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<経産大臣指定伝統的工芸品> 東京 江戸節句人形

2021-03-06 07:22:18 | 東京五輪延期

 「江戸節句人形」

 江戸節句人形の概要
 1.江戸節句人形とは

 桃の節句や端午の節句に飾られる雛人形や五月人形、または市松人形、風俗人形などの衣装着人形と、実際の甲冑をもとに精巧に作られた江戸甲冑を総称して江戸節句人形と呼んでいます。

 2.江戸節句人形の特徴

 江戸節句人形は、本来戸外に飾られていた甲人形を室内に飾るために小型化したもので、写実的で精巧なつくりが特徴です。


 江戸節句人形の材料
 1.人形の本体

 人形の頭部は、桐材に彫刻を施した物や、桐の木くずに正麩糊を混ぜた桐塑(とうそ)を固めた物を用います。胴体には杉の木を細く削ったものを詰めます。

 2.人形の髪

 髪には黒く染めた絹糸を使用します。独特のツヤが本物らしさを演出します。

 3.着物

 着物には、人形用に染められた絹の反物を用い、本物同様に仕立てた上で着せ付けられます。

 4.甲冑

 甲冑には、木や紙、鉄や銅、皮革や絹糸などの天然素材が使われます。


 江戸節句人形の歴史
 1.京都の影響

 江戸時代初期、京の人形に影響を受けて、江戸でも人形の制作が始められました。当時は、大型で屋外に飾る絢爛豪華な「享保雛」が主流でしたが、享保雛は次第に幕府から贅沢品として敬遠されるようになっていきます。

 2.「次郎左衛門雛」の普及

 今から約250年ほど前、徳川10代将軍家治の時代に京都から江戸に下った「次郎左衛門雛」の人形師が江戸に人形店を開きました。次郎左衛門雛は、家の中に飾りやすい小ぶりなサイズと、庶民的面持ちが江戸の庶民に受けて、広く普及しました。江戸節句人形の小型で写実的なスタイルは、この次郎左衛門雛がルーツだとされています。

‐引用:資料6 経済産業省(伝統的工芸品の指定について)‐

 3.国の伝統的工芸品に指定

 平成19年、江戸節句人形は経済産業大臣より伝統的工芸品に指定されました。

*https://www.japan-kogei.com/edosekku-about.html より

*https://kougeihin.jp/craft/1304/ より

 Description / 特徴・産地

 江戸節句人形とは?
 江戸節句人形(えどせっくにんぎょう)は、東京都のうち12区と埼玉県のうち4市で作られている、雛祭りや端午の節句に飾られる市松人形、御所人形、風俗人形といった衣装人形と飾り甲冑(かっちゅう)などです。江戸時代後期には、江戸の一大風物詩にも数えられるほどの雛市や甲人形市が日本橋十軒店で開かれ、子供の健やかな健康と将来の繁栄を祈り、豪華で盛大な初節句を祝えるほどに江戸の庶民たちにも余裕が生まれていました。
 江戸節句人形の特徴は、もともと戸外に飾られていたものを屋内に飾るようになったために小さく、江戸前の自然な風合いで写実的かつ精巧な造りです。天然素材の皮革や絹糸、木材や紙と鉄、銅などの厳選された素材の使用と製作工程で、当時の武士の誇りである無骨ながらも気品ある甲冑を現代に甦らせた、より写実的で精巧に表現されている本物と見まがわぬ甲冑もあります。

 History / 歴史
 京都の人形作りに影響を受けて始まった江戸の人形制作は、江戸時代初期には始まっていました。
 しかし江戸独自の形が確立されたのは約250年前の宝暦年代の頃で、1761年(宝暦2年)に「次郎左衛門雛(じろうざえもんびな)」の製作者である京都の人形師が、徳川10代将軍家治の頃に江戸へ下り、人形店を立ち上げたことから江戸に広く広まるようになりました。
 1716~36年(享保元年~21年)頃に主流であった「享保雛」は比較的大型で爛漫豪華なつくりだったため、幕府からも「贅沢品」と敬遠されていましたが、次郎左衛門雛は庶民的な面持ちと作りから江戸の文化に浸透し、受け入れられていました。
 現在、江戸節句人形として愛され続けられている人形は、この宝暦年代の次郎左衛門のスタイルが色濃く反映されています。

*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/edosekkuningyo/ より


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