「肥満王 カール三世」
(839〜888) フランス
885年に全フランク王になった人物だが、ノルマン戦で実力不足が露呈して甥に反乱を起こされた。当初は「禿頭王」だった。
*https://www.chickennoneta.com/entry/%E7%95%B0%E5%90%8D%E3%81%A8%E8%8B%B1%E9%9B%84#%E8%82%A5%E6%BA%80%E7%8E%8B%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E4%B8%89%E4%B8%96 より
カール3世(839年6月13日 - 888年1月13日)はフランク国王で異称は「肥満王」(ドイツ語:Karl III. der Dicke)[1](在位:876年 - 887年)。神聖ローマ皇帝(戴冠:881年2月12日)。その治世は兄弟と共同統治の東フランク国王として始まり、879年に臨終の兄からイタリア王位を譲り受け、881年に神聖ローマ皇帝となり、882年にはもうひとりの兄の死で単独の東フランク王となり、884年には西フランク王位をも相続して分裂していたフランク王国・カロリング帝国を一時的に統一した。しかし意欲も才覚もない皇帝は相続による統合を維持できず、弱腰の外交は帝国の分裂を決定的にした。西フランク王としてはシャルル肥満王(フランス語:Charles le Gros)と呼ばれ世数は付さない。
*Wikipedia より
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます