いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

< 鳥 > ミナミジサイチョウ

2021-06-03 11:05:42 | 動物

 「ミナミジサイチョウ」

 (南地犀鳥、学名:Bucorvus cafer、シノニム:Bucorvus leadbeateri)は、鳥類の一種。地上性の肉食のサイチョウ類。草原の掃除屋という異名を持つ。

 形態
 南アフリカのサバンナに生息し、成鳥は体長約90~130センチ、体重は6kg前後、翼を広げれば2メートル近くになる。くちばしはサイの角のように長く硬く発達している。喉袋と目の周りだけが鮮やかに赤く、睫毛が長いのが特徴で、ほかはほぼ全身真っ黒である。2歳ぐらいまでは喉袋も小さく、黄色身がかかっている。

 生態
 アカシアなど木の上に巣を設け、飛翔能力はあるものの、主に地上を徘徊し、地中に潜むフンコロガシ・トカゲ・クモなど昆虫類、カエル、ヒョウモンガメは甲羅を割り、食す。メスは大人になると出て行くが、オスはメスより平均4~6年ほど親元に残り、自分より後から生まれた雛がいると、親と同様にエサをヒナへ運ぶ。夜は天敵に狙われぬよう、木の上で寝る。メスは雛がいるときは早朝を除いてほとんど巣から離れない。オスと獲物を捕りにサバンナに出るときは空腹のため、オスが捕まえた獲物をひたすらもらい、時には子供のオスが取った獲物をもらうこともある。寿命は50年近くある。

*Wikipedia より

 

 こんな鳥が日本の街で見つかるなんて・・・

 どっかから逃げた?逃がした?

 飼育するなら責任持ってやってもらわないとね。

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昨日の錦織くん-6/2

2021-06-03 10:51:02 | スポーツ

 「全仏オープン」2回戦。

 対戦相手は、第23シードのK・ハチャノフ(26歳、ロシア)。

 またまた死闘を繰り広げた。

 4-6,6-2,2-6,6-4,6-4のフルセット。試合時間は3時間59分。

 本人曰く「5試合を戦った気分」。

 3回戦では予選から勝ち上がってきた世界ランク150位のH ・ラクソネン(29歳、スイス)と対戦予定。

 大丈夫かぁ?

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<苺> ゆうべに

2021-06-03 10:40:38 | 食品

 「ゆうべに」

●ゆうべにとは

 ◆熊本県のオリジナル品種「熊本VS03」
熊本県農業研究センターが、熊本県内でのいちご栽培面積の6割を占める 「さがほのか」に代わる品種として、2005(平成17)年から約9年間にわたり開発に取り組んできた品種で、2015年にデビューしました。

赤い着色が優れ、食味が良い育成系統「07-13-1」(種子親)に、極早生で収量生が高い「かおり野」を花粉親として交配して生まれた系統から選抜育成されたイチゴだそうです。

2014(平成14)年に品種の登録出願がなされ、翌2015年に名称を全国から公募、5178件の応募の中から「ゆうべに」がえらばれました。名前は熊本県の熊(ユウ)と、果肉も赤く、口紅やほお紅をイメージさせることから付けられたそうです。

2015(平成27)年に三大都市に向けて初出荷されたばかりの新しい品種で、クリスマスに向け栃木県の「とちおとめ」や「スカイベリー」、それに福岡県の「あまおう」などのシェアに食い込んでくることになりそうです。

◆ゆうべにの特徴
形は円錐形で比較的整った形をしており、大粒の傾向があるとされています。果皮色は全体に赤く色付きやすく、そう果の落ち込みは深くなく、果実表面にそう果が出るか出ないかといったところ。

果肉はややしっかりとしていて、断面を見るとわかるように中の果肉も赤く色が入っています。果芯の空洞はわずかにみられます。

2016年12月現在、まだ品種登録が確定しておらず、農林水産省のデータベースには品種の特性が公表されていません。

◆実際に食べてみた食味
今回入手したものは12月初旬にスーパーで1パック480円で購入したものです。形や色艶がよく、香りも華やかな花のような感じでやや強めでした。かじったときの食感は固くなく、でも柔らかすぎず丁度良い感じです。ただ、甘味と酸味のバランスはいいと思うのですが、見た目で期待したほどの甘さはありませんでした。デビューして間がないことや、時期的に早いからかもしれません。次回に期待したいと思います。

●ゆうべにの主な産地と旬
◆主な産地と生産量
ゆうべには熊本県のオリジナル品種で、現在熊本県でのみ栽培出荷されています。

2015(平成27)年度の出荷は2haでの栽培で125トン、2016年度は45haを超え、2173トンに増える見込みだそうです。(熊本日日新聞記事より)

◆ゆうべにの収穫時期と旬
収穫はハウス栽培にて11月中旬から始められ、クリスマス時期から年末年始の需要にも対応しつつ5月頃まで安定して収穫できるようです。出荷の最盛期は12月中旬から翌3月頃までと思われます。

*https://foodslink.jp/syokuzaihyakka/syun/fruit/Strawberry-Yubeni.htm より

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<言 葉> 夏の言葉 泉

2021-06-03 10:32:22 | 言葉

 「泉」

 三夏の季語。

 子季語には、泉川/やり水がある。
山中の岩間などから清冽な地下水が地表に湧き出して、小さな流れや池となったもの。湧き出るときの静かな音や、水の透明感が夏の涼しさを呼ぶ。清らかな水であることから、古くは旅人が乾いた喉を潤した。

*https://kigosai.sub.jp/kigo500a/264.html より

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<現役ミュージシャン> 意外な年齢のミュージシャンたち-村松邦男

2021-06-03 10:00:38 | MUSIC

 「村松邦男」

  1952年3月17日生まれの69歳

 

 大滝詠一楽曲で聴ける村松邦男のギター・プレイ。 2021-05-21  City Pop
 ギタマガ流大滝詠一特集となれば、取り上げるべきギタリストは鈴木茂と村松邦男のご両人! 『ロンバケ』でもエレキを弾いているのも、概ねこの2人である。ということで本記事ではまず、村松邦男の参加楽曲を厳選してご紹介。大滝詠一作品のほとんどに参加し、献身的なリズム・ギターを披露し続けた男をピックアップだ! 文=編集部 

 村松邦男は言わずと知れたSUGAR BABEのギタリストだが、バンド解散後のメインとなった活動の1つが大滝詠一作品のサポート・ワークである。はっぴいえんどの活動中に作られた1st『大瀧詠一』(1972年)を除けば、ほとんどの作品でギターを弾いており、特に『NIAGARA MOON』(1975年)から『A LONG VACATION』(1981年)までのいわゆる“コロムビア期”のアルバムではほぼ村松1人がエレキ・ギターを担当。まさに大滝作品において欠かせないギタリストなのである。

 ナイアガラ・レーベルの記念すべき第1弾作品であり、大滝がプロデューサー/レコーディング・エンジニアとして活躍した名盤『SONGS』(SUGAR BABE/1975年)で素晴らしいリード・ギターの数々をレコーディングした村松だが、大滝作品では一転、献身的なリズム・プレイに終始。『GO! GO! NIAGARA』(1976年)や『NIAGARA CALENDAR』(1977年)といったアルバムでは、とにかく職人のようにリズム・ギターを提供したといい、“どの曲かもわからないままひたすらにバッキングばっかり弾いていた”と当時を述懐している。また同時にこの経験が、ギタリストとしての修行にはうってつけだったという。


 さて今回特集を作るにあたり、村松の主要な名演をまとめたプレイリストを作成してみた。全体的に派手なプレイは少ないが、「あの娘にご用心」や「座 読書」などで披露するゴキゲンなカッティングが実に楽しい。もう気分はウキウキである。『ロンバケ』以前の大滝が追い求めた“ノベルティ・ソング”路線を軽やかに彩った村松の仕事を、ぜひこの機会に感じ取っていただきたい。

 村松が珍しくリード・ギターを披露しているのが『ロンバケ』収録の「我が心のピンボール」。『ロンバケ』でリードを弾いているのは概ね鈴木茂なのだが、この曲だけ例外的に村松がテーマ・リフやギター・ソロを担当している。テーマ・リフのサウンド感は本作の涼しげな世界観からちょっとはずれた(?)、ハードなディストーションといった趣だが、“こういうバカバカしいのは茂さんじゃなくて僕に弾かせるんですよ(笑)”と村松は語っている(2015年の本誌インタビューより)。とは言うものの、中盤とエンディングで聴かせるギター・ソロは実にキャッチーでメロディアス! SUGAR BABEでいくつものスウィートなリード・ギターを弾いた男の面目躍如である。

 日本のポップス史に燦然と輝く『A LONG VACATION』。本作はもちろん、大滝の極上のボーカルや全体の多幸感あふれるサウンドに浸る作品である。が、本作でさりげなく鳴る素晴らしいギター・プレイの数々に耳を傾けるのも一興だ!

*https://guitarmagazine.jp/article/2021-0521-muramatsu-playlist/ より

 

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<日本酒> 兵庫 小鼓/西山酒造場

2021-06-03 09:12:28 | 日本酒

 【平成30酒造年度全国新酒鑑評会 金賞銘柄一覧(大阪国税局)】
 〈兵庫〉 小鼓/西山酒造場

 

 社長の想い

 酒造りの技術で子供からお年寄りまでをターゲットとした新しいモノづくり。

 30年後には丹波を「画期的な革新が生まれる場所」と呼ばれる地域にしたい。

 日本酒の技術で取り組む変革
 日本酒を好きで飲んでいる人は、日本人口1億2千7百万人の中の8%程度です。
 今後加速的に、アルコールの国内需要が減少していく中、日本酒を取り巻く環境は衰退の一途をたどっています。
 変革は、必要不可欠です。
 私たちは、これまでのアルコールに限られたターゲットだけでなく、160年以上続いている酒造りのノウハウ、「米の発酵技術」を活用し、子供からお年寄りまでをターゲットとした、新しいモノづくりに取り組んでいます。
 米の発酵は様々な栄養素を生み出す、日本独自の優れた伝統技術です。
 甘酒ヨーグルト、甘麹をはじめ、米の発酵技術を応用したノンアルコール製品は、今後お客様の生活をより豊かにするものとして認知されていくと確信しています。

 

 特に女性の観点を重要視し、健康、環境、美容をテーマに、酒の造り方はもちろん、
 発酵技術を活用したノンアルコールの製品造りにおいても、教科書通りではない、これまでと違う視座から見直していきます。

 日本文化を海外へ発信
 また西山酒造場では、現在36ヶ国に輸出を行っています。
 国内で需要の伸びない日本酒ですが、一方で海外においての評価は急激に高まっています。
 近い内に国内より海外での需要が大きくなるという雰囲気を直接現地に行くことで感じ取っています。
 私たちは、日本酒を日本文化の代表と位置づけ、世界に発信していきます。

 守るべきもの
 ただ、その中で守るべきものもあります。
 まずは丹波に根付いたモノづくり。何があろうと、地元丹波を中心として活動し、貢献していくことが、これまで育んでくれた丹波への恩返しだと思っています。
 丹波じゃないとできないものが確かにあります。
 そして素材。丹波、ひいては兵庫県の素材にこだわっていきます。
 最後に水。当蔵で使用するすべての水は竹田川の伏流水である蔵内の井戸水です。
 これはたとえ1km先の水を使用しても、これまで通りのモノづくりは出来ない、生命線とも言える存在です。
 この美しい清水を守るために、環境保護にも取り組んでいきます。

 私たちの存在意義
 伝統産業とはいえ、170年以上も続いて来たのは、その時代に合わせて変革を繰り返してきたからこそです。
 「守る」ことと「変えない」ことは全く正反対。
 挑戦を続けることで、お客様にこれまで無かった新しい製品を提案していく。
 それが西山酒造場の存在意義です。

 この丹波地域が、30年後には「画期的な革新が生まれる場所」として発展を遂げている姿を思い描き、
 私たちは伝統技術を活用し、お客様の「今までなかった!」を創造していきます。

 西山酒造場六代目 西山 周三

 株式会社西山酒造場 兵庫県丹波市市島町中竹田1171

 ラインナップ

 「小鼓」マキシモムンディアル入賞酒 大吟醸・心楽・虚天楽・路上有花 葵 純米大吟醸 など

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<伝統野菜> 宮城 長下田うり

2021-06-03 09:02:57 | 伝統野菜

 「長下田うり-なげたうり」
 【生産地】宮城県登米市石越町北郷長下田地区

 【形状】全国にも珍しい下ふくれの形をした白瓜。長さ22㎝~23㎝ほど、直径は下部の一番太いところで8㎝ほどある。色は淡白でやや緑色を帯びている。

 【食味】甘みがなく、生食には向かないが、クセのない味で、漬物に活用されたものと考えられる。

 【来歴】岩手県に伝わってきた「なしうり」や「まうり」が自家採種によってこの地に根付いたのではないかと言われています。昭和20年代前半までは地域の数軒で栽培されていたようだが、現在は、一軒のみ栽培。一つの種から10個以上が収穫できるなど驚くほど多収。地這で育成。

 【収穫時期】8月中旬

*https://tradveggie.or.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%BC%9D%E7%B5%B1%E9%87%8E%E8%8F%9C%EF%BC%8D%E5%AE%AE%E5%9F%8E/#i-21 より

 

 長下田うり

 生産地 登米市石越町北郷長下田地区 

 由来
 なげたうり1石越町北郷の長下田地区には、全国にも珍しい下ふくれの形をしたシロウリが伝えられてきたことが知られていましたが、近年、その存在は幻と言われていました。

 それが、平成25年度に行われた市の現地調査で千葉きよ子さん(取材当時89歳)、ただお一人が生産を続けていることが確認されました。

 岩手県に伝わってきた「なしうり」や「まうり」が自家採種によってこの地に根付いたのではないかと言われています。昭和20年代前半までは地域の数軒で栽培されていたようです。

 

 特徴
 なげたうり3うりは、長さ22cm~23cmほど、直径は下部の一番太いところで8cmほどあります。色は淡白でやや緑色を帯びています。

 6月上旬に播種(種をまくこと)してから8月中旬に収穫するまでほとんど手のかからない作りやすい野菜で、一つの種から10個以上が収穫できるなど驚くほど多収です。

 生で食べてみると、まったく甘みがなく、生食には向きませんが、クセがない味であり、非常に多収であることから漬物に活用されたものと考えられます。

 

 栽培方法
 なげたうり4露地で栽培します。6月上旬に畑に堆肥、石灰等をすき込み、マルチを張り、約50cm間隔で一箇所に5粒ほどを直播します。

 地這で栽培し、特段の手間はかかりません。8月のお盆頃に収穫します。

 

 主な活用・料理方法
 なげたうり2きんこ漬、金婚漬の原料として知られています。

 うりが熟さないうちに、太い方の端を横に切り、中身をくり抜き、昆布、人参、みょうが、しその葉、大根、ごぼう、なす、きゅうり、唐辛子などを入れて味噌の中で漬けこむようです。

 なお、きんこの由来は、諸説ありますが、きんくわ瓜と言われたのが徐々になまってそのようになったと言われています。

 

 生産者インタビュー千葉きよ子さん
 なげたうり5これまで長下田うりを約70年作り続けてこられたのは、昔からの種を守りたい気持ちもありますが、金婚漬の味を自分なりに改良し続けると売れ行きがよくなり、それが楽しかったのが大きいです。また、長下田の名物として贈り物やお土産に使いたいという方が今でもいらっしゃるので、その要望にこたえるためにも作り続けていきたいです。

 

 お問い合わせ

 登米市産業経済部地域ビジネス支援課

*https://www.city.tome.miyagi.jp/business/dentoyasai/nagetauri.html より

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<漢字検定> 1級 四字熟語 7.回答 8.出題

2021-06-03 07:48:24 | 漢字検定

 前回の回答

 

 次の四字熟語の読み方を答えてください。
 ※読み方が複数あるものには代表的な読みを答えとして表示しています。

 

 問1 狷介不羈  -けんかいふき-自分の意志を固く守って、何者にも束縛されないこと。

 

 問2 日月逾邁 - じつげつゆまい-月日が過ぎていくこと。または、驚くほどはやく老いていくこと。
「日月」は時、時間のこと。
「逾邁」は経過するや、過ぎていくという意味。 

 

 問3 切歯扼腕  -せっしやくわん-はなはだしく怒り、非常にくやしく思うことの形容。▽「切歯」は歯ぎしり、歯をくいしばること。「扼腕」は自分の腕を握りしめること。

 

 問4 道揆法守  -どうきほうしゅ-道理を基準に物事をはかり、自ら法を守ること。
「道揆」は道理に基づいて物事をはかることで、政治を行う上位の者への教訓。
「法守」は法を守ることで臣下など下位の者への教訓。

 

 問5 年災月殃 -ねんさいげつおう-かつてないほどの不幸な日のこと。
または、次々へと災厄に見舞われ、とてつもなく不幸なこと。
「年災」は天災で穀物がだめになること。
「月殃」は月の不運、報い、天罰などのこと。

 

 今回の出題

 

 次の四字熟語の読み方を答えてください。
 ※読み方が複数あるものには代表的な読みを答えとして表示しています。

 

 問1 繁文縟礼  

 

 問2 低徊趣味  

 

 問3 草満囹圄  

 

 問4 肉袒牽羊  

 

 問5 万物殷富

 

 

 *漢字検定Web問題集 HP より

 *goo辞書・四字熟語辞典オンライン より

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<経産大臣指定伝統的工芸品> 滋賀 信楽焼

2021-06-03 07:38:39 | 経済産業大臣指定伝統的工芸品

 「信楽焼」

 Description / 特徴・産地

 信楽焼とは?
 信楽焼(しがらきやき)は、滋賀県甲賀市信楽町周辺で作られている陶磁器です。陶土に木節(きぶし)、実土(みづち)、蛙目(がいろめ)などの粘土や原料を合わせて練るため、コシがでて、肉厚な焼き物や大きな焼き物を造ることができます。
信楽焼の特徴は、粗めの土質を用いて耐火性が高いことです。焼成する工程によって、ピンクやほのかな赤色に発色し、赤褐色系統の火色(緋色)が生まれます。
 信楽の白みある土に映える火色(緋色)は「窯あじ」と呼ばれるものです。温度や焚き方によって微妙に変化する窯あじによって、信楽ならではの温かい発色が付きます。その表面に「焦げ」や釉薬をつけるため、柔らかい表情の焼き物になります。「焦げ」とは、薪が窯で燃え尽きて積もった灰に埋まった焼き物の裾の部分が、黒褐色に発色することです。焦げは「灰かぶり」とも言われます。
 茶陶器においては、信楽焼の焦げ部分のさびた趣きが珍重されています。他の産地では見られない、人の肌のような素朴な温もりや豊かな表情が垣間見えます。

 History / 歴史
 信楽焼とは、天平時代に生まれたと言われる日本六古窯1つで、聖武天皇が紫香楽宮(しがらきのみや)を作る時に、瓦を焼いたのが始まりと言われています。
 鎌倉時代中期には主に水瓶などが作られ、安土桃山時代には茶の湯の発達により、茶道具の生産が盛んになりました。茶器などの茶道具の名品が生まれ、信楽焼のわび・さびの味わいは現代にも生きています。
 江戸時代は徳利や土鍋など、いろいろな生活用の器が作られ商業としても発達しました。 大正時代から戦前までは、各家庭で愛用された火鉢が多く製作されていました。明治時代には釉薬の研究と共に、信楽焼の火鉢は国内販売の8割を占めました。
 土の味わいや温もりを生かした風合いが愛され、現在では、花器や食器、置物やタイルまで、幅広く住宅やインテリアに使われています。1976年(昭和51年)には信楽焼は国の伝統工芸品として指定され、狸の置物が代名詞にもなり「陶器の町、信楽」としても親しまれています。

*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/shigarakiyaki/ より

 1300度以上の炎と土が織り成す芸術、信楽焼
 信楽焼と言えば、「たぬき」がトレードマークだが、奈良時代以来の歴史を誇る古窯で、茶道の「わび」に通じる簡素美は、時代を超えて愛されてきた。登り窯にこだわる宗陶苑上田宗寿さんに、信楽焼への想いをうかがった。

 
 登り窯と薪手作りの技法にこだわる
 信楽の地は、1200余年も前に聖武天皇が紫香楽宮を造営する際に、瓦を焼いたことから始まった陶芸の街。あちこちに窯元や販売元、ギャラリーがひしめく。その中でも、上田さんが社長を務める宗陶苑は、日本最大規模の11室の登り窯を持ち、しかも薪焚きにこだわる信楽唯一の窯元である。
 「私が開窯した昭和26年頃、信楽では、火鉢などの生活雑器が量産される最盛期でした。しかし私は、茶わんや花器などを手作りで作りたかった。登り窯で焼く場合は、火ぶくろから薪に火をつけ、火ぶくろの温度が上がると、器物を並べた一の間の温度も高くなり、一の間の温度が上がると火ぶくろ焚きを終えて、一の間の焚き口から直接薪を入れて間焚きをし、一の間が焚き上がると次の間に移る。それがうちでは11室あるんです。本焼きに入ると、24時間10日間近く、火の色や器物の肌色を見ながら薪をくべて1300度以上にまで温度を高め加減をする。職人の経験や技量が問われ、ごまかせません。機械で温度管理する方が、失敗は少ないのは確か。しかし、伝統工芸というのは、手作りが基本。だからこそ、機械に頼ることなく、登り窯と薪にこだわりたいんです」。


 緋色・自然釉・焦げの妙味
 信楽焼の作品を見る時、その景色のポイントは3つあるという。1つは、焼成することで出る「火色(緋色)」。2つめは、焼成の際に薪の灰が土の長石と溶け合ってガラス質のよどみや筋を作る「ビードロ釉」。3つめは、器物の裾が灰に埋もれ黒褐色となる「焦げ」である。これらが調和して、信楽焼独自の簡素美を奏でる。
 「私は、陶芸の道に入って60年を超えました。こんな景色の作品を作りたい。だから、土やへらは何を使うか、薪も赤松だけでなく、雑木薪をこれくらい混ぜて・・・、というようにきっちりと計算をしながら作るのです」と、永年の経験が裏打ちされた土と炎を巧みに扱えるゆとりをかいま見せる。


 焼きものは、技術の研鑽あるのみ
 上田さんは、以前インドに旅行した時、衝撃的な出合いをしたという。道端で男性が、稚拙な道具でろくろを回し、陶器を焼いている。聞くと、土は田の泥だという。「焼き物は、土の良しあしではなく、技術の研鑽だと悟りました。地球がある限り、焼き物はなくならない。もちろんいい土にこしたことはない。しかしたとえ悪い土であっても、よいものを創りだせる。それほどの技がないとダメ。先人が生み出した伝統の技術を受け継いだ後人の務めだと思います」。経験に安穏とすることなく、さらに自分自身に厳しく課題を与える。それが、上田さんの作品に見られる勢いを与えるのかもしれない。


 陶芸教室は、後継者育成の一環
 現在信楽の地だけでなく、日本全国の窯元で陶芸教室が人気を呼んでいるが、全国に先駆けて始めたのは、上田さんである。「ある地方の窯元を訪ねた時、そこの老陶工が、小学生に焼き物の歴史や特徴を語っていたのです。これは、後継者の育成に大切なことだと思いました。それ以来、産地見学の子どもを受け入れ、陶芸教室を始めました。一人でも多くの人が土に触れ、物を作る喜びを知ることで、焼きものの魅力に関心を持ってもらえるとうれしいですね」と語る上田さんの眼差しは、信楽焼のみならず、焼きもの文化の未来にむけられている。


 職人プロフィール

 上田宗寿 (うえだそうじゅ)

 号は寿方(じゅほう)。
 大正14年生まれ。
 窯元宇左衛門家6代目。
 株式会社宗陶苑社長、信楽焼伝統工芸士会会長、信楽町文化協会顧問。


 こぼれ話

 現代の暮らしにマッチする信楽焼

 信楽焼きの歴史は、奈良時代聖武天皇が紫香楽(しがらき)宮造営にあたり、瓦をこの地で焼いたのが始まり。鎌倉から室町時代にかけて農器が焼かれ、また室町からの茶道文化の隆盛とともに茶道具が作られました。江戸時代から現代まで、植木鉢、火鉢、食器、花器と、人々の暮らしに根づいた陶器が生み出されてきました。近年は、ブームのガーデニンググッズや建築用のタイル、インテリア用品など、多様な魅力が広まっています。

* 「信楽焼」

 

 Description / 特徴・産地

 

 信楽焼とは?

 信楽焼(しがらきやき)は、滋賀県甲賀市信楽町周辺で作られている陶磁器です。陶土に木節(きぶし)、実土(みづち)、蛙目(がいろめ)などの粘土や原料を合わせて練るため、コシがでて、肉厚な焼き物や大きな焼き物を造ることができます。

信楽焼の特徴は、粗めの土質を用いて耐火性が高いことです。焼成する工程によって、ピンクやほのかな赤色に発色し、赤褐色系統の火色(緋色)が生まれます。

 信楽の白みある土に映える火色(緋色)は「窯あじ」と呼ばれるものです。温度や焚き方によって微妙に変化する窯あじによって、信楽ならではの温かい発色が付きます。その表面に「焦げ」や釉薬をつけるため、柔らかい表情の焼き物になります。「焦げ」とは、薪が窯で燃え尽きて積もった灰に埋まった焼き物の裾の部分が、黒褐色に発色することです。焦げは「灰かぶり」とも言われます。

 茶陶器においては、信楽焼の焦げ部分のさびた趣きが珍重されています。他の産地では見られない、人の肌のような素朴な温もりや豊かな表情が垣間見えます。

 

 History / 歴史

 信楽焼とは、天平時代に生まれたと言われる日本六古窯1つで、聖武天皇が紫香楽宮(しがらきのみや)を作る時に、瓦を焼いたのが始まりと言われています。

 鎌倉時代中期には主に水瓶などが作られ、安土桃山時代には茶の湯の発達により、茶道具の生産が盛んになりました。茶器などの茶道具の名品が生まれ、信楽焼のわび・さびの味わいは現代にも生きています。

 江戸時代は徳利や土鍋など、いろいろな生活用の器が作られ商業としても発達しました。 大正時代から戦前までは、各家庭で愛用された火鉢が多く製作されていました。明治時代には釉薬の研究と共に、信楽焼の火鉢は国内販売の8割を占めました。

 土の味わいや温もりを生かした風合いが愛され、現在では、花器や食器、置物やタイルまで、幅広く住宅やインテリアに使われています。1976年(昭和51年)には信楽焼は国の伝統工芸品として指定され、狸の置物が代名詞にもなり「陶器の町、信楽」としても親しまれています。

 

*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/shigarakiyaki/ より

 

 

 1300度以上の炎と土が織り成す芸術、信楽焼

 信楽焼と言えば、「たぬき」がトレードマークだが、奈良時代以来の歴史を誇る古窯で、茶道の「わび」に通じる簡素美は、時代を超えて愛されてきた。登り窯にこだわる宗陶苑上田宗寿さんに、信楽焼への想いをうかがった。

 

 

 登り窯と薪手作りの技法にこだわる

 信楽の地は、1200余年も前に聖武天皇が紫香楽宮を造営する際に、瓦を焼いたことから始まった陶芸の街。あちこちに窯元や販売元、ギャラリーがひしめく。その中でも、上田さんが社長を務める宗陶苑は、日本最大規模の11室の登り窯を持ち、しかも薪焚きにこだわる信楽唯一の窯元である。

 「私が開窯した昭和26年頃、信楽では、火鉢などの生活雑器が量産される最盛期でした。しかし私は、茶わんや花器などを手作りで作りたかった。登り窯で焼く場合は、火ぶくろから薪に火をつけ、火ぶくろの温度が上がると、器物を並べた一の間の温度も高くなり、一の間の温度が上がると火ぶくろ焚きを終えて、一の間の焚き口から直接薪を入れて間焚きをし、一の間が焚き上がると次の間に移る。それがうちでは11室あるんです。本焼きに入ると、24時間10日間近く、火の色や器物の肌色を見ながら薪をくべて1300度以上にまで温度を高め加減をする。職人の経験や技量が問われ、ごまかせません。機械で温度管理する方が、失敗は少ないのは確か。しかし、伝統工芸というのは、手作りが基本。だからこそ、機械に頼ることなく、登り窯と薪にこだわりたいんです」。

 

 

 緋色・自然釉・焦げの妙味

 信楽焼の作品を見る時、その景色のポイントは3つあるという。1つは、焼成することで出る「火色(緋色)」。2つめは、焼成の際に薪の灰が土の長石と溶け合ってガラス質のよどみや筋を作る「ビードロ釉」。3つめは、器物の裾が灰に埋もれ黒褐色となる「焦げ」である。これらが調和して、信楽焼独自の簡素美を奏でる。

 「私は、陶芸の道に入って60年を超えました。こんな景色の作品を作りたい。だから、土やへらは何を使うか、薪も赤松だけでなく、雑木薪をこれくらい混ぜて・・・、というようにきっちりと計算をしながら作るのです」と、永年の経験が裏打ちされた土と炎を巧みに扱えるゆとりをかいま見せる。

 

 

 焼きものは、技術の研鑽あるのみ

 上田さんは、以前インドに旅行した時、衝撃的な出合いをしたという。道端で男性が、稚拙な道具でろくろを回し、陶器を焼いている。聞くと、土は田の泥だという。「焼き物は、土の良しあしではなく、技術の研鑽だと悟りました。地球がある限り、焼き物はなくならない。もちろんいい土にこしたことはない。しかしたとえ悪い土であっても、よいものを創りだせる。それほどの技がないとダメ。先人が生み出した伝統の技術を受け継いだ後人の務めだと思います」。経験に安穏とすることなく、さらに自分自身に厳しく課題を与える。それが、上田さんの作品に見られる勢いを与えるのかもしれない。

 

 

 陶芸教室は、後継者育成の一環

 現在信楽の地だけでなく、日本全国の窯元で陶芸教室が人気を呼んでいるが、全国に先駆けて始めたのは、上田さんである。「ある地方の窯元を訪ねた時、そこの老陶工が、小学生に焼き物の歴史や特徴を語っていたのです。これは、後継者の育成に大切なことだと思いました。それ以来、産地見学の子どもを受け入れ、陶芸教室を始めました。一人でも多くの人が土に触れ、物を作る喜びを知ることで、焼きものの魅力に関心を持ってもらえるとうれしいですね」と語る上田さんの眼差しは、信楽焼のみならず、焼きもの文化の未来にむけられている。

 

 

 職人プロフィール

 

 上田宗寿 (うえだそうじゅ)

 

 号は寿方(じゅほう)。

 大正14年生まれ。

 窯元宇左衛門家6代目。

 株式会社宗陶苑社長、信楽焼伝統工芸士会会長、信楽町文化協会顧問。

 

 

 こぼれ話

 

 現代の暮らしにマッチする信楽焼

 

 信楽焼きの歴史は、奈良時代聖武天皇が紫香楽(しがらき)宮造営にあたり、瓦をこの地で焼いたのが始まり。鎌倉から室町時代にかけて農器が焼かれ、また室町からの茶道文化の隆盛とともに茶道具が作られました。江戸時代から現代まで、植木鉢、火鉢、食器、花器と、人々の暮らしに根づいた陶器が生み出されてきました。近年は、ブームのガーデニンググッズや建築用のタイル、インテリア用品など、多様な魅力が広まっています。

 

*https://kougeihin.jp/craft/0413/ より

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