いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

<苺> やよいひめ

2021-06-02 10:38:56 | 食品

 「やよいひめ」

■やよいひめとは

●群馬県の登録品種いちご
やよいひめは群馬県園芸試験場(現群馬県農業技術センター)で、「とねほっぺ」と「とちおとめ」の交配種に更に「とねほっぺ」を交配し育成されて生まれた品種で、2005年(平成17年) 1月に品種登録されました。

果実は大きく、休眠が短い促成栽培に向く品種とされています。

●品種登録データベースでみるヤヨイヒメの特徴
農林水産省の品種登録データベースには以下の通り記載されています。

『-----果皮の色は明赤、果形は円錘、果実の大きさは大、果肉色は橙赤、果心の色は淡赤、果実の光沢は良、空洞は小である。花の大きさはやや大、花弁の色は白、花房当たり花数はやや少、花柄の太さはやや太、花柄長は長である。果実の硬さはかなり硬、無種子帯はかなり少、そう果の落ち込みは落込み小、そう果数は中、果実の香りは少である。季性は一季成、開花始期及び成熟期は中、開花位置は葉と同水準、耐干性は中、休眠性は短、可溶性固形物含量は高、酸度は中、日持ちはやや長、輸送性はやや高である。-----』 以上抜粋。

●やよいひめの特徴
 やよいひめは平均果重20gと大きい粒と上品な薄紅色が特徴です。果肉はしっかりとしていて、中まで薄い赤色をしています。甘みと酸味のバランスがよく日持ちもいいイチゴです。

●やよいひめの主な産地
 やよいひめの主な産地は生まれた群馬県で、まだ新しい品種という事で生産量が増えつつあり、2012年の時点で作付面積は県全体の約7割を占めるまでになったそうです。ただ、群馬県のオリジナル品種と言う訳ではなく、他府県でも栽培されています。

群馬県では、独自の熱風乾燥技術を使った「ドライやよいひめ」も作り始められています。

*https://foodslink.jp/syokuzaihyakka/syun/fruit/Strawberry-Yayoihime.htm より

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<言 葉> 夏の言葉 清和

2021-06-02 10:00:23 | 言葉

 「清和」

 初夏の季語。

 子季語には、「和清の天」がある。
【解説】
初夏の爽やかな天気のこと。清らかでのどやかなさまをいう。

*https://kigosai.sub.jp/001/archives/17945 より

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<現役ミュージシャン> 意外な年齢のミュージシャンたち-マイケル・マクドナルド

2021-06-02 09:55:47 | MUSIC

 「マイケル・マクドナルド」

  1952年2月12日生まれの69歳

 マイケル・マクドナルド、自宅で撮影した「Tiny Desk Concert」のパフォーマンス映像公開 2020.04.02

 NPR(ナショナル・パブリック・ラジオ)の音楽番組『Tiny Desk Concert』では、出演アーティストがラジオ局のオフィスでパフォーマンスを行なっていましたが、新型コロナウイルスのパンデミックにより、マイケル・マクドナルドはサンタバーバラの自宅でパフォーマンスを行ないました。現在の番組タイトルは、『Tiny Desk(Home)Concert』になっています。
 
 マクドナルドは、ソロ曲「Matters of the Heart」に続き、ドゥービー・ブラザーズのヒット曲「Minute by Minute」「What a Fool Believes」を披露、その時の映像が公開されています。
 
 なお、マクドナルドは6月からドゥービー・ブラザーズの50周年記念ツアーに参加することになっており、現時点でツアーの延期や中止は発表されていません(2019年11月26日MLCニュース参照)。

*https://www.musiclifeclub.com/news/20200402_06.html より

 

 PROFILE
 1952年2月12日、アメリカ、ミズーリ州セントルイス出身。高校生のころからバンド活動を始め、70年にLAに移って、ミュージシャンとして活動し、74年にスティーリー・ダンのツアー・メンバーに参加。75年体調不良でバンドを離れたトム・ジョンストンの代役でドゥービー・ブラザーズに加入。彼が加入したことで、バンドの音楽性はソフィスティケイトされた都会的なサウンドを採りいれるようになってゆき、78年のアルバム『ミニット・バイ・ミニット』とケニー・ロギンスと共作した「ホワット・ア・フール・ビリーヴス」はともに全米No.1に輝くヒットとなった。ドゥービーが活動を停止した82年にソロ・アルバム『思慕(ワン・ウェイ・ハート)』をリリース、シングル「アイ・キープ・フォーゲッティン」もヒットした。83年、ジェームス・イングラムとのデュエット曲「ヤー・モ・ビー・ゼア」でグラミー賞を受賞。90年代に入るとアルバムのリリース等は少なくなるものの、ドゥービー・ブラザーズの再結成ツアーやカヴァー・アルバムなど安定した音楽活動を続けている。

*https://wmg.jp/michael-mcdonald/profile/ より

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<日本酒> 兵庫 大関/大関恒和蔵・寿蔵

2021-06-02 09:28:21 | 日本酒

 【平成30酒造年度全国新酒鑑評会 金賞銘柄一覧(大阪国税局)】
 〈兵庫〉 大関/大関恒和蔵・寿蔵

 社名「大関」の由来は?
 Q1.商標の由来
 A.商標の大関は明治17年迄「万両」印を使用しておりました。しかし、北新川の東京酒問屋 播磨屋中井新右衛門氏方の買手役山下政吉氏が大関の商標を送って来たので、それ以来大関の商標を用いる様になりました。 大関の商標は横綱の注連縄と天下無双の文字のある軍扇の烙印及土表の中へ「中井」としたる烙印を添え更に「大関」の二字は、その大の字は右上に、関の字は左下へ書くこととし、その上へ大小の赤色二線を引いた全形が構成されました。 又赤色の二線は力士の褌の図案より出たもので、それ等はすべて相撲道に関するものです。
 Q2.大関の語源
 A.大関の語源は昔、日本国中より力量抜群の者を集め、王城を守護する防人の間に力技をきそわせ、その中最も優れたものを大関とし、次に関脇、小結、前頭の順位を定め、前頭には人数を並べ、防人の出身地別に本州を関東、関西に二分し、東方西方と区別して、年々5月の加茂祭の時に、その角力会を催して天覧に供へ、防人の力技の向上発展を督励しました。 この様に大関の名称は防人中の最優秀者に与えられる名誉ある称号にて、大正年間より「大関」に「酒の司」を冠したる外に長部商店の代表酒として昭和14年の初夏より「葵紋」を冠したる「大関」特等酒を発表して「酒の司大関」と「葵紋大関」の二種を提供しました。 又今日の力士の最高位の横綱の名称は江戸時代の将軍家の上覧相撲によって創定されました。
 Q3.大相撲と大関の関係
 A.大関は1958年から銘柄が相撲道に由来することから、日本国技である大相撲 の優勝力士に大関杯を贈呈しています。優勝力士が千秋楽に優勝パレードし、部屋に凱旋し親方・女将さん・後援会の方などに 優勝報告した後、大杯で祝い酒を飲んでいるシーンがテレビや新聞などマスコミで報道されています。この銀製の大杯が大関杯です。
現在は以下の賞品を贈呈しています。
・ 大関杯(力士名刻印入り)
・ 清酒4斗樽 1丁
・ 上撰ワンカップ大関 180ml瓶詰 360本
・ 副賞50万円

 

 大関のお酒は、灘の西宮本社にある『寿蔵』『恒和蔵』2つの蔵から、匠の五感と技の極致によって生み出されています。

 寿 蔵 - kotobuki gura
 昭和35年(1960)に完成。高級酒を主体に日本酒を生産しています。コンピュータによる発酵の自動制御や日本酒度予測を行っています。吟醸用白米の自動処理装置などを駆使して、年間を通した酒造りを実現しています。伝統的な酒造りに最新の技術を導入し、優れた品質の維持と生産の効率化を同時に進めています。

 恒和蔵 - kowa gura
 恒和蔵は昭和28年(1953)より稼働していましたが、阪神・淡路大震災で倒壊した和光蔵と一体化しました。平成8年に全工程にわたり最新の制御装置を組込んだ新しい『恒和蔵』が完成。品質と生産性の向上を共に実現しました。白米1日24トンの仕込み能力を持ち、これからの大関を背負って立つ主力蔵となっています。

 
 これらの蔵には、総合研究所で開発された最新の技術が導入され、いつまでも、また、いつでもお客さまに安心してご愛飲いただけるおいしい日本酒が、造りだされています。

 大関株式会社 西宮市今津出在家町4番9号

 ラインナップ

 「大関」超特撰 純米大吟醸酒 十段仕込・純米大吟醸・大吟醸

 「大坂屋 長兵衛」超特撰 大吟醸 など

 

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<伝統野菜> 宮城 新道のかき菜

2021-06-02 09:17:04 | 伝統野菜

 「新道のかき菜-しんどうのかきな」


 【生産地】宮城県登米市石越町新道地区

 【形状】アブラナ科の一種で鮮やかな緑色

 【食味】苦味のある味が特徴。おひたしにして食す。

 【来歴】かつては石越の直売所にも少量ですが出荷していたが、現在は一軒のみの栽培。掻いて摘むので「かき菜」と呼んでいるそう。

 【収穫時期】4月~5月中旬

*https://tradveggie.or.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%BC%9D%E7%B5%B1%E9%87%8E%E8%8F%9C%EF%BC%8D%E5%AE%AE%E5%9F%8E/#i-20 より

 

 新道のかき菜
 生産地 登米市石越町新道地区 

 由来
 かきな1長下田うりの調査(平成25年9月4日)で「いしこし大好き」を訪問した際に、たまたま来店されていた門脇規夫さんから”かき菜”を地種で栽培していることを教えてもらうことができました。門脇さんは20年以上前に近所の方から種を譲ってもらい作り始めたようですが、代々作り続けていたそのお宅では、逆に数年前に作付をやめてしまい、今では門脇さんの種のみとなってしまいました。

 

 特徴
 かきな2掻いて摘むので「かき菜」と呼んでいるそうです。苦味のある味が特徴です。市販されている種で似ている葉物はあるようですが、見た目、味とも同じものはないようです。

 

 栽培方法
 かきな3門脇さんは約20aの畑で多品目を作付しており、そのうちかき菜を4坪程度の面積に作付しています。9月20日ころに種を播き、4月~5月の半ばころに収穫します。1つの株から20回ほど収穫することができます。

 

 主な活用・料理方法
 かきな4門脇さんのお宅では、収穫したものは炒め物などにはせず、すべておひたしにして食べているようです。かつては石越の直売所にも少量ですが出荷していました。

 

 生産者インタビュー門脇規夫さん
 近所のおばあさんから種を譲ってもらい、それ以来なんとなく作り続けてきました。以前は直売所に出荷していましたが、新しい品種から売れていき、このかき菜はだんだん売れなくなってしまったのが残念です。今では自分達で食べるのと遠くに住む息子たちに送るだけになりましたが、苦味のある独特の味を、これからも体が動く限り、守って行きたいと思います。

 

 お問い合わせ

 登米市産業経済部地域ビジネス支援課

*https://www.city.tome.miyagi.jp/business/dentoyasai/shi_kakina.html より

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<漢字検定> 1級 四字熟語 6.回答 7.出題

2021-06-02 09:04:03 | 漢字検定

 前回の回答

 

 次の四字熟語の読み方を答えてください。
 ※読み方が複数あるものには代表的な読みを答えとして表示しています。

 

 問1 斗量帚掃  -とりょうそうそう-普通の人。または、人材や物がたくさん余っていること。
「斗量」はますで量を量ること。
「帚掃」はほうきで掃くこと。
どちらも余っていることのたとえで、自分のことを謙遜していう言葉。

 

 問2 跋山渉水  -ばつざんしょうすい-苦しく辛いことを克服しながら長い旅をすること。
「跋山」は山を越えること。
「渉水」は河を渡ること。
「山を跋み水を渉る」とも読む。

 

 問3 磊磊落落  -らいらいらくらく-心が大きく、些細ささいなことにこだわらないさま。▽小事にこだわらず、さっぱりしている意の「磊落」のそれぞれの語を重ねて、意味を強調した語。

 

 問4 英明闊達  -えいめいかったつ-才知にすぐれ道理に明るく、小事にこだわらないおおらかな性質。

 

 問5 偕老同穴 -かいろうどうけつ-夫婦が仲むつまじく添い遂げること。夫婦の契りがかたく仲むつまじいたとえ。夫婦がともにむつまじく年を重ね、死後は同じ墓に葬られる意から。▽「偕」はともにの意。「穴」は墓の穴の意。

 

 今回の出題

 

 次の四字熟語の読み方を答えてください。
 ※読み方が複数あるものには代表的な読みを答えとして表示しています。

 

 問1 狷介不羈  

 

 問2 日月逾邁  

 

 問3 切歯扼腕  

 

 問4 道揆法守  

 

 問5 年災月殃

 

 

 *漢字検定Web問題集 HP より

 *goo辞書・四字熟語辞典オンライン より

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<経産大臣指定伝統的工芸品> 滋賀 近江上布 

2021-06-02 08:58:37 | 経済産業大臣指定伝統的工芸品

 「近江上布」

 Description / 特徴・産地

 近江上布とは?
 近江上布(おうみじょうふ)は、滋賀県湖東地域の愛知郡周辺で作られている織物です。苧麻(ちょま)や手績み(てうみ)の大麻の糸で織られています。
 近江上布の特徴は細い麻の繊維で織られる爽やかな風合いと上品な絣模様です。絣だけでなく、漂泊していない麻を使った生平(きびら)も作られ、経糸に苧麻、緯糸に手績みの大麻糸が使われます。
 手績みは麻の繊維を裂いてつなぎ1本の糸をつくる、根気のいる作業です。近江上布の絣模様には、「経糸絣(たていとがすり)」、「緯糸絣(よこいとがすり)」、「経緯併用絣」があります。緯糸絣では型紙で糸を染める「型紙捺染(かたがみなっせん)」、緯併用絣では、文字の通り櫛の背に似ている弧形部分に染料を染み込ませ、糸に押し付けて染色する「櫛押捺染(くしおしなっせん)」という技法が用いられます。
 経糸と緯糸の絣をていねいに合わせながら織られる近江上布は、麻織物の最高級品として知られ、一財を築いた商家の雛人形には、衣装として身に着けている姿を見ることができます。

 History / 歴史
 琵琶湖の東側、湖東地域では琵琶湖から発生する霧や愛知川、能登川が流れる湿度の高い盆地という麻栽培に適した環境により、古くから大麻の栽培が盛んでした。
 京都から移り住んだ職人が伝えた技法により、鎌倉時代から麻織物が作られてきました。やがて、織られた麻織物は近江商人により全国に広く知られるようになります。江戸時代には、琵琶湖東岸を支配していた彦根藩の庇護のもと、麻織物はさらに発展し、安定した地場産業として栄えていきました。
 一方で、近江商人が持ち帰った東北地方の苧麻などが近江上布の発展に大きな影響を与えます。この頃から、染めの技術も進歩します。1700年代後半(天明年間)には「板締(いたじめ)」や「櫛押捺染(くしおしなつせん)」などの技法が開発されました。
 やがて明治末期になると、紡績苧麻糸(ラミー糸)が導入され、昭和初期には「型紙捺染」などの技法も生み出されました。一方、大正時代まで使われていた「板締」は姿を消してしまいます。現在近江上布は、700年続く伝統的な織物として受け継がれています。

*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/omijofu/ より

 

 琵琶湖の自然と伝統の芸術、近江上布
 鈴鹿山脈の伏流水が流れ込む愛知川の美しい水と高温多湿の盆地という、麻織物にとって最高の自然環境に恵まれて、七百年もの昔から受け継がれてきた近江上布。近江商人の活躍により、今もなお、多くの愛好家が全国に広がっている。

 
 最後の伝承者
 近江上布の伝統工芸士である大西新之助さんは、その年齢を感じさせないバイタリティーに溢れた方。小柄ではあるものの、大西さんの存在感の大きさは、上布に人生のほとんどを費やしてきた職人の魂の大きさなのかも知れない。笑みを絶やす事なく、目をキラキラと輝かせて、上布について話をして下さる大西さんから、熱い情熱を感じ取る事が出来た。しかし「昔は、15~6軒の家で上布をしていたんですが、今では服地などは機械化され、手織りしているのは、私を含めて2社だけですよ」と、現実は厳しい状況だ。最後の伝承者としても大西さんに寄せる期待は、限り無く大きい。


 職人としてのこだわり
 寝具店に勤めていた頃から、商品の織物を目にしていた大西さんは、次第に織物に対して興味が湧きはじめた。そんな大西さんの姿を見ていた寝具店の主人は、才能を見抜いたのだろうか、「近江上布を織ってみてはどうか」と勧めてくれたという。能登川の工業試験場で学びはじめ三十七歳の時に独立。近江上布を始めた。麻の繊維は染料が定着しにくく、渋さや涼感を出す為に、寝る間を惜しんで取り組んできた。それでも、商品として出来上がるまでに5年の歳月を要してしまった。上布をはじめ、絣の着物は先染めの糸を織り上げて模様を創るわけだが、製作行程の説明を伺ってもなかなか理解できないくらいややこしいのである。素朴な疑問が湧いてきた。なぜ、後染めではいけないのか。「絣は、表も裏も無いんで、古くなったら裏返して仕立て直せば、さら(新品)のようにして着れるんですよ。昔の人の知恵ですな」


 時間と労力の代償
 きもの一たん織り上げるにも、一カ月はゆうにかかってしまう。完成した時の「達成感」はもちろん、何よりも嬉しい時は「お客さんに喜んで頂いた時の笑顔」だと言う。東京などのデパートで展示会をされている大西さんは、直にお客さんと話ができることが、自身の仕事への意欲を高めさせてくれる。また手紙などで、作品の評価を頂く事や、実際に近江まで訪ねてきて下さる方々も多いという。「苦労を忘れてしまいますな」と恥ずかしそうに笑いながらおっしゃった。そして、その笑顔は、プロとして職人として輝いていた。

 近江上布を使った新しい発想
 着物だけには留まらず、大西さんが手掛けていらっしゃる物には、「若い人に親しまれる物」がある。額やタペストリー、テーブルセンターなど、個性的な部屋づくりを好む現代人にも受けている。またネクタイなどは、涼し気で上品で風合いがある。のれんにしても裏表が無いので、どちらから見ても美しい。最近では、幅を広く織る事で、屏風にしたり、服地にしたりと大西さんの上布は、さまざまな物になっていく。「こんなんやってみたらどうかな、それやったらどないしたらええかな。毎日考えてましたら、若さが保てましてな」と大西さんの笑顔は、若さと自信に満ちていた。


 こぼれ話

 手おりの里金剛苑

 五千坪の広い苑内には、資料館、金剛庵、染色工房、蚕室、庭園、桑園があります。近江上布や秦荘紬の特性や美しさを、資料や実演を通して広く知る事が出来る施設です。苑内で栽培された藍草を使って織糸の藍染めを見学することができ、見学者が実際に藍染めや秦荘紬などの織り方を体験できるコースも用意されています。現在の製作工程ばかりでなく、織物会館には、近江上布などの制作で昔使われていた居座り機などの道具類も展示されています。そのほか、金剛庵では生活民具が展示されています。

*https://kougeihin.jp/craft/0119/ より

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