神々しい場にいることができた幸運に感謝です。
こんな感覚は初めてでした。
それはシューマンのダヴィッド同盟(全18曲)の第17曲、第18曲で訪れました。
シューマンの6つの間奏曲 Op.4から始まったプログラム。
20代初めの作品で、ヴィルサラーゼはこの秋初めてステージにのせた曲だそうで、決してわかりやすい作品ではなく、しかも難曲です。
続いてダヴィッド同盟舞曲集 Op.6。
どちらも若い時の作品ですが、書法の複雑さ、シューマン自身の感情の複雑さが若いからこそそのまま表現されているようで、これは演奏者に相当のエネルギーが要求されるなと思いながら聴いておりました。
70代の人間が演奏するのは過酷だ・・、私はもう少し若いけれど既に無理だ・・と思いながら聴いておりましたら、次第にヴィルサラーゼのシューマンへの信愛の想いが伝わってきました。
そして、ダヴィッド同盟の第2曲が再び回想される第17曲。
私はこの曲が好きなのでしみじみした想いで聴いておりましたら、素朴な第18曲でもう何と言ったらよいのかわからない気持ちがこみ上げてきました。
彼女のシューマンへの献身的な姿が本当に美しく、その音楽が純粋で、こんなに美しい心を持った人の演奏を聴くことができた幸せを思っていたら両眼から涙がボロボロ出てきて止まりませんでした。
彼女の姿、音楽は神々しかった。
私は大変な場面に立ち会っているのではないかと思いました。
休憩後はショパンでした。
バラード第2番から始まりワルツ、ノクターンを組み合わせ、最後はバラード第3番。
調性や曲調を考えてヴィルサラーゼが熟慮して構成させた10曲。
劇場に短編の作品を見に来たような、バレエの小さな物語を見に来たような感じがしました。
ショパンの作品をこのように組み合わせるとは、ショパンをよく知っている人でなければこんなにうまく組み合わせられません。
さてさて、今年のコンサートはこれで最後です。
今年最初に聴いたのはブレハッチでした。
最後はヴィルサラーゼ。
このお2人の演奏が心に残りました。
ブレハッチの音楽への愛、ヴィルサラーゼの作曲家への献身的な愛。
お2人の心の美しさが温かく私の中に残っています。
こんな感覚は初めてでした。
それはシューマンのダヴィッド同盟(全18曲)の第17曲、第18曲で訪れました。
シューマンの6つの間奏曲 Op.4から始まったプログラム。
20代初めの作品で、ヴィルサラーゼはこの秋初めてステージにのせた曲だそうで、決してわかりやすい作品ではなく、しかも難曲です。
続いてダヴィッド同盟舞曲集 Op.6。
どちらも若い時の作品ですが、書法の複雑さ、シューマン自身の感情の複雑さが若いからこそそのまま表現されているようで、これは演奏者に相当のエネルギーが要求されるなと思いながら聴いておりました。
70代の人間が演奏するのは過酷だ・・、私はもう少し若いけれど既に無理だ・・と思いながら聴いておりましたら、次第にヴィルサラーゼのシューマンへの信愛の想いが伝わってきました。
そして、ダヴィッド同盟の第2曲が再び回想される第17曲。
私はこの曲が好きなのでしみじみした想いで聴いておりましたら、素朴な第18曲でもう何と言ったらよいのかわからない気持ちがこみ上げてきました。
彼女のシューマンへの献身的な姿が本当に美しく、その音楽が純粋で、こんなに美しい心を持った人の演奏を聴くことができた幸せを思っていたら両眼から涙がボロボロ出てきて止まりませんでした。
彼女の姿、音楽は神々しかった。
私は大変な場面に立ち会っているのではないかと思いました。
休憩後はショパンでした。
バラード第2番から始まりワルツ、ノクターンを組み合わせ、最後はバラード第3番。
調性や曲調を考えてヴィルサラーゼが熟慮して構成させた10曲。
劇場に短編の作品を見に来たような、バレエの小さな物語を見に来たような感じがしました。
ショパンの作品をこのように組み合わせるとは、ショパンをよく知っている人でなければこんなにうまく組み合わせられません。
さてさて、今年のコンサートはこれで最後です。
今年最初に聴いたのはブレハッチでした。
最後はヴィルサラーゼ。
このお2人の演奏が心に残りました。
ブレハッチの音楽への愛、ヴィルサラーゼの作曲家への献身的な愛。
お2人の心の美しさが温かく私の中に残っています。