「カイロ」
「カイロ」は「懐炉」と漢字では書く。
ふところなどに入れて暖をとる器具。金属製の小箱の中に火をつけた懐炉灰を入れて用いるものや、ベンジンを燃料とする白金懐炉がある。また、鉄粉などを混合しその化学反応による発熱を利用する使い捨てのものもある。*goo辞書
だからなぜ「和製英語」とされるのか、ちょっと不思議。
まぁ商品名の「ハクキンカイロ」や「ホッカイロ」からそのように捉えられたのかも?
英語では「a heat pack」。
「カイロ」
「カイロ」は「懐炉」と漢字では書く。
ふところなどに入れて暖をとる器具。金属製の小箱の中に火をつけた懐炉灰を入れて用いるものや、ベンジンを燃料とする白金懐炉がある。また、鉄粉などを混合しその化学反応による発熱を利用する使い捨てのものもある。*goo辞書
だからなぜ「和製英語」とされるのか、ちょっと不思議。
まぁ商品名の「ハクキンカイロ」や「ホッカイロ」からそのように捉えられたのかも?
英語では「a heat pack」。
「福岡 朝倉」
人 自然 歴史が織りなす 水ひかる朝倉
福岡県の中央に位置する朝倉市は、市域の半分以上が山林であり、その山林に育まれた水と南に流れる九州一の規模を誇る筑後川が街を潤しています。市の北部に位置し“筑前の小京都”と呼ばれている“秋月”は周囲を山に囲まれた盆地にあり、戦国時代から城下町として栄えたところです。そのため、地区内各所に往時の名残りがあり、歴史と自然を訪ねて全国から多くの観光客が訪れます。また、草木染めや葛、そして手漉き和紙等の水に育まれた産業が盛んです。お正月には“蒸し雑煮”という蒸すタイプの珍しい雑煮が各家庭で食べられています。
=朝倉の見どころ=
甘木公園、秋月(秋月城跡)、国指定 平塚川添遺跡公園、あまぎ水の文化村、キリン花園、朝倉の揚水車群
=朝倉の年中行事=
甘木バタバタ市 1月4日、5日 朝倉市甘木772 安長寺
泥打祭り 3月第4日曜日 朝倉市杷木穂坂396 阿蘇神社
秋月春祭り 3月下旬の日曜日 朝倉市秋月野鳥 梅園公園
秋月杉の馬場通りの桜 3月下旬〜4月上旬 朝倉市秋月野鳥 杉の馬場通り
夕月神社の桜 3月下旬〜4月上旬 朝倉市杷木古賀 夕月神社
原鶴温泉 川開き(花火大会) 5月20日を過ぎた最初の木曜日 原鶴温泉
甘木祇園山笠 7月13日〜15日 朝倉市甘木873-5 須賀神社
三連水車のライトアップ 8月13日〜15日(予定) 朝倉市菱野 三連水車
夏まつりあさくら 8月下旬 朝倉市田中 田中の浜グラウンド
甘木川花火大会(灌頂法要会) 8月下旬 朝倉市小石原川甘木橋下流
キリン花園 コスモス 10月中旬 朝倉市馬田3601 キリン花園
あさくら祭り 11月中旬 ピーポート甘木周辺
秋月城跡黒門の紅葉 11月下旬〜12月上旬 朝倉市秋月野鳥 黒門周辺
おしろい祭り 12月2日 朝倉市杷木大山 大山祗神社
甘木盆俄 10月下旬 ピーポート甘木
蜷城くんち 10月21日 美奈宜神社(林田)
三奈木くんち 10月下旬 美奈宜神社(荷原)
秋月雛めぐり 2月~3月 秋月城
=朝倉の工芸品=
草木染、手漉和紙、甘木絞り
=朝倉の味・ぐるめ=
淡水のり(スイゼンジノリ)、葛、棒飴、蒸し雑煮、フルーツ、博多万能ねぎ
「豊錦」
■豊錦(ゆたかにしき)とは?
●山梨県生まれの早生種サクランボ
豊錦(ゆたかにしき)は山梨県で、「ジャボレー」、「高砂」、「ナポレオン」等の混植園において発見された偶発実生とされ、1986年に品種登録されました。
●豊錦(ゆたかにしき)の特徴
農林水産省の登録品種データベースによると、果実の大きさは中位、果皮は帯赤黄斑で、色付きが良い。切った直後の果肉はクリーム色で、果肉内及び核周囲の着色はない。果肉の硬さは軟、果汁の多少は中である。甘味は中、酸味は少である。
豊錦(ゆたかにしき)<サクランボの品種
となっています。実際に食べてみると、触った感じが他のサクランボと比べ柔らかく、色付きも全体に赤く色付いているものが多いです。果肉は柔らかく、酸味が少ないため、甘さが前面に感じられとても美味しいです。
●豊錦(ゆたかにしき)の収穫時期と旬
豊錦(ゆたかにしき)は早生種にあたり、山梨県では露地物で5月25日前後からの収穫となります。
*https://foodslink.jp/syokuzaihyakka/syun/fruit/cherry-Yutakanishiki.htm より
「踊る阿呆に見る阿呆」
徳島の阿波踊り歌の出だし。「同じ阿呆 (あほ) なら踊らにゃ損々」と続く。どちらも似たようなものだというたとえにも使う。
「驚き桃の木山椒の木」
「驚き」の「き」に「木」をかけた語呂 (ごろ) 合わせ。たいそう驚いたの意。
「御中を痛める」
「腹を痛める」を丁寧にいう言葉。
1 自分が子を産むことの比喩的な表現。
2 自分で金銭を負担する。自腹を切る。
「御中を抱える」
「腹を抱える」を丁寧にいう言葉。ひどく笑うことの形容。
おかしくてたまらず大笑いする。
「御中」
1 (「お腹」とも書く)腹を丁寧にいう語。もと女性語。
2 飯・食事をいう女房詞。
3 綿 (わた) ・真綿をいう女房詞。
4 室町時代、武家の奥向きに仕えた女中の役名。中﨟 (ちゅうろう) 。
「同じ穴の狢-おなじあなのむじな」
一見関係がないようでも実は同類・仲間であることのたとえ。多くは悪事を働く者についていう。同じ穴の狸 (たぬき) (狐 (きつね) )。一つ穴のむじな。
*goo辞書 より
KuraMaster 2021年度 純米大吟醸酒部門 プラチナ賞 34/44 「白鶴 純米大吟醸 翔雲」
精米歩合(%) 50 %
酒のタイプ その他、5年未満の古酒を含む
アルコール度数 15 %
日本酒度 +1
米の品種1 Hakutsurunishiki 100%
白鶴酒造株式会社 兵庫県神戸市東灘区住吉南町4丁目5-5
白鶴酒造のラインナップ
「白鶴」超特撰 天空 袋吊り 純米大吟醸 みとせ・超特撰 天空 袋吊り 純米大吟醸 白鶴錦・超特撰 天空 袋吊り 純米大吟醸 山田錦 など
https://blog.goo.ne.jp/admin/editentry/?eid=9a52f4ef2c770976008b1b129ca87e6c&sc=c2VhcmNoX3R5cGU9MSZsaW1pdD0xMDAmc29ydD1kZXNjJmtleXdvcmQ9JUU3JTk5JUJEJUU5JUI2JUI0JnA9MQ==
こちらもご参考に
「与板菜-よいたな」
【生産地】柏崎市
【特徴】柏崎で野沢菜を栽培してもおいしく育たないが、中鯖石地域与板地区の漆山(うるしやま)と麻畑(おばたけ)では本場の野沢菜に負けない大株でやわらかい菜が生産される。
【食味】根は薄紫の蕪で、茎葉と共に漬物にされる。野沢菜なので、基本的には漬物として食すが、雪国では、おなじみの郷土料理「煮菜」に調理してもおいしい。
【来歴】昔、青苧(あおそ)を栽培し、焼畑などによる土作りで肥沃な土壌となった畑で、地域の適した気象条件と相まって、後作として栽培された野沢菜が好評を博し、「与板菜」と呼ばれたと伝えられている。現在でも、住民の間で少しずつ栽培されている。
【時期】11月
https://tradveggie.or.jp/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae%e4%bc%9d%e7%b5%b1%e9%87%8e%e8%8f%9c%ef%bc%8d15-%e6%96%b0%e6%bd%9f%e7%9c%8c/#i-21
「223 Karakami Kit 四季」
京からかみの手法・材料・道具を体験できる、できるだけリアルな“ほんまもん”にこだわったキットです。
実物と同じ素材の朴ノ木と絵具を使用。
京からかみの実際の工程をお楽しみいただけ、ご自身の手で伝統文様をカードに摺ることができます。
季節のお便り、お祝いやお礼の葉書、年賀状など様々な場面でとっておきのカードを!
春夏秋冬の京からかみの文様を集めました。春の枝桜、夏の大浪、秋の楓、冬の雪花のセットです。
株式会社 丸二 京都市下京区高辻通堺町東入ル泉正寺町462
唐紙の歴史
唐紙は、もともと中国から輸入した紙のことです。外国産のものを唐物というように、外国の紙という意味になりますが、一般的には中国渡来の紙のことをさします。
唐紙は、遣唐使時代に輸入されていて、和紙がまだない時代から使われていました。
天平時代には遣唐使廃止により輸入されなくなった唐紙に代わって、国内で生産した和製の唐紙ができていたようです。
やがて貴族たちが詩や和歌を書き、写経をする料紙として愛用した唐紙の中に文様を施したものが出てきました。紋唐紙と呼ばれるもので、襖紙として使用される唐紙は、この紋唐紙が原型となっています。
輸入がストップした後、国内でまず美術料紙として作り始められ、生産量の確保と共に襖障子用に進出したと推測されます。
そして、唐紙は襖より先に障子紙として使われることが多かったようです。
唐紙師の歴史
唐紙障子がない奈良時代のころ、今の唐紙師的な仕事をしていたのは装潢師(そうこうし)と呼ばれる人々でした。
装潢師は写経用紙を準備し、書写された経を経巻に仕立てる役割をしていました。紙を既定の寸法に断裁して罫線を引き、色を染める作業とあわせて巻子本に仕立てていたようです。
後に料紙に罫線を引く専門家が経師と呼ばれるようになり、さらに経巻の仕立てもするなど、作業の幅を広げてゆきます。奈良時代でいう装潢師のような仕事をする人々が経師と呼ばれるようになりました。
経師は奈良時代では経典を書写する人のことをそう呼びましたが、時代と共に装潢師とひとまとめになったと考えられます。
そのように複数の工程を進める中に唐紙を摺るという作業が入っていたようです。
現在、装潢師の技術は連盟などを通じて保存しながら国宝などの修理にあたり、経師は表具師と呼ばれ、それと別に唐紙工房があり、職人もそれぞれの専門性を活かした技術の研鑽をしています。
嵯峨本
住宅を豪華な襖絵で飾れるのは、一握りの上流階級だけでした。一般の住宅は量産できる絹布や麻布、あるいは唐紙などを屏風や襖に張っていました。
唐紙師は、一般の需要の増加にこたえ唐紙やふすま紙をつくる技術をみがいていましたが、その技術レベルを示す目安となるものの一つが嵯峨本の用紙といわれています。
嵯峨本は角倉本あるいは光悦本ともいわれます。嵯峨本は嵯峨に住む角倉素庵によるスポンサーとしての財力と、光悦のプロデュース力あったからできた書物なのです。
嵯峨本の料紙は光悦紙または光悦意匠ともいわれ、その意匠はほとんど俵屋宗達の図案をベースにしているといわれています。
光悦意匠といわれる宗達の図柄は、唐紙の伝統紋様を模倣しただけではなくオリジナルのものが多く含まれます。植物や動物、風景などを独自の意匠を構成しており、嵯峨本の雲母文様のデザインは伝統の唐紙紋様よりむしろこの新しい意匠が多いのも特徴の一つです。
嵯峨本は斬新なデザインを唐紙の技法によって表現することで、唐紙の世界を広げました。
光悦紙の中の唐紙を摺ったのは、紙師宗二という人物でした。宗二は光悦の芸術村に住んでいて、紙師といっても歌巻や掛軸などの装潢にもたずさわる、いわゆる経師でした。
光悦の発想をもとに、宗達や宗二の意匠を宗二が印刷して仕上げた料紙、雲母紋様唐紙を主体とする光悦紙は、嵯峨本に使われただけでなく、光悦の著作など、のちの時代にも大きな影響を及ぼす「琳派」という文化を生み出したのです。