掛川城は文明年間(1469~86)、今川義忠が遠江支配の拠点として、朝比奈泰煕に築かせたといわれています。
今川氏の滅亡後は、徳川家康の重臣石川家成が入城し、武田氏侵攻防御の拠点としていました。
1590(天正18年)豊臣秀吉は、家康を関東へ移すと、山内一豊を入れました。
一豊は城の改築や城下の整備を行い、ほぼ完成に至りました。
縄張りの全体像は城内にある模型で確認することができます。
大手門です。かなり立派な門ですね。
1995年(平成7年)に天守閣に続いて復元されました。
大手門番所です。
警備の役人の詰め所だったのですが番所の建物が現存しているのはきわめて珍しく今まで紹介してきた中でも二条城のみです。
四足門。本丸に通じる重要な門です。
調査では、門の跡は見つかってませんが、絵図を元に復元されました。
本丸から天守閣へは幾度も曲げられた階段路が続きます。
玉石垣と側溝は発掘調査を元に作られています。
1994年(平成6年)木造で再建された天守閣です。
後に高知に転封になった一豊はこの天守閣と同じものを高知城に作らせましたので、大変よく似ています。
天守閣内の階段の勾配もきついです。
天守から望む掛川の街です。いまや新幹線の駅もある街となりました。
時刻を知らせる太鼓を置いていた太鼓櫓です。
何回かの移転されていますが、現存の建築物です。
霧吹き井戸
丸亀城に次いで日本で二番目に深い(45m)井戸だそうです。
かつて、攻められたとき井戸から立ち込めた霧が城をつつみ守ったという伝説があります。
同様の伝説は福井の丸岡城にもありました。
掛川城の最大の見所は二の丸御殿です。
現存する御殿は大変貴重で、他では二条城、高知城、川越城でしか見られません。
内部を見学することもできます。日本百名城はこの受付で押すことができます。
御殿は、儀式・公式対面などの藩の公的式典の場、藩主の公邸、藩内の政務をつかさどる役所という3つの機能を合わせもった施設です。
書院造と呼ばれる建築様式で、畳を敷きつめた多くの室しつが連なり、各室は襖ふすまによって仕切られています。
御書院上の間です。ここでお殿様と対面をしました。
当初は、本丸にも御殿がつくられましたが老朽化したり災害にあって、二の丸に移ったそうです。
掛川城 天守閣・御殿
静岡県掛川市掛川1138-24
入館料 大人300円(小中生150円)
2月1日~10月31日まで 9時~17時 (入館は16時30分まで)
11月1日~1月31日まで 9時~16時30分 (入館は16時まで)
休館日 年末年始(12月30日から翌年1月1日まで)