~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

CDまとめ買い

2009年07月08日 14時31分54秒 | その他音楽
弾かなければならないのに、パート譜だけでさっぱりわけのわかんない「蝶々夫人(の二重唱)」のスコアとか、わけはわかるのだけれど装飾音とか間のとりかたがもひとつなクープランの音源を探そうと思って、街中に出かけました。

そしたら地下街のど真ん中でCDの中古セールが・・。
買ってしまいました。5枚、しめて4800円也。

ブラームス:後期ピアノ作品集(作品117、118、119)・・・アファナシェフ
バッハ:パルティータ1~3番他・・・・・グールド
バロックチェンバロリサイタル(パーセル、クープラン、バッハ、ラモーなどなど)・・・レオンハルト
ハイドン:ソナタ(Hob.XVI 34、32、42)、ファンタジア、アダージョ・・・ブレンデル
シューベルト:ソナタ(D537、D959)・・・シフ

さんざん迷ってこの5枚。まだまだ欲しいものありました。1000円超えるものもありますが、800円前後が多く、お買い得です。

で、買わなければならないものはなかなかなかったのですけど、その後別の場所で買ったクープランのCDがなかなかすごい!(これも1000円くらいですが)。
これについてはまたあらためて。



今後の練習予定

2009年07月06日 14時36分08秒 | ピアノ
これからのピアノの予定を自分のために整理。


 8月10日 オーケストラの中のピアノパート・・「スターウォーズ」&「サウンド オブ ミュージック」
10月25日 サークルサロンコンサート・・・曲未定
12月 6日 ピティナステップ・・・・・・・フレンチバロックを2曲ほど(チェンバロ)
12月12日 ベートーヴェンを弾く会・・・・ソナタの11番か12番のどちらか
12月19日 miwako先生門下発表会・・・・・2声インヴェンションを2~3曲
 2月28日 サークル合同ショパンコンサート・・・・・・バルカローレ
 4月    某美術館コンサート・・・・・・・・チェンバロの連弾曲2曲(だいたい決まってます) 



12月固め打ちなんですよね(泣)。ただでさえ忙しい年末に。
とっととベートーヴェンとチェンバロ曲を決めてしまわねばなりません。

それよりもまずは来月のものなんですが、これがかなり苦手な楽譜で「〇小節休み」というのがボコボコあって、こういうことになれないのでカウントできないんです。打楽器奏者とか偉すぎです、ほんと。仕方がないので、曲を丸覚えするしかありません。
バルカローレは2回くらいザザーっと通したくらいだけなんですが、すでにメゲ気味。曲になるんだろうか、これ。音を並べるだけになってしまうのではないかという恐怖が・・・。

目下これらから逃避行して、インヴェンションとブラームスとヘンデルとショパン(チェロソナタの2楽章以降)をやっている状態です。
ブラームスは今月に入っていきなり始めたのですが、アホのようにハマッていて危険です(笑)。とりあえずどこかで弾くあてはありませんが。

・・・と言っているうちに、たった今、チェンバロの楽譜が先生から送られてきました。
クープランの「恋のうぐいす」とラモーの「めんどり」。
これが12月の曲かな?
あとはベートヴェンだあ・・・





  

気になっていた映画

2009年07月06日 00時13分42秒 | 見る・読む
今年は長年の疑問が解ける年のようで、ちょっと前に日記に書いたメリメの短編に続き、ある映画のタイトルが判明しました。

その映画のストーリーはよく覚えていないのですけど、たしかガンバ奏者かなにかが師に破門され、それでもなんとか師の教えを受けたいと願い、師が練習している間、床下にもぐって聴き続ける、という場面があったような・・・。たしか感動のラストがあったような気がするのだけれど、それがどんなものだったか覚えてはおらず、全編に流れる美しい音楽と霧の立ち込めたような森の風景(のようなもの)だけが印象として残っています。
これがなんという映画だったを思い出したくて、ずっと記憶をたどっていたのですがあまりにも手がかりがなくて困っていました。

・・・それが見つかったのです・・

私の愛読する無料音楽情報誌「ぶらあぼ」(何号か前です)の某コラムに書かれていました。
それによると、この映画は17世紀フランスのヴィオール弾き、サント=コロンブとマラン・マレの師弟関係を描いた映画『めぐり逢う朝』(1991年)というものだそうです。
まさかこれがマラン・マレの映画とは思ってもいませんでした。というよりこれをテレビで見た当時はまだマラン・マレを知らなかった。マレの名を知ったのは「膀胱結石の手術図」という凄まじいタイトルの楽曲の存在を知って以来。もちろんチェンバロをやるようになってからは古楽の重要な作曲者としてたびたび目や耳にしているわけなんですが・・・。

あらすじはこちらをご参照ください。めぐり逢う朝(1991) - goo 映画

今また見たらいろんな角度から感想を抱くと思うのですが、人前で演奏する目的なしにただひたすらに音楽の修行をする姿は、今でも忘れられないもので、なにかのおりにふっと思い出すことがあります。
私はだいたい古い時代を描いた音楽映画が好きで、『カストラート』『王は踊る』あたりはたまりません。どうしてなのか自分でもよくわかりませんが・・・

とりあえず、タイトルがわかっただけでもよかったです(涙)。
思い出すたびに気になって気になって仕方なかったですし、ピアノ再開にもどこかでつながっていたと思えます。
それにしても、なんとかもう一回見てみたいんですが・・・。


「千住家にストラディヴァリウスが来た日」

2009年07月05日 00時40分53秒 | 見る・読む
数日前に、「千住家にストラディヴァリウスが来た日」(千住文子著:新潮文庫)を読みました。
著者の千住文子さんは、ヴァイオリニスト千住真理子さんのお母様でいらっしゃいます。

この本が単行本で出た頃、楽器店や本屋でちらっと見たことはあるのですが、「千住さんがデュランティを手に入れたときいたけれど、幸運な貸与かなにかあったのかな?」くらいの反応だったのです、私は。
ところがこの本を読んでですね、もう「ごめんなさい、ごめんなさい・・これだからピアノ弾きは甘いんです」と心の底から謝罪をいたしました。
貸与ではないんです、億単位の借金を真理子さんが一人でなさったんです。これまでの預金すべて、子どものころからのお年玉やお祝い、土地抵当、二人の兄の人間抵当、ありとあらゆるものを差し出して、これからの人生をデュランティという名のストラディバリウスとともに歩むことを決意されたということ。
もちろん、最初から買う気だったということではなく、数奇な運命をたどって千住さんところへたまたまあるヴァイオリンがやってきた(このあたりは映画化にたえるくらいの劇的内容です。どうか本でお読みください)。試奏したにも関わらず、自分の手の届くものではないとあきらめていたのですが、ここから二人の兄の強烈なプッシュあり、またまた不思議な偶然あり、で結局買うことになったのだそうです。

ヴァイオリニストが億の単位の借金を抱えたまま一生弾きつづけるという話は、時々耳にすることではありますし、たとえアマチュアでも「いい楽器を手に入れたい」というのはみなさんの悲願するところであり、このへんの話はピアノ好きがグランドピアノを買ったというのとは、ちょっと違う楽器への思いであります。


そういう「購入」に関する話もなんですが、大変だなあ・・と思ったのは、12歳でプロデビューしてからの千住さん自身、またご家族のご心労。
「あらゆる憎しみ、ジェラシー、そして無法、抹殺・・・ほとんど精神的な殺人とも言えるようなものだった」と本にはありましたが、そんな大人の世界に放り込まれた彼女はショックで倒れたこともある、といいます。
江藤俊哉先生は、12歳にしてプロになった彼女に「いいですか、今日からは、いくら年齢が幼くても、あなたは、プロという社会的責任を負ったのです。プロはどんなにつらいことがあっても、ステージに一歩踏み出したら、何事もなかったかのような顔にならなければ、許されない。たとえば、泣きたいほど悲しいことがあっても、涙など、見せてはいけない。体調を崩したとしても、そんなことは何の言い訳にもならない」と強く「命令」されたそうです。
客観的にはまことにその通りと思いますけど、母親として、家族としては、こういう状況というのは大変なことだと思います。健康管理、精神面のフォロー、あと口さがない世間からも守ってやらなければならない。それからお母さんの文子さんは素人でいらっしゃいましたが、江藤先生はお母さんに「立派な鏡(一回一回の演奏、音をきちんとモニターすること)」となることを要求され鍛え上げられたので、そちらの「お仕事」も大変でいらしたのではないでしょうか?

このストラディバリウスを買われる以前は、ずーっと「千住家としては精一杯(の価格)」のヴァイオリンを使っておられたのだそうですが、激しいレッスンと数多くの本番で楽器は衰え、音も枯れてきて、その楽器で足りない分を補おうとテクニック面で無理をしたり、楽器が鳴らない分を奏者の体(の骨)で鳴らそうとするため、真理子さん自身の体もボロボロになっていたのだそうです。
ピアノでも厳密に言うとそういう状況は生じるのかもしれませんが、いかんせん本番の楽器が自分の持ち物ではありませんので、そこまでのことはないのではないかと・・。
そういえば、この前チェロのM先生に「私、本番の前になると、朝手が開かないことあります」と話していたら、「ボクは、だいたい楽器がおかしくなるねえ」とおっしゃってましたので、やっぱり一体感が違うんだなあ、と思った次第。


どんな仕事も甘いことではありませんが、40過ぎて単身で億単位の借金を背負う仕事ってやっぱり普通の感覚からいうと正気の沙汰ではありません。
芸術の世界は「取り憑かれた」世界なのだ、とあらためて思います。




パンは焦がさず

2009年07月04日 01時46分32秒 | 家族・友人等
娘はいまだに、初めての場所が苦手な「場所見知り」的なところがあるのですが、実は結構野心家だったりもします。

娘 「おかあさん、私の夢はね・・・・有名人になること。テレビとかに出る人になりたい」
私 「へえ・・・(子どもによくある夢だわね)」
娘 「有名になるためにどうしたらいいか考えたんだけど・・コンクールで1番とったら有名になる?」
私 「コンクールにもよるけど、まあそうなるかもね。でも、コンクール出るのってすっごい練習しないとダメなんだよ。大変だよ」
娘 「そうか・・・じゃあ、とりあえず2番を目指す!」

動機がとことん不純な上に、「2位を目指す」というハンパな妥協の仕方はなんざましょ?(笑)。
現実はというと・・・娘、ある曲を練習していたのですが、彼女の敵である「短2度(半音)」が出てきた。そのとたん、
娘 「この音弾かないっ!!」
私 「そうはいかないよ。それこそこの曲、コンクールの課題曲にもよくなるんだし、いつか出たいんだったらちゃんと弾かないと」
娘 「じゃあ、私が書きなおす!!」
という調子で、相変わらず楽譜に反抗しているのでありました。こういうヤツはコンクールに出たらいけません(爆)。



夜、配膳の手伝いをさせていたらところ、
娘 「女の子は大人になったら料理できんといけんよね?」
私 「女の子でも男の子でも出来たほうがいいよ。お兄ちゃんは時々やってるでしょ?」
娘 「そうそう。お兄ちゃんはパンを焦がさんのよ。いっつも成功してる。すごいよね!!」

・・・・なんという我が家のハードルの低さであろう。ハードルをここまで引き下げたのがほかならぬ私自身であることを考えると、忸怩たる思いであります(泣)。
娘には「おかあさん、パンはね、ちゃんと時間を計ったら焦げないと思うよ」とご指導いただきました。
・・・それはそうなんですが、20年以上、どのトースターを使っても3回に1回は焦がしているのはどういうことなんだろう・・・・



いわゆる「オーラ」というもの?

2009年07月02日 15時29分21秒 | 見る・読む
先日あるドラマを見ていました。
推理系のもので、犯人は多重人格障害者(・・であろうと言う推理でしたが、実際は・・)で、この役をやっていた女優さんの演技はジキルとハイド状態で凄かった。・・ほんとに凄かったのですが・・・
最後にほんのちょっとだけ(1分なかったんじゃないでしょうか)、海老蔵が出たところ、それまでのあれこれを一瞬でかっさらってしまいました!
・・・なんなんだ・・
見ていた息子もボー然。別にセリフらしいセリフがあったわけでも、演技らしい演技があったわけでもなく、「ただ出ただけ」に近いものだったのに、怪しさ・残忍さ・屈折したなにか・・を表情だけで残して「次回へつづく・・」ということになってしまいました。
私は別に海老蔵のファンというわけでもないし、彼の歌舞伎を見たこともないのですが、ときどきテレビで見るとほんとにドキっとします。

で、昨晩またバラエティーに出ていたわけです、海老蔵が。

これまた別の意味でびっくりしました。
ふつうの兄ちゃんに限りなく近い(笑)。そりゃカッコいいし、声もいいんですけど、凄くもなければ怪しくもなくて、どっちかというとピントずれてんじゃ・・・という感じの若者。
またまた見ていた息子も仰天。

たまらないですねえ、この振れ幅(爆)。
ステージ(スクリーンやテレビも)に出る方ってそういうとこありますね。
私がかつてデパートに勤めていたとき、けっこう俳優さん女優さんが来店されていたのですが、ふだんは「気を消している」というか、そこにいらしても気づかないようなことが結構ありました。もちろん、「私は女優よ!」の風情で闊歩されてるかたもおられましたけど・・。
この「振れ幅(またはON/OFF)」は職業上そうだということもあるのかもしれませんけど、生まれつきそういう人(子)というのはいるもので、子どもでも気をぬいているときは、ダメダメダラダラで「なんじゃこの子は」みたいなのに、楽器を弾いたり、絵を描いたりし始めると「別人」みたいなことは結構あります。
・・集中力といえばそうかもしれないけど、それだけではない。
・・才能といえばそうかもしれないけど、それだけでもない。
この「気」とでもいいたいものの正体はなんなのか・・とよく考えます。
「教えられて身につくものではない」と言われますけど、「気」を持っている人にいろいろ教わることによって「うつる」あるいは「いただく」ことはあるのではないか、とも思います。


それにしても、俳優さんや演奏家の方々が、OFFでボケーっとしている姿、しびれます。自分でもヘンタイじゃないかと思うんですが・・・・。






警報の日

2009年07月01日 20時09分57秒 | 家族・友人等
今朝は「もしや良い天気?」と思うような空だったのに、8時すぎたころから大変あやしくなり、どんどんとひどい雨に・・・。

雨のせいなのか、一種の虚脱状態のせいなのか、朝からブラームスのたそがれた音楽が頭の中をぐるぐるしていて、「自分もそれなりにシブくなってきたもんだ」と思ったのですが、今日は夏のバーゲンの初日なので元気に出陣。
バーゲンにわざわざ出かけたことは過去ほとんどないのですが、今回は娘が「あれ買って~」というスカートがあり、「もっと安くなったら買ってやる」とさんざん待たせていたので、頑張ってまいりました。
エスカレータで上がっていきましたら、各階結構空いてるんです。「雨だしね」と思いつつ、子ども服売場にいきましたら、いきなりの大混雑。すごいんですねえ~!
お目当てのものをさっさと買い、ほかの用事もすませて、ふらふらとカラーフォーマルを見てましたら、色的には私の年齢だと犯罪かもしれませんが、デザインは結構着やすそうなのがあって、試着。どうもここのところソロ演奏に超後ろ向きになっているので、景気づけということもあり買っちゃいました。

途中、友人から「警報が出ましたよ。小学校どうなるんでしょうね?」というメールが入りました。帰宅してしばらくたった頃、学校発の緊急メール連絡網で一斉下校のお知らせがあり、3時半をだいぶ回ったころ娘が帰ってきました。
そのすぐあとにまたまた玄関が鳴って息子であろうと開けましたら、中学生が何人か・・・。「一斉下校でバス停が超混んでるからうちに行こうや、ということになった」そうで、「おまえんち立地条件良すぎ」とかなんとか言って、みんな息子の部屋へ吸い込まれていきました。

4時半からの娘のピアノは、いつも一人で行かせているのですけど、さすがに今日はついていかないとな、と思い久しぶりに一緒に行くことに。
いや~、またまたヤッてくれてました。
「雪とこども」と言う曲、イ短調なんですけど、イ長調で弾いてるんですよ。先生が「あれ?」というと、「この曲、楽しい歌(歌詞がついているんです。『ぼくらにゃゆきはともだちだ~』とかいう)なのに、曲がさびしくてヘンだから、シャープつけてみた」と言います。
先生 「ほんとだ。楽しそうな歌なのにね・・・この曲ノルウェーっていう国の曲だから、ちょっとさびしい感じなのかなあ。ノルウェーって国知ってる?」
娘  「ああ、知っとるよ~。パリの近く」
先生 「え・・・」
私  「なんで、パリ知ってるの?」
娘  「『おしゃれキャット』に出てきた」
私  「パリの近くというよりは、ムーミンのいるフィンランドの近くなんだけどねえ」
先生 「そうそう、冬は太陽があんまり出ないようなところで、寒~いんだよ」
娘  「ああ、サンタさんのいるフィンランドの近く?楽しそう!!」
先生 「(爆)・・カコちゃんには負けるわ~。じゃあ、楽しいのでも弾いてきて。どんなになるかな」


・・というわけで、娘、相変わらずなのでした。