唯のブログ。

病気の体験、療養生活や日々思いついた事などを書き留めているブログ。時々毒吐き。楽しめれば最高、無理なら受け流す。

愛車

2009-09-24 18:25:28 | インポート
 お墓参りに行ってきたが、また、お盆の時と同じ右リアのタイヤが、パンク寸前だった。 湯沢を出て直ぐの水上サービスエリアで気が付いた。 パンク後新しいタイヤに変えたのにおかしい。
 取り敢えずスペアに交換してそのまま行ったが、真岡市のカーショップで見てもらった所、バルブの劣化が原因だった。 前回もバルブが原因だったのかも知れない。 もう16年も経っているのにバルブは交換していないのでそりゃ当然悪くなる。

 我が愛車、H6年式レガシーワゴン GT Bスペック ツインカムツインターボ 240ps。

 当時は、高級車だったが、さすがにくたびれてきたようだ。 

 購入して直ぐ、この車で暗闇の農道をぶっ飛ばしていたら道が突然無くなった。 目の前には用水路が横切っていた。 急ブレーキを踏んだが、どうする事も出来ず(最後は逆にアクセルを踏んで?)向こう岸に跳んだ。 ジャンプ大成功、向こう岸に腹を擦って止まった。もちろん購入間もない新車は大きなダメージを受けたが、自分は何とも無く 本当に奇跡だった。
 頭から用水路に突っ込んでいたら今頃命は無かった。 助けて頂いたと瞬間思った。 実家だったのでご先祖様、神様、そして、レガシーに。

それ以来、愛着を感じていた。 それでも4.5年経ち、モデルチェンジしたNEWレガシーに買い替えを考え試乗までしたが、踏ん切りはつかなかった。 レガシーが見捨てるのか、恩知らずと、言っているような気がしてならなかったから。

 それからずっと、色々なところを修理し、時には自分で直しもした。 安いパーツをネットでで購入し直しながらずっと、もう16年も乗っている。

 今まで、経済事情もあり大切に乗ってきたつもりだが、さすがにガタが来ている。 特に、高速はきつい。エンジンは 大丈夫だが足回りが特にきつい。
 
 さすがに、最近は、そろそろ引退させてくれと、言っているのが聞こえるようだ。
 今まで、本当にありがとう。 でも、すまない、もう少しだけがんばってくれ。 
 今は、ちょっと引退無理だ。
  
 
  

  


最低の人間

2009-09-23 21:30:43 | インポート
 
 お彼岸でお墓参りに行った。 家のお墓は敷地内にあるので家に誰かがいれば会ってしまう。 会いたく無かったが父に会ってしまった。 兄貴の家族がいなかったのがせめてもの救い。 本音で話が出来るから。特に父が。

 「よく来たな。」 「相変わらず白々しい事言うね。」「白々しいとは無いだろう。」 後は、いつものように会話にならず。 今まで散々な関係であるにも関わらず、普通に話しかけてくる感覚が全く理解できない。 嫌な思いをしたくなかったので直ぐ帰って来た。 

しかし、母が帯状疱疹で寝ていると聞いた。 それでも、顔も見ないで帰る俺。 最低である。 しかも母の体調不良には心当りがあった。

 2.3日前に母が突然高級ぶどうを送ってきた。 今まで口もろくにきいていないので十年以上もそんな事は無かったのに。 それは多分今年の母の日に私が生まれて初めて贈り物をしたから送ってきたのだと思う。 少しは気を許してくれたと思ったのだろう。 

しかし、ぶどうを送ってもらったその日に私は電話をした。
「もう、送ってこないでくれ。 自分にはかまわないでくれ。思い出すと嫌な気分になるから」と。

母の日の贈り物には、連絡無用、返礼不要とカードを入れてもらっていた。 そして初めて書いた手紙を送った。 その手紙を読んだ母は妹に電話をしたそうだが、泣いていて言葉にならないほどだったと言う。 私は、感謝の気持ちも確かに書いたが、自分の不満についても書いていた。どちらも本心からだ。 しかし、母は思いがけない出来事にいい事しか頭に入らなかったのだと思う。 

 その気持ちがあってぶどうを送ったところ、私のキツイ電話を受け取ったのだ。 相当な精神的なダメージを負って体調が悪くなってしまったのだろう。  多分、天国から地獄へ送られたようなショックを受けたのだと思う。気にはなっていた。 私の中途半端な贈り物が酷い結果に繋がってしまった。 心の整理も出来ていないのに背伸びをしすぎた。 
 帯状疱疹は、免疫力が落ちてヘルペスウイルスが身体の中で暴れだす事で起きる。 自分も経験があるからよく知る。 ストレスが免疫力を弱める典型的な例だと思う。 
 母は、心臓が悪く何度か手術もしていて体調が優れない。 もう70歳を超えている。  そんな事を十分に判っていて辛い言葉をかけずにはいられない自分が情けない。
 
 
 
 


秋空

2009-09-17 09:55:54 | インポート
 昨夜は久しぶりに星がきれいだった。 しばらく部屋の窓から眺めていたが、外に出たくなって外から眺めていた。
 
 あたりが明るいのであまりはっきりとはしていないが、見える星の数は随分と多かった。
時々、流れ星が強い光を放ち宇宙の一部で生きている事を改めて感じた。

 自然の法則の中で生かされている人間。もちろん自分も。
自我を捨て、流れのままに生きていければ自然に健康で過ごせるはずである。 


謙虚である事。 自信を持つ事。

2009-09-16 15:16:29 | インポート
 これも三浦先生のセミナーで心に残った事。

常日頃は、自分はまだまだ未熟だからもっと学ばなくてはならないと謙虚に努力しないといけない。

 一方、いざ患者を治療する時は、自分が世界一の治療家であるかのごとく自分に自信を持ってあたる事。 そうする事によって、波動が上がり治療効果が上がる。

この、謙虚であるという事と、自信を持つという事を混同していた。
そして、意識を上手に持ってうまく日常生活で実践できていなかったのだと思う。 自信が無く、謙虚でもない「臆す」という言葉がぴったりの行動。周りからは先入観からか、堂々としているなどといわれる事もあったが、自分の内面の感情は正に「臆している」事が多かった。
 

全く違う事なのに混同して、いつも引いていればそれで良いというような感覚で来たと思う。 全く消極的だった。自信など持って前へ出れば酷い事がおこるような気がしていた。 幼少時は、事実起こっていた。恐怖だった。 自信を前面に出すような派手な事をすれば、それだけで打たれただろう。

そんな事を考えて散歩をしていた。

自分を苦しめていた潜在意識の間違った理解に気が付いて、少しすっきりした。  普通の人間は自信を持つ事に恐怖など感じないのだ。 自分も感じる必要はない。 今更ながら当たり前だ。

今、先生の言うように出来ていないのは、

1.自身を持つという事。
 (今までは、訳の判らない恐怖を感じ、駄目な自分が安心だった。出来るといえば怒られる、笑っていれば怒られる。しゅんとなっていれば、怒られないで済む。  そんな感情は、忘れる事。)

2.本当の意味の謙虚を実践する事。
 (謙虚とは、堂々とした奥ゆかさ。 卑屈な「臆した」振る舞いではないという事。)

 世の成功者は、醜く恥ずかしがったりしない、堂々と賛辞を受けている。受け答えにもよどみが無い。 見習うべきはこういう態度。

 気をつけなければいけないのは、根拠の無い自信家。 鈍感なのか、勘違いなのか判らないが、偉そうに上から目線で振舞える人間がいる。 こうなったら御仕舞い。

 簡単なようで難しい、自信を持つ事、謙虚にあること。 
 うまく行っている自分を否定する必要など無く謙虚さを忘れなければそれでいいのだ。

今までは、成功を自分で無意識に否定していたから続かなかったのかもしれない。
 
 


何故成長が続かないのか?

2009-09-16 14:29:06 | インポート
 
  
 ある程度の期間は新鮮な気持ちで夢中に努力できるが、時間がたち、一定レベルに達すると心に迷いみたいなものが出てきてジレンマみたいなものを感じる。と言う事を繰り返してきた人生について今日は、散歩の間ずっと考えていた。

自信をつけながら一生懸命努力をしている時はそれでいいが、一定レベルに達し周りから評価されだすと、謙虚に、と言う思いが強くなってくるのだと思った。 正確には、謙虚にと言う思いを通り越して、私などまだまだですと自己否定に近い感覚になってしまっていたような気がする。 自己否定すれば、潜在意識は否定的なことには直ぐに反応するので自分がだめになる方向に働く。 結果、あまり物事がうまくいかなくなる。 この悪いシステムに乗りやすくなっていたのかもしれない。 謙虚と自己否定は全く違うのに。

  それと、気になっているのが幼児体験。 親によく怒られて泣いていた。 酷い怒られ方が多く恐怖で声が出ないくらいになることが多かった。むせる様な泣き方だった。 そして罰を与えられた時も、胸が張り裂けるような恐怖を感じる事が多かった。 誰も助けてくれない、寂しい感情。 み捨てられているような。 何かをして失敗すれば酷い怒られ方をした。 常軌を逸しているような親の怒り方が、日常茶飯事であった。
 出来ると言って、出来なかった時などは激しく罵られた。 
 失敗しても笑っていると、輪をかけて怒鳴られた。 失敗した時、怒られている時は、本当に心の底から暗い気持ちになって反省すると親は納得していた。 服従を求められていたのだと思う。
そして、成長するにしたがっても、もうおとずれる事は無いはずの、その恐怖が頭にあり自信を持って前へ出られないでいた。 いつも、自分はいいよ、自分はだめだから、などと言っていた。 そうやって予防線を張れば楽だったから。失敗して責められるのがいやで、前もって言い訳をしていた。夢中で努力している時はいいが、肝心な頃を迎えると自信を持って事にあたれなかったと思う。  怖くて、失敗すると誰かに怒られると、勝手に感じていた。

 そんな感情が残っていて自然に自分にだめだめサインを出していたのかもしれない。
 自分が成功してはいけない、その後にまた酷い叱られ方をする。 怖いから前に出ないでいよう。  潜在意識にそんな感情を植えつけていたのかもしれない。