滝山城見学を終えた後、道の駅「八王子」に寄り、帰路につきました。
帰省ラッシュの渋滞が心配されましたが、中央自動車道は相模湖を過ぎたあたりから流れが良くなり、時間的余裕もできてきました。
そこで、韮山ICで高速を降り、新府城に寄ることにしました。
韮崎市民俗資料館
所在地: 山梨県韮崎市水神一丁目3番1号
開館時間: 9:00~16:30
休館日: 月曜日,木曜日の午前中(※祝日の場合はその翌日),12/29~1/3
入館料: 無料
すみません。写真を撮るのを忘れてしまいました。
なお、受付で続日本100名城のスタンプを押すことができます。
新府城は、1581(天正9)年に武田勝頼によって築城されました。
城は未完成でしたが、12月24日に躑躅ケ崎館からの移転が行われました。
この68日後の天正10年3月3日、勝頼は織田軍侵攻を目前にして自ら城に火を放ち退去し、3月11日に田野(山梨県甲州市大和町)において、夫人と息子信勝ともに自害し、武田氏は滅亡してしまいました。
城跡北西に駐車場があります。
新府城北側には出構(でがまえ)とよばれる独特の構造があります。
湿地帯に飛び出た長方形の土盛り構造ですが、その機能はよくわかっていません。
東出構
西出構
本丸に続く石段
これを登れば県道17号線(七里岩ライン)から一気に本丸に向かうことができます。
しかし、急な石段が250段ほどあります。
ご安心あれ、少し県道を南下すると緩やかな坂が見えます。
そもそも、こちらが本来の大手道なのです。
このような緩やかな坂(これでも汗かきますけど)がカーブしながら本丸まで続いています。
大手門跡
帯曲輪
東三之丸跡
草が生い茂っていて何もわかりません。
丸馬出の跡だと思います。
西三之丸跡
ここも草だらけ
馬出跡
二之丸跡
本丸に到着しました。
藤武神社
築城の節、鎮守として祀れたのがはじまり、
藤井庄と武田庄とを前後に見下す所に在るのでこの名をつけたそうです。
県道からの石段を登ると
拝殿に着きます。
なんと能舞台があります。
武田勝頼公霊社
小さな石祠が祀られています。
甲斐国主武田氏四百年追悼碑
長篠没陣之将士の塚
帰りは石段を降りました。
中腹にある腰曲輪
県道の東は堀だったようです。
堰のようなものがあります。
水の流れを調節するためでしょか、障子堀のように堀中での移動を制限するための構造なのでしょうか。
このあと須玉ICより中央高速に乗って帰路につきました。