「174 にほひ手まり 桐箱」
手まりの芯の籾殻の中に、古くから芳香・防虫等に効用があるとされてきた香木(白檀・丁子・龍脳など)をチップにした天然香原料を入れ、それに自然の草木で手染めした木綿を糸を巻いて作りました。
香原料は京都・山田松香木店の特別調合。
箱のまま置いたり、糸を通して吊るして飾ったり。
箪笥やクローゼット等に使えば防虫効果や衣類への移り香も楽しめます。
草木が織りなす優しい彩りと風合い、天然香原料のゆかしい香りをお楽しみ下さい。
【素材】天然香原料、もみ殻、薄紙、木綿糸
【内容】にほひ手まり 9個
【手まりのサイズ】各約2.0cm
【箱サイズ】縦7.5cm×横7.5cm×高さ4.0cm
讃岐かがり手まり保存会 香川県高松市観光通2丁目3-16
讃岐の風土が生んだ優しい手まり
昔々、手まりは日本各地でつくられていました。
各藩の奥女中たちがお姫さまの玩具にと色とりどりの絹糸を使って艶やかな幾何学模様をかがったものが、
いつしか庶民に広まったといいます。
母親たちは素朴な木綿糸で優美な柄を写しとり、女の子たちは数えうたを口づさみながら夢中で遊んだことでしょう。
一番はじめは一の宮、二に日光東照宮、三に讃岐のこんぴらさん……。
四国の北東部、瀬戸内海に面した香川県。
その昔は讃岐国と呼ばれ、江戸時代には「讃岐三白」で名を馳せました。
三白とは木綿、塩、砂糖を指し、いずれも温暖で雨が少ない土地ならではの名産品でした。
そんな三白のひとつである木綿の糸を使い、草木で染めてかがる手まりが、讃岐地方に伝わる昔ながらの郷土玩具で、
私たち讃岐手まり保存会の原点です。
女性の手から手へと、受け継がれてきた技法をきちんと守り、暮らしに息づく手まりでありたい。
ケースに入れて眺めるのではなく……。
身近に置いて親しんでいただければうれしく思います。
かがりのわざから生まれる無限のバリエーション
藍、茜、刈安、蘇芳、紫根、胡桃、枇杷、柘榴などなど、草木染めした糸で、菊や桜やコスモスの花や日本の伝統模様を、幾何学的なかがりの技法により表現する……。先人の知恵を尊びながら昔どおりに進めても、そこに現代の感覚や工夫が入れば、いつしか新しさが生まれます。
「私自身が伝統的な手まりを知らなかったので、先入観なしに自分なりの工夫をしました。それが手まりに新鮮な空気を吹き込むことになったのかもしれません。手まりが今の暮らしに溶け込み、身近にあることを喜んでいただければ。だからこそ、自分が本当に素敵と思う感覚を生かして、手まりをつくっていきたいと思います」(荒木永子)
もうひとつ、大切にしていることがあります。糸をいじめない、ということです。草木による糸染めのときはもちろんのこと、かがるときも糸を極力しごかないように心がけます。そうすると毛羽立ちが抑えられ、木綿にもほのかな光沢があると気づかされます。また糸が重ならないように気をつけてかがると、面が整って模様の密度が高まり、木綿独特のふくよかさが引き立ちます。
手まりらしさを生かした作品もさまざまに開発しています。日々の楽しみに、またギフトや引出物として、お使いいただければ幸いです。
民藝を愛する心が守った郷土の玩具
香川県高松市内、江戸時代初期の大名庭園を守り伝える特別名勝・栗林公園。その園内に昭和40年(1965)開館の讃岐民芸館があります。日本各地の伝統工芸品や生活道具、郷土玩具など約4000点を所蔵する、民芸館としては珍しく県の事業で生まれた空間です。
この民芸館の設立を県に提案し、展示品収集のために全国を奔走したのが、讃岐かがり手まり保存会の生みの親、荒木計雄でした。県の職員だった計雄は民藝運動にも熱心で、その活動の中で、地元に伝わる木綿手まりの存在を知り、継承と保存のための調査研究に乗り出したのです。
江戸時代、地元の名産品である木綿の糸を草木染めした手まりは、西讃(讃岐地方西部)地方で、盛んにつくられました。しかし、明治時代にゴムまりが普及すると、素朴な手まりづくりは次第に忘れ去られていきます。
計雄が調査をはじめた当時の西讃地方には、手まりをつくれる人はほとんどいませんでした。そこで、民藝運動の先輩である丸山太郎氏(松本民芸館の創始者)の叔母にあたる人からかがり技法の指導を受け、また木綿糸の草木染めは、『少年民藝館』などの著作でも知られる外村吉之介氏(当時は熊本国際民藝館館長)や愛媛県染織試験場に教えを請うなどして研究を重ね、消えかけていたわざに息を吹き込みました。
昭和52年(1977)、"讃岐かがり手まり"と命名、昭和58年(1983)には、妻の八重子とともに観音寺市にて讃岐かがり手まり保存会を立ち上げます。そして、4年後の昭和62年(1987)、香川県の伝統的工芸品の指定を受けました。
現在は、荒木永子が二人の遺志を受け継いでいます。
讃岐かがり手まり保存会の活動と支える人々
「嫁ぎ先の母(荒木八重子)が手まりをつくるとき、傍らには色とりどりの木綿糸が用意されていて、その美しさに目を見張りました」
保存会の現代表・荒木永子(写真中央)にとって、かがり手まりは、未知なる美しいものでした。
「その昔、讃岐のどの家にも手まりがあり、とくに私が生まれ育った観音寺市のあたりは手まりづくりが盛んな土地だったのに、まったく知らなかったんです」
もともと彫金を学んでいたこともあり、手仕事や小さいものへの興味は人一倍。義母がせっせと手を動かすその姿に誘われて、いつしか手伝いはじめていました。そして気がつけば、すっかり手まりづくりにのめり込んでいたのです。
現在の保存会は、産声を上げた観音寺市から高松市内へと拠点を移し、運営、指導スタッフと約150人のつくり手が、讃岐かがり手まりの技術を継承し、広く伝える活動を行っています。皆、木綿糸によるかがり手まりの穏やかな美しさや手仕事の楽しさに心魅かれて集まった人たちで、多くは香川県在住の女性です。
保存会の工房では、木綿糸を草木染めして彩り豊かにかがり糸を揃え、つくり手たちは色合わせに工夫をこらしながら、工芸品としてのしっかりとした技術指導を受け、基本から応用へと腕を磨いています。
「わたしと義母の手まりの雰囲気が違うように、人それぞれの色のセンスで手まりづくりができます。そこに楽しさがあると思います」
また、かがりに使う糸の準備や手まりの土台づくりなど、かがり手のほかにも、たくさんの手が手まりづくりを支えています。
完成した手まりには、手づくりの熨斗がかけられて、お客さまのもとへ。ひとつひとつに心を込めて、私たちは手まりをお届けしたいと思っています。
大切にしている4つのこと
讃岐かがり手まりは、昔ながらの素材や技法でひとつひとつていねいにつくられています。
身近にある自然の恵みに知恵を働かせ素材や環境に無理のないようにと心がけています。
1.木綿糸
江戸時代に栽培技術が日本国内に広まった木綿は、育てやすく、糸にしやすいことから、あっという間に庶民に浸透。郷土玩具の手まりが木綿製なのは、もっとも身近な糸だったからでしょう。現在は既製の糸の中から細工に使いやすいものを選んでいますが、近年、江戸時代に讃岐地方で栽培されていた和棉を復活させる動きも。かつてのように、讃岐の木綿で手まりをつくれればと思っています。
2.草木で染める
化学染料のない江戸時代には、植物から色素を引き出して染色するのが当たり前の事でした。木綿は草木の色素に染まりづらいため、呉汁と呼ばれる大豆の絞り汁に浸けて下準備をします。木綿糸ならではのマットな風合いと素朴な色が私達の手まりの特徴。糸に負担をかけないよう、発色を促す媒染剤も自然のものを選んで穏やかに色を出し、重ね染め。濃淡さまざまに染め、染液を使い切ります。
3.籾殻の芯
表からは見えませんが、手まりの芯は籾殻を薄手の紙で包んだもの。これに細い木綿糸を紙が見えなくなるまでランダムに巻いて、まんまるな土台を作ります。かがるとき、針が籾殻に当たって、さくっと心地よい音がします。稲作が盛んな日本は、稲藁や籾殻を使う文化がありましたが、近年は入手が難しくなっています。私たちは県内の農家の方のご好意で、手まり用に籾殻を頂いています。
4.手でかがる
土台を仕上げたら、模様をつくる案内線として、手まりを等分に分割する地割り線をかがります。まりを地球に例えて、北極、南極、赤道を基準に、模様により分割の数も変わります。そして、地割り線を目安に規則的に糸を行き交わして、さまざまな幾何学模様を生み出していくのが、かがりの技法です。幾何学的な直線の模様を曲面にかがることで、手まりならではのやわらぎが生まれるのです。
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