第70回 2014年10月7日 「華麗に織りなす色と柄~群馬 桐生織物~」リサーチャー: KIKI
番組内容
絶妙な配色とハイセンスな柄で世界が憧れるブランケットは、日本有数の織物産地・群馬県桐生市で作られた桐生織物。世界中からグッズを選び抜くという美の殿堂・ニューヨーク近代美術館のショップに、14年にもわたって並ぶイッピンは、どのように作られたのか?また北斎や宗達の絵画を織物で再現する究極の織りの技とは?さらに最近話題のおしゃれな刺しゅうのネックレスなど、華麗な桐生織物の世界をモデルのKIKIさんが探る
*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201410071930001301000 より
詳細不明につき、勝手に調べてみました。
「桐生織物」
桐生織物の歴史
桐生の織物の起こりは、今から1300年ほど前の奈良時代まで遡ります。有史上の初出は続日本紀で、和銅6年(713年)に上野の税(調)は以後絁と定め、翌和銅7年にこれを納めたとあります。この地には昔から織物産業が盛んであった事がわかります。
元弘3年(1333年)、新田義貞が生品神社で鎌倉倒幕のため挙兵したときのこと。このとき、桐生で織った絹を使って幟にしたとされています。この幟は中黒古旗と呼ばれ、平成25年に復元され新田神社に奉納されました。
また、慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いでは、徳川家康の要請により、旗絹をわずか1日で2410疋も織り出し、東軍の勝利に貢献したという話が残されています。徳川家の祖先といわれる新田義貞の旗揚げの由来で、縁起のよい桐生製の織物が使われたのでした。
昭和期には、ノコギリ屋根の織物工場が数多く建てられ、今もその姿を市内で見ることができます。
現在も、桐生は企画から製品化までのデザイン、撚糸、染め、織、編み、刺繍、縫製など、多くの工程の技術が集積した繊維産地となっています。
桐生織の各種指定・認定
一般の「伝統工芸」などの呼び方とは別に、「伝統的工芸品」という呼称は、「伝統的工芸品産業の振興に関する法律(伝産法)」で定められました。「的」とは、「工芸品の特長となっている原材料や技術・技法の主要な部分が今日まで継承されていて、さらに、その持ち味を維持しながらも、産業環境に適するように改良を加えたり、時代の需要に即した製品作りがされている工芸品」という意味であり、経済産業大臣から指定を受ける必要があります。
平成29年11月現在、経済産業大臣が指定する「伝統的工芸品」は全国に230品目あります。
「伝統的工芸品」には、法律上では次の要件が必要と規定されています。
1.主として日常生活で使われるもの
2.製造過程の主要部分が手作り
3.伝統的技術または技法によって製造
4.伝統的に使用されてきた原材料
5.一定の地域で産地を形成
伝統的工芸品 桐生織
桐生織は、昭和52年10月に通商産業大臣(当時で言う経済産業大臣)から伝統的工芸品桐生織の指定を受けました。現在、経済産業省、群馬県、桐生織物協同組合とともに、桐生織が一層さかんになるよう事業を実施しています。
また、優れた技術者には伝統工芸士の称号をおくり、さらに技術をみがき、これを後継者に伝えています。桐生織の伝統工芸士は桐生織伝統工芸士会を結成して、技術の向上、後継者の研修指導や会員の交流研修などを行っています。
桐生織の「織り方」には7つの技法があり、いろいろな種類の織物がつくられます。伝統的工芸品桐生織には伝統マークを表示しています。
桐生織伝統工芸士
伝統的工芸品「桐生織」の作り手として、意匠や染色、製織、総合の各部門にわたり、計27人の伝統工芸士が認定されています。
*https://www.city.kiryu.lg.jp/sangyou/1012348/1012405/index.html より
これまた不思議なことに「桐生織物」について、初回放送日:令和2年(2020)年1月7日としてイッピン「色彩ゆたかに あざやかに ~群馬 桐生の織物~」という記載があります。
Wikipediaの一覧だけではよくわかりません。
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