アマゾンわんわん日記 2018

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OSCAR NIEMEIYAR

2012年12月06日 | ブラジル雑記
朝5時半、夫を送り出しテレビをつけたら、特報らしきものを流している。
こんな朝早くに何かしら?
テレビでは、リオのサマリターノ病院の院長の会見をしています。

なになに?誰がなくなったの?

思わずテレビに見入っていると...

オスカー・二ヤマイヤー

ブラジルの誇る、建築家でした。

ブラジリアの建設の指導者、ジュッせりーノ・クビチェッキに招聘され、首都ブラジリアの多くの建物、カテドラル等々を設計しました。



ブラジリアにはつい先週行ってきたばかりなので、なんだかこうした建物がすごく身近に感じられます。

この劇場も彼の作品だしね。



特に、私たちはリオデジャネイロに長く住んでいたので、彼の作品は常に身近にありました。
たとえばこれは、昔の教育省の建物。



リオのセントロにあります。
ここには、緑のたくさんある中庭があります。



ここは青色のタイルで壁面が飾られ、安心して子供を歩かせることのできる、素敵な場所でした。
仕事の関係で近くに行く用事が多かったので、よくここを通っていました。
リオデジャネイロがまだ首都として機能していたころに使われていた建物です。
現在は文化関係の団体が入っていたり、ロビーは催し物に開放されたりしています。
オスカー・ニヤマイヤーの1930年代、ごく初期の作品です。
実はこの建物は、彼一人のプロジェクトではなく、そのころの新進気鋭の建築家、何人かで協力して作り上げた作品だそうです。

そのほかにも、最近の作品では、二テロイの近代美術館。



私が住んでいたフラメンゴ海岸のちょうど向かい側、二テロイ市の岬の突端に作られた建物です。
UFOみたいでしょう?
作られた当初は、ずいぶん話題になりました。

また、リオデジャネイロ市内ガベア地区にある貧しい人々のために立てられた通称「Minhocão」(大ミミズ)



大規模な集合住宅です。
うねる感じがガベアの緑の山肌によく合うんです。

こんな感じで、生活の中にオスカー・ニヤマイヤーの作品がすっかり溶け込んでいました。

11月2日に体調を崩し入院した彼ですが、病床でも次の作品のことを熱っぽく語っていたそうです。

次に彼が取り組んでいた作品。
それは、ここアマゾナスに建設する予定だった「Encntro das Àguas 記念館」



建設用地も決定し、完成予想図までこうして出来上がっていましたが、彼が亡くなったことにより、建設計画は見直されることになりそうだとのことです。

死の直前まで作品に取り組んできたオスカー・ニヤマイヤー。
第一次世界大戦、ブラジリアの建設、軍政国家とブラジルの歴史をその目で見て、その中で常に活躍し続けてきた人でした。

享年104歳

11月15日で105歳になるはずでした。




コメント (1)
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