いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

あららジャマイカ戦-6/3 中止に

2021-06-01 13:07:35 | スポーツ

 6月3日に予定されていた「国際親善試合 日本代表 VS ジャマイカ」。

 ジャマイカのメンバーの一部が「コロナ出発前検査」にパスできず?日本到着が遅れることになり、「中止」が決定された。

 その代わり、「日本代表 VS U-24日本代表」が組まれることに。

 

 「U-24」は、6/5に「国際親善試合 U-24 ガーナ戦」があるのだが・・・

 「日本代表」当初は、6/3-ジャマイカ戦のあと、6/7 既に2次予選突破を決めている「アジア予選」をタジキスタンと試合。

 6/7 タジキスタン戦は予定通り行うだろうけど、U-24はちょっとタイトなスケジュールになったねw

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<贋作> 平山郁夫氏の版画

2021-06-01 10:22:26 | 美術

 「平山郁夫氏の版画」が相当量「贋作」と認められた。

 昨年発覚後、調査がどんどん進んでいる。

 「販売者」は・・・そごう・西武百貨店。

 なんとも情けない・・・

 

 「西武百貨店」では、以前に「絵画事件」を起こしている。

 そう「イトマン事件」の1つだ。

 あの「許永中」が関わった巨額詐欺事件。

 

 なのにまたやらかしおった。

 今は「そごう・西武」とはなったが、まさか「黒幕」はその当時の生き残りではないだろうねぇ~

 

 鑑定を依頼した側は、「最近の百貨店担当者は目利きができない連中」と非難。

 そりゃそうだ、バブル期には何人も「専門家」がいたが、今ではどの売り場・バイヤーも「本物の専門家」は少ないことだろう。余力のない時代、「自己啓発も含めた経験値」は低次元のものになってはいないか?

 売り場を見れば明らか。

 「一流品」をしっかり売れないのは、バイヤー・売り場責任者の責任は大きい。

 「百貨店=信用」はもう相当不確かなものに。

 

 話を戻して・・・

 「贋作」も「油絵」など自筆のものならまだわかりやすいはず。もちろん「入手ルート」が信用のひとつではあるが。

 しかし、「版画」は難しい。

 最近の「印刷技術」は素晴らしい。ちゃんと「本物を高解像度でスキャン」できれば「印刷」すればいい。見抜ける力がある者が助言を加えれば、「本物同等」のものも作れるとか。

 キャノンの最高技術を使って「複製」を作ることで、「本物の劣化」を防ぐ目的は認められている。ただ、それは「本物の所有者」が正式に認めるのが条件。

 「転売目的」で「贋作」を大量制作して販売するなんて「犯罪」は決して許されない。

 「本物」が欲しければ、本当の本物の画商で入手することをおすすめする。

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大坂なおみの敵は誰だ?

2021-06-01 10:08:08 | スポーツ

 とても残念な知らせである。

 「大坂なおみ 全仏OP棄権」

 開幕前から続いた「大坂なおみVS全仏OP主催者」。

 

 とうとうバラした「大坂なおみの精神疾患」。

 やはり「うつ」の傾向が。

 

 2018年全米OP優勝で、一変した。

 その試合中から問題発生。下馬評では元王者セリーナ・ウィリアムズの優勝。

 しかし、シード20の「アジア人?」がストレート勝ち。

 避難覚悟で言うと「肌の色の違う日本人」が快挙を遂げた。

 会場の大ブーイングは凄まじいものだった。

 表彰式では、敗者の元王者が会場を鎮めることに。

 後味の悪い幕切れが事の発端とも。

 

 本人曰くその後「うつ」の症状が出たと。

 

 その後、2019全豪OP優勝でランク1位に。

 

 「かわいい笑顔とコメント」で魅了した大坂なおみ。

でもその裏側では「心との闘い」があったと。

 

 とうとう「爆発」してしまったのか?

 主催者側の「一方的対応」に非はなかったか?

 

 記者会見は「必要」だとは思うが、今までいろいろな「物議」を引き起こしてきたのも彼女自身。

 「ブラック・ライブズ・マター」マスクは全世界を動かした。

 影響力があるのも「テニス」のおかげ。「マスコミ」のおかげでもある。

 

 「成績と人気」そして「影響力」。

 しかし「23歳」の彼女にはあまりにも大きいものになっていたことだろう。

 

 いままでの「記者会見」は、決して「紳士的?なもの」ではなかったことは明らか。酷い中傷もどきの質問もあれば、「同じことを繰り返す質問」ばかり。

 記者会見の「改善」は当然では?と思ってしまう。

 男子王者は「長い間戦ってきた」から、それなりの免疫もあれば、「かわす術」もある。

 しかし、23歳の彼女にはまだないのが実情。

 「圧倒的強さ」を持たない限り、「非道な質問」「精神的に追い詰める質問」は止むことはないだろう。「リスペクト」を感じさせない質問を止めさせることは難しい。主催者側が「何か規制」する必要があると思うのだが・・・

 

 彼女が楽しくテニスできる日はいつになるのか?

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<苺> ももいちご

2021-06-01 09:39:06 | 食品

 「ももいちご」

 ももいちご/百壱五は徳島県の登録商標
 「ももいちご」はJA徳島市佐那河内支所と大阪中央青果(株)が共同で作ったブランドイチゴで、「あかねっ娘」の栽培環境にマッチした寒暖差の大きい山間部で、より甘く、そしてより大きい実に育て上げるために、一株あたりの花を間引きし、選ばれた少ない果実に栄養を集中させるなど栽培方法を工夫した末、地域限定、数量、期間限定の希少性が高い高級ブランドに育て上げられています。

 生産者は徳島県佐那河内村の28軒だけで、JAを通していないものは「ももいちご」として出荷することが出来ません。また、出荷された「ももいちご」はそのまま大阪中央青果へ出荷されます。

 「ももいちご」は漢字では「桃苺」ではなくく「百壱五」となっています。

 また、徳島県ではももいちごに次いで「さくらももいちご」というブランドも展開しています。

*https://foodslink.jp/syokuzaihyakka/syun/fruit/Strawberry-Momo.htm より

 

 大きく希少性のある高級イチゴ「ももいちご」 (徳島県佐那河内村) 2014年07月07日更新

 高級イチゴとして人気の高い「ももいちご」。 高齢化の進む四国の村で作られた地域ブランドだ。数量を追い求めるのではく、品質と希少性を大切にしながらブランド価値を守り続けている。

 高級イチゴとして人気の高い「ももいちご」。 高齢化の進む四国の村で作られた地域ブランドだ。数量を追い求めるのではく、品質と希少性を大切にしながらブランド価値を守り続けている。

◆栽培方法工夫、1粒1000円にも

徳島県佐那河内村でつくられている「ももいちご」は、とにかく大きい。一番粒が大きいものだと、握りこぶしくらいの大きさ、つまりテニスボールを一回り小さくしたくらいの大きさがある。 このイチゴが12粒から20粒が入った箱は、1万円以上で販売されている。つまり1粒で1000円以上の値がつく高級いちごなのだ。

ももいちごは、JA徳島市佐那河内支所と、卸売会社の大阪中央青果との共同プロジェクトとして1992年に開発された。佐那河内村にある約30軒の農家が栽培方法にこだわり、年間約140トンが生産されるだけの、希少性の高い地域ブランドなのである。

◆ミカンに代わる作物として

佐那河内村がある徳島県では、81年2月に大寒波に見舞われ、同村の特産品であったミカンの樹木が全滅に近い被害を受けてしまった。これを契機に露地ミカンをスダチや高糖度系ミカンへと転換してきたが、91年のオレンジの輸入自由化の影響を受けて、ミカンの市場価格は暴落し、販売額が激減してしまった。

高齢化の進んでいた同村の農家にとって、ミカンは決して栽培しやすい果物ではない。山の斜面に植えた樹木は手入れをするにも、重い果実を収穫するにも重労働だ。だから転作を考えることへの抵抗は小さかった。

同村ではミカンからの転作する品目としてイチゴに着目していた。イチゴであれば木に登って収穫をすることも、重い果実で腰を痛めることもないし、なによりミカンより販売単価が高い。

しかし、当時、四国は本州とは橋でつながっていなかったため、収穫したイチゴを県外に出荷するには船で運ばざるをえない。それでは、本州の産地と比べると、輸送コスト、新鮮さという面で不利である。そこで、本州の産地では栽培していないような特色があり、付加価値の高い品種を選ぶ必要がある。その時に紹介されたのが「愛知二号」という品種のイチゴだった。

このイチゴは大粒の丸みを帯びた果形で香りが強く、ジューシーなのが特徴。しかし、実が柔らかいために傷つきやすく、栽培に手間がかかる。そのために、全国的にはあまり栽培されていない稀少性の高い品種だった。佐那河内村ではこの品種を育てることにしたが、どうせなら徹底的に栽培方法にこだわり、日本で一番大きいイチゴに育てようと考えた。

同村は徳島県中東部の山間に囲まれた盆地状の土地柄から、平野部よりも日照時間が短く、昼夜の温度差が大きい。これは高品質で大きいイチゴの栽培にとっては好条件となる。つまり、イチゴの実が赤く色づくまでに多くの日数を要することになるため、収穫量は減るが、逆に大きさや甘さはよくなるからだ。

大きさにこだわるため、通常のイチゴであれば1つの株にたくさんの実が同時になるが、ももいちごの場合にはつぼみの状態で花を間引き、少ない実しかならないようにした。栄養を少ない実に集中させて、大きく育てるわけだ。その実を収穫すると次の花を咲かせ、4~5個程度しか実をつけないようにする。通常のイチゴでは20~30個の実を結ぶのに比べると、大幅に少ないが、その分だけ大きく、美味しくなるというわけだ。

ももいちごは大きくみずみずしいという特徴がある一方、やわらかくて痛みやすいという欠点もあるので、大きくなったイチゴが地面についたり、重さで株が倒れたりしないように、地面の上に敷いたスノコの上で育てるという方法をとった。

また、運ぶときもその振動で傷がついてしまわないように、傷みにくいパッケージの研究にも多くの時間を費やした。

こうした努力の結果、ももいちごはその大きさと品質の高さから、イチゴの中での最高ブランドとしてを高く評価されるに至ったのだ。

しかも希少性を保つために、佐那河内村内にある30軒ほどの農家だけしか栽培していない。また、販路としても地元と卸売会社の大阪中央青果経由で大阪周辺でしか販売していない。その結果、ももいちごは品質管理が十分にできるのと同時に、手に入りにくい“幻のイチゴ”として高い人気が保てているのだ。

◆ブランドの拡張、新たな展開へ

ももいちごのブランドが高まるに連れて、2つの新たな試みが動き出している。1つは新たなブランド「さくらももいちご」の開発だ。

「さくらももいちご」は2008年末に新たに生まれた新品種のイチゴ。ももいちごとは品種が異なっており、形はコロコロとした丸みを帯びたももいちごとは異なって円錐形。実の中まで赤く色づいており、味は「ももいちご」よりも甘さが高い。また、酸味もしっかりとあり、果肉の食感はしっかりとした歯ごたえがある。現在では栽培農家はわずかに8軒のみで、ももいちごよりさらに稀少性が高い。

もう1つの取り組みはアイスクリーム。ハーゲンダッツ・ジャパンからももいちごを使ったアイスクリームが限定製造された。2010年1月に銀座の直営店「ハーゲンダッツ ラ メゾン ギンザ」の店内での限定メニューとして「ももいちごアイスクリーム、ココナッツムースとライムジュレのグラス仕立て」が誕生。価格は1,500円で限定提供された。さらにテイクアウト用として「ハーゲンダッツ『ももいちご』」(2個1600円と、6個4800円)が店頭による限定販売と、専用ウェブサイトで5500個が抽選販売され、いずれも人気を集めた。

数量をやみくもに追い求めるのではなく、品質と稀少性を大切にしながら、ブランド価値を守り続ける。ももいちごの戦略はまさに農産物のブランド戦略の典型的なケースなのだ。

(文章:ブランド総合研究所 田中章雄)

※この記事は「月刊商工会」の連載記事「注目!地域ブランド」の記事として、2011年5月号に掲載されたものです。

*https://news.tiiki.jp/articles/2112 より

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<言 葉> 夏の言葉 山背風

2021-06-01 08:55:05 | 言葉

 「山背風-やませ・やませかぜ」

 やませ=偏東風(山背)とは、北日本の(主に東北地方)太平洋側で春から夏(6月〜8月)に吹く冷たく湿った東よりの風のこと。

 寒流の親潮の上を吹き渡ってくるため冷たく、水稲を中心に農産物の生育と経済活動に大きな影響を与える。やませが続いた場合、太平洋側沿岸地域では最高気温が20℃程度を越えない日が続く。

 下層雲や霧のほか、しばしば小雨や霧雨を伴う事が多く、日照不足と低温による水稲の作柄不良(冷害)を招く。気象学においては、山を越えて吹いてくるフェーン現象の性質を有する乾燥した風を意味し北日本の太平洋側に吹く風とは異なっている。

*Wikipedia より

 

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<現役ミュージシャン> 意外な年齢のミュージシャンたち-姫野達也

2021-06-01 08:22:41 | MUSIC

 「姫野達也」

  1952年2月1日生まれの69歳

 1952年2月1日、福岡市に生まれる。
1972年6月5日、TULIPのメンバーとして「魔法の黄色い靴」でデビュー。73年リードボーカルをとった初のシングル「心の旅」が大ヒットを記録。その後「夏色のおもいで」「銀の指環」「ぼくがつくった愛のうた」等のヒット曲を歌いボーカリストとしての頭角を現す。85年TULIPを離れ、安部俊幸らとalwaysを結成。97年からTULIPとしての活動を再開。翌98年にはテレビ情報番組のキャスターを務めるなど音楽以外の分野でも活躍。2002年に初のソロライブツアーを行う。
デビュー40周年、ソロ活動10周年を迎えた2012年、初のベストアルバム『THE BEST SONGS OF ABE & HIMENO』がリリースされ、発売を記念してソロライブツアーを行う。
TULIPは2000年、2002年、2005年、2007年、2012年、2016年にも期間限定で全国ツアーを行い、2018年9月から全国ツアー『TULIP concert tour 2018-2019 is There』を開催した。

*http://www.tatsuyahimeno.com/profile.html より

 

 [2021/05/06]
 【重要】財津和夫コンサート2021 with 姫野達也
 5/9やまぎん県民ホール公演開催についてお知らせ

 「財津和夫コンサート2021 with 姫野達也 ~All Izz Well~」
 5/9(日)やまぎん県民ホール 大ホール公演は、新型コロナウイルス感染拡大防止策を講じた上で予定通り開催いたします。

※政府や地方自治体から発表されているガイドラインに従い、大声での歓声・声援がないことを前提とする公演として予定通り開催いたします。
※入場時、退場時、会場内では必ずマスクをご着用ください。
※混雑を避けるため終演時は規制退場を行います。
※ご入場時、チケットの半券(入場時に切り取る右側部分)の裏面にお客様情報(①氏名②電話番号)をご記入頂きます。
混雑を避けるため、お時間に余裕を持ってお越しください。

*http://www.tatsuyahimeno.com/info.html より

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<日本酒> 兵庫 黒松白鹿/辰馬本家酒造六光蔵

2021-06-01 08:15:38 | 日本酒

 【平成30酒造年度全国新酒鑑評会 金賞銘柄一覧(大阪国税局)】
 〈兵庫〉 黒松白鹿/辰馬本家酒造六光蔵

 酒は造るものではなく育てるもの
 宮水、良質の米、摂海、六甲おろし。自然の恵み豊かな風土なくして、白鹿の酒は生まれませんでした。酒造りの主役は自然の恵みと微生物です。愛情を込めて、麹や酵母のたくましい成長を見守り育てていくのが白鹿の酒造り。愛情をかければかけるほど微生物は見事に応えてくれ、おいしい酒に成長する。「酒は造るものではなく育てるもの」、それが白鹿の信念です。

 宮水-みやみず
 科学の知識もないのに宮水をきき分けた、先人たちの感性の鋭さには驚かされます。
 初代辰馬吉左衛門が西宮の邸内に井戸を掘ると清冽甘美な水が湧き、その良質の水を活かして酒造りを始めたのが白鹿の始まり。室町時代にはすでに、西宮で造られる酒は「西宮の旨酒」として評判を取っていたといいます。しかし、その理由が水にあり、西宮の水、略して「宮水」が名酒造水であることに山邑太左衛門が気づいたのは、白鹿が酒造りを始めた寛文二年(1662)からさらに178年後の天保十一年(1840)のことです。


 今では科学的な調査によって、宮水と他の醸造用水との違いが明らかにされています。宮水は、酵母の発酵を促すリンと、カリウムをはじめとするミネラルを多く含んだ硬水で、適度な塩分を含んでいます。その上、酒が最も嫌う鉄分はきわめて少ないのです。宮水は、まさに、酒造りにとっての天与の水といえます。 すべて宮水で仕込む白鹿の酒は、発酵が旺盛で丈夫な“秋晴れ”のする酒。馥郁とした香気が漂いハリのあるすっきりとした酒質は、宮水によって得られるものなのです。

 

 山田錦-やまだにしき

 酒造りの米といえば、山田錦を連想する人が多いのではないでしょうか。山田錦は、昭和十一年(1936)、兵庫県の美嚢(みのう)・加東(かとう)地区で繰り返し行われてきた品種改良により生まれました。六甲山系の北側にある美嚢郡は、日本書紀にもその名が記されているほど古くから優良米の産地として知られる場所です。摂津米、播州米は酒米として古くから重用されており、白鹿の場合も同様にそれらを重用してきました。灘の酒造家たちが質のよい米を求めて農家と酒米の取引を始めたのは、明治時代半ば頃からと言われています。この村米制度は酒造家と農家を深く結びつけ、単に酒米の取引だけにとどまらない心の交流を生みました。兵庫県で銘酒米・山田錦が生まれた背景には、灘の酒造家たちが村を支援し、それに応えて農家が優れた米をつくり出す、そんな酒造りにかける一途な情熱があったのです。

 白鹿は、今も兵庫県東播地区の「白鹿会」加盟農家に契約栽培をお願いし、良質の山田錦を丹念に育てていただいています。白鹿が酒造りに使用する山田錦はすべて兵庫県産のもの。大粒で、ほどよい大きさの心白(米の中心の白いところ)を持つ、灘の酒のために生まれてきた山田錦は、白鹿の酒に欠かせない酒米です。

 

 六光蔵-ろっこうぐら

 白鹿は、先取の精神に支えられ、時代時代の技術と情熱を酒造りに傾注してまいりました。1993年(平成5年)完成の「六光蔵(ろっこうぐら)」は、酒造りの複雑な工程を自動化した設備と手造り蔵を同じ建物の中に備えた蔵です。ここでは、丹波杜氏が積み重ねてきたかけがえのない技術と最新のバイオテクノロジーを一体化させ、未来につなげていく酒造りが行われています。
酒は生きもの、時代が変わり設備や道具が便利になっても、酒質を左右する神秘があまりにも多い酒造り。いつの時代のどんな蔵にも、杜氏や蔵人の手のうちに日日微妙な違いを感じさせながら、白鹿の新酒が育っていくことに変わりありません。六光蔵にも、長年受け継いできた丹波杜氏の確かな技が息づいているのです。

 辰馬本家酒造株式会社 兵庫県西宮市建石町2番10号

 ラインナップ

 「鳳凰白鹿」超特撰  純米大吟醸・

 「黒松白鹿」純米大吟醸・超特撰 純米大吟醸・超特撰 特別本醸造

 「黒松白鹿 豪華千年壽」超特撰 純米大吟醸  などなど

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<伝統野菜> 宮城 黒沼のつぼみ菜・からし菜

2021-06-01 08:11:28 | 伝統野菜

 「黒沼のつぼみ菜・からし菜」

 【生産地】宮城県登米市中田町宝江黒沼

 【形状】大根の葉に似た形のアブラナ科の葉物野菜

 【食味】つぼみは柔らかく、こがらいのが特徴。漬物やおひたしにして食す。

 【来歴】中田町宝江黒沼の住民が東和町嵯峨立から嫁ぐ際に持参した、つぼみ菜とからし菜の種。65年以上栽培し続けられているが、交雑した可能性もあり、新たなつぼみ菜・からし菜になっている可能性がある。

 【収穫時期】3月頃

*https://tradveggie.or.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%BC%9D%E7%B5%B1%E9%87%8E%E8%8F%9C%EF%BC%8D%E5%AE%AE%E5%9F%8E/#i-19 より

 

 黒沼のつぼみ菜・からし菜
 生産地 登米市中田町宝江黒沼地区

 由来
 からし菜1中田町宝江黒沼にお住まいの高橋トシエさんは65年前に、実家の東和町嵯峨立から中田に嫁いでくる際に、両親からつぼみ菜とからし菜の種を、嫁入り道具と一緒に持たされたそうです。それ以来、一年も欠かすことなく種を採り、つくり続けています。

 種の採種と野菜作りぐらいはちゃんとできるようになれという親の思いや、秋に種をまき、春に収穫することから、それぞれお彼岸の時期を忘れないようにという教えもあったのではないかと、高橋さんは両親への感謝の思いでいるそうです。

 

 特徴
 つぼみ菜2つぼみ菜はやわらかく、からし菜はその名のとおり、こがらいのが特徴です。ただ、65年間も同じ畑の隣合わせで栽培していたので、それぞれ交雑してしまった可能性もあり、新たなつぼみ菜・からし菜になっていると思われます。

 

 栽培方法
 つぼみ菜310月中旬に種を播きます。種を播いた後は、土をかけると芽が出ないので、土はかけないようにしています。3月から収穫した後、種採りのために残したものは5月下旬にはきれいな黄色い花を咲かせます。花が落ちたらよく干して、6月ごろに種を採ります。

 

 主な活用・料理方法
 収穫したつぼみ菜とからし菜は、一部は漬物にしますが、そのほとんどをおひたしにし、冷凍保存しながら食べています。とはいっても高橋さんはおじいさんとふたり暮らしなので全部は食べきれず、近所の方や、近くにある銀行の皆さんなどにおすそ分けするほうが多いようです。

 

 生産者インタビュー高橋トシエさん
 つぼみ菜4昔は野菜の種は買うものではなく、自分で取ることが当たり前でしたので、親から預けられた種を、親の言うとおり、これまで作り続けてきました。親には自分で食べるだけでなく、いつ何があるか分からないので、人にあげられるように多めに作るようにも教えられました。種を採る楽しみがあるので、おかげで長生きできています。

 お問い合わせ

 登米市産業経済部地域ビジネス支援課

*https://www.city.tome.miyagi.jp/business/dentoyasai/kuronuma.html より

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<漢字検定> 1級 四字熟語 5.回答 6.出題

2021-06-01 08:03:39 | 漢字検定

 前回の回答

 

 次の四字熟語の読み方を答えてください。
 ※読み方が複数あるものには代表的な読みを答えとして表示しています。

 

 問1 太羹玄酒  -たいこうげんしゅ-規則を守ることばかりの面白味のない文章のたとえ。
「太羹」は味をつけていない肉汁。
「玄酒」は水のこと。
まだ酒が無かった太古の時代の祭りでは、酒の代わりに水を使っていたことからきた言葉。

 

 問2 持粱歯肥  -じりょうしひ-ご馳走を食べること。
または、良い食事ができる身分になること。
「持粱」はご馳走が盛られている食器を手にもつこと。
「歯肥」は肥えた肉を噛むこと。
「梁を持して肥を歯う」とも読む。

 

 問3 擲果満車  -てきかまんしゃ-非常に人気があることのたとえ。また、大変な美少年のたとえ。▽「擲」は投げつける意。「果」は果実のこと。「擲果車に満つ」と訓読する。「擲果」は「てっか」とも読む。

 

 問4 八面玲瓏  -はちめんれいろう-どこから見ても透き通っていて、曇りのないさま。また、心中にわだかまりがなく、清らかに澄みきっているさま。また、だれとでも円満、巧妙に付き合うことができるさま。▽「八面」はあらゆる方面、四方八方。「玲瓏」は玉のように美しく輝くさま。澄みきって美しいさま。

 

 問5 恫疑虚喝 -どうぎきょかつ-疑わしいことを取り上げて、相手をおどし、恐れさせること。

 

 今回の出題

 

 次の四字熟語の読み方を答えてください。
 ※読み方が複数あるものには代表的な読みを答えとして表示しています。

 

 問1 斗量帚掃  

 

 問2 跋山渉水  

 

 問3 磊磊落落  

 

 問4 英明闊達  

 

 問5 偕老同穴

 

 

 *漢字検定Web問題集 HP より

 *goo辞書・四字熟語辞典オンライン より

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<経産大臣指定伝統的工芸品> 三重 伊勢形紙

2021-06-01 07:35:56 | 経済産業大臣指定伝統的工芸品

 「伊勢形紙」

 Description / 特徴・産地

 伊勢形紙とは?
 伊勢形紙(いせかたがみ)は、三重県鈴鹿市着物周辺で作られている型染めに用いられる型紙です。古くから伊勢の地・白子(現在の鈴鹿市あたり)で作られたことから、「伊勢形紙」または「伊勢型」「白子型」などの名で呼ばれていました。現在も鈴鹿市を中心に生産されており、「伊勢<形>紙」と「伊勢<型>紙」の両方の字が併用されています。
 伊勢形紙は、柿渋(かきしぶ)で張り合わせて補強した美濃和紙を台紙にし、職人が彫刻刀による手彫りで図柄を彫り抜いて作られます。彫刻技法には「縞彫り」「突彫り」「道具彫り」「錐(きり)彫り」の4種類があります。
 伊勢形紙の特徴は、卓越した職人がさまざまな彫刻刀と技法を駆使して丹念に作り上げる独特の風合いです。この型紙は主に、友禅や小紋、浴衣など着物の模様や柄を染めるために用いられます。
 現在は着物の染色用のみならず、襖・障子などの室内装飾やLED照明にも応用され、新しい取り組みにも注目が集まっています。
 History / 歴史
 伊勢形紙 - 歴史

 伊勢形紙の歴史は古く千年以上前に遡るとも言われており、発祥については諸説があります。一説では、室町時代に描かれた「職人尽絵(しょくにんづくしえ)」に型紙を使う染職人の姿があることから、室町時代末期には型紙が存在したと考えられています。
 江戸時代になると、紀州藩による手厚い保護を受け、伊勢形紙は白子と寺家を中心に盛んになっていきます。また、伊勢湾に面したこの地は交易の拠点だったことも大きく影響したと言われています。職人たちの協同による発展に加えて、型売り業者が各地に型紙を売り歩き、伊勢型紙は全国に広がっていきました。
 明治時代には近代化の波を受けて衣服文化が変化し、さらに太平洋戦争による打撃から型紙業者がほぼいなくなる状況に陥ります。しかし、終戦から復興が進むにつれて再び着物の需要が増え、昭和40年代に最も盛んになりました。
 現代は、着物の需要の減少と新しい染色技術の普及によって型紙業者も減る傾向にあり、伝統技術を後世に伝えるために技術保存会が立ち上がっています。芸術性のある図柄は美術工芸品としても評価され、個人の趣味として楽しむ人も多くなっています。

*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/isekatagami/ より

 

 小紋の美を継承する巧みの技
 友禅染や小紋・ゆかたなどの図柄や文様を染める際に用いられる伊勢形紙。特に小紋にいたっては全国の99%が伊勢から出荷される形紙で染められるという。着物の小紋にこだわり続ける職人に話を聞いた。

 
 中学卒業のあくる日から職人に
 伝統的工芸用具に指定されている伊勢形紙には、表現する柄によって錐彫り、道具彫り、突彫り、縞彫りという四つの彫刻技法がある。その中でも錐彫りの工芸士である二代目六谷梅軒さん。初代六谷梅軒は父であり錐彫りの人間国宝だった。中学卒業のあくる日から仕事を始めたそうだ。「ちょうど父が人間国宝の内示を受けた頃で、後継者がいると望ましいということだった。自分の場合はそのような特殊な事情があったが、家業としてやっていて自然に後を継ぐという人が多かったし小さい頃から親の仕事を見てきて(後を継ぐ)予感はありました。」


 伊勢形紙の彫刻は道具づくりから
 「小学校の頃から手伝っていたから、彫り方は見よう見まねで覚えられた。彫刻に関して苦労という苦労をした覚えはないね。」しかし彫刻刀づくりには苦労したという。錐彫りの場合半円形の彫刻刀を使うが、半径が1ミリにも満たないものから大きなものまで、はがねを切り曲げて自作する。すべて微妙に太さが異なる彫刻刀が200本以上あるという。「道具を作ったり研いだりすることは、形や作り方を見て知っていたけど、刃物は自分で経験して苦労しないと、一人前にならない。20年して切れ味や研ぎ方がようやく分かった。未だに思い通りに刃が出来たと思ってもうまく彫れないことがある。」だから「彫るときはいろんなことを考えてるよ。軽く音を流していることもある。でも道具を作るときは死にもの狂い。」お正月には彫刻刀の刃を一本一本すべて研ぐ。200本以上研ぐと10日はかかるが、それを年中行事にしているそうだ。


 先代から学んだこと
 「先代とは20年間一緒に仕事をしました。技術は見て学ぶものですが、仕事に対する情熱、姿勢もやはり見て覚えるものなんですね。私は風邪を引いたりしたら休もうかと思ったりしたけど、父は毎日毎日、絶え間なく仕事を続けていました。」プレッシャーについても尋ねてみた。「もちろん感じていましたが、努めて思わないようにしました。それに(職人人生の)半分は親方と一緒に仕事できましたから。ただひとつ言えることは、これから先親方を越えられるかどうかはわからないけど、(生きている間には)通り越さなかったということです。だから一年でも長生きしよう思うてます」


 着物は日本の民族衣装、だからなくならない
 着物を普段着として着ることがなくなり、バブル崩壊後は嗜好品としての着物需要も減った。仲間の間でも着物離れや後継者不足の悩みが話題だとか。六谷さん自身、後継者がいない。「技術は伝えられたとしても、仕事は取ってあげられない。何十年もやって技術を身につけたとしても将来は?ということになると、責任が持てないから。伝える以上は本職にしてほしいし」今までも弟子入りしたい、という人は何人かいたが、そのたびに「学校に行きなさい」と帰したそうだ。しかし「着物は日本の民族衣装だから、決してなくなることはない、ということを望みにしています。」と六谷さんは力強く語った。

 小紋の着物に希望を託して
 小紋の着物にこだわっていきたいと語る六谷さんは最後にこう語った。「今までは着物の会社から『こんな柄をデザインしてほしい』と言われることが多かった。これからは自分のデザインをして、今までになかったような小紋を作りたい。もちろん自分だけでなく、みなさんに納得していただけるものです。あとは伊勢形紙の魅力を分かった上で、仕事をしようという人に巡り会えること。この二つが希望です。」


 職人プロフィール

 六谷梅軒 (ろくたにばいけん)

 昭和28年より伊勢形紙に従事。
 着物の小紋を生業とする伝統工芸士。

*https://kougeihin.jp/craft/1503/ より

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