オペラ「椿姫」というとヴィオレッタでしょ、アルフレードでしょ、いやいやジェルモンであろう・・といろいろ言いたくなるわけですが、この話をいつ知ったかというと小学生の時「世界歌劇物語」とかいう本を買って読んで以来ということになります。すっかりハマッてしまったもんです。
この本には何が入っていたかなあ・・・椿姫、ミニヨン、トスカ、アイーダ、この辺だったでしょうか。
この中では私は「トスカ」大好きなのですけど、残念なことに「トスカ」はライブでいまだ観たことがありません(ちなみに、「椿姫」はかつてウィーンで国立歌劇場の公演を観るという機会に恵まれました)。
さて「椿姫」ですが・・
なんだか和風な名前だと思いましたよ、最初。「椿の君」なんて源氏物語あたりにいそうじゃないですか(笑)。
しかも、ヴェルディのオペラ原題は「ラ・トラヴィアータ」と言いまして、これは「道を踏み外した女」という意味だそうです。では「椿姫」とはなんぞや?・・これはアレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)の小説&戯曲「椿の花をつけた女(椿姫)」というものによるものです。
1852年ごろ、この「椿の花をつけた女」は大当たりをしており、そのころヴェネツィアのフェニーチェ劇場から新作を以来されていたヴェルディは、これをオペラ化しようと思ったらしいのです。ヴェルディはこの戯曲のテーマが現代的なものと考え、衣装や時代にしばられないよう、あえて「ラ・トラヴィアータ」としたということが書簡にも残されています。
さて、この「椿姫」ですが、モデルは実在しマルグリッド・ゴーティエ(本名はアルフォンシーヌ・プレシ→貴族風にマリー・デュプレシと改名)がその人であるそうです。
1824年生まれ、生活のあれこれから15歳で安レストランの主人の囲い者になります(!?・・そういえば蝶々さんも15歳でピンカートンに嫁いでいます。♪15でねえやは嫁にいき~♪ってとこなんでしょうか)。ところが間もなく名門伯爵家の令息である放蕩貴族に見初められたのがきっかけで、たんなる囲い者ではなくなり、生来の美貌・頭の良さに加え、令息によって授けられた上流階級の教養により、一躍パリ中の注目を集める魅惑の女性となるわけです。
17歳にして押しも押されもせぬその道のプロとなった彼女は、遺産で暮らす青年貴族、巨額の資産を持つ老貴族などをパトロンとしその後優雅に暮らしますが、生来の虚弱体質と放埓な生活が原因で肺結核が悪化、1847年2月わずか23歳でこの世を去ります。
どうも、デュマの「椿姫」は、彼とこのマリーとの間に起こったことがフィクション・ノンフィクションとりまぜて描かれているようです。そして彼女の生涯でもう一人、金銭がらみでない男が登場します・・・その名は・・
フランツ・リスト ・・・・えっ、そそうなん!?だって今日買った本に書いてあるし(汗)。びっくりしますよ、この時代の芸術ネットワークっていきなりいろんな人物が出てくるので、頭では理解しているのですけど、ついていけないところがあります。ワグナーの義父がリストだと初めて知ったときは寝込みそうでしたから(爆)。(←すみません第1稿でここうっかり逆に書いていましたので訂正しました)
・・・・えっと・・ここからは、お子さまはお帰りいただきたいのですが・・・
マリーは椿の花が好きでした。香りの強い花を嫌っていたのがその理由とも言われます。
で、月のうち28日白い椿を胸元にさし、あとの3日は赤い椿だったという・・。
「椿姫」第1幕第3場の終わりの方に、、ヴィオレッタが帰ろうとするアルフレードを引きとめ、胸から一輪の花を取って渡し、「この花が萎れたらお戻りください」という場面がありますが、実際デュマ・フィスの場合は「この花の色が赤から白に変わった日においでください」というやりとりだったとか・・・・・・ほんとかね?
この本には何が入っていたかなあ・・・椿姫、ミニヨン、トスカ、アイーダ、この辺だったでしょうか。
この中では私は「トスカ」大好きなのですけど、残念なことに「トスカ」はライブでいまだ観たことがありません(ちなみに、「椿姫」はかつてウィーンで国立歌劇場の公演を観るという機会に恵まれました)。
さて「椿姫」ですが・・
なんだか和風な名前だと思いましたよ、最初。「椿の君」なんて源氏物語あたりにいそうじゃないですか(笑)。
しかも、ヴェルディのオペラ原題は「ラ・トラヴィアータ」と言いまして、これは「道を踏み外した女」という意味だそうです。では「椿姫」とはなんぞや?・・これはアレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)の小説&戯曲「椿の花をつけた女(椿姫)」というものによるものです。
1852年ごろ、この「椿の花をつけた女」は大当たりをしており、そのころヴェネツィアのフェニーチェ劇場から新作を以来されていたヴェルディは、これをオペラ化しようと思ったらしいのです。ヴェルディはこの戯曲のテーマが現代的なものと考え、衣装や時代にしばられないよう、あえて「ラ・トラヴィアータ」としたということが書簡にも残されています。
さて、この「椿姫」ですが、モデルは実在しマルグリッド・ゴーティエ(本名はアルフォンシーヌ・プレシ→貴族風にマリー・デュプレシと改名)がその人であるそうです。
1824年生まれ、生活のあれこれから15歳で安レストランの主人の囲い者になります(!?・・そういえば蝶々さんも15歳でピンカートンに嫁いでいます。♪15でねえやは嫁にいき~♪ってとこなんでしょうか)。ところが間もなく名門伯爵家の令息である放蕩貴族に見初められたのがきっかけで、たんなる囲い者ではなくなり、生来の美貌・頭の良さに加え、令息によって授けられた上流階級の教養により、一躍パリ中の注目を集める魅惑の女性となるわけです。
17歳にして押しも押されもせぬその道のプロとなった彼女は、遺産で暮らす青年貴族、巨額の資産を持つ老貴族などをパトロンとしその後優雅に暮らしますが、生来の虚弱体質と放埓な生活が原因で肺結核が悪化、1847年2月わずか23歳でこの世を去ります。
どうも、デュマの「椿姫」は、彼とこのマリーとの間に起こったことがフィクション・ノンフィクションとりまぜて描かれているようです。そして彼女の生涯でもう一人、金銭がらみでない男が登場します・・・その名は・・
フランツ・リスト ・・・・えっ、そそうなん!?だって今日買った本に書いてあるし(汗)。びっくりしますよ、この時代の芸術ネットワークっていきなりいろんな人物が出てくるので、頭では理解しているのですけど、ついていけないところがあります。ワグナーの義父がリストだと初めて知ったときは寝込みそうでしたから(爆)。(←すみません第1稿でここうっかり逆に書いていましたので訂正しました)
・・・・えっと・・ここからは、お子さまはお帰りいただきたいのですが・・・
マリーは椿の花が好きでした。香りの強い花を嫌っていたのがその理由とも言われます。
で、月のうち28日白い椿を胸元にさし、あとの3日は赤い椿だったという・・。
「椿姫」第1幕第3場の終わりの方に、、ヴィオレッタが帰ろうとするアルフレードを引きとめ、胸から一輪の花を取って渡し、「この花が萎れたらお戻りください」という場面がありますが、実際デュマ・フィスの場合は「この花の色が赤から白に変わった日においでください」というやりとりだったとか・・・・・・ほんとかね?