~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

運動会のあとは現代音楽

2009年10月04日 14時55分21秒 | その他音楽
昨日の昼間はとにかく暑くて参った・・
無防備に日焼け止めもせずに行ったら、襟ぐりの開きに合わせて赤く焼けてしまいました・・・・ツキノワグマ状態。
運動会そのものは、「ウォーリー」ならぬ「わが子を探せ」状態で、それだけで目が疲れましたが、やっぱり秋の運動会はいいものだな(最近は春の運動会が多いようですが・・)という感想。青いみかんぬきには運動会は語れません(笑)。
小学校の運動会が終ったあとはほこりだらけになってテントをたたみ、うちに帰って30分くらいで家事をすませ、ぐったりノビている家族をおいて、某所へでかけました(娘のケーキや好物を買って帰るという用件(口実?)もあるにはあったのですが)。

某所では現代音楽のコンサートが開かれていて、これを知人にご案内いただいた時点では予定もいっぱいの日だし、どうしようか、と思っていたのですが、作曲者の方々もいらっしゃるようでしたので、貴重な機会だと思い1曲でも聴こうと出かけました。

これは「東アジアの現代音楽祭2009 in ヒロシマ ~作曲家の現在」と言う催しで、昨日はコンサート、本日はシンポジウムが行われています。
コンサートは1部2部に分かれてまして、私がすべりこんで聴いたのは2部の終わりから4曲。

私が聴いた曲は以下です。

CHAN,Wing Wah (香港):Oriental Garden, for English-horn,Viola and Guitar(2008)

伴谷晃二(日本):余白の祈り、オーボエ、バスーン、筝(十七絃)のために(2007)

PARK,Eun-Ha(韓国):St.Peter for Piano solo(2007)

湯浅譲二(日本):チェロとピアノのための内触覚的宇宙(1997)


現代曲はなかなか聴く機会に恵まれないのですが、「この楽器でこんな音がでるんだ」という驚きがいつもあります。
特殊な奏法を使っている場合もそうでない場合も発見がありますが、「ほー」と思います。最初の曲では、出だし「あ、イングリッシュホルンかな?」と思って顔を上げて見てみたらヴィオラでしたし、次の曲は十七絃のさまざまな奏法があり、いったいどういう記譜になっているのだろうと頭のなかぐるぐるでした。
3曲目は、聖ペテロに関するある詩から書かれた曲だそうですが、プログラムノートや司会者・演奏者のお話だけでは私にはわからない部分があり(なにせキリスト教に関する素養がゼロに等しいもので・・泣)、うちに帰ってから、ダンナや息子にいろいろききました。
最後の曲は演奏後に作曲者の湯浅氏の解説もあり、大変興味深かったです。演奏者のおふたり(マーティン・シュタンツェライト氏&魚住 恵氏)の絶妙な間や音色に聴き入りました。
湯浅氏(1929年生まれ)によると、「内触感的宇宙」に関しては、ちょうど40年前にピアノ曲を書かれたそうで、それ以来、第2番「変容」(ピアノ・ソロ)、第3番「虚空」(二十絃と尺八)、第4番が今回の曲、そして第5番がオーケストラの曲と言う具合に長年書き続けられているそうです。
「内触感的」という言葉は、ハーバート・リーチの著書「イコンとイデア」によっているそうなのですが、湯浅氏自身の「20代の時から音楽の発生してくる場や、イメージを、人間や文化の発生時点に求めて来たので、音楽の進化の歴史を踏まえた上で、それにとらわれない音楽を作っていこうという態度」が「この題名を選ばせた」ということだそうです。
ここからは私自身の勝手なファンタジーですが、聴いていて発生の過程、原口陥入から進んでいく胚形成の様子が浮かびました。作曲者や演奏者の方々には迷惑なイメージかもしれませんが(笑)。
チェロのほうにどのくらい特殊な奏法があったのかはわからないのですが(今度演奏者にきいてみたいと思っています)、ピアノのほうは打鍵直後に中の弦を押さえてツィターかなんかのような音を出すという奏法がありました。ふつうにピアノを弾いていると、中に手をつっこんで弦を押さえるというのは一種タブーな感じがあるので、そういう意味で「内触覚」な視覚的効果もあったかもしれません。

できれば1部から全曲聴いてみたかったですが、なんせ運動会でしたから。
それにしても盛りだくさんな一日、ダブル運動会に現代音楽、娘の誕生日、そして中秋の名月という・・・。



またこのような機会があったらぜひ出かけてみたいと思います。