や過ちを真摯に受け止め、我慢すべきは我慢しなければならないのではないでしょうか?とにかく禁止事項ばかりに、がんじがらめにされた中で生活を送ることは真っ平ごめんです。
長くなりましたが、そんなことを「こんにゃく畑」の山積みから思い起こさせられました。