橋本屋吉次郎電子日誌

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知多四国八十八箇所 その16

2012-12-19 | 知多四国八十八箇所巡礼

愛知県には3つの有人島があります。

篠島・日間賀島そして佐久島です。
このうち、篠島と日間賀島には知多四国の霊場が置かれています。

知多半島先端にある師崎港観光センター、ここから船が出ています。

フェリーもありますが、クルマやバイクは置いて高速船で行くのが賢明でしょう。
その理由は島へ渡るとわかります。

自動車は有料駐車へ(1時間100円)、バイクは岸壁の縁に並べて置いておくのがここの習わしです。


高速船の時刻表です。
弘法参拝というのは知多四国巡礼用の周遊券で、師崎→篠島→日間賀島→師崎(逆コースも可)とまわって、通常の料金よりも420円オトクになっております。

おお!カッコいい!

高速船と名乗るだけあって速い速い!
波しぶきを上げながらぐいぐい進みます。

ものの10分ほどで、篠島到着です。

島内に鉄道はもちろんバスも運行されていません。
代わりに乗合タクシーというワゴン車があります。
これは島内どこでも片道300円で行ってもらえるというものです。

しかし、島内には


このような狭い道や


坂道が多く、自動車では入り込めないところがたくさんあります。


一周6kmで、1時間ほどでひとまわりできるので、徒歩で移動することにしました。
全日の雨もすっかり上がり、冷え込みもない穏やか日でしたが、いかんせん風が強いです。
伊勢湾岸道も知多半島道路も横風を受け、注意しながら運転してきましたが、ここはその比ではありません。
徒歩でも注意が必要なぐらい風が強かったです。
島民の話では、この日は特に強かったようです。

篠島では、独自に八十八か所+番外の弘法像が祀られており、島弘法とよばれています。


番外霊場【寂静山 西方寺】知多郡南知多町篠島
38番霊場の正法禅寺を目的地としてスマホのナビを頼りに坂を登ると、なぜか番外霊場の西方寺に来てしまいました。


本堂
1516(永正13)年、伊勢の火災を受け、皇太神宮(伊勢神宮内宮)の鬼門の方向に当たる篠島に阿弥陀如来を安置すれば以後難を逃れることができると伊勢神宮の古材を使ってこの寺を建立させたといわれています。
その阿弥陀如来像は金色にまばゆく輝いていました。
また、西方寺は、土佐国幡多郡月難村の「元月山大勢至菩薩」と、伊予国南和郡一本松字正木の「元篠山大権現十一面観世音菩薩」の二体の菩薩を奉安していることから「月山・篠山霊場」ともよばれています。


弘法堂

朱印をいただく際、間違えて西方寺へ先に来てしまったことを伝えると「39番 医徳院へ先に行くと良い、お寺の裏から見える卍の書いてある白い建物」
と、田中真紀子似のご内儀が教えてくださいました。

医徳院へ行く途中見かけた「帝井」(みかどい)

なんでも南北朝時代の1338(延元3)年、後醍醐天皇の皇子、義良親王が遠征の途中、暴風雨に遭い篠島に漂着したそうです。
当時、島には幾つかの井戸はありましたが、水量が少なく塩分の多い井戸水ばかりで、飲料水には不向きでした。
そこで、島民が手分けして探したところ、医徳院の近くの茂みの奥深い中に、こんこんと湧く清水を発見し、これが帝井のはじまりだそうです。
汲んだ水は、義良親王の滞在する城山の王宮まで運んで、飲料水として使用しました。
篠島に約半年間滞在された後、吉野に帰った義良親王は即位し、後村上天皇となります。
それ以来この井戸を尊称して,帝井と呼んでいるそうです。

いまでも、常に一定の水量を蓄えているそうで、錦鯉が飼われていました。


39番【金剛山 医徳院】知多郡南知多町篠島

西方寺のご内儀の話によれば、
「坂道と呼ぶほどでもない坂があるので、それを登ると医徳院」
だそうだ。
坂の多い篠島ではこの程度は坂道とは呼ばないらしい。

そう言えば、この島では移動手段として原付が多く使われています。
坂が多く、道も狭いから理にかなっているのですが、ただ皆、ノーヘルです。
特区でしょうか、スピードも出せないので特に問題ないということでしょうか。


山門


本堂
海中から引上げられたというご本尊の薬師如来は別名「八十八長寿薬師」とよばれ、祈願すれば、米寿まで長生きするそうです。


弘法堂


金毘羅堂

丘の上という立地条件のせいか、石仏の穏和な表情のせいか

明るい感じのするお寺でした。

(篠島編、まだ続きます。)

コメント (10)
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