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銃の乱射事件で考えたこと

2012年12月16日 | 人間
ここブラジルでも、アメリカ コネチカット州の小学校の銃の乱射事件のニュースを連日報道しています。
だんだん詳細が明らかになり、同時になくなった子供さんたちの年齢とか、家族のこととかも報道されるようになり、子供を持つ母親としてはたまらない気持ちになります。

同じような事件で、記憶に新しいのが、昨年4月、リオデジャネイロ州ヘアレンゴ市で起きた銃の乱射事件です。



23歳のこの学校の卒業生の男性が、学生時代に受けたいじめをうらみに思い、襲撃したのだそうです。
女生徒を中心に、13歳から15歳まで12人の生徒がなくなりました。
そのほかにも多くの生徒さん達が怪我をしました。



事件の詳細ついては、昨年(2011年)の4月7日、8日の記事をご覧ください。

学校という安全が基本であるべき場所で、命を落とさなくてはいけなかった子供たちのことを考えると、悲しいとか憤るとかいうよりも、本当にたまらない気持ちになってきます。
ヘアレンゴの事件の時には、犯人は女生徒を標的として銃撃をしました。
ある男子生徒が級友の女生徒の手を引いて逃げている途中、犯人に遭遇、女生徒は頭とおなかを打たれて死亡、男子生徒はその女生徒の血溜りで足を滑らせて転倒、骨折するということがあったそうです。
目の前で級友が打たれる姿を見た、男子生徒はどうだったでしょう?
一番最初に中庭で犯人と遭遇して、撃たれ、血を流しながら警察に助けを求めに走った男子生徒は?

今回の事件では特に小さな子供さんたちが犠牲になったということです。
そのときの恐怖は、きっと大人の私達には計り知れないものだと思います。

また、今回の事件でも、女教師の一人が、鍵のかからないドアを自分の体で抑えて開かないようにし、自分は銃弾を受けながらも、中にいた子供達は守ったという話がありました。
ブラジルのニュースでは彼女を「ヒロイン」と呼んでいました。
でも、私が彼女の家族だったら、「ヒロインになんかなら無くても良い。無事に帰ってきて欲しかった。」と思います。
小さな子供さんを預かる教師という立場では、彼女は当然のことをしたのだと思いますが、もしも私が彼女の家族だったら、エゴイストといわれても、やっぱり無事に家に帰ってきて欲しかったと思うのです。

でも、それは、どの子供さんのおうちの人たちも同じでしょう。
朝、「行ってらっしゃい」と子供を送り出したとき、これが最後になるとは、誰も誰も思わない。
当然、時間になれば、子供は家に帰ってきて、「宿題は?おやつは?」と、いつもと同じ毎日が繰り返されると思うでしょう。

その当然のように繰り返される、繰り返されるべきである「毎日」が突然断ち切られてしまう。
本当にたまりません。

ブラジルでは幸い、ヘアレンゴの事件以来、同じような事件は起きていません。
でも、アメリカは?
アメリカの銃を取り巻く環境は確かに大きな問題点の一つだと思います。
ブラジルもアメリカと大きな違いはない。
いえ、銃が武器で無くたって、日本で起こったように、銃以外の道具が凶器になることも考えられる。

無抵抗の子供たちの日常を、突然断ち切ってしまうような事件、無くなるのが重要なことなのですが、そのためには「なぜ、こうした事件が起きてしまうのか」?、「その人がおかしいから」とか「銃社会が問題」ということだけでなく、「そうした犯罪を生む社会のあり方」をもっと根本的なところから、私達一人ひとりが考えていかなくてはならないのではないかと思います。

子供を持つ母親のひとりとして、私と同じお母さん達の悲しい顔を、見たくないのです。





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