~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

椿姫・・・・ちょっと大人の話

2009年07月17日 15時54分47秒 | その他音楽
オペラ「椿姫」というとヴィオレッタでしょ、アルフレードでしょ、いやいやジェルモンであろう・・といろいろ言いたくなるわけですが、この話をいつ知ったかというと小学生の時「世界歌劇物語」とかいう本を買って読んで以来ということになります。すっかりハマッてしまったもんです。
この本には何が入っていたかなあ・・・椿姫、ミニヨン、トスカ、アイーダ、この辺だったでしょうか。
この中では私は「トスカ」大好きなのですけど、残念なことに「トスカ」はライブでいまだ観たことがありません(ちなみに、「椿姫」はかつてウィーンで国立歌劇場の公演を観るという機会に恵まれました)。

さて「椿姫」ですが・・

なんだか和風な名前だと思いましたよ、最初。「椿の君」なんて源氏物語あたりにいそうじゃないですか(笑)。
しかも、ヴェルディのオペラ原題は「ラ・トラヴィアータ」と言いまして、これは「道を踏み外した女」という意味だそうです。では「椿姫」とはなんぞや?・・これはアレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)の小説&戯曲「椿の花をつけた女(椿姫)」というものによるものです。
1852年ごろ、この「椿の花をつけた女」は大当たりをしており、そのころヴェネツィアのフェニーチェ劇場から新作を以来されていたヴェルディは、これをオペラ化しようと思ったらしいのです。ヴェルディはこの戯曲のテーマが現代的なものと考え、衣装や時代にしばられないよう、あえて「ラ・トラヴィアータ」としたということが書簡にも残されています。

さて、この「椿姫」ですが、モデルは実在しマルグリッド・ゴーティエ(本名はアルフォンシーヌ・プレシ→貴族風にマリー・デュプレシと改名)がその人であるそうです。
1824年生まれ、生活のあれこれから15歳で安レストランの主人の囲い者になります(!?・・そういえば蝶々さんも15歳でピンカートンに嫁いでいます。♪15でねえやは嫁にいき~♪ってとこなんでしょうか)。ところが間もなく名門伯爵家の令息である放蕩貴族に見初められたのがきっかけで、たんなる囲い者ではなくなり、生来の美貌・頭の良さに加え、令息によって授けられた上流階級の教養により、一躍パリ中の注目を集める魅惑の女性となるわけです。
17歳にして押しも押されもせぬその道のプロとなった彼女は、遺産で暮らす青年貴族、巨額の資産を持つ老貴族などをパトロンとしその後優雅に暮らしますが、生来の虚弱体質と放埓な生活が原因で肺結核が悪化、1847年2月わずか23歳でこの世を去ります。

どうも、デュマの「椿姫」は、彼とこのマリーとの間に起こったことがフィクション・ノンフィクションとりまぜて描かれているようです。そして彼女の生涯でもう一人、金銭がらみでない男が登場します・・・その名は・・
フランツ・リスト   ・・・・えっ、そそうなん!?だって今日買った本に書いてあるし(汗)。びっくりしますよ、この時代の芸術ネットワークっていきなりいろんな人物が出てくるので、頭では理解しているのですけど、ついていけないところがあります。ワグナーの義父がリストだと初めて知ったときは寝込みそうでしたから(爆)。(←すみません第1稿でここうっかり逆に書いていましたので訂正しました)

・・・・えっと・・ここからは、お子さまはお帰りいただきたいのですが・・・




マリーは椿の花が好きでした。香りの強い花を嫌っていたのがその理由とも言われます。
で、月のうち28日白い椿を胸元にさし、あとの3日は赤い椿だったという・・。
「椿姫」第1幕第3場の終わりの方に、、ヴィオレッタが帰ろうとするアルフレードを引きとめ、胸から一輪の花を取って渡し、「この花が萎れたらお戻りください」という場面がありますが、実際デュマ・フィスの場合は「この花の色が赤から白に変わった日においでください」というやりとりだったとか・・・・・・ほんとかね?



街中の声声

2009年07月16日 22時58分00秒 | 雑感
ここのところ、ある運転手さんのバスによく乗り合わせます。
ちょっと気になるんですよ・・・
別にコワイわけでもヘンなわけでもなく、どちらかというと職務に忠実な良い方です。
気になるのはアナウンス。
ちょっとくぐもったようなあたたかいような声で
「本日、バスセンター混雑しておりますねえ」
「お乗りになったらすわってくださいねえ。あぶないですよ」
ここまではまあいいとして、今日は
「ただいま、〇〇町を出発しまして、△△へ向かっております」。

えっとですね、〇〇町と△△の間はバス停にしてひとつ、混んでなければ2~3分で着いちゃいます。この文のどこにも間違いはないわけなんですけど、日常的に朝夕この路線バスを利用しているものにとっては、ちょっと非日常な「・・出発しまして」であり、「・・へ向かっております」であるわけです。

そういえば、私がかつて東京で地下鉄丸の内線に毎日乗っていたとき、意図してものなのかなんなのか、時々非日常なアナウンスが流れました。
ある日、新大塚で「いけぶくろ~、いけぶくろ~」とアナウンスされ、「ええっ」って感じだったのですが、そこはまあ通勤客ばかりと言ってもいい路線、特に問題はないわけです。で、そのまま訂正はナシ。そのあとほんものの「池袋」についたときなんと言ったかというと「次もいけぶくろ~、いけぶくろ~」と言いやがったわけです。
この車掌と同一人物なのかわかりませんが、ある日は「終点 池袋」というべきところを反対側の終点の中野坂上だかなんだかと言いました。
外国みたいに、だま~ってホームにすべりこんで、だまって出発されるのもちょっと困りますけれど、ちょっとオモシロイことをされるのも妙に調子狂います(笑)。

こういうことは思い出すときりがないんですが・・・・

つい先日バスセンターの中の売店でのこと。
あるパン屋さんが新製品かなにかの店頭試食をしていました。
バイトなのかなあ、おばちゃんっぽい人でしたけど、なんだか妙にウェットなんです、言い回しが。
「・・いつもいつもお世話になっております。〇〇ベーカリーでこざいます。本日は〇〇パンの試食をお願いしておりまして、ええ、ええ、もうどうぞ食べてくださいませ。・・・いかがですか、いかがですか。ありがとうございます。ほんとにありがとうございます。〇〇ベーカリーです。どうかよろしくお願いいたします」
・・かなり哀願調。内容をよく聴かずに声音だけきいていると、だれかに謝っているような感じさえあります。
ちなみに〇〇ベーカリーというのは、別に新興のパンやさんでもなんでもなく、大きい企業なのだけれど、一瞬もしや「左前?」と思ってしまった次第でありました(殴)。


私は最初にお勤めしたのが百貨店だったので、お辞儀の角度から表情、声色、声の高さ、そういうことを来る日も来る日も仕込まれ、時にはどうでもいいことでイジメラレしたわけですけれども、いわゆる「営業用」というのはできそうでできないことではあります。
今ではきれいさっぱり忘れましたけど、勤めているころはたとえ自宅でも電話をとると反射神経でトーンは上がり、敬語がよどみなく出てきたもんです。「仕事」というのはそういうもんなんだと思います。


そういう意味では専業主婦は限りなく自由人ですなあ・・・(笑)。







あと9日で日食です

2009年07月13日 23時13分50秒 | 雑感
そういえば22日は日食ではないかと思い、いろいろググってみました。
鹿児島のトカラや奄美、そして屋久島で皆既が見られるということは昨年から知っていたのですが、その他の情報は知らず、午前10時前くらいから始まり、1時間少し後が食の最大、正午過ぎくらいに終ることをさっき知りました。
皆既でなくとも西日本は相当欠けるようですので、暗くなるだろうなあ。それもハンパではなく・・・。
晴れであればそれはそれで刻々と暗くなるのでしょうが、くもりや雨でも暗くなるのは同じだと思うので、ちょっと凄い感じになるかもしれませんね。
娘はおそらくほぼなにも知らないと思うので(テレビっ子だから意外にくわしいかもしれませんが)、わざと黙っていて原始的おそれの生じる模様を観察するというテもありますが(殴)、普通でなくおびえるとかわいそうだし、せっかくなので事前に息子に説明させるのもいいかな、と。
ちなみにさっき息子に「なんで日食ってこんなにたまーに起こって、しかも観察できる地域がよくわからない偏り方をしているんだ?」と質問したならば、えらい懇切丁寧に教えてくれたのですが、まず公転の軌道面がどうこういう時点で私オチました(笑)。

それからはもう理解するのはやめて(爆)、
その日に部活のある部はなんだ?とか
照明設備のない部活はどうするんだ?とか
街で犯罪は起きないのか?
花火はやらないのか?
街はネオンをつけるのか?
この日には何を演奏するのがいいのか?
私なんか太陽そのものの名前なのに日食が起きたら心身に異常を生じるのではないか?とか
もうくだらないことで盛り上がりまくり。

・・・・祈祷したくなる気持ちもわかるなあ(爆)。



追伸:ちなみに空が相当暗くなるのは皆既のみで、99%欠けても星が見えたりはしないらしいです。おそるべし太陽。




譜読みといっても・・

2009年07月13日 16時19分04秒 | 交響曲・管弦楽曲等
いよいよ必死でやらないと間に合わなくなってきたもの

8月10日のオーケストラの譜読み。
これちょっと公表できないのですけど、東京某所での、あるマエストロのボランティアコンサートのメンバーとしての一日公演です(基本的に非公開)。
これが、以前から決まっていた曲に加えて全4曲になりました。もっとも弦の方たちはこの倍くらいの曲数があるわけで、これで大変といってはバチがあたりますけど・・・。

もともとピアノパートのものと、ほんとはチェレスタやハープのものの両方があります。ハープの楽譜というのは本来「・・????・・」な記号が結構あるのですが、幸いにして今回そこまでのものはないです。
ただ、おそらく他の楽器に隠れてたいして目立たないはずと思っていた箇所が、実は単独で歌手の伴奏であるとか(あとの楽器は全員おやすみ)、場面を変える「ちゃらり~ん」であったり、曲を完全に把握してないとダメじゃん・・・みたいなとこが結構あります。マエストロに見とれてオチルわけにはいきません。
スコアと音源、そしてパート譜とにらめっこです。


その一方で、チェンバロの曲も楽譜をいただいたので、これも読んでいるわけですが、なんといいますかもう装飾音だらけ。トリルのてんこもり。しかもどう弾くのかわかんないようなもの続出。・・・これは疲れます。老眼が一気に進んだような気がする。

しかも昨日今日、娘の調子がいまひとつで、時々吐きそうになったりするのですが、熱があるわけでなし、大部分の時間はあきれるほど絶好調。
どうするか迷いましたけど、学校へは門まで同行して突っ込みました。・・・が、一時間後くらいには「お迎えにきてください」コールがあって回収に向かうハメに。朝から学校までの坂道をせっせとニ往復もして、こっちのほうが具合悪くなりそうでした、ほんと。

息子は今週15日が終業式(すでに先週から弁当はなし)、娘は来週から夏休みに入ります。
・・・刻々となくなっていく私一人の時間・・・(泣)




ニコライ・トカレフリサイタル

2009年07月12日 22時16分04秒 | ピアノ
昨日、ニコライ・トカレフのリサイタルに行ってまいりました。
彼の演奏を聴いたのは何年ぶりでしょうか・・・少なくとも4年はたっているよね、と思い、今転妻よしこさんの日記で確認させていただいたら、果たして2005年7月、私がまだこのブログをつけ始める前、そして私がオフラインでよしこさんに初めてお会いした日なのでした。


このときの感想は、よしこさんと似通ったもので、左二階席にすわって聴いていた私は、まだ少年の面影の残る22歳くらいの愛想のよい若者(トカレフは1983年生まれ)を見ながら、「とにかく指が回って弾けて弾けて仕方がない、って感じだなあ」と思ったものでした。
今回それから4年たっているわけなのですが、正直そこまで期待していなくて、編曲ものの多いプログラムを見つつ、「きっとまた洪水のような超絶技巧なのだろうなあ」と思っていたのでした。

これが、いい意味で裏切られました・・・

1曲目はグリーグ作曲(ピアノ編曲はセルゲイ・クルサノフ)の組曲「ペール・ギュント」第1番より、朝・オーセの死・アニトラの踊り。
これまでの彼の感じからいうとなぜ「山の魔王」が入ってないのかがかなり不思議だったのです、これまで、ワルキューレとか禿山の一夜とか弾いていたので。
さて登場したトカレフは、私の記憶の中の彼とかなり違っていて、うっすらひげを生やした精悍な顔つきに具合が悪いのか機嫌が悪いのかといった表情で、青年におけるこの数年の疾風怒濤を感じさせました。
「朝」は編曲ものとはいえ、音の少ない曲。それを長いフレーズで歌ったあと、「オーセの死」。・・・これがちょっと驚きでした。私の席は演奏者の表情が手に取るように見える位置だったのですが、息遣いも荒く、思いがあふれたのか以前の彼だとあり得ないような打鍵ミス(といってもかする程度ですが)もあり、肉体的に調子が悪いのだとしても、精神的には聴衆をつかんで離さないテンションの高い演奏で、これは凄い、と身を乗り出しました。
続く「アニトラの踊り」は、おそろしいほどのリズムのキレが発揮されて、「ウマイ!」という感じ。これだったら、「山の魔王」はいらないかもしれないです。


前半の他のプログラムはラヴェル。
「亡き王女のためのパヴァーヌ」と「夜のガスパール」。
「亡き王女・・」は技術的にはそこまで難しい曲ではないのですが、弱音の多いこの曲を息長く聴かせるのはそう簡単なことではありません。最新のアルバムがフランスものばかりということもあってか、深い洞察を重ねたことが伺える、でもそういうところを通り越した自然に流れる演奏で好感を持ちました。
「ガスパール」は難曲中の難曲ですけれど、彼の技術をもってすれば演奏そのものは楽勝と思いましたが、果たして内容はどんなものに・・と興味津々。
ガスパール1曲目の<オンディーヌ>、夢と現のはざまに連れていかれ、ほとんど現実感喪失、2曲目の<絞首台>で夢のかなたから遠鳴りする鐘の連打を聴いているうちになぜか猛烈に咳をしたくなり、こんな弱音の曲で咳なんかした日にはほんとに死刑だ・・と必死でガマン。ほんとに首を絞められているかのような苦しさ(殴)。
<スカルボ>の音量がどっと大きくなるところで待ちかねたように一咳したところ、トカレフもここで大きく咳をしていました(笑)。いや、笑いごとではなく、彼も絞首刑がごとく息苦しさの中で2曲目を弾いていたのかもしれません。それがもし伝染したのだとしたら、おそるべき演奏です。
スカルボ・・・炸裂でした。小鬼暗躍、リズムの恐ろしさたるやえぐられるよう。超絶技巧&並外れたリズム感、それに凄まじい集中力で圧倒されました。弾き終えて現実に戻るまでかなり時間がかかったのも表情から見てとれました。

・・いやあ、凄い弾き手になったものです・・


後半のプログラム
P.パブスト:オペラ「スペードの女王」による挿絵--チャイコフスキー「スペードの女王」に主題によるピアノの大変奏曲
A.ローゼンブラット:チャイコフスキー「白鳥の湖」の主題によるピアノためのファンタジー

どちらも初めて聴く曲でしたが、編曲ものはトカレフのよく演奏するものなので、面白く聴きました。
「スペードの女王・・」のほうは、官能的かつ情熱的な表現で、若いイケメンであるトカレフの表情を食い入るように見てしまいました。
「白鳥の湖・・」はジャズのようなリズム炸裂で、時々は以前のトカレフの演奏を彷彿をさせる箇所もあり、曲そのものも楽しかった。

アンコールは
ラフマニノフ:前奏曲 作品32-12
リスト:ラ.カンパネラ
ドビュッシー:月の光

こういう演奏会でよく弾かれる曲でも、それぞれ何か「おっ」というところのある演奏で、すべて堪能したなあ・・・という感じです。


実は、今回のリサイタルは予定外で急に行くことになったのでしたが、思わぬ収穫というか、こういう若い演奏者は継続して聴いてみるもんだなあ・・としみじみ思ったことでした。
若いしイケメンだし、もともとの超絶技巧に加えて表現力の幅や深さも増して、これからますます楽しみです。
今回お客さんはそこまで多いというほどではありませんでしたが、「トカレフ、ちょっと変わったよ」ということで、次回もっと多くの方が足を運んでくださるといいな・・招聘元の回し者でもなんでもなく、私は思います。






臨時休校

2009年07月10日 08時34分49秒 | 雑感
今朝「わっ、7時半」と目を覚まし(殴)、携帯を見たら小学校PTAからの受信があり、
「大雨洪水警報発令につき、本日は臨時休校にいたします」。

・・いや、いいんですけど、まだ全然雨降ってないんですが・・・

息子の中学の方は、たとえ台風であろうと「親判断で登校させてください。学校はやってます」みたいなところなので、雨が降ったくらいでどうこういうことはないのですが、小学校はそうはいきません。
以前、メールでの一斉送信がされないころは大変でした。学校から連絡網で電話があり、これを必死でまわすのですが、すでに出勤されている方も多く、ヘタをすると一人で何軒もかけなければなりませんでした。息子が小学生の時(低学年のころはメール送信はありませんでした)、電話での連絡網も作成されていない4月ごろに、いきなり大雨があり休校になったのですが、連絡の手段がなく・・・どうしましたかねえ、あの時は・・・。

とかなんとか言っているうちにさっき滝のような雨が降り始めました。
友人の子どもの学校は「9時くらいが雨のピークなので気をつけて登校させてください」というおふれだったそうで、フルタイム勤務の彼女は「セーフでした・・」と(笑)。

たぶん娘の学校でも、お母さんがお勤めのお宅は7時半だともう子どもも出てる可能性ありますよね。携帯に気づかないお母さんもおられるだろうし・・・。
どうなってるんですかね、今日の学校。


クラヴサンのCD

2009年07月08日 14時45分18秒 | その他音楽
別の場所で買ったF.クープランのCDはオリヴィエ・ボーモン演奏のもの。

収録曲は以下です。

 1.波
 2.目覚まし時計
 3.お気に入り(愛妾)
 4.神秘な障壁
 5.偉大にして古き吟遊詩人組合の年代記
 6.翻る飾りリボン
 7.パッサカーユ
 8.恋の夜鳴きうぐいす/夜鳴きうぐいすのドゥーブル
 9.シテール島のカリヨン
10.葦
11.フランスのフォリア
12.坊さんと尼さんたち、別名、どなたにも向く芝居
13.尼さんたち
14.修道女モニク
15.ティク・トク・ショク、別名 マイヨタン
16.ねんね、別名 ゆりかごの愛
17.小さな風車
18.パントマイム
19.編み物をする女たち
20.アルルカンヌ


例によってヘンなタイトルのものが多いのですが(笑)、どうやって弾いたらこういう音になるのか、それとも楽器が違っているのか、すばらしく魅力的で多彩な表現です。
チェンバロって基本的に音質も音量も変えられないので、たくさん聴いているとけっこう飽きてきたり、上手い演奏なのかどうかがわからなかったりする(汗)のですけど、このCDは飽きないです。というよりだんだん興奮してきて、こんな演奏が可能なのなら、ピアノやめてチェンバロ真剣にやろうか・・と思ってしまうくらいイイです。
チェンバロ奏者はよく知らないもので、どういう人かもわからずこのボーモンのCDを買ったのですが、私としては良い買い物だったと思います。

ところで、11番の「フランスのフォリア」なんですが、12の短い曲に分かれていてタイトルがついています。

 1.純潔 目に見えぬ色のドミノで
 2.羞恥 ばら色のドミノで
 3.情熱 肉色のドミノで
 4.希望 緑色のドミノで
 5.貞節 空色のドミノで
 6.忍耐 亜麻色のドミノで
 7.倦怠 紫色のドミノで
 8.コケットリ 色とりどりのドミノで
 9.年老いた伊達男たちろ古色蒼然の会計係の婦人たち 緋色と枯葉色のドミノで
10.お人好しのコキュたち 黄色のドミノで
11.無言の嫉妬 モール色の灰色のドミノで
12.狂乱、別名、 絶望 黒のドミノで

・・・・いったいクープランって・・いやフランスの人って・・・(謎)


また10番目の「葦」(これは以前私弾きました)についてはこのような解説もついていました。

<ギリシャ神話では牧神パンに追われたアルカディアのニンフ、シュリンクスが変身したものとされる「葦」。
パンは葦を折って笛に作り変えて吹き、シュリンクスを追悼した。さらに神話によれば、エペソスにはパンが最初のシュリンクス笛を収めた洞があり、これは処女性の試験に用いられたとのこと。
真の処女はそこからシュリンクスの音楽の導きにより無事脱出できたが、そうでないものは消滅してしまった、という>


・・・「人間は考える葦である」ってそういうことだったのか・・・(殴)