《 2. 新聞のスクラップ帖 ( 6月16日以来の、千葉日報の記事 ) 》
7月25日の記事「前防衛大臣 岩屋毅インタビュー ( 上 )」の説明 が今回で終わり、残りが3件となります。
9. 7月26日 前官房副長官補 兼原信克インタビュー ( 下 )
10. 7月29日 自民党ミサイル防衛検討チーム座長 小野寺五典元防衛相
11. 8月 1日 自民党国防部会
《 質問 5 》
「 防衛相時代に策定した、中期防衛力整備計画には、」「長期巡航ミサイルの整備推進を、明記した。」
《 回答 5 》
「日本への侵略を試みる艦艇や上陸部隊を、効果的に阻止するのが狙いだった。」「国防上の観点から、必要な装備品だと判断した。」
自衛隊が検討しているのは、通常兵器への対応策でないと、伊藤元空将が語っているのに、共同通信社と岩屋氏は、およそ関係のない「中期防衛計画」の話を、国民に聞かせようとしています。情報操作というより、これはもっと悪質な「捏造記事」になります。息子たちのため、私は再度、伊藤氏の説明を引用します。
「この戦略兵器が日本に飛んできたとき、どうするのかという議論が、」「弾道ミサイル防衛体制の、根っこにあります。」
「ここを言わずに、当たる当たらないの議論や、」「通常ミサイルについての話を一緒にするのは、間違っています。」「敵基地攻撃能力を持つというのは、抑止論のことでもあります。」「相手に、撃たせないための、工夫なのです。」
いよいよ最後の質問になり、終わりが見えてきましたが、共同通信社と岩屋氏による、「共同捏造記事」も最終段階です。
《 質問 6 》
「 日本は、どのような安保政策をとるべきか ? 」
《 回答 6 》
「日米同盟が基軸で、日本が『盾』で、米国が『矛』を担う役割分担は、変わらない。」「日本の防衛方針は、憲法に基づく専守防衛だ。」「自衛隊への国民理解や、国際社会からの信頼は、」「専守防衛があるからこそだ。」
やはり氏は、共同通信社が主張する「役割分担論」に言及しました。この場合の「国際社会」は、中国と、韓国・北朝鮮を念頭に置いた話になりますが、この三国が果たして「国際社会」なのでしょうか。反日・左翼の政治家らしい、狭く限定された「国際社会」ですが、こんな言葉も、そろそろ通用しなくなりつつあります。
「専守防衛」については、また、伊藤氏の説明を引用しなくてならなくなりました。
「・自衛隊における、弾道ミサイル防衛体制について、世間には誤解が生じている。」「・ミサイルなら、何でもかんでも防衛対象にしているのではない。」「・核弾頭が搭載されているミサイルのみが、敵基地攻撃の対象となるのである。」
「・通常の高さで飛んでくるミサイルなら、今の航空自衛隊は、全て打ち落とせる。」「・核を搭載したミサイルは、遠くへ飛ばすため、いったん宇宙空間へ上がり、そこから落ちてくる。」「・自衛隊の弾道ミサイル防衛体制とは、核を搭載したミサイルへの対応手段である。」
「・相手が核弾頭ミサイルを打ってくれば、自衛隊は、発射場所がピンポイントで探知できる。」「・その場合に、敵基地を攻撃するということであるから、先制攻撃にはならない。」「・相手に撃たせた直後に、敵基地を攻撃し破壊するのであるから、" 攻撃 "でなく、むしろ " 反撃 " というべきである。」
「・国民が間違いやすい「攻撃」という言葉を、不用意に使うから混乱が生じる。」「・自衛隊は常に、国策である「専守防衛」を守り、先制攻撃はしない。」
氏の説明の重大さを、私自身、何度も覚悟して読んでいます。最終兵器が日本を攻撃したら、間髪を入れずこちらも反撃しますが、この数分後に、攻撃した国も、攻撃された日本も破壊されているのです。発射台を攻撃するとか、発射基地を破壊するとか、そのような段階の話ではありません。
国の法律を守り、馬鹿な政治家たちの言う「専守防衛」を守るため、自衛官たちが検討しているのは、「やられたら、やり返す」と言う日本人の魂のあり方なのです。座して死を待つのでなく、理不尽な兵器を使った相手国も、同じ目に合わせると言う、覚悟です。
「祖霊まします この山河 敵に踏ませてなるものか 」と、武田武士は命を賭して戦いました。ここにあるのは、自分の住む国への愛であり、父祖の地である故郷への強い思い入れです。戦争の形は違いますが、国を守る自衛官たちは、座して死を待つのでなく、相手も殲滅すると言う覚悟ですから、私は彼らの計画を受容します。それは、大伴家持が歌った「防人の歌」に通じています。
海行かば 水漬く屍 ( かばね ) 山行かば 草生 ( くさむす ) 屍 ( かばね )
大君の辺 ( へ ) にこそ死なめ かえりみはせじ
この場合の大君は、日本人の心の中心にある、日本の象徴としての天皇です。反日・左翼たちは、軍国主義の代表のように説明しますが、日本の天皇は国民とともにあり、国の平穏と国民の幸せを祈られる神官というのが、本来の姿です。
敵兵器で滅ぼされると言うのなら、同時に敵も殲滅し、日本国民は運命を陛下とともにしようと言う、ギリギリの計画ですが、岩屋氏のような風見鶏の政治家に、分かろうはずがありません。
今回も少し話が横道へそれ、新聞記事が残ってしまいました。大事なことですから、どうか、息子たちも、「ねこ庭」を訪問される方々も、辛抱してください。次回は間違いなく、岩屋氏の記事を終わらせますので・・