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<日本酒メーカー> 群馬 岡村

2024-09-21 06:57:26 | 日本酒

 「岡村」

 岡村合名会社とは、
 昭和6年(1931年)に設立した、弊社とともに90年近く歴史のある清酒製造会社です。

 創業時は「末廣酒造店」として商いをしておりましたが、昭和初年の大不況や製造の失敗などがあり経営が苦しい状況でした。しかし、そこで当社の創業者である岡村 桂次郎が製造と販売に協力することで何とか経営ができておりました。社会環境は世界的にも大不況の嵐の中で、酒類業界は筆舌に尽くせぬ苦労の連続で、夜討ち朝駆けのような商売であったと言い伝えられております。

 献上酒の名誉を賜る!

 創業当時より、苦労の連続でなかなか厳しい状況でしたが、

 昭和九年の陸軍大演習には初めて献上酒の栄誉を賜ることができました。
以後、陸軍高崎十五連隊のご御用酒になりました。当時は、清酒とは貴重的価値のあるものでした。 

 蔵の従業員は冬場の酒造りの蔵人たちは別として少人数で瓶詰め、容器の管理、蔵内の清掃・温度管理など細かな気配りをする経営を行っておりました。苦しい状況の中でも、自分たちに仕事をしっかりと丁寧に行うことが、このような栄誉を賜ることができた要因と考えます。

 戦時中は、配給制度により製造が規制されていました。しかし戦後は、当時の酒造りで名を馳せた方に製造指導を依頼し、蔵人も一新して若返りを図ることで、酒質が向上致しました。昭和30年代には、関東信越国税局の金賞を連続受賞するまでになりました。当時は、創業以来の快挙で出荷石数も支社蔵だけでは販売に対応できず、予約注文で対応をしておりました。
 昭和40年代に入ると、さらに出荷数量も拡大し、千五百石以上の出荷をしておりました。

 高崎市の都市計画にて。。。
 昭和40年代中頃に、高崎市の都市計画にて台町の製造所が第一種住宅地域に指定されてしまいました。移転の勧告もあり、当時は高校が隣接していたこともあり、その場所での製造はやめざるをえない状況となってしまいました。
 その後、古くよりお付き合いのあった酒蔵様に製造委託の話を持ちかけましたが、条件面で合わず破談となってしまいました。

 長野県 黒澤酒造様のご協力

 そんな中、引き受けていただいたのが、長野県の佐久市に古くより清酒製造をしている「黒澤酒造」様でした。
 昭和47年に、仕込み・貯蔵タンク・ろ過機など使える器材を全て黒澤酒造様へ輸送し、製造を委託することとなりました。
 当時より製造委託を受けてくださっている黒澤酒造様には誠に感謝しており、このご恩恵は今後も忘れてはいけないと思っております

 現在では、自社にて清酒製造は行っておりませんが、長野県の老舗酒蔵に製造を委託し、商品の販売を行っております。
 そのため、現在でも購入することはできます!

 株式会社 岡村 群馬県高崎市羅漢町34

 代表銘柄

「泉末廣」
宴会を盛りあげ、愉快に、楽しく沢山飲んでいただけるスッキリタイプの飲みあきないお酒です。
また、酌めどもつきぬ泉は未来に向って大きくひろがるよう前途の発展を祈念していただく祝酒です。

群馬の地酒で多い「やや辛口」の酒質の為、群馬の名物料理「もつ煮込み」や「おでん」などの煮込み料理との相性がいいです。
和食との相性もいいため、どんな料理とも合わせることができます。

「観音櫻」
芳醇な香と淡麗なボディで桜のイメージをさせる馥郁たる酒です。
高崎市の代表観光地「観音山公園」の桜のすばらしい景観を表現した明るい雰囲気を醸し出しております。

どちらのお酒も清洌な八ヶ岳連峰の湧水と緑豊かな澄みきった大気で醸し出したスッキリタイプの製品を伝統の技術で製産しております。
お正月やお花見時期に、煮物料理などと併せて飲むのもいいです。


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