昨日、カップヌードルから「さようならフタ止めシール」という発表があった。
あれ便利だったのになぁ~と思っていたら・・・
あんなちっちゃな「シール」でも廃止すると年間33トンのプラスチックが削減できるとかで廃止したと。
そういや、1年ちょっと前に
「カップニャードル」なるものが冗談のように発信されたが、これの伏線回収だったとはw
なんとも手の込んだことするもんだw
どんどん変わっていく日清食品、いや進化していっているというべきか?w
昨日、カップヌードルから「さようならフタ止めシール」という発表があった。
あれ便利だったのになぁ~と思っていたら・・・
あんなちっちゃな「シール」でも廃止すると年間33トンのプラスチックが削減できるとかで廃止したと。
そういや、1年ちょっと前に
「カップニャードル」なるものが冗談のように発信されたが、これの伏線回収だったとはw
なんとも手の込んだことするもんだw
どんどん変わっていく日清食品、いや進化していっているというべきか?w
昨晩の試合で着用していた「可愛いユニフォーム」。
サッカー日本代表の歴史を代表する2つのユニフォームをインスピレーションに、現代的に復刻したモデルが登場
1921年9月10日に創立され、今年2021年に記念すべき100周年を迎えた日本サッカー協会(JFA)。日本サッカーの世界への挑戦の歴史は、常に青のユニフォームとともにありました。
1930年、日本代表チームは、初めて全国からの選抜メンバーで編成され、その時に、「国土を取り巻く海」をコンセプトにユニフォームのカラーを青に制定しました。そして1936年には、同じ青のユニフォームで、ベルリンで開催された国際スポーツイベントに出場し、世界の舞台で初のベスト8に勝ち進みました。
このサッカー日本代表100周年アニバーサリーユニフォームは、これら2つの青いユニフォームを参考に現代的に復刻したモデルです。
約90年前を彷彿させる復刻デザイン
1930年代のユニフォームに使用されたブルーをイメージして、メインカラーには「ライトブルー」を。デザインもスリーボタンのポロシャツ型のクラシックなスタイルをそのまま採用。
胸元には、1936年のユニフォームにインスパイアされたビックサイズの日本国旗を刺繍で表現。ある人にはどこか懐かしい、ある人には新鮮な、シンプルながら印象的なデザインとなっています。
日本サッカー協会創立100周年記念サインオフ/スペシャルエディションバッジ
100周年を記念し、襟裏部分にあしらわれたサインオフも特別仕様に。数量限定モデルとして、スペシャルエディションバッジも。ロゴの「100」のデザインは、「過去への感謝」の気持ちと「未来への決意」とが結びつき、強い結束を表現したものです。日本古来の「二重叶結び」(にじゅうかのうむすび)をモチーフに、日本サッカーのさらなる発展への願いを込めています。
サステナブルな生地
今回のユニフォームにはPRIMEBLUEを使用。PRIMEBLUEは、海岸や海沿いの地域で、海に流入する前に回収されたプラスチック廃棄物をアップサイクルして生まれた素材であるParley Ocean Plasticの糸を使用したパフォーマンスファブリック。
*https://shop.adidas.jp/football/jfa/history/ より
これを着てたのが「日本代表チーム」。
特に似合っていたのは「南野」w
U-24にはちょっと可愛すぎただろうしww
まぁ「可愛いユニフォーム」着てても強ければ関係ないけどねw
昨日行われた史上初?「サッカー日本代表 VS U-24」。
兄弟対決のようなものだったが・・・
案の定、「連係プレー」が良かったお兄ちゃんが3-0の貫録勝ちw
日程的にも「代表」の試合日であり、U-24は急遽呼び出しを受けたものだった。
U-24はやはり「個」の力不足。
そして連携。
これで五輪大丈夫か?と不安は募る。
6/5-明後日、U-24ガーナ代表と対戦するのだが・・・大丈夫か?
「ゆめのか」
■ゆめのかとは
●愛知県の登録品種いちご
ゆめのかは愛知県農業総合試験場において玉揃いが良く連続出らい性の高い久留米 55 号(九州沖縄農業研究センター育成)を子房親に、果皮が硬い系 531 を花粉親として交配育成され、2007年3月に愛知県によって品種登録された愛知県のオリジナル品種のイチゴです。栽培には愛知県との許諾契約が必要となっています。
●ゆめのかの特徴
ゆめのかは果皮がほど良く硬いため傷みにくく、完熟に近い状態で収穫できることもあって、糖度も高めですが、酸味もあってさっぱりとした食味に感じられます。
果実は円錐形で大きく、平均20g前後の果実がつくとされています。ただ今回撮影したものは一粒40超の大粒イチゴで、形は平たい物が多かったです。
果皮の色は色むらもなくヘタの近くまで綺麗な赤で、果肉、及び果心共に淡い赤色をしています。果肉は適度な固さですがとてもジューシーです。トータル的に色、形、味、食感どれもレベルが高く感じられました。
●ゆめのかの主な産地
ゆめのかの主な産地は生まれた愛知県です。その他の地方でも長崎県などで本格的な導入が始まっています。
*https://foodslink.jp/syokuzaihyakka/syun/fruit/Strawberry-Yumenoka.htm より
「薪能」
薪能(たきぎのう)は、主として夏場の夜間、能楽堂、もしくは野外に臨時に設置された能舞台の周囲にかがり火を焚いて、その中で特に選ばれた演目を演じる能楽。「薪の宴の能」の意。起源は平安時代中期にまで遡り、奈良の興福寺で催されたものが最初だという。興福寺では、現在5月の11日、12日に薪能が行われている。ただし興福寺では薪御能(たきぎおのう)と呼ぶ。また、薪御能の源流はあくまで神事・仏事の神聖な儀式であり、野外で薪を燃やせば薪能になるのではないとしている[要出典]。しかし公的団体が、日本文化の趣旨を地域住民に理解してもらうように様々な資料を用意し、能楽を広めるために行っている行事を、能楽関係者が深く関わることにより、政(まつりごと)としての薪能の趣旨が生きてくるという考え方もある。
現在、各地の神社仏閣(日前神宮・国懸神宮、平安神宮、長田神社、増上寺、神田明神、生国魂神社、称名寺など)や庭園(大阪城西の丸庭園、新宿御苑、愛知県小牧城麓など)で催されている。
*Wikipedia より
今年も「薪能」が各地で開催される予定でしたが、コロナの影響で、公演が「中止」となったものもあります。
しかし、まだまだ公演はあります。
夏の間に観れるかどうかはわかりませんが・・・
「なぎら健壱」
1952年4月16日生まれの69歳
東京銀座(旧・木挽町)に生まれ、以来下町に住む。
趣味、特技はとにかく数多く、カメラ、自転車、飲酒、散歩、絵画、落語、パソコン、プロレス鑑賞、がらくた収集、などなど…。
1970年、中津川フォークジャンボリーに「怪盗ゴールデンバット」で飛び入り参加したことがデビューのきっかけとなる。
現在はコンサート、ライブ活動の他、独特のキャラクターでテレビ、ラジオ、執筆等で活躍。
著書に「日本フォーク私的大全」「酒場漂流記」「下町小僧」「東京の江戸を遊ぶ」(旧・大江戸アウトドア)「ぼくらは下町探検隊」「歌い屋たち(長編小説)」などがある。
テレビの画面からは“変なおやじ”あるいは“おかしな司会者”と目されているが、ステージでは人間味溢れる自らの作詞、作曲によるオリジナル曲に加え、心に残る、忘れてはいけない唄を歌い続ける、偉大なるフォークシンガーである。また、歌の合間の落語を彷彿させるおしゃべりが、会場をあたたかく覆いつくす。
毎月最終土曜日の東京・吉祥寺マンダラ2のライブコンサートは既に25年以上も続いている。ファン層も男性・女性を問わず10代〜60代と実に幅広い。O型の牡羊座。
*https://ototoy.jp/_/default/a/5966 より
【平成30酒造年度全国新酒鑑評会 金賞銘柄一覧(大阪国税局)】
〈兵庫〉 但馬/此の友酒造
旨さの秘密(此の友酒造の酒造り)
兵庫県産山田錦、但馬産五百万石を使用し、手造り一筋、燗酒から高品質な吟醸酒まで様々なタイプの日本酒・焼酎・リキュール酒の製造・販売をしています。
和をもって、米にこだわり、水にこだわり、技を磨き、人の心を打つ酒造り
元禄三年、自然に恵まれた兵庫県北部、但馬地方に創業。以来、手づくり一筋に三百年、米を選び抜き、清冽な水と伝統の技を以って、郷土に根ざした酒作りに徹しています。妥協せず、心意気で醸す地酒は、人の心を優しく暖かく包み込みます。それが、此の友が造り続ける酒です。
小さな蔵だからこそできる丁寧な酒造りで、伝統の味を守り伝えたい。そんな思いを込め、杜氏や蔵人はありったけの知恵と技を、寒中の仕込みに注ぎ込みます。気を抜くことの許されない蔵で、よい酒を造るために必要なのは人の和です。そして、厳選して磨いた米と恵まれた良質の水を但馬杜氏の技で、誠心誠意を込めて醸すからこそ、深みのある温かな味がする。単に手造りというだけでは語ることのできない豊かな味わいをお楽しみください。
当主 木村 祥三
お酒の専門家も認める伝統の味わい
平成26・27・28・29・30年・令和元年 全国新酒鑑評会「金賞」受賞
明治時代から続く歴史ある鑑評会で、「大吟醸 但馬」が6年連続(北近畿唯一)金賞を受賞しました!専門家が認めた味わいをぜひご家庭でもお楽しみください。
此の友酒造の酒造りはここが違う!
但馬流長期低温醸造法
昔ながらの製法にこだわり、低温でじっくり発酵させます。酒造りは赤子を育てるようなもの。時間をかけ、手間暇かけて醸造された日本酒は、香りや味わいが断然違います。
天然水が生み出す奇跡
名水あるところに銘酒あり、水は日本酒造りにおいて重要です。粟鹿山系から流れ出る天然水は、まさに酒造りのための水と自負しています。口あたりのよさを醸し出します。
若き但馬杜氏の技
全国新酒鑑評会で6年連続金賞を受賞した40代の但馬杜氏・勝原 誠。若い杜氏がいるのは当社の強みです。品質へのこだわりと、ひたむきな努力が本物を生み出します。
その1- 米にこだわる
本場地元産酒造好適米 山田錦・五百万石を使用
兵庫県産の厳選された、安心・安全の酒米を使用。但馬の寒い冬の朝、丁寧に洗米された米を大型の甑(こしき)で蒸します。酒を美味しくするのは、人の和。厳寒期の作業であっても笑顔は絶やしません。おおらかな人の和が、酒をまるくするからです。
その2- 水にこだわる
粟鹿山から湧き出る天然水仕込み
水は人が決して真似ることのできない自然の恵みであり、原料の中でも極めて重要なものです。此の友では洗米から仕込みまで、すべて但馬と丹波の境にそびえる粟鹿山から流れ出る地下水を使用。酒造りにこれほど適した天然水と出会えたことは奇跡と言えます。
その3- 技にこだわる
受け継がれる但馬杜氏の技
長年の経験に裏付けされた技術と強い精神力なくしてはできない酒造り。麹づくり、仕込み、温度管理、搾り。気を抜くことの許されない仕事が続きます。厳しい冬に培われた但馬杜氏の気質と技術の高さは灘や伏見でも知られるところ。美酒を醸す伝統の技は、この蔵にも脈々と受け継がれています。
その4- 心にこだわる
ひと雫に想いをはせる
凍てつく冬の夜、何回も目を覚まし、室温三十四度の麹室で麹の温度を見守る杜氏。微妙な温度の変化は酒の味や香りを大きく左右してしまいます。まるで幼子を育てるように細やかな気配りは、飲んだ人に愛される酒を造るため。杜氏や蔵人は、ひと雫の誕生に想いを馳せ、心を込めるのです。
此の友酒造株式会社 兵庫県朝来市山東町矢名瀬町508
ラインナップ
「但馬」大吟醸 極上・大吟醸 天・大吟醸 至高・純米吟醸 舞 など
「加古屋 や」純米吟醸 など
「加古屋」純米大吟醸 など
「長下田の小豆-なげたのあずき」
【生産地】宮城県登米市石越町北郷長下田地区
【形状】 -
【食味】収穫した小豆はあんこの原料となっている
【来歴】 -
【収穫時期】 -
*https://tradveggie.or.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%BC%9D%E7%B5%B1%E9%87%8E%E8%8F%9C%EF%BC%8D%E5%AE%AE%E5%9F%8E/#i-22 より
長下田の小豆
生産地 登米市石越町北郷長下田地区
由来
なげたの小豆長下田うりのお話を聞かせてもらっていた時に、生産者の千葉さんから「小豆の地種も持っている」というお話があり、ひょんなことから見つけることができました。この小豆は千葉さんが嫁いできた昭和20年頃にはすでに姑が作付していて、その後千葉さんが引き継いだとのことです。
栽培方法
昔は大豆と一緒に作付していて、大豆を5本播いて小豆を1本播いていたそうです。小豆は間を広く取って播いたほうが発育が良いためで、「小豆と隣(隣家)は遠いほどよい」という昔からの言い伝えと一緒に教わり、今もそれを守り続けています。7月上旬に種を播き、10月下旬に収穫します。
主な活用・料理方法
今も昔も、収穫した小豆はあんこの原料となっています。千葉家ではお酒を飲まない甘党の方ばかりで、あんこもちが大好物だったとのことです。5日に1日は餅をついてあんこもちにしていたそうで、この小豆は千葉家にはなくてはならない食材だったのです。
お問い合わせ
登米市産業経済部地域ビジネス支援課
*https://www.city.tome.miyagi.jp/business/dentoyasai/na_azuki.html より
前回の回答
次の四字熟語の読み方を答えてください。
※読み方が複数あるものには代表的な読みを答えとして表示しています。
問1 繁文縟礼 -はんぶんじょくれい-礼儀や規則・形式などがこまごまして煩わしいこと。▽「文」はあや・飾り、また礼儀・規則の条文などの意。「繁文」はこまごました飾り。規則などがこまごまと煩わしいこと。「縟」は煩わしい、込み入っている意。「縟礼」は込み入った礼儀作法のこと。略して「繁縟」ともいう。
問2 低徊趣味 -ていかいしゅみ-世俗的な気持ちを離れたゆったりした気分で、右から眺めたり左から眺めたりするように、余裕をもって自然や芸術、あるいは人生を眺めようとする趣向。
問3 草満囹圄 -そうまんれいご-平和に治まっていて、よい政治が行われ、犯罪がないことのたとえ。
「草満」は草が生い茂ること。
「囹圄」は牢屋のこと。
犯罪を犯す人がいないために、牢屋が使われることなく、牢屋に草が生い茂るという意味から。
「草囹圄に満つ」とも読む。
問4 肉袒牽羊 -にくたんけんよう-降伏して相手に服従し、臣僕となることを請願すること。肌を脱ぎ、上半身裸になって羊をひく意から。▽「肉袒」は肌を脱ぎ、上半身をあらわにすること。降伏・謝罪の意。「牽羊」は羊をひいていくこと。料理人として相手に仕え、しもべとなることを請う意。「肉袒にくたんして羊ひつじを牽ひく」と訓読する。
問5 万物殷富 -ばんぶついんぷ-国が繁栄して、全てのものが栄えて豊かになること。
「殷富」は繁栄して豊かになること。
今回の出題
次の四字熟語の読み方を答えてください。
※読み方が複数あるものには代表的な読みを答えとして表示しています。
問1 断薺画粥
問2 笙磬同音
問3 蕩佚簡易
問4 文質彬彬
問5 白髪青袗
*漢字検定Web問題集 HP より
*goo辞書・四字熟語辞典オンライン より
「彦根仏壇」
Description / 特徴・産地
彦根仏壇とは?
彦根仏壇(ひこねぶつだん)は、滋賀県彦根市で作られている仏壇です。高級な素材を惜しげもなく使用した、4尺以上の大型仏壇が多く、高級仏壇の代名詞ともなっています。
彦根仏壇の特徴は、蒔絵(まきえ)や金箔をふんだんに取り入れた豪華絢爛さです。仏壇の前面には、木地の木目を生かした木目出し塗りが施されています。
工部七職(こうぶななしょく)と呼ばれる、7種類の分野の専門技術を身につけた、それぞれ専門の職人(木地師、宮殿師、彫刻師、箔押師、蒔絵師、塗師、錺金具師)が、細かい手仕事の連携によって、一つの仏壇を作り上げていきます。製造期間はおよそ2か月から物によっては約2年です。
1975年(昭和50年)には、その高い品質と高度な技術が認められ、仏壇仏具の業界では初めて、国の伝統工芸品に指定されました。近年では、仏間のない家庭にもマッチするような、小型のユニット式仏間を作るなど、新たな試みにも取り組んでいます。
History / 歴史
彦根仏壇は、350年以上の長い歴史を誇り、その起源は江戸時代の中期頃と言われています。その当時、戦乱の備えとして武具や武器の製造を行っていた職人たちが、江戸の安定が広がる世情の変化に伴い、その技術を活かして仏壇を作り始めたのがきっかけです。
彦根城下と中山道をつなぐ彦根道の、「七曲(ななまがり)」と呼ばれる曲り道が続く地区に職人が多く集まり、仏壇製造の中心地となりました。現在でも、仏壇街として、仏壇の製造、販売に携わる老舗が軒を連ねています。
塗師、指扨師、錺金具師(かざりかなぐし)などが、専門的な技術を持ち寄った分業制で仏壇作りが始まりましたが、「工部七職」といわれる現在の分業システムは、その頃の流れを引き継ぐものとなっています。
彦根藩が仏壇の製造を保護したことや、庶民の家庭でも仏壇設置の文化が普及したことから、彦根仏壇は地場産業として活況を呈し、現在まで長く受け継がれています。
*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/hikonebutsudan/ より
淡海の手仕事彦根仏壇
七つの専門職による日本伝統工芸の集大成彦根仏壇。ひとつの仏壇が出来上がるまで、何と一年もの月日がかかると言う。
さまざまな工程と職人を必要とする仏壇造り。今回は蒔絵師の舟越幸雄さんに話を伺った。
仏壇に彩りを添える
引き出しや観音開きの部分に花鳥や家紋の蒔絵。漆で下絵を書きその上に金粉や銀粉、貝などを蒔いていき、最後に磨き仕上げる。神経を集中させながら、線の一本一本を気を抜く事なく描きあげる舟越さんは、この作業を「時代の逆をいく仕事」だと語る。機械化とスピードアップを進める時代の中で、百年以上も変わらぬ方法の丹念な職人の手仕事があるからこそ、魂の温もりを感じる仏壇に今も出会う事ができるのだ。
命ある漆
粘りがあり、湿度差によって変化しやすい漆は、まるで生き物のように、職人の手を煩わせる。15才で弟子入りした舟越さんにとって、この厄介な漆は蒔絵の世界から遠ざけるがごとく挫折をも感じさせてしまっていたという。しかし、伝統産業に身を置き、本物に触れていくに従って、蒔絵の美しさや奥ゆかしさそれに気品といった魅力に気付きだした頃には、「本物を自分自身の手で創りたい」とのめり込んでいった。もしも、漆が単純なものであったとしたなら、多くの職人は育なかったのかも知れない。思い通りにならないからこそ、人は努力するのだから。そう考えると、まさしく漆は生きているのだろう。
美しさの追求
ほとんどの仕事がそうであるように、蒔絵も数をこなさなければ本物の仕事が出来ない。匠の技に感性が加わり、人々の心を和すのだ。「修行時代には、数々の失敗をやりましたよ。木地が出で来るまで研きずぎたり」と笑顔で語る舟越さん。それが今の大きな土台になっている。なぜなら、仕上げの磨き上げでの金箔や金粉の一番良い表情、一番美しい瞬間を知っているのだから。
手の温もりを伝えたい
すべてが職人の手作業にゆだねられている為、一日に進む作業も限られている。だからこそ、一つひとつに思いを込めていく事ができるのだ。「永久的に残るものだから、線一本でもおろそかに出来ませんよ」真剣な職人の気持ちが、線の一本にまで込められていく。そして、伝統工芸品に芸術的価値が生まれていくのだ。
蒔絵を広く知ってもらう
仏壇だけに留まらず、花器や盆などに蒔絵をあしらったものなど、数々の作品を息子さんと共に制作している。「家族の蒔絵展」など作品展をする傍ら、新しい作品にも取り組んでいる。バッグの中に入れて持ち運べるような小物入れ等、アイディアはいっぱいの作品が生まれる事が楽しみだ。蒔絵をあしらった小物で、粋なお洒落を友人に自慢できるのだから。
職人プロフィール
舟越幸雄 (ふなこしさちお)
昭和15年11月23日生まれ。
蒔絵一筋45年の大ベテラン。
昭和55年2月に彦根仏壇蒔絵部門伝統工芸士に認定される。
*https://kougeihin.jp/craft/0810/ より