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イッピンNHK 「夏の小粋な江戸っ子ファッション~東京 本染ゆかた~」

2023-06-25 08:20:57 | イッピンNHK

 第64回 2014年7月8日 「夏の小粋な江戸っ子ファッション~東京 本染ゆかた~」リサーチャー: 牧瀬里穂

 番組内容
 今回のイッピンは、粋な江戸っ子ファッション・東京の「本染ゆかた」。濃い藍に映える白く繊細な柄を生み出す両面染め。鮮やかな色彩と絶妙なグラデーション。手仕事だからこそ可能な上質の浴衣が今、人気を集めている。江戸の伝統を守るスゴ腕・職人親子から新進気鋭のデザイナーまで、おしゃれな「本染ゆかた」の魅力をたっぷり紹介。夏の夕涼みに、花火大会に欠かせない必須アイテムを女優・牧瀬里穂さんと探る。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201407081930001301000 より

 詳細不明につき、勝手に調べてみました。

 「東京本染めゆかた」

 日本人でさえ、本物のゆかたを知る人は少ない。
 ゆかたは、主に湯上がりに着る着物として発展を遂げた。正装ではないにもかかわらず、ゆかたに上質さと洒落っ気が求められたのは、ひとえに江戸の人々の“粋”な気質によるものだ。19世紀後半に入ってゆかたは部屋着・寝間着として定着し、現在では縁日や祭り、花火大会といった夏の行事で着用されている。薄手の木綿生地は通気性に優れ、汗をかいた肌に密着しにくい。見た目の涼し気な印象もあり、ゆかたは日本の夏の風物詩と称される。現在はプリント染めのゆかたが主流だが、伝統的な染色の工程では、やかんと呼ばれるジョウロ型の容器に染料を入れ、反物に注いで色をつける。注染と呼ばれる日本独自の技法である。異なる色の染料が入ったやかんを同時に注ぐことで生まれる美しいぼかしは、職人の高度な技術を必要とする。藍色や紺を基調とする主張し過ぎない色合いは“粋”を体現する。現在はゆかたと同じ注染で染められた手ぬぐいが数多く作られ、持ち帰りやすい土産物として外国人に喜ばれている。
 主な製造地 江戸川区、足立区、葛飾区ほか
 指定年月日 昭和58年12月27日
 伝統的に使用されてきた原材料 綿織物

*https://www.dento-tokyo.metro.tokyo.lg.jp/items/19.html より

 「東京本染ゆかた・てぬぐい」-東京の伝統工芸

 主な製造地 江戸川区、足立区、葛飾区ほか

 指定年月日 昭和58年12月27日

 沿革と特徴
 浴衣という言葉は、平安時代初期の「延喜式」(えんぎしき)の中にもみえますし、「和漢三才図会」(正徳3年、1713年)に「浴衣(よくい)、内衣(ないい)、明衣(めいい)和名湯加太比良(ゆかたびら)、俗に由加太という浴帷子(ゆかたびら)と訓ず」とあります。

 当時の寺院には付属的な建物として浴堂(風呂場)が、 設けられていました。
 この浴堂での沐浴の際には、肌を見せてはいけないと固く戒められており、必ず単衣をまとって入浴していました。これが「浴帷子」で、別に「明衣」などとも呼ばれていました。

 その素材の多くは白の生絹でしたが、後には模様のあるものも用いられたようです。この「浴帷子」は時代とともに「湯具」(ゆぐ)「見拭」(みぬぐい)「湯巻」(ゆまき)「腰巻」など様々な言葉が使われるようになっていきます。

 呼び名が変るにともない、用途も少しずつ変化していきました。そして、江戸時代の中期には湯上がりのときに着る着物をいうようになりました。

 幕末の浮世絵には浴衣をまとった美人図がたくさんあります。湯屋での入浴がひとつの風俗として定着していたことを示すものといえましょう。
 こうした湯屋の発達は、いきがる「江戸っ子かたぎ」とあいまって、 湯上がりに着る浴衣を質量ともに向上させることになりました。

 さらにもうひとつ忘れてはならないものは、 芝居からの影響です。
 歌舞伎十八番「助六」では、かんぺら門兵衛が藍で染めた白地の真岡木綿(今の栃木県真岡で産出した木綿)の浴衣をひっかけて、帯をしないで登場してきます。

 今では浴衣といえば、縁日、祭り、夕涼み、花火などとともに、 夏の風物詩として欠かせぬものとなっています。
 こうした夏の普段着として浴衣が定着したのは、明治に入ってからのことです。

*https://www.dentoukougei.jp/tokyo/19.html より

 「東京本染とは」

 日本の伝統的な染色技法「注染」で染められた浴衣や手ぬぐい。
 その中でも関東地方で染め上げたものを総称して「東京本染」と呼ばれています。

 昭和58年 東京都の伝統工芸品に指定されました。

 注染の歴史

 注染以前の染色技法は、長板に生地を敷きのばし、型紙をあてて糊をへらで置いて糊防染してから染める「長板中型染め」という技法でした。明治時代に「注染」という染色技法が開発され生産性が20倍以上になり大量の手ぬぐいや浴衣が染められるようになりました。

 開発当時は、職人がラッパ状のものを布の上に置いて口で吹き込み染料を浸透させていきましたが、大正末期から昭和初期にかけてコンプレッサーによる吸引方法が開発され注染の生産性が一気に上がりました。

 注染の特徴

 何枚も重ねた生地の上から染料を注いで染めることから『注染』と呼ばれるようになりました。染め上がりに裏表無く両面が染まるのは注染の特徴です。日本独特の染色技法で、現在でも日本でしか行われていません。

 特に一枚の型で、何色も染める「差し分け染め」は、世界でも類を見ない染め技法です。
更に、職人の繊細な手加減で、同時に二色以上の染料をかけて濃淡を表現する「ぼかし染め」など、独特の染技法を活かすことができます。

 注染には多くの工程があり、一つひとつの作業を職人が手作業で行うので、毎回、唯一無二の作品が仕上がります。職人の手作業だからこそ表現できる繊細なぼかしや、にじみのなんとも言えない風合いが注染の一番の魅力といえます。

*https://tokyo-honzome.com/about/ より


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