機体の除雪はどのようにするか
高校野球では、「北国のハンディキャップ」は無くなってしまいましたが、冬の北国、特に交通・航空事情のハンディは厳然と存在します。
新千歳空港→羽田(乗り換えて)→那覇と飛ぶ予定で、新千歳空港へ。折からの大雪、さらに強風。早い話が猛吹雪。
滑走路に積雪。飛行機の機体に積雪…。滑走路については、ブルドーザーで除雪して融雪剤を撒けばなんとかなる。では、機体に40cmも積もった雪はどうする?考えられるのは・・・
1 機体の積雪を無視して飛ぶ。雪は吹き飛ばされるので問題なし。
2 機体に登り、ママさんダンプで、雪かきする。(ママさんダンプ→スコップの親玉。大きな、手押しの雪かき。地方によっては、パパさんダンプの通称名も)
3 エアーコンプレッサーで機体の雪を吹き飛ばす。
4 機体の温度を高め、融かす。ロードヒーティングの機体バージョンというわけ。
5 飛行機にお湯をかけて、雪を融かす。
正解は、「エアーコンプレッサーで機体の雪を吹き飛ばす」でした。さて、私が乗る予定の飛行機はいつ飛べるか分からないという(この日結果的に、新千歳空港では87の便が除雪が間に合わず運休)。そのため時間があったので、つぶさに飛行機に積もった雪を取り除く作業を見学することが出来たので良かったです。どんな状況下でも、前向きに何かを学ぼうとする態度が素晴らしいです。あっ!2009年、初有森裕子やっちゃった。
エアコンプレッサーは、空気を圧縮して圧力を高める装置。この装置がクレーン車のようなものの先に取り付けられている。飛行機の屋根の雪を吹き飛ばさなければならないので、地上高10m位。空気の圧縮方法は、ターボ式と見た。動力源はエンジン式で、出力は1,000KW超と思われる。圧力は、30気圧超でしょう。しかし、これがなかなか効率が悪い。1平方メートルの雪を吹き飛ばし終わったら、また次の雪が積もる・・・この繰り返し。運休続出も当然。翼のフラップの辺り、雪が固まっている。フラップ凍結で作動しなければ一大事。見ていなければ心配する必要もないのだが、見始めたからには最後まで見届けなければ…。ようやく機体に積もった雪が無くなった。次に、不凍液のシャワーだ。まんべんなくかける。これで、機体の除雪が終了。
定刻より2時間遅れで、吹雪の中を離陸!高度を一気に、10,400メートルまで上げる。そこは、別世界が広がっていた。
羽田も快晴!雪?そんなものなし。新千歳では…1時間前、機体に積もった雪を掻いていたのに…この違い!その瞬間…、脳裏をよぎったのが、タイフーン作戦。温暖な地からいきなり、雪深い酷寒の地へ行ったら…兵隊さんはやる気が無くなります。
「寒さ」により、日本国が現在と大幅に異なる状況になっていたかも知れなかったのです・・・
1941年10月。ドイツ軍は、モスクワへの攻略戦「タイフーン作戦」を敢行した。「バルバロッサ作戦(第2段階)」ともいわれているあの戦争。
ドイツ軍は、自信満々。9月中旬から動き始め破竹の勢いでロシア北東へ進撃していった。10月、天候悪化に伴う地盤の軟弱化がドイツ軍にとって障害となり、装甲部隊の前進および物資の補給も滞り前進が鈍化。
11月、気温が低下、厳冬に対応した衣類や装備がなかったドイツ軍の攻勢は頓挫。進撃は停止状態に。
零下20度以下のロシアにおいて、ドイツ軍の戦闘車両や火器は使用不能、飛行機も飛ばせない状態となり、退却。「寒冷の為、本日は爆撃機が動きません。よって、運休…」と、いうわけにいかない。とっとと退却が最善の作戦。そんなとき、同盟軍である日本軍は、どうしていたか?ドイツ軍の10月の攻勢に加担し極東、ソ連へ侵攻すれば局面が変わっていただろうって?どうやってモスクワを攻めますか?出来るような状態ではなかったのです。初めから無理だったのですから。そういう情報はスターリンに伝わっていたと思われます。
確かに、ロシア は体力があった。しかし、夏場だったらドイツ軍の大勝利だったでしょう。あのヒットラーが、「容易に勝てる」と踏んだ作戦ですよ。そのように言う歴史学者はいないかも知れませんが、1941年10月~11月のロシア軍にとって、「寒さ」以外の追い風など何一つなかった。
何一つなかったなどと書くと、「コムソモールだった、ゾーヤ・コスモデミーンスカヤがいただろう」と、反論されそうです。ゾーヤ・コスモデミーンスカヤは、パルチザンの英雄と讃えられた女性。ただ、彼女の存在がソ連軍及びコムソモールの士気を高めたかどうか…。話しとしてはおもしろいが、戦争ですから次の瞬間死んでいるかもしれない状況下…一人の女性がドイツ軍に捕まり処刑されたことにより士気が高まるとも思えないのですが。しかし、ロシアは勝利した。
コムソモールは、共産党の青年組織。洋服のメーカーではありません。「それは、コムサデモード」。
いやはや、那覇空港到着までの話しのつもりが…飛行機の除雪から、バルバロッサ作戦失敗の最大理由に関する一考察になってしまった・・・はい、最大の理由は、「酷寒」です。
このように、寒さは歴史を変えるのです。歴史を変えるつまり、人の命を左右する。これは、寒冷地に住む人にとってハンディキャップです。しかし、寒冷の地で、ハンディを乗り越え、智慧をだし、たくましく生きている人々がいる。乗り越えなければ生きていけないから。南北問題も、原因はここにあります。
高校野球では、「北国のハンディキャップ」は無くなってしまいましたが、冬の北国、特に交通・航空事情のハンディは厳然と存在します。
新千歳空港→羽田(乗り換えて)→那覇と飛ぶ予定で、新千歳空港へ。折からの大雪、さらに強風。早い話が猛吹雪。
滑走路に積雪。飛行機の機体に積雪…。滑走路については、ブルドーザーで除雪して融雪剤を撒けばなんとかなる。では、機体に40cmも積もった雪はどうする?考えられるのは・・・
1 機体の積雪を無視して飛ぶ。雪は吹き飛ばされるので問題なし。
2 機体に登り、ママさんダンプで、雪かきする。(ママさんダンプ→スコップの親玉。大きな、手押しの雪かき。地方によっては、パパさんダンプの通称名も)
3 エアーコンプレッサーで機体の雪を吹き飛ばす。
4 機体の温度を高め、融かす。ロードヒーティングの機体バージョンというわけ。
5 飛行機にお湯をかけて、雪を融かす。
正解は、「エアーコンプレッサーで機体の雪を吹き飛ばす」でした。さて、私が乗る予定の飛行機はいつ飛べるか分からないという(この日結果的に、新千歳空港では87の便が除雪が間に合わず運休)。そのため時間があったので、つぶさに飛行機に積もった雪を取り除く作業を見学することが出来たので良かったです。どんな状況下でも、前向きに何かを学ぼうとする態度が素晴らしいです。あっ!2009年、初有森裕子やっちゃった。
エアコンプレッサーは、空気を圧縮して圧力を高める装置。この装置がクレーン車のようなものの先に取り付けられている。飛行機の屋根の雪を吹き飛ばさなければならないので、地上高10m位。空気の圧縮方法は、ターボ式と見た。動力源はエンジン式で、出力は1,000KW超と思われる。圧力は、30気圧超でしょう。しかし、これがなかなか効率が悪い。1平方メートルの雪を吹き飛ばし終わったら、また次の雪が積もる・・・この繰り返し。運休続出も当然。翼のフラップの辺り、雪が固まっている。フラップ凍結で作動しなければ一大事。見ていなければ心配する必要もないのだが、見始めたからには最後まで見届けなければ…。ようやく機体に積もった雪が無くなった。次に、不凍液のシャワーだ。まんべんなくかける。これで、機体の除雪が終了。
定刻より2時間遅れで、吹雪の中を離陸!高度を一気に、10,400メートルまで上げる。そこは、別世界が広がっていた。
羽田も快晴!雪?そんなものなし。新千歳では…1時間前、機体に積もった雪を掻いていたのに…この違い!その瞬間…、脳裏をよぎったのが、タイフーン作戦。温暖な地からいきなり、雪深い酷寒の地へ行ったら…兵隊さんはやる気が無くなります。
「寒さ」により、日本国が現在と大幅に異なる状況になっていたかも知れなかったのです・・・
1941年10月。ドイツ軍は、モスクワへの攻略戦「タイフーン作戦」を敢行した。「バルバロッサ作戦(第2段階)」ともいわれているあの戦争。
ドイツ軍は、自信満々。9月中旬から動き始め破竹の勢いでロシア北東へ進撃していった。10月、天候悪化に伴う地盤の軟弱化がドイツ軍にとって障害となり、装甲部隊の前進および物資の補給も滞り前進が鈍化。
11月、気温が低下、厳冬に対応した衣類や装備がなかったドイツ軍の攻勢は頓挫。進撃は停止状態に。
零下20度以下のロシアにおいて、ドイツ軍の戦闘車両や火器は使用不能、飛行機も飛ばせない状態となり、退却。「寒冷の為、本日は爆撃機が動きません。よって、運休…」と、いうわけにいかない。とっとと退却が最善の作戦。そんなとき、同盟軍である日本軍は、どうしていたか?ドイツ軍の10月の攻勢に加担し極東、ソ連へ侵攻すれば局面が変わっていただろうって?どうやってモスクワを攻めますか?出来るような状態ではなかったのです。初めから無理だったのですから。そういう情報はスターリンに伝わっていたと思われます。
確かに、ロシア は体力があった。しかし、夏場だったらドイツ軍の大勝利だったでしょう。あのヒットラーが、「容易に勝てる」と踏んだ作戦ですよ。そのように言う歴史学者はいないかも知れませんが、1941年10月~11月のロシア軍にとって、「寒さ」以外の追い風など何一つなかった。
何一つなかったなどと書くと、「コムソモールだった、ゾーヤ・コスモデミーンスカヤがいただろう」と、反論されそうです。ゾーヤ・コスモデミーンスカヤは、パルチザンの英雄と讃えられた女性。ただ、彼女の存在がソ連軍及びコムソモールの士気を高めたかどうか…。話しとしてはおもしろいが、戦争ですから次の瞬間死んでいるかもしれない状況下…一人の女性がドイツ軍に捕まり処刑されたことにより士気が高まるとも思えないのですが。しかし、ロシアは勝利した。
コムソモールは、共産党の青年組織。洋服のメーカーではありません。「それは、コムサデモード」。
いやはや、那覇空港到着までの話しのつもりが…飛行機の除雪から、バルバロッサ作戦失敗の最大理由に関する一考察になってしまった・・・はい、最大の理由は、「酷寒」です。
このように、寒さは歴史を変えるのです。歴史を変えるつまり、人の命を左右する。これは、寒冷地に住む人にとってハンディキャップです。しかし、寒冷の地で、ハンディを乗り越え、智慧をだし、たくましく生きている人々がいる。乗り越えなければ生きていけないから。南北問題も、原因はここにあります。
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