「楽聖 ベートーヴェン」
(1770〜1827)ドイツ
ドイツの作曲家でピアニスト。次世代のモーツァルトとして父からスパルタ教育を受けていた。スパルタ教育の影響や、難聴によって聴力をほぼ失い音楽をやめて自殺も考えていたが、音楽への情熱を取り戻して数々の名曲を作曲した。
*https://www.chickennoneta.com/entry/%E7%95%B0%E5%90%8D%E3%81%A8%E8%8B%B1%E9%9B%84#%E6%A5%BD%E8%81%96%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3 より
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(独: Ludwig van Beethoven、標準ドイツ語ではルートヴィヒ・ファン・ベートホーフンに近い、1770年12月16日頃 - 1827年3月26日)は、ドイツの作曲家、ピアニスト。音楽史において極めて重要な作曲家の一人であり、日本では「楽聖」とも呼ばれる。その作品は古典派音楽の集大成かつロマン派音楽の先駆とされ、後世の音楽家たちに多大な影響を与えた。
*Wikipedia より
ベートーヴェンについて
ベートーヴェンは、音楽の世界に2つの大きな革命を起こした音楽家である。
そしてその根底には、1つの大きな信念があった。
《革命その1》
当時の音楽家はみな、王様、宮廷、教会に仕えて作曲をしていた。
今でいうと、国や大会社に雇われているようなもの。
カツラは当時の第一礼装であり、王様などの前では常にかぶらなくてはならなかった。
また身分が低いため、お屋敷なども裏口からしか入ることが出来なかった。
しかし彼は、かつらを脱ぎ棄て、正面玄関からしか入らないと宣言!
王様、宮廷、教会のために曲を書くのではなく、音楽を自由に表現することを初めて行った。
そして結果として音楽家の身分と地位を高めた。
《革命その2》
音楽を、一部の特権階級の人達のものではなく、庶民のために解放した。
例1_スコットランド民謡の「蛍の光」等、庶民が知っている民謡170曲以上の編曲
例2_当時のフランスの流行歌を元に「喜びの歌」のメロディーを作曲
《強い信念》
ベートーヴェンは、30歳を過ぎたころから難聴に悩まされ続けてきた。
作曲家にとって、耳が聴こえないというのは致命的である。
ある日ベートーヴェンは、遺書を書き始めた。
しかしこの遺書を書いている中で、彼自身に大きな心の変化が起きたのだった。
この遺書はハイリゲンシュタットの遺書という。
大変長いこの文章は、前半は自分の不遇を嘆き、絶望し、死を覚悟する言葉が書かれている。
しかし文章の途中に、自分は音楽という芸術により生かされているのだ、という言葉が出てくる。
そして後半は、この世からの決別ではなく、今までの自分自身との決別の言葉が書かれている。
つまり彼は、自分の不幸を嘆き悲しむのではなく、それを乗り越えてもっと強い人間になろう!
そして自分より悩んでいる人々のために、もっと素晴らしい曲を作曲しよう!と、
遺書を書く中で自分の気持ちを整理し、自分の生きる意味と価値を見いだしたのだった。
その後、「運命」や「第九」をはじめとする数々の不朽の名作が生みだされた。
この大きな革命と、音楽に対する信念、そして数々の名曲を残したことから、ベートーヴェンは “聖なる音楽家” 「楽聖」 と呼ばれている。
*https://www.endohiroshi.com/blank-2 より
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