アマゾンわんわん日記 2018

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AV.Perimetralの思い出

2013年11月04日 | 人間
リオデジャネイロの港沿いに走る、高架高速道路「Av.Perimetral」が取り壊されることになりました。



この道路は、空港からリオの山岳部地方にかけて延びる高速道路や二テロイ橋をつなぐ、大切な道路でした。
ですが、海岸沿いを走るため、潮風や排気ガスによるコンクリートの劣化、交通量の増加による景観への影響などからとり壊しが決定。
港地区の再開発計画のなかで、トンネルとして地下を走ることになりました。

ここ何日か、夫と私はこのニュースを知り、毎日思い出話を繰り返しています。

私がブラジルに初めて来たのは1992年。
仕事のために、リオデジャネイロ国際空港に到着しました。
たしか、朝7時前の到着。
出迎えてくれた同僚の方々とともに、引越し荷物を抱え、大型のバスで職場に向かいました。
本当は海岸沿いを行くよりも、サンタバルバラトンネルを通るほうが近いのですが、バスの運転手が「一番リオらしい場所を通っていきます」と、港沿いにAv.Perimetralを走ってくれました。
はじめてみた二テロイ橋の大きいこと!
Perimetralから見たフラメンゴ公演の美しいこと!
ガナバラ湾の波に輝く朝日、朝日に照らされたIlha Fiscal!
1992年4月11日のその朝の光景は、ずっと忘れることができません。
このときの光景は、私がブラジルで生きることになる原点です。

夫は1972年、ブラジル丸でブラジルに来ました。
リオデジャネイロに入港したのは9月7日。
独立記念日のその日です。
街中に花火が鳴り響いていたとか。
マウア港に入るときに、空中に浮かんでいるような道路を見て、いたく感動したそうです。

フラメンゴ海岸沿いに住んでいた私達は、旅行に行き、国際空港について家へ戻るときにも、通るのはいつもこのPerimetral。
サントスドゥモン空港の少し手前から高架を降りる、その下り坂からみたフラメンゴの海岸線がとても好きでした。
7月ぐらいになると、フラメンゴ公園に植えてあるアメンドエイラの葉が一斉に色づき、真っ赤なじゅうたんを敷いたように見えたものでした。

11月ぐらいになると、クルーズの船がマウア港に入港するようになります。
Perimetralを走っていると、ちょうど船のキャビンの高さぐらいのところになります。
「あの船がいいな」「今度はこの船で旅行をしよう!」と家族で夢を膨らませていました。
実際にクルーズ船で旅行したときには、普段Perimetral側から見ている港の風景と、海側から見る陸側の風景画まったく違うことにびっくり!
海側から見るPerimetralは本当にきれいだった。

ブラジルで免許を手にして、初めて自分の車で運転の練習をしたのもこのPerimetralでした。
空港方面に行くはずだったのに、曲がり角を間違えて二テロイ橋のほうに入ってしまい、泣く泣く片道15kmを往復して帰ってきたこともありました。

空港方面からフラメンゴ海岸方面に向かうと、セントロ付近で右手に見えるのは、ガスタンク、カンデラリア教会、国立歴史博物館、ブラジル銀行博物館、遠くに浮かぶキリスト像。
左手に続く倉庫群、大きなクレーン、海面に建物が浮かんでいるようなFiscal島、時期により豪華なクルーズ船、ニテロイ市へのフェリーが出るPraça15、そしてその広場の一角に立つレストラン アルバマール。



ここを過ぎると時期に空軍の博物館が現れ、左手にサントスドゥモン空港が現れます。

この道路を思い浮かべるだけで、リオでの10年間の生活が次から次へとよみがえってきます。

よく人は「石造りの町並みは何百年も同じだ」なんて言いますが、現在ではその言い回しは必ずしも的確ではないかもしれません。
少なくても、リオはワールドカップ、オリンピックと大きなイベントを控え、その姿をどんどん変えていっています。
それは一方では仕方の無いことであり、整備のためには当然必要なことであり...
ただ、一方では、人の想い(センチメント)とまったく無関係に、無理やり変化させられているようでもあり...

そんなことを考えていたら、無性にリオに帰りたくなりました。
私がリオを離れるとき、日本語の教え子たちがみんなで贈ってくれた「日常生活を切り取ったリオの風景」という写真集を見ては、懐かしさに涙を流しています。

決して今リオに帰ったところで、あの頃のリオに帰れ得うわけではないのにね。
きっと、今帰っても、私はもう、お客様でしょうね...


コメント (6)
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