橋本屋吉次郎電子日誌

YAMAHA SR400・マツダ デミオ・ツーリング・城廻りについて・その他

掛川城

2010-06-29 | お城巡り(日本100名城)

掛川城は文明年間(1469~86)、今川義忠が遠江支配の拠点として、朝比奈泰煕に築かせたといわれています。
今川氏の滅亡後は、徳川家康の重臣石川家成が入城し、武田氏侵攻防御の拠点としていました。
1590(天正18年)豊臣秀吉は、家康を関東へ移すと、山内一豊を入れました。
一豊は城の改築や城下の整備を行い、ほぼ完成に至りました。

縄張りの全体像は城内にある模型で確認することができます。


大手門です。かなり立派な門ですね。
1995年(平成7年)に天守閣に続いて復元されました。


大手門番所です。
警備の役人の詰め所だったのですが番所の建物が現存しているのはきわめて珍しく今まで紹介してきた中でも二条城のみです。


四足門。本丸に通じる重要な門です。
調査では、門の跡は見つかってませんが、絵図を元に復元されました。

本丸から天守閣へは幾度も曲げられた階段路が続きます。

玉石垣と側溝は発掘調査を元に作られています。


1994年(平成6年)木造で再建された天守閣です。
後に高知に転封になった一豊はこの天守閣と同じものを高知城に作らせましたので、大変よく似ています。
天守閣内の階段の勾配もきついです。



天守から望む掛川の街です。いまや新幹線の駅もある街となりました。


時刻を知らせる太鼓を置いていた太鼓櫓です。
何回かの移転されていますが、現存の建築物です。

霧吹き井戸

丸亀城に次いで日本で二番目に深い(45m)井戸だそうです。
かつて、攻められたとき井戸から立ち込めた霧が城をつつみ守ったという伝説があります。
同様の伝説は福井の丸岡城にもありました。

掛川城の最大の見所は二の丸御殿です。

現存する御殿は大変貴重で、他では二条城、高知城、川越城でしか見られません。
内部を見学することもできます。日本百名城はこの受付で押すことができます。

御殿は、儀式・公式対面などの藩の公的式典の場、藩主の公邸、藩内の政務をつかさどる役所という3つの機能を合わせもった施設です。

書院造と呼ばれる建築様式で、畳を敷きつめた多くの室しつが連なり、各室は襖ふすまによって仕切られています。

御書院上の間です。ここでお殿様と対面をしました。
当初は、本丸にも御殿がつくられましたが老朽化したり災害にあって、二の丸に移ったそうです。


                   掛川城  天守閣・御殿
               静岡県掛川市掛川1138-24
             入館料 大人300円(小中生150円)
     2月1日~10月31日まで 9時~17時 (入館は16時30分まで)
     11月1日~1月31日まで 9時~16時30分 (入館は16時まで)
        休館日 年末年始(12月30日から翌年1月1日まで)

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

うなぎデート

2010-06-26 | 家族

常日頃、あちらこちらツーリング出かけておりますが、これは下見なのです。
すばらしいところがあれば、いつかまた家族を連れて行く、その日のための調査なのであります。
すべては奥方・母上そして子どもたちのためなのでございます。

というわけで、3月みなさんと下見をした浜名湖そして鰻重を食べにヨメさんと行ってきました。

9時に自宅を出発。伊勢湾岸道・東名と乗り継ぎ、あえて音羽・蒲郡ICで降り、国道1号線で豊橋市内を抜けます。
潮見バイパスにはいりすぐにある道の駅「潮見」で休憩しました。



晴れているならば眼前に遠州灘が広がるところでしたが、曇天のため雲と海との境目がはっきりわかりません。
潮見バイパスを豊橋側から走るとまずトンネルがあります。
底を抜けると突然目の前に青い海が飛び込んできます。
おもわず、声を出してしまうようなその光景が大好きなのですが、この日はそんな感動は味わえませんでした。まあ、この季節、雨が降ってなかっただけでもよしとしますか。
JR舞阪駅前の山本亭です。
3月は養殖うなぎしかありませんでしたが、もちろんこの日は天然うなぎ定食を注文!
だって、300円しか違わないのです。


これが天然うなぎ定食です。
正直言って3月に食べたものとの違いはよくわかりませんでした。まあ、どちらもふっくら柔らかくておいしかったです。
脂がのる季節になるとさらにおいしいかも知れませんね。

帰り道、新居の関所へ寄りました。


主要街道の関所では、現存する唯一の建物だそうです。


中に入って見学をすることもできます。


ここ浜名湖の太平洋側の切れの地点であり、かつては対岸の舞阪宿に向けての船着き場がありました(もちろん現在では橋がかかっています)。


資料館です。

歩いて数分のところにある、旅籠紀伊国屋を見学しました。

紀州徳川家の御用宿だったためこの名が付いています。
正確に言うと火事で燃えたため、明治の初めに再建されたそうですが、ほぼ江戸時代の旅籠の様子を残しているそうです。


裏庭に水琴窟がありました。このように長い竹筒で聞くといろいろな振動をひろってかえって趣があり面白いです。

うなぎパイとわさびおかきを買って、帰路に着きました。

コメント (28)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

駿府城

2010-06-25 | お城巡り(日本100名城)

駿府城の築城は今川氏の館にはじまります。
しかしこれは、武田信玄の駿河侵攻と、その後の徳川家康の侵攻により灰燼と帰したそうです。 
武田氏が滅び駿河国を手に入れた家康は、浜松城からここへ居城を移しました。
いったんは関東移封となった家康ですが、将軍職を秀忠に譲ると自らは大御所となり、隠居城として駿府城の大修築を行い、天下普請によって完成しました。

建築物は1989年(平成元年)に復元された巽櫓と、

1996年(平成8年)に復元された二ノ丸東御門のみです。


この2つの建物の内部は資料館となっていて、見学することができます。

なお、入場券販売所で日本百名城のスタンプを押すことができます。
内部は当時の工法を用いてなるべく忠実に再現されていました。

しかし、この水平部分の木材の立派なこと、こんなのよく探してきたなぁと思います。




天守閣跡です。五層七階の天守閣は焼失してしまい、石垣も明治時代に静岡連帯を誘致する際に解体・埋め立てられ現在は何も残っていません。


本丸の跡には家康の像がありました。

その傍らには、彼のお手植えのミカンの木がありました。

本丸と二ノ丸の間の内堀はほとんど埋められて、駿府公園として広く市民に開放されています。

ごく一部池のように残っている内堀です。
中堀は駿府公園を囲んできれいに残されています。




中堀と外堀の間には官公庁、学校、病院といった公的施設に利用されています。

外堀も3/4ほど残されていました。


大手門のあとです。今では県庁の入り口になっています。


【おまけ】
二ノ丸跡には紅葉山庭園が設けられていました。

これは2001年(平成13年)に作られた回遊庭園で歴史的意味合いは全くありませんがすばらしい庭でしたので紹介したいと思います。

この庭園は静岡が持つ四つの風景を再現しています。
まず「里」の庭です。落ち着いた感じがします。


次に「海」の庭です。白い砂利は砂浜をイメージしています。


右に見える小高い山は富士山をイメージしておりその麓あたりが「山里」の庭です。

近代的なビルとの対比が妙です。


奥に進むと木々が生い茂る「山」の庭となります。


茶室です。希望者はここでお茶をいただくことができます。



この庭の解説はイヤホンガイドで聞くことができます(なんと無料)。庭には詳しくないので大変参考になりました。


                          駿府公園   

           東御門・巽櫓 9:00~16:30 月曜休(祝・休日は開館) 
                     大人200円/小人50円

           紅葉山庭園  9:00~16:30 月曜休(祝・休日は開館)
                     大人150円/小人50円

コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三嶋大社

2010-06-21 | 一の宮巡り
伊豆の国の一の宮は三嶋大社です。


ここの門前町として発展したのが三島市です(三島には東海道の宿場町としての側面もあります)。
創建に関してはかなり古いようでよくわかっていませんが、源頼朝が再起を祈ったことや三島暦を発行していたことが有名です。

神社横には有料駐車場(乗用車・・・200円/時間)がありますが、「歩道の(神社側の)色が変わっているところは、神社の敷地だから日陰にでも停めといてください。」とのありがたい言葉をいただきました。



参道を入ると両側に大きな池があります。


よくみると、鯉がいっぱい、

亀もいっぱいでした。



総門です。この男女はどうしてもこのブログに掲載されたいようでちっともどいてくれませんでしたので、願い通りにしておきます。


矢田部盛治の像、安政の大地震で倒壊した社殿の造営などに力を尽くし、戊辰戦争では箱根路の案内など新政府軍の東進に協力、明治になってからは私費を投じて灌漑用水のトンネルを堀り新田開発をした立派な方だそうです。


神門をくぐると、

舞殿があり、その奥に

本殿があります。
大山祇神・事代主神の二神を主祭神とし、「三嶋大明神」と総称しています。

舞殿脇には、日本一のキンモクセイがありました。花の時期にはかなり広範囲に香りを届けるそうです。


神馬は作り物でしたが、

奥にはたくさんの鹿が飼育されていました。


宝物殿です。

1階は無料なのですが、神社の紹介ビデオの他は売店があるだけでした。2階には宝物が展示されていましたが国宝級のお宝は複製品を展示してあったりしてこれだけはがっかりでした。
コメント (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山中城

2010-06-19 | お城巡り(日本100名城)

山中城は北条氏が造った山城です。
箱根峠に近い静岡県三島市山中に作られていました。
近くには旧道があります。

現在の山中城は中世の山城、とりわけ石垣ではなく堀と土塁を発達させた関東の造成法をみることができる貴重な史跡です。

変化に富んだ山の中に、地形を活かした広大な縄張りがあります。
パンフレットに記された見学コースに従えば、短いコースでも1時間、長いコースだと2時間かかります(ちなみに私はすべて見学しましたが、きっちり2時間かかりました)。

本丸です。いくつかの曲輪が設けられその周囲はこのような土塁が築かれています。

天守櫓の跡です。



兵糧庫を復元したものです。中は休憩室となっていました。
この日は幼稚園児達が見に来ていて、ここでは「ありじごく」の説明を聞いていました。


二ノ丸です。

櫓台です。


西ノ丸です。
ここにも櫓がありました。



北ノ丸です。

秀吉の小田原攻めに備えて急遽出丸が作られました。

御馬場曲輪跡

すり鉢曲輪跡。出丸の完成前に秀吉軍を迎えることとなったそうです。

曲輪の間は堀が巡らされていますが

この堀に山中城最大の特徴があります。


堀内での敵の動きを制限するために障子の桟のような仕切りを設けた障子堀という北条氏独特の構造です。

堀には橋がかかっていますが敵に攻められたときは、わざと破壊して落とすために木で作られていました。



この橋は半分は土橋ですが、半分は木橋となっています。

山城で心配となるのは飲み水です。
そこで、城内に何カ所も池が作られていました。

三ノ丸は、現在宗閑寺の境内となっていますが、そこにはこの城で戦死した武将の墓があります。

北条方と豊臣方が並んで葬られているのが印象的です。

史実によると、四万の豊臣軍に対して山中城の北条軍は四千であり、圧倒的な戦力の差のため半日で落城したとあります。
史跡を見てどうもこの事実に合点がいきません。
武装した豊臣軍は箱根を登るだけでも疲れているはずです。
原野と異なり、狭い谷に押しこめば大軍であればあるほど混乱するはずです。
地の利を利用してゲリラ戦に持ち込めば、勝つことはできなくともしばらくの間足止めすることは必ずできるはずです。この城はそれだけの防御力を持っているはずです。
おそらく、秀吉得意の凋落とか内通する者とかがいたのじゃないでしょうか。

山中城バス停前に売店があります。

ここは案内所も兼ねており、パンフレット・地図も置いてありますので見学する前に必ず寄りましょう。日本百名城のスタンプも設置されています。
ここでもらった地図は大変役に立ちました(それでも迷いましたが・・・)。

この売店の名物の寒ざらし団子です。
上新粉を冬の寒気にさらして作った団子で、抹茶塩と味噌が付けてあります。これでなんと300円、注文してから焼くので熱々です。
けっこう歩き回るのでこれはお勧めです。


                       山中城史跡案内所・売店
                        三島市山中新田410
             10:00~16:00 月曜休み(祭日は営業で翌日休み)

コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

石垣山城

2010-06-15 | お城巡り(続日本100名城)

石垣山城は、豊臣秀吉が1590年(天正18年)の小田原征伐の際に小田原城の西にある笠懸山につくった城です。
小田原城から見えないように林の陰で築き、完成後に木を伐採し、一夜にして築城されたかのように見せて驚かせといわれ、石垣山一夜城または太閤一夜城とも呼ばれています。

現在は石垣山一夜城歴史公園として整備されていますが、アクセス路がわかりにくいです。
下記サイトからパンフレットをダウンロード(PDFファイル)できますから、これを参考にするとよろしいかと思います。
http://www.city.odawara.kanagawa.jp/__filemst__/6805/ichiyajo-pamph-090605.doc.pdf

石垣山農道とよばれる道の脇にありますが、

ミカン畑の間の坂道であり、心配になってくるかも知れませんが、

ところどころ、道沿いにこのような表示がみられれば正解です。

意外と道幅があり、駐車場も広いので四輪でも安心していくことができます。

全容はこんな感じです。

駐車場横の南曲輪です。この石垣を見ただけで期待が持てます。



石垣山城は関東で最初に造られた総石垣の城だそうです。

二の丸跡です。

一段高くなったところが、

本丸の跡です。


ここからは小田原が一望できます。北条攻めには格好の場所であったことがわかります。

小田原城もこの通りよく見えます。


本丸の隅には天守台もあり、櫓や天守閣を備えた近世城郭であったことが、推測できます。


二の丸の北東を25mほど石段を下っていきます。

そこは、井戸曲輪とよばれていた場所です。もともとあった沢を利用して水くみ場となっていました。


秀吉はここの水を汲んで茶会を催したのでしょうね。

小田原攻めは秀吉の勝利で終わり、この際に伊達政宗も傘下に入ったのでここで天下統一が成し遂げられた記念すべき場所と言えます。
歴史的にもかなり意義のある城だと思われるのに、この城の存在は知られていません。
私は遺構がほとんど残されていないと思っていたのですが、かなり良好な形で石垣が残っていて意外でした。

小田原城を訪れてこの地の人々の北条氏に対する思い入れの深さがわかりました。それに対し侵略者である秀吉の城は認めたくはなかったのかも知れません。
しかしながら歴史的にも遺構的にもかなり見応えのある城跡でした。

                   石垣山一夜城歴史公園
          神奈川県小田原市早川字梅ケ窪1383番の11番

コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小田原城

2010-06-13 | お城巡り(日本100名城)

小田原は、言わずと知れた城下町でもあり宿場町でもあります。
そもそもは北条氏(後北条氏)の城であり、往事は町全体を土塁と空堀で取り囲んだ構造になっていたといわれています。
現在のような石垣作りの城は1632年大久保忠隣による大改修以降ことです。
残念ながら、小田原城には現存の建築物はほとんどありませんが、少しずつ復元されて整備が進められています。

東側が正面入り口になっています。

馬出門です。平成21年に復元されました。
ここをくぐると馬屋曲輪です。


南東角には櫓の跡がありました。


ここから住吉橋を渡ると二の丸です。


平成9年復元の銅門(あかがねもん)です。銅板の装飾が名の由来です。


堀と二の丸の間には学橋(まなびばし)という赤い橋もかかっていますが、これは後の世につくられたものでしょう。あまりに簡単にアクセスでき、無防備すぎます。
以前は城内に学校があり、通学用につくられたのでこの名が付いたのだと思います。


二の丸は広場となっており、イベントの準備をしていました。


二の丸南東にある平櫓です。
平屋の櫓はめずらしいです。小田原城で唯一現存していた建築物でしたが、残念ながら関東大震災で倒壊してしまいました。現在のものは昭和9年に復元されたものです。


二の丸にある小田原城歴史見聞館です。模型や映像を見て予習をしておくとより楽しめると思います。


小田原市天然記念物にも指定されているイヌマキです。小田原城の建築物は再建されたものばかりですが、歴史を見守ってきただろう巨木がたくさん残っているのが印象的でした。

江戸時代には本丸を囲むように内堀がありましたが、現在は東側の部分が菖蒲畑となっているだけです。



本丸の正門に当たる常盤木門です。昭和46年の復興されました。


本丸御殿の跡は広場となっています。


現在の天守閣は、昭和35年(1960)に、市制20周年の記念事業として復興したものです。
江戸時代の設計図や模型を参考に、鉄筋コンクリートで外観復元したものですが、小田原市の要望により天守最上階に高欄が取り付けられ、本来の姿を忠実に再現するものではありません。


最上階から眺めた小田原市街です太平洋と山に挟まれた要塞都市として適した地形であったことがよくわかります。


手前の山が笠懸山です。ここに秀吉はひそかに石垣山城を設立し、ある日、林を伐採し突然姿を現したそうですが、こんなに近くですからさぞかし驚いたことでしょう。


本来大手門の近くにあった鐘楼が、裁判所横に移設されています。


小田原城の北側(旭丘高校となり)には城内臨時駐車場があります。
御用米曲輪の跡地であり、いずれは整備する計画があるので「臨時」なのでしょうか。
ここに自転車・バイクを駐輪できます。
入口のみ四輪と区別されており、なんと料金所を通らずにとめられます。


つまり、無料なのです。偉いぞ!小田原市!


                    小田原城天守閣・見聞館
                 9:00~17:00(入館は16:30まで) 
           休館日:12月第2水曜日、年末年始(12/31~1/1)
           天守閣・見聞館共通料金:大人600円(小中生200円)
           下記サイトに割引券があります。
     http://www.city.odawara.kanagawa.jp/kanko/Service/waribiki.html

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長浜城(近江国)

2010-06-09 | お城巡り(その他)

今回は、仕事で滋賀県の長浜へ行ってきました。
もちろん、このチャンスを生かして長浜城見学です。


長浜城は羽柴秀吉が初めて授かった城として有名ですが、現在の天守は1983年に模擬復元された鉄筋コンクリート製で市立長浜城歴史博物館として運営されています。
歴史的価値はありませんし、デザインもあくまで想像の域を超えてません。

歴史博物館の後方には井戸の跡があり「太閤の井戸」と名付けられていますが、

水没しています。
ちなみに、琵琶湖ですので潮の干満はありません。

長浜八幡宮の御旅所近くに大手門がありました。

現在は石碑があるだけです。

長浜市内には大通寺という真宗大谷派の立派な寺院があります。


山門もこの通り立派なのですが、離れたところにある地味目な台所門、これこそが長浜城の大手門を移したものと伝えられています。


この近くには知善院という小さなお寺がありますが、その表門も長浜城の搦手門を移したものだそうです。



ちなみに彦根城の天秤櫓も、長浜城から移したものと伝えられています。

【おまけ】
長浜の名物の鯖そうめんを楽しみにしていましたが、あいにく大通寺前の店はお休みでした。
そこで、茂美志゛やで「のっぺいうどん」をいただきました。

新潟ののっぺい汁とは関係ないみたいで、五目うどんにあんがたっぷり載せてあります。
ちなみに京都では「のっぺうどん」とよばれています。
寒い時期の方がおいしくいただけそうなうどんでした。

               長浜城歴史博物館
            滋賀県長浜市公園町10-10
       09:00~17:00 大人400円(小中生200円)

                  茂美志゛や
              長浜市元浜町7-15
             TEL.0749-62-0232
           11:00~PM 8:00(火曜定休)
       http://www.momiji-ya.jp/udon/index.html

コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水口城(みなくちじょう)

2010-06-07 | お城巡り(その他)

水口(みなくち)は東海道五十三次の50番目の宿場です。
交通の要所であるこの地にはかつて水口岡山城という山城が築かれていました。

やがて、江戸時代になり太平の世となると山城は必要なくなり、代わって将軍上洛の際の宿泊地が必要となりました。
そこで岡山城を廃し、あらたに平城を築いたのが水口城です。


将軍家の旅館ゆえ本丸御殿は二条城を模した豪華な造りだったそうです。
もっとも、将軍の宿舎として使われたのは、1回限りでした。

1682年(天和2年)に水口藩が成立し、加藤明友が入りましたが本丸御殿は使用しなかったそうです。

水口城は本丸と管理施設である二の丸がありましたが、二の丸の跡は確認することができませんでした。
本丸は凸型をして、その飛び出た部分(出丸)が「水口城資料館」となっています。

本来、本丸の四隅にあった矢倉の一つをここに復元しています。


竹下政権のふるさと創生事業+αで建てられたそうですが、なるべく当時の木材を使用することに心がけられたそうです。


御殿があった部分は県立水口高校のグランドとなっていました。


しかしながら周囲の堀は残っています。





さらに乾矢倉の石垣は綺麗に残っています。

                       水口城資料館
               滋賀県甲賀市水口町本丸水口城内
                           10:00~17:00(木金・年末年始休)
                           入館料 大人100円(小中生50円)

近くに駐車場(無料)も用意されています。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二条城

2010-06-06 | お城巡り(日本100名城)

二条城は、1603年徳川家康が江戸幕府開府とともに京都の守護と将軍上洛の際の宿泊所として造営されました。
その後、三代将軍の家光が、伏見城の遺構を移すなどして完成しました。
その成り立ちから行って、砦的な要素は全くなく、戦略的拠点よりも権威の象徴といった意味合いが高く、絵画や彫刻など文化的価値も極めて高いいろいろな意味でも特殊な城です。


周囲を巡らす外堀は綺麗に保存されています。

東南隅櫓です。


大手門から入城します。

警備係が詰める番所です。

番所の建物が現存しているのは大変珍しいことです。

二の丸御殿とはこのような壁によって仕切られています。いかにも京都らしいですね。



唐門です。きらびやかなこの門をくぐると、

二の丸御殿です。

現存する御殿も大変貴重で、掛川城、高知城、川越城とここの4城でしか見られません。
その中でも二条城の二の丸御殿は別格で部屋数は33もあります(大政奉還された間もあります)が、残念ながら内部は撮影禁止でした。

小堀遠州の作と言われている二の丸庭園です。



内堀を越え、


本丸櫓門をくぐると本丸です。


本丸御殿は明治時代に旧桂宮邸から移築したものです。



本丸庭園にも見事な木々がたくさんみられました。


本丸隅には天守台があります。



五層の天守閣がそびえていましたが、1750年落雷のため焼失してしまいました。
天守台から内堀を眺めてみました。新緑が鮮やかですね。



本丸と二の丸の境界には中仕切門が南北にあります。写真は北中仕切門です、


ここをくぐると、清流園とよばれる昭和40年に完成された回遊式の庭園が広がっています。



展示・収蔵館です。

二の丸御殿の障壁画は桃山文化を代表する見事なものですが、いかんせん古いので色彩もくすみ痛みも目立ちます。
そこで、少しずつはずして模写し、原画とはめ換えています。
ここでは、原画を見ることができます。


休憩所です。ここで、百名城スタンプを押すことができます。

                               二条城
               京都府京都市中央区二条通堀川西入二条城町541

追手門前には駐車場・駐輪場がありますが、観光客のタクシーでけっこう混んでいました。休日ははたしてどうなのかわかりません。
2時間まで600円(オートバイは300円)

コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする