月山富田城(がっさんとだじょう)は歴代の出雲国守護職の居城で、戦国時代には山陰全域に勢力を拡大した尼子氏の本拠地でした。
しかし最終的に尼子氏は毛利氏によって滅ぼされ、城も毛利領となります。
関ヶ原の合戦以降は堀尾氏が城主となるが、1611(慶長16)年、松江城に移り廃城となりました。
まずは全貌を見るために飯梨川をはさんで、城の対岸にある三日月公園にいってみました。
尼子経久像
一度は浪人になりながらも毛利氏・大内氏と肩を並べる大大名になった名将です。
正面に見える山が城跡です。
歴史民族資料館(ホントは歴史資料館)裏から登り始め、太鼓壇を通って月山と書いてあるところまで行きます。
この日の松江の最高気温は34℃、しかし私の足は昨日の散策で少し疲れています。はたして、大丈夫でしょうか不安です。
まず、道の駅「広瀬・富田城」に移動し、歴史資料館を見学しました。
日本百名城のスタンプはここの受付で押すことができます。
安来市立歴史資料館
住所;島根県安来市広瀬町町帳752
電話番号;0854-32-2767
入館料;200円(大学・高校生100円,中学・小学生30円)
開館時間;9:30~17:00
休館日:水曜日,12月29日~1月3日
現地案内図
特に後半が厳しそうです。
ここから先は本格的な登山です。
トレッキングシューズまたは底の厚いスニーカーを履くべきです。
長袖・長ズボンを着用して、なるべく肌の露出は避けましょう。
杖も必需品です。もっていない人は資料館に置いてあるので借りましょう。
資料館裏から登城です。
千畳平
一つ上の郭の太鼓壇に立つ山中鹿助の像
尼子家の忠臣で月山富田城落城後も御家再興のために何度も尽力をつくしましたが、思いはかないませんでした。
像は三日月に向かって「願わくは、我に七難八苦を与えたまえ」祈っている場面です。
さらに登ったところにある奥書院の跡
現在は戦没者の慰霊碑が建てられています。
ようやく花ノ壇に到着です。
ここは山中御殿に隣接する郭で有力武将の住まいだったと推定されています。
当時、花がたくさん植えられていたことから花ノ壇と名付けられたそうです。
施設としては城は中央に位置していますが、めざす本丸は奥の山の頂上です。
現地張り紙
念のため杖で足下をつつきながら歩きました。
ハチには出会いませんでしたが、蚊・アブ・小バエが寄ってきてうっとうしいです。
また至る所に蜘蛛の巣トラップが仕掛けてあります。
まあ、夏場の山城はどこでも同じですが、これらをふり払うため杖は必需品なのです。
うおお~美しい石垣群だ!
疲れも吹っ飛びます。
山中御殿
城主の御殿が設けられており、城の中の軍事・政治的拠点です。
多聞櫓跡
多聞=多門とは長屋状の建物のこと、すなわち横に長い櫓です。
井戸
櫓跡
七曲り
山中御殿から三の丸へは急峻な上り坂を登っていく必要があります。
足下の石畳が濡れているところが多くさらに苔や枯葉もあり、たいへん滑りやすいです。
この日も前日も好天でしたが、幾度か滑りました。
何度も言いますが、杖は必須です。
一歩一歩気をつけて登ったのですが、13分で到着しちゃいました(もっとも感覚的には30分以上かかったような気分です)。
三の丸
三の丸の奥に二の丸があります。
いったん石垣を降りて奥に進むと本丸です。
ついに本丸に着きました。
これだけの山城ですから毛利軍も簡単に攻めることができず、兵糧攻めで落としたのでした。
広瀬町を見下ろしてほっと一息。
山中幸盛(鹿助)塔
全部まわって2時間かかりました。
熱中症予防にこまめに水分をとったこともあり、もう汗でぐっしょり、長袖代わりに着用していたアームカバーをさえ、絞るとぼたぼたと汗がしたたる始末でした。
夏場の山城訪問には着替えは必須です(春秋でも?)。
さて、安来市といえば、安来節すなわちどじょうすくいです。
どじょう亭で昼食をとりました。
激しい運動をして、大汗かいて、ビールを飲みたいところですが・・・これから500km弱運転しなければいけないし・・・・
と、思っていたら、いいものがありました。
齢五十にして初めてのどじょうです。
そういった人のための「ちょこっと体験どじょう定食」1,000円
中央がどじょうの唐揚げ、その左の玉子とじにもどじょうが入っています。
どじょうはワカサギに似た感じであっさりして、ほんの少し苦みがありますが、とても食べやすかったです。
隣には安来節演芸館がありましたが、そうゆっくりもしてられないので今回はパスしました。
ところが、帰路、神戸の手前あたりでものすごい雷雨で1時間ほど足止めされてしまいました。
それがわっかてりゃ見物していたものの残念。