風は東楡の木通りから

クリスチャンフルート吹きパスピエの愛する音楽、猫たち、薔薇の毎日

信仰って?

2005-12-04 22:21:38 | キリスト教(証)
私がクリスチャンになった時、まわりの反応はこのようなものだった。

「なんでそんな変なものに入ったの?」
「つらい事があったのね。」
「キリスト教会に親切にされたのね。」

こういわれた方々は私がとてもかわいそうな人で宗教に頼ったのだと思っているようだ。そして信者になる前の私もやっぱり彼らと同じように思っていたものである。「宗教なんて心の弱い人が行くところ。」とね。

実際、教会へ行こうと思った時、私はさまざまな困難を抱えていた。でもすぐに神様を信じたわけじゃなかったんだよ。だって、「神様いるんだよ、信じて」って言われて「はい、それじゃ信じます」ってわけにいかないでしょ。いくら親切にされたからって普通は信じないよ。

教会の人たちはとても親切だったが、ひねくれ者の私には「信者を増やしたいからだろう」くらいにしか思っていなかった。だから彼らに対して内心「私に話しかけないで!」と思っていたくらい。(教会の皆さん、ごめんなさい!)

ある日私は、すぐかっとなって人の心を傷つけてしまう自分に自己嫌悪し、現実の残酷さに打ちひしがれていた。自分にはどうすることもできない無力感、これから先どうなってゆくかもわからないと不安で不安でしかたがなかった。そんな時、自分の意識とは別に聖書の言葉が出てきた。

「私はあなたとともにいる」この言葉がどんどん心のそこから湧き出てきた。その瞬間から信じる心にかえられた。ついさっきまで神の存在を否定していたのに。重々しい気持ちは喜びに変わり涙があふれてしかたがなかった。そしてなんともいえない絶対的な安心感が私を包んでいた。

昔は信仰って聞くと、これは良い教えだから納得して自分でこの宗教に入るって決断する事と思っていたが、それがまったく違っていた!!

つまり信仰は神様から与えられるものなのだ。神様は一人一人と親しい関係を持たれる。それは決して人の力によるものではないのだ。

神様は私たちを一人一人愛しておられてる。しかし、人間のほうはどうなのか?神はいないと認めず、背を向けて歩いている。だから神様は私たち人間との和解の道を用意してくださった。救いの御子キリストをこの世に送られ、キリストが私たちの罪のために十字架にかかって死んでくださり、3日後によみがえられ、それを信じる人は永遠の命にいたるようにしてくださったのだ。それを信じてキリストの道を歩むのがキリスト教の信仰なんだよ。