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<経産大臣指定伝統的工芸品> 静岡 駿河雛人形

2021-05-12 06:36:35 | 経済産業大臣指定伝統的工芸品

 「駿河雛人形」

 Description / 特徴・産地

 駿河雛人形とは?
 駿河雛人形(するがひなにんぎょう)は、静岡県の静岡市とその周辺の地域で作られている人形です。
 駿河雛人形の特徴は、人形の中心部である胴体に太い稲わらが使われているので、人形のサイズが大きいことです。これは、静岡市とその周辺の地域で米の生産が盛んに行われていたことから、稲わらが手に入りやすかったためと言われています。
 人形の衣装が上下別々に製作されていることで、衣装にボリュームをもたせることができ、豪華な仕上がりになります。また、上下を分業で製作することができますので量産化が可能になり、上下一体で製作される京都製の雛人形をしのいで、雛人形の胴体では全国の生産量の約7割となっています。また、雛人形製作で最も職人の技術が問われるのが、人形の両手を曲げる工程です。この工程は「振り付け」と呼ばれていますが、ひと目見て誰が振り付けしたかわかるほど、個性の表れるところです。

 History / 歴史
 駿河雛人形の歴史をひもとくと、そのルーツは2つの天神人形にあります。一つは、桐の木片を練って固め、筆で彩色した煉天神(ねりてんじん)。この人形は、天神と呼ばれる菅原道真公を模り、信仰の象徴として製作されました。もう一つは、江戸時代に製作された、駿河独特の「衣装着雛天神」です。衣装着雛天神の一番古いものは、1853年(嘉永6年)に製作されています。この二つが、駿河雛人形の起源と言われているものです。
 また、江戸時代には、京や江戸から駿河に集まった職人が、京雛、江戸雛の技術や意匠を持ち込み、駿河独自の技術との融合により、質の高い雛人形が製作されていきました。その後、立天神、立雛のほかに、若夫婦の親王雛や老夫婦の高砂などの人形が、節句人形として製作され、江戸時代後期には、立雛天神や内裏雛、五月人形も製作されるようになりました。そして、以降は、三人官女や五人囃子なども含めた15人揃の、華やかな段飾りが登場します。
 2015年(平成27年)現在の静岡県には、3月の節句の際に5月の節句も兼ねて、男の子のいる家庭で、内裏雛とともに雛天神や五月人形を飾る風習が残っており、駿河雛人形の由来となっています。

*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/surugahinaningyo/ より

 

 思いを込めた雛人形のその優しい存在感 駿河雛人形
 静岡の雛人形のルーツは天神信仰に基づく「天神雛」である。男児誕生を祝って贈られる天神雛にたいし、女児誕生には内裏雛が贈られるようになった。県内では1カ月遅れの4月3日に両方の雛を飾り、女の子も男の子も一緒に節句祝いするところが多いという。

 
 分業体制による全国シェアの拡大
 雛人形は頭(かしら)と胴体、手足、飾り物が分業で作られており、静岡はそのうちの胴体制作では全国生産の約7割を占める。量産体制が可能になったことで発達した産業ともいえる。人形制作「高木人形」の作業場をのぞくと、床一面に所狭しと制作途中の人形が積み上げられていた。色鮮やかな衣装が目に飛び込んでくる。広い部屋の中で10人ほどの女性従業員が慣れた手つきで次々と作業をこなしている。機械を使うこともなく地味で静かな作業場ではあるが、きらびやかな衣装の明るい色彩のために、どこか異空間に迷い込んでしまったような、不思議な雰囲気に包まれる。


 技術が人形の「人らしさ」を生む
 社長の小林昇さんは26歳でこの業界に入り、実際に人形作りを始めてからのキャリアは25年ほど。流れ作業的に行われる胴体作りの中で、仕上げである振り付け(腕折り)が小林さんの仕事だ。1日50組は作るという量産体制を支えるのは、素早く正確な仕事を可能にする技術だろう。振り付けを待つ人形が小林さんの脇に並ぶ。実のところ、頭のつかない胴体だけの状態のものを「人形」としてとらえるのは難しい。美しい衣装をつけていても、やはりそれはまだ、きれいな布を使った「物」にしか見えない。ところが、まっすぐ横に伸ばされた腕を小林さんが「目打ち」を使って折り曲げ、動作をつけると、まるで命を吹き込まれたように「物」が「人形」へと変化する。人らしい温もりが生まれてくる。

 時代とともに好まれる人形も変わる
 「振り付けには職人の技術が集約され、個性が発揮される。」とよく言われる。「衣装を着た姿をきっちり見せることが必要ですからね。左右対称でなければならないし、首から肩、肩からひじ、ひじから手首と、長さのバランスも重要です。いちいち物差しで測るわけではないから、ある程度は勘でやるわけです。」袖の部分に綿をつめるなどして、型くずれしないように、また女性の優雅さ、男性のりりしさが表現されるようにする。衣装の色の重ね方にも職人の癖が出る。「そりゃ、自分の好きな色を使うからね。」だが、自分の好みを客に押しつけすぎてもいけない。「まず客がいて、注文をとっての仕事ですから、あまり頑固にこだわるわけにはいきません。買ってもらえなければ意味がないでしょう。」客の要望に応えながら、売れるものを作る。好まれる人形の顔だちや衣装の色合いは、やはり時代によって変わるらしい。バブルのころは淡い色の衣装に人気があったが、最近は昔風のオーソドックスなものに戻っている。顔立ちも昭和40年代の高度経済成長期には丸顔で目がはっきりしたものだったのが、今では細面で切れ長の目の古典的なものが復活しているという。時代の精神が人形作りにも影響する。


 飾ることを考えて、きれいに作る
 少子化、住宅事情の変化で売り上げを伸ばすのは難しくなっている。東京や大阪など大都市になるほど家が狭く、立派な人形を贈りたくても置く場所がない。「最近では3月に飾る時以外は預かります、という人形メーカーもありますよ。」時代の変化に応じて、作る側も柔軟な発想が求められるところではあるが、若い世代に節句行事のもつ意味を再認識してもらうことも必要だ。雛祭りは、もともと紙やワラで作った人形(ひとかた)に子どもの厄災を移して、海や川に流した「流し雛」の習慣がもとになったもの。それがしだいに健康や幸せを願うという意味合いで人形を飾るようになった。子どもを思う気持ちとともに、職人の精魂も込められている。託されてきた日本人の思いを忘れたくはない。


 職人プロフィール

 小林昇 (こばやしのぼる)

 1944年生まれ。人形に関わり続けて30年。話をする間も振り付け作業の手を休めない。


 こぼれ話

 農業神としても敬われた天神様

 天神様、すなわち菅原道真は学問の神様として有名ですが、もうひとつ、農業の神様でもありました。静岡の雛人形のルーツと呼ばれる土天神(練り天神)は、朱色の彩色を施しています。かつては稲を植えて水を引き入れるときに土天神を置き、天の農業神を招く目印にしたということですが、その朱色は火と太陽に通じるもので、生育する稲に虫がつかないよう、祈りをこめたものでもあったそうです。現在、静岡でこの土天神を作っている職人は一人しかいません。
 桐の挽き粉と生麩糊とを練って型抜きしたものを、乾燥させて色をつけるのですが、その素朴さと鮮やかな色が印象的です。細い眉と切れ長の涼しい目。顔の表情も作り手によってずいぶん変わりますが、この人形を見ると神様が身近な存在に感じられます。

*https://kougeihin.jp/craft/1306/ より


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