いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

<苺> 天使の実

2021-06-15 11:14:21 | 食品

 「天使の実」

●天使の実とは
◆天使の実の来歴
 「天使の実」は佐賀県唐津市のいちご農家、井手重夫氏によって生み出された、きわめて大粒の白いいちごです。

 このイチゴは「おおきみ」と名もなき白いちご品種をもとに自然交配と選抜を繰り返して育成されたとされ、果皮の色が白い事に加え一粒の平均が60gにもなるイチゴとして他の白いちごとは一線を隔するプレミアムな白いちごとなっています。

 2012年に種苗法に基づく登録申請が出され、これより先に育成され出願されていた「雪うさぎ」という白いちごとともに2014年に品種登録されています。

 2013年には井出氏を中心に「唐津スノーベリー協会」が設立され本格的に市場に出荷されるようになりました。

◆天使の実の特徴
 「天使の実」は果皮の色が桃白であることと、果実がとても大きく平均果重が60gもあるのが特徴で、大きいものになると100gを越えるそうです。

 果形は縦横同じくらいの円錐形で、そう果(表面の種のような粒)の落ち込みは浅く、果実によっては表面に出ていたりします。

 果肉は真っ白で、果芯に空洞はできにくく、あってもあまり大きくはないようです。

 また、香りはメロンやパイナップルに例えられ、他にはないイチゴとなっています。

 農林水産省の品種登録データベースには以下の通り記載されています。

『-----

 果実の大きさは極大、果実の縦横比は同等、果実の形は円錐形、

 果皮の色は淡橙、果実の光沢の強弱は強、そう果の落ち込みは落ち込み小、

 果実のがく片の付き方は上向き、果径に対するがく片の大きさはやや小、

 果実の硬さは軟、果肉の色は白、果心の色は白、果実の空洞は無又は小、季性は一季成りである。

 出願品種「天使の実」は、対照品種「雪うさぎ」と比較して、果実の空洞が無又は小であること、開花始期が極晩であること、果実の成熟期が極晩であること等で区別性が認められる。

 対照品種「和田初こい」と比較して、頂小葉の横断面の形が上に湾曲であること、果実の大きさが極大であること等で区別性が認められる。

-----』以上、抜粋。

◆実際に食べてみた天使の実の食味
 今回撮影試食した「天使の実」は「九州よかど市」というサイトで注文したもので、箱を開けてイチゴの大きさに感動しました。ただ、届いた時点でヘタの部分が枯れ気味だったことと、一部傷み始めているものもありました。井手農園の方に写真を見ていただいたところ、これはおそらく輸送中の冷気によるものではとのことでした。このイチゴはもともとガク片の色が薄い黄緑でガク枯れはしやすいそうです。

 イチゴは1箱 (450g以上)で8粒入りで、確かに1個あたり60g前後あり、イチゴとは思えない、まさにパイナップルのような香りを発していました。

 食べてみると、果肉はみずみずしく、甘味酸味ともに穏やかな感じで糖度の高い赤いいちごとは別の果物を食べているような感じです。そして、やはり香りがパイナップルそのものといった感じで、特別甘い訳ではないのですが、とても美味しく感じました。

 ちなみに、このイチゴを一緒に食べた7人全員がパイナップルの香りがすると言っていました。パイナップルのような香り、食味のいちごと言えばやはり白イチゴの「パインベリー」という海外品種があり、このDNAが混じっているのかもしれないな・・・と勝手に思ったりしました。

 「天使の実」と同時に「雪うさぎ」も届いたので食べ比べをしてみましたが、目をつぶっても両者の違いが分かるほど香りや食感が違います。印象的にはこの「天使の実」のインパクトが強くのこっています。

 糖度を計ってみると、高いもので10度足らず、低い物では7度程しかありませんでした。ただ、このイチゴに関しては”甘いだけがイチゴじゃない”とあらためて感じさせてくれるイチゴでした。

●天使の実の主な産地と旬
◆主な産地と生産量
天使の実,白いちご,白いイチゴ
 「天使の実」は佐賀県唐津市の「唐津スノーベリー協会」の会員しか栽培していません。2021年現在、5軒の農家が会員として生産されています。

 「唐津スノーベリー協会」の会員5人全員が化学肥料50%以下、化学農薬50%以下という佐賀県特別栽培農産物の認定を取得しているそうです。

 「天使の実」と「雪うさぎ」はこの5人の農家さんだけで作られているので生産量は極わずかです。その希少性もあり、価格もとても高価なイチゴとなっています。

 2021年春の時点では「唐津スノーベリー協会」全体で「天使の実」と「雪うさぎ」合わせて37aで11トンほど生産されているとのことです。

 また、国内向けだけでなく、海外への輸出もされています。

◆天使の実の収穫時期と旬
 「天使の実」は極晩成ですが、12月中下旬辺りから収穫が始まるようです。春以降、気温があがると日に当たる部分がピンク色に色付きやすくなるそうで、収穫は4月までとなっています。

*https://foodslink.jp/syokuzaihyakka/syun/fruit/Strawberry-Tenshinomi.htm より

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<言 葉> 夏の言葉 夏の潮

2021-06-15 10:53:30 | 言葉

 「夏の潮」

 梅雨が明けると、海の色は一気に深みを増す。日本列島沿いに太平洋を北上する黒潮の鮮烈な色(青葉潮)がイメージされる。苦潮は、海面にできる酸素の少ない層で、硫化水素などを大量に発生させ、養殖の魚介類に甚大な被害をもたらす。

 子季語に、夏潮/苦潮がある。

*https://kigosai.sub.jp/kigo500c/547.html より

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<現役ミュージシャン> 意外な年齢のミュージシャンたち-田中昌之

2021-06-15 10:40:33 | MUSIC

 「田中昌之」

  1951年6月30日生まれの69歳

 

 「大都会」元クリスタルキング田中昌之のいま 北斗の拳のおっちゃんは生涯ロック! あの人~ネクストステージ 2018.03.13

 黒々とした髪に彫りの深いマスク。1979年、「大都会」の大ヒットから39年の時を経ても若々しいルックスに驚かされた。66歳になったクリスタルキングの元ボーカルで歌手の田中昌之は「俺は生涯ロック。体型もスタイルも変わらないように頑張っていますよ」と自慢のロングヘアをなびかせた。

 変わったといえば、その声だろうか。「3オクターブの美声」と呼ばれたハイトーンボイスは、アダルトなハスキーボイスへと変わっていた。「草野球でイレギュラーした打球がのどに当たった」と故郷・佐賀のイントネーションが残る九州弁で振り返った。


 1989年、軟式球をのどに当て声が出なくなった。「3カ月ぐらい出なくてCTも撮影したが、どこも悪くないと…今ではあの声で歌っている夢を見るんですよ。昔の声が出ていればという悔しさはありますね。でも出ないものは仕方がない」と唇を噛んだ。

 “声変わり”したとはいえ、ロックへの情熱は冷めることはない。2016年には洋楽カバーアルバム「It,s My Life」を発売。3月23日には東京・目黒Blues Alley Japanでソロライブも控える。2011年3月に急性心筋梗塞で倒れ、「歌に対する考え方が変わった。歌える限りは1分1秒を気持ち抜くことなく歌おうと。この至福の時間を1日でも長くやりたい」と生涯現役へのこだわりを明かした。

 歌い続けていることでこんなエピソードもあった。1984年に発表した「愛をとりもどせ!!」はアニメ「北斗の拳」のオープニング曲やパチスロ機に使用され、若い世代にも浸透。「クリスタルキングとしての代表曲は大都会と思っているんだけど、子どもに“北斗の拳を歌っているおっちゃんやで”と言うと急にリスペクトしてくる」と笑った。

 私生活では、最高11匹もの猫を飼っていたという愛猫家の顔も持つ。「家にいる時はにゃんことまったりしているのが一番幸せ。パジャマのままでぽけーっとしている」という。

 一方で野球愛は変わらず熱い。大ファンである巨人の敗戦で「テレビを3台ぐらい壊した」ことも。今年の楽しみは、巨人もさることながら、23日に開幕するセンバツ大会に故郷の佐賀・伊万里市から県立伊万里高校が21世紀枠で出場すること。昨年10月から同市の観光大使を務める田中は「5万人の街から甲子園に出る選手は俺たちの誇り。応援にも行く」と鼻息は荒い。


 そしてインタビューの最後、田中に聞いてみた。クリスタルキングが再結集することはないのかと。「高い声が出ないのだからもう元のようにはできない。ファンは求めていると思うがやりようがない。(オリジナルメンバーの)ドラマー金福健も(2014年に)亡くなった。永久にあり得ない」。

(デイリースポーツ・中村博格)

 ◆田中昌之(たなか・まさゆき)佐賀県出身、66歳。クリスタルキングのボーカルとして1979年、シングル「大都会」でデビュー、150万枚の大ヒットを記録。86年にグループを脱退し、ソロとして活動。ウルトラマンガイア、仮面ライダークウガのオープニング曲を担当したほか、97年にはポッカコーヒーのCM「クリスタルブラック」に自ら出演し、話題を集めた。

*https://maidonanews.jp/article/13160224 より

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<日本酒> 島根 隠岐誉/隠岐酒造

2021-06-15 10:32:04 | 日本酒

 【平成30酒造年度全国新酒鑑評会 金賞銘柄一覧(広島国税局)】
 〈島根〉 隠岐誉/隠岐酒造

 四十年以上、隠岐酒造は一心に酒造りを続けてきました。
 歴史と観光の島「隠岐」に酒造業を残さねばならぬと、西郷酒造組合全員(五社)が共に生き残れる道の最善の手段として、昭和四十七年十月に企業合同、隠岐酒造㈱を設立。
 同時に公募した酒名が「隠岐誉」です。
 島根県内に本社、支店の二拠点を持ち、日本酒、焼酎、リキュールなどの製造、販売しています。

 歴史の島、隠岐。
 隠岐は、「古事記」、「日本書紀」に「天之忍許呂別」(あまおろしのころわけ)、またの名を「隠岐の三子島」(おきのみつごしま)と記され、中世には、後鳥羽、後醍醐両帝が、配流された歴史の島であり、また奇岩や怪礁など風光明媚な観光の島として知られ、2009年には日本ジオパークにさらに、2013年には世界ジオパークに認定されました。

 酒質の向上に天上なし。
 毎年、醸される清酒は、その年の米の状態、気候に左右されやすく、常に同じ清酒が生まれる保証はありません。
 杜氏の長年 培ってきた経験と技術、そしてコンピューターを利用した細心なデータ管理がうまく融合して、初めて「納得のいくお酒造り」が出来ると確信しています。「酒質の向上に天上なし」を合言葉に、毎年原点を尊重し、米を磨き、徹底した麹造り、醪管理を愛情と厳しさをもってあたり、五味の調和を大事にしています。
 又、こまめな手洗い、履物、掃除、消毒等、常に「清潔」を心がけています。

 隠岐酒造株式会社 島根県隠岐郡隠岐の島町原田174番地

 ラインナップ

 「隠岐誉」純米大吟醸斗瓶囲い・純米大吟醸・純米吟醸 ・純米吟醸 承久の宴・純米吟醸 生酛 など

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<伝統野菜> 秋田 仁井田菜

2021-06-15 10:23:26 | 伝統野菜

 「仁井田菜-にいだな」
 【生産地】秋田市

 【特徴】越冬性の高いツケナの一種。雪の下で蓄えた養分で雪融けと同時に一気に生長する。

 【食味】わずかに苦みを持つ味の濃い青菜。お浸しや炒め物などに向く。

 【来歴】秋田市近郊の仁井田地域で昔から栽培されてきた。

 【時期】2月~4月。9月初旬に播種。越冬させ、再度、成長してくる4月意向に収穫。

 春一番に収穫できる野菜として栽培されている。

*https://tradveggie.or.jp/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae%e4%bc%9d%e7%b5%b1%e9%87%8e%e8%8f%9c%e3%83%bc%e7%a7%8b%e7%94%b0/#i-6 より

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<漢字検定> 1級 四字熟語 19.回答 20.出題

2021-06-15 08:54:40 | 漢字検定

 前回の回答

 

 次の四字熟語の読み方を答えてください。
 ※読み方が複数あるものには代表的な読みを答えとして表示しています。

 

 問1 跌蕩放言  -てっとうほうげん-周りに気を使わずに好き勝手に喋り散らすこと。
「跌蕩」は小さなことにこだわらずに、すき放題すること。

 

 問2 馮異大樹  -ふういたいじゅ-謙虚で慕われるような人格のたとえ。
「馮異」は後漢の将軍の名前で、馮異は他の将軍たちが手柄の話を始めると、大きな樹の下に移動して自身の功績を語ろうとしなかったという故事から。

 

 問3 霖雨蒼生  -りんうそうせい-苦しんでいる人々に、救いの手を差し伸べること。また、民衆の苦しみを救う慈悲深い人のこと。▽「霖雨」は長雨。ここでは、喉のどの渇きをいやし植物を生育させる、三日以上降り続く恵みの雨のこと。「蒼生」は世の人民・万民のこと。

 

 問4 寸指測淵 -すんしそくえん-考えの浅い行為。または、実際に行うことが不可能なこと。
一寸の長さしかない指で、水の深い場所の深さを測ろうとするという意味から。
「寸指もて淵を測る」とも読む。

 

 問5 春寒料峭 -しゅんかんりょうしょう-春になって寒さがぶり返し、肌寒く感じられるさま。▽「春寒」は春になってぶりかえした寒さ。「料」は肌をなで触れる意。「峭」は厳しい意。

 

 今回の出題

 

 次の四字熟語の読み方を答えてください。
 ※読み方が複数あるものには代表的な読みを答えとして表示しています。

 

 問1 蓴羹鱸膾  

 

 問2 皓月千里  

 

 問3 在邇求遠  

 

 問4 剛毅木訥  

 

 問5 布韈青鞋

 

 

 *漢字検定Web問題集 HP より

 *goo辞書・四字熟語辞典オンライン より

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<経産大臣指定伝統的工芸品> 京都 京仏壇

2021-06-15 08:50:13 | 経済産業大臣指定伝統的工芸品

 「京仏壇」

 Description / 特徴・産地

 京仏壇とは?
 京仏壇(きょうぶつだん)は、京都府京都市や亀岡市周辺で作られている仏壇仏具です。京都で作られる京仏壇は、家庭用としてではなく、そのほとんどは寺院用として納められています。
 京仏壇の特徴は、ひとつひとつの工程が細かく分業されていることによる、職人たちの技術力の高さです。京仏壇ひとつをつくりあげるのに、約40もの職種の職人たちが携わると言います。
 このようにひとつひとつの作業を細かく分け、その作業に精通した職人たちが合わさって作り上げた京仏壇は、日本国内だけでなく海外からも高い評価を受けるほどです。
 また、こうして多くの職人が携わることによって、家庭用だけでなく、より大きな寺院用の仏壇づくりの基盤が既にできあがっていることが、寺院における京仏壇の割合が日本全国で高い由縁だと言えます。

 History / 歴史
 京都は、仏教文化の都として栄え、今でも数多くの歴史的な寺院が残る場所として知られています。明確な年月までは明らかにされていませんが、京都に仏具が伝来したのは、仏教の伝来と同時期の6世紀頃(飛鳥時代)です。そして、実際に京都で仏具が作られるようになったのが8世紀頃(奈良時代から平安時代にかけて)で、11世紀(平安時代)に七条に仏工が集められたことで製作が本格化したと言われています。京仏壇の起源として示されるのは、だいたいが本格的に仏具の製作が行われた11世紀頃です。
 江戸時代になると、宗門改めというキリスト教を禁制するための仏教徒の調査によって、各家庭における仏壇の設置が進みます。このように仏壇の需要が高まったことで、京仏壇はさらに生産を拡大していきました。
 しかし、仏壇と言ってもその形は宗派によって様々です。京都で、仏壇の製作工程が細分化されている背景には、様々な宗派のニーズに応え、生産を効率化させるためという理由もありました。
 このように多くの職人によって作られる京仏壇は、伝統的な価値のある工芸品として、1976年(昭和51年)には、国の伝統工芸品に指定されています。

* 「京仏壇」

 

 Description / 特徴・産地

 

 京仏壇とは?

 京仏壇(きょうぶつだん)は、京都府京都市や亀岡市周辺で作られている仏壇仏具です。京都で作られる京仏壇は、家庭用としてではなく、そのほとんどは寺院用として納められています。

 京仏壇の特徴は、ひとつひとつの工程が細かく分業されていることによる、職人たちの技術力の高さです。京仏壇ひとつをつくりあげるのに、約40もの職種の職人たちが携わると言います。

 このようにひとつひとつの作業を細かく分け、その作業に精通した職人たちが合わさって作り上げた京仏壇は、日本国内だけでなく海外からも高い評価を受けるほどです。

 また、こうして多くの職人が携わることによって、家庭用だけでなく、より大きな寺院用の仏壇づくりの基盤が既にできあがっていることが、寺院における京仏壇の割合が日本全国で高い由縁だと言えます。

 

 History / 歴史

 京都は、仏教文化の都として栄え、今でも数多くの歴史的な寺院が残る場所として知られています。明確な年月までは明らかにされていませんが、京都に仏具が伝来したのは、仏教の伝来と同時期の6世紀頃(飛鳥時代)です。そして、実際に京都で仏具が作られるようになったのが8世紀頃(奈良時代から平安時代にかけて)で、11世紀(平安時代)に七条に仏工が集められたことで製作が本格化したと言われています。京仏壇の起源として示されるのは、だいたいが本格的に仏具の製作が行われた11世紀頃です。

 江戸時代になると、宗門改めというキリスト教を禁制するための仏教徒の調査によって、各家庭における仏壇の設置が進みます。このように仏壇の需要が高まったことで、京仏壇はさらに生産を拡大していきました。

 しかし、仏壇と言ってもその形は宗派によって様々です。京都で、仏壇の製作工程が細分化されている背景には、様々な宗派のニーズに応え、生産を効率化させるためという理由もありました。

 このように多くの職人によって作られる京仏壇は、伝統的な価値のある工芸品として、1976年(昭和51年)には、国の伝統工芸品に指定されています。

*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/kyobutsudan/ より

 

 明日につなげる伝統の技・京仏壇
 芸術品としても高く評価される京仏壇。その荘厳な美しさを作り上げているのは、細分化された工程をそれぞれ担当する専門職人の技だ。京都ならではのしっとりした金色の仏壇には職人たちの心が打ち込まれている。

 
 高品質を支える多岐な分業体制
 各宗派百以上の総本山、三千数百もの寺院があり、国宝や文化財も数多くある京都。ここでは多くの仏壇を生産し、その繊細かつ荘厳な技は国内はもとより海外でも芸術品として高く評価されている。その高い品質を底支えするのは、多岐にわたる分業体制。細分化された工程を、それぞれの専門職人が担当するため、パーツの一つ一つに真剣な匠の技が施されるのだ。しかも職人たちは自分の仕事に精励するだけでなく、常に全体の工程を念頭におきながら仕事を進める。木地の段階から、あとで漆を塗る厚みを考えて余裕を持たせる。施主の求める納期に間にあわせるため、後の工程に迷惑がかからないよう早め早めに仕上げて次に渡す。こうした精緻な計算とこまやかな心遣いが、互いの技術を十分に引き出し、最高級の仏壇を生みだす。


 長く厳しい修行を経てようやく一人前に
 専門職人とはいえ、担当する工程の中にはさらにいくつもの工程が含まれる。そのため、現在熟練の職人といわれる人たちは、みな一人前と呼ばれるまでに厳しい修行時代を経てきた人ばかりだ。純金箔押の職人・涌田さんは「私らの頃は、そりゃあ厳しいもんでした。」と振り返る。親方の家で掃除洗濯食事の支度と、家事労働を全部やりながら、基本の技術をみっちり仕込まれた。金箔押は、品物に漆を接着剤として金箔を貼っていく工程。金箔を押す部分に箔押漆を塗り、拭き綿などで全体を均一になるように拭いていく。下地漆の乾き具合や、その日の温度、湿度を感じ取って漆の種類や漆の拭き具合、残し具合を決めるが、その微妙な漆の粘り具合が金箔押のすべて、という。涌田さんも、最初はひたすら漆を塗っていたそうだ。「金箔の仕事に就いたはずやったのに、箔を触らせてもらえるようになったんは、やっと4年目からです。」


 何気なさの中に職人技が光る
 それに比べると今は修行も随分かわってきた。「私らが丁稚奉公の最後の世代でしょうな。今は、漆塗りだけ、なんて最初の1年だけです」と涌田さん。しかし、求められる技術の難しさが軽減したわけではない。高校卒業後、父の工房で修行を始めた息子の親(しん)さんも、「2年目から金箔押させてもろてるけど、やっぱり漆を塗って拭くのが難しい」という。「この仕事を始めるまでは、親父のやってるのを横で見てて、簡単やなあ、と思ってたんです。でも自分でやってみるとこれが難しい。親父ようやってんな、と尊敬の思いになりました。」職人の動作が、一見何の気なしにやっているように見えるのも、実は徹底的に繰り返し体得された技だからこそだ。何気なさの中に技の粋が光る。それはやはり修行を重ねてしか出せないものだろう。


 「箔は、貼るやない、押す。」心を打ち込んだ仕事
 涌田さんは「職人は、器用でなくてもできます。勘が大事なんです」と教えてくれた。「人に教えてもらえることは少ない、自分で考えてやらなあかんことが多いんです。」親さんも「親父と僕では体格も力も違うから、拭く時に親父と同じように拭いてたんでは仕上がりが違う。」自分の動作一つ一つを確認しながら、微妙に修正していく勘のよさが必要だそうだ。しかし仏壇職人にとって最も大切なのはその心がけだ。仏壇は信仰の対象であるだけに、扱いには最大限注意を払っている。「大事なもんですから、くる仕事くる仕事、全部心を打ち込んでせなあかんと思てます。」心を打ち込んでいるから、金箔にも「どしっと」という言葉がぴったりくる。「京都の箔は貼るじゃない、押す、です。」素人はついぴかぴかに光っているのが良いように思ってしまうのだが、それは「安っぽいんです」と涌田さん。「ぺらっと貼っただけの金箔は、踊って見えます。」「落ち着いた色合いで、しっとりと光っているのが京都の“重押(おもおし)”。ぴかぴかのものと比べたら、どしっとしてて、違いが納得してもらえると思います。」箔押しの出来は下地の漆塗りの出来が大きく左右するが、京都の仏壇は、下地からして専門の職人がきちんと仕事をしているので、やはり良いものができるそうだ。ぜひ一度京仏壇の品質、「重押」の美しさをじっくりと味わわれてはいかがだろうか。


 職人プロフィール

 涌田實 (わくたみのる)

 昭和13年生まれ。
 中学卒業後、金箔押の修行に入り、昭和48年独立。金閣寺修復も担当。伝統工芸士。

 こぼれ話

 仏壇のおはなし

 ■仏壇の大切さ
 仏壇仏具は仏をまつる荘厳用具として、私たちの生活、習慣、文化と切り離せないものです。仏壇は、ご先祖や亡くなった人をまつるためだけにあるのではなく、目に見えない浄土や阿弥陀如来を形にあらわし、おまつりする場所。私たちは小さいころから、仏壇にお参りすることで、自然と感謝の心が芽生え、悔いのない毎日を過ごすことの大切さを教わります。お子様の情操教育の面からも、各家庭に仏壇は欠くことができません。

 ■仏壇の購入時期
 仏壇は心のよりどころ。ですから仏壇に手を合わせたいと思い立たれたら、仏壇を購入されるのはいつでも構いません。

*https://kougeihin.jp/craft/0811/ より

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