島原半島を南下して、島原の乱の舞台となった原城へ向かいました。
まずは、こちらで予習します。
有馬キリシタン遺産記念館
所在地: 長崎県南島原市南有馬町乙1395番地
開館時間: 9:00~18:00
休館日: 木曜日,12/29~1/3
料金: 無料
島原半島には、早くから、キリスト教信者がたくさんいました。
やがて、江戸時代になりキリスト教が禁じられると、島原の領主でありキリシタン大名であった有馬直純は改宗し、領内のキリシタンを迫害することを余儀なくされます。
しかし、良心の呵責に耐えかね、幕府に転封を願い出て、日向延岡転封されることとなります。
後任の桝倉重政はやり手だったようで、江戸城改築の公儀普請役を受けたり、独自にルソン島遠征を計画し先遣隊を派遣したり、島原城を新築したりしました。
しかし、そのたびに領民から年貢を過重に取り立てます。
もともと、島原は海が迫り山が多くて耕作地が多い上、火山灰が滞積したやせた土地でした。
さらに、天候の加減で不作が続いていたのですが、新領主は、年貢をまけてくれません。
しかし、前任者の轍を踏まないと思ったのか、重政は、キリスト教徒の弾圧に一層力を入れます。
これ見よがしに、残虐な仕打ちをし、農民たちから深い恨みをかうことになりました。
隣の天草も同じ状況でした。
ついに1637(寛永14)年、積もり積もった重いが爆発し、島原・天草の農民たちが立ち上がったわけです。
原城跡は、有馬キリシタン遺産記念館から車で5分ほどです。
三の丸跡
二の丸跡
空堀
女性・子供など非戦闘員はここにかくまったそうです。
ホネカミ地蔵
1766(明和3)年、敵味方の区別なく遺骨を埋葬し供養しました。
本丸北側石垣
本丸跡
島原の乱当時、すでに原城は廃城になっていましたが、そこに3万7千人が籠城しました。
対する幕府軍は12万5千人でした。
天草四郎の墓碑
本丸内で斬首され、長崎で晒されました。
本丸から見た二の丸
本丸以外は田畑になっていて、発掘も進んでいないそうです。
佐分利九之丞の墓碑
島原の乱で奮戦し、戦死した鳥取藩士です。
敵味方関係なく墓碑が置かれています。
本丸の裏門である池尻口門跡
南は海に面しています
なんと、長崎奉行はオランダ船にたのんで籠城軍に向けて艦砲射撃までしました。
本丸南面の石垣
櫓台跡
現在、14の資産が「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」としてユネスコの国際遺産の承認を目指しています。
原城も構成資産ひとつです。
小学生の社会見学に出会いました。
ガイドさん曰く「皆さんは良いときに来ました。世界遺産に登録されるとじっくりみられなくなります。」
世界遺産登録されるとどう変わるのでしょうか。
ところで、
島原から原城に向かう途中、道の駅「みずなし本陣ふかえ」に立ち寄りました。
隣接する土石流被災家屋保存公園
平成4年、雲仙普賢岳噴火の土石流により被災した家屋を保存展示してあります。
うち、数軒は大型テント内に保存されています。
土石流のすさまじさと火山砂防・治山事業など防災事業の重要性を知ることができます。
土石流被災家屋保存公園
所在地: 長崎県南島原市深江町丁6077番地(道の駅みずなし本陣ふかえ横)
料金: 無料
営業時間: 9:00~17:00
休日: 年中無休