アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

プーシキン 陰謀で決闘させられ死す…

2012年10月31日 | Weblog
 プーシキンは…反体制の詩人・作家。秘密警察に監視されていた。決闘で死んだ。決闘の様子については広く知られているようです。私も概略は…と、いっても、プーシキンとは面識があるわけじゃない。私が生まれる111年前に亡くなっていますから。

 プーシキンの決闘は、仕組まれたものということが定説となっています。真相でしょう。体制批判を続ける自由主義者プーシキンを抹殺するため、体制側はフランス人の近衛将校ダンテスを使った。
 手口は、プーシキンの妻ナターリアが、やたら美人であったところにヒントがあった。ナターリアは、「社交界の花」とまで謳われる程だったんだと!ダンテスは執拗にナターリアにせまった。そしてプーシキンを挑発し続けた。プーシキンとしては、決闘を申し込まざるを得なかった。
 この決闘、「ペンより重いものをもったことがないプーシキン」VS「軍人で射撃の名手のダンテス」ですから…。
両者の距離は、10歩。豆鉄砲でも当たる距離。これは、当時のロシアでは、「高貴なる距離」と呼ばれていたのだそうで…。高貴なら決闘のような野蛮きわまりないことさせるなよなあ!

 プーシキンは腹を撃たれて2日後に死亡。ダンデスは無傷。倒れたプーシキンを前に両手を上げて大笑いしたのでしょうね。体制側を喜ばせ、花とまで謳われた美しい人妻を獲得したわけですから。もっとも、その後のダンデスについては、情報がない。

 で、本論。随分長い前置きだって?ハイハイ、そのぶん本論を短くします。
 プーシキンが決闘に行く前に立ち寄ったカフェが今も残っており、朝の11時から元気に営業しています。日本語では、「文学カフェ(1835年創業)」というのですがね。
 サンクト・ペテルブルクのネフスキー大通りに面しています。ドストエフスキーも常連客だったという。大きなカフェで…通りから眺めていると、な、な、なんと、「 プーシキンの等身大人形」が食事していました。拳銃も窓から見えるように飾ってありました。そこでアンティークマンは食事しなかったのかって?まだ開店前だったもので。
 プーシキンが決闘に行く前に立ち寄った「文学カフェ」の前で写真を撮ったぞというのが本論でした。プーシキン…可哀想ですよ。