橋本屋吉次郎電子日誌

YAMAHA SR400・マツダ デミオ・ツーリング・城廻りについて・その他

新府城

2018-08-30 | お城巡り(続日本100名城)

滝山城見学を終えた後、道の駅「八王子」に寄り、帰路につきました。
帰省ラッシュの渋滞が心配されましたが、中央自動車道は相模湖を過ぎたあたりから流れが良くなり、時間的余裕もできてきました。

そこで、韮山ICで高速を降り、新府城に寄ることにしました。

韮崎市民俗資料館
所在地: 山梨県韮崎市水神一丁目3番1号
開館時間: 9:00~16:30
休館日: 月曜日,木曜日の午前中(※祝日の場合はその翌日),12/29~1/3
入館料: 無料

すみません。写真を撮るのを忘れてしまいました。
なお、受付で続日本100名城のスタンプを押すことができます。


新府城は、1581(天正9)年に武田勝頼によって築城されました。
城は未完成でしたが、12月24日に躑躅ケ崎館からの移転が行われました。
この68日後の天正10年3月3日、勝頼は織田軍侵攻を目前にして自ら城に火を放ち退去し、3月11日に田野(山梨県甲州市大和町)において、夫人と息子信勝ともに自害し、武田氏は滅亡してしまいました。

城跡北西に駐車場があります。


新府城北側には出構(でがまえ)とよばれる独特の構造があります。
湿地帯に飛び出た長方形の土盛り構造ですが、その機能はよくわかっていません。


東出構


西出構


本丸に続く石段
これを登れば県道17号線(七里岩ライン)から一気に本丸に向かうことができます。
しかし、急な石段が250段ほどあります。

ご安心あれ、少し県道を南下すると緩やかな坂が見えます。
そもそも、こちらが本来の大手道なのです。


このような緩やかな坂(これでも汗かきますけど)がカーブしながら本丸まで続いています。


大手門跡


帯曲輪


東三之丸跡
草が生い茂っていて何もわかりません。


丸馬出の跡だと思います。


西三之丸跡
ここも草だらけ


馬出跡


二之丸跡

本丸に到着しました。



藤武神社
築城の節、鎮守として祀れたのがはじまり、
藤井庄と武田庄とを前後に見下す所に在るのでこの名をつけたそうです。

県道からの石段を登ると

拝殿に着きます。

なんと能舞台があります。


武田勝頼公霊社
小さな石祠が祀られています。


甲斐国主武田氏四百年追悼碑


長篠没陣之将士の塚

帰りは石段を降りました。


中腹にある腰曲輪

県道の東は堀だったようです。
堰のようなものがあります。


水の流れを調節するためでしょか、障子堀のように堀中での移動を制限するための構造なのでしょうか。


このあと須玉ICより中央高速に乗って帰路につきました。

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滝山城

2018-08-28 | お城巡り(続日本100名城)

関東遠征2日目
ホテルで朝食を済ませ、八王子にある滝山城に向かいました。

6年前、八王子城に訪れた際、滝山城も登城しようと周到に調査・準備しておりました。
しかし、この時はかなり強い雨が降っており、八王子城だけ見学をして帰りました。
このたび滝山城が続日本100名城に登録されたこともあり、ようやくリベンジの機会を得ました。


八王子市加住市民センター
所在地: 東京都八王子市加住町1丁目338
利用時間: 9:00~21:30

ここで続日本100名城スタンプを押して、パンフレットをいただきました。
加住市民センターから南に200m行くと立派な駐車場ができていました。


滝山観光駐車場
所在地: 東京都八王子市丹木町3丁目81番地1外
利用時間: 8:00~18:00(3/1~10/31),8:00~16:00(11/1~2/末日)
駐車料金: 無料


駐車場にあった案内板
あれ!何か張ってあるぞ?


スズメバチ発生って?
夏の山城では、昆虫はつきものです。
ヤブ蚊、アブ,クモ・・・けっこううっとうしい存在ですが、スズメバチは特別です。
生命に関わります。
しかも、マムシと異なり、こちらから手を出さなくても襲ってきます。
それも集団でなおかつ、空中戦で来るので、近づかないのが一番です。

住宅地の裏山の入り口って感じの大手口

青いコーンが置いてありますね。


件のスズメバチは退治されたようで、通行止めは解除されていました。


竹林の中を進みます。
ここかなり急勾配です。
整備用の車両が入れるようにコンクリート敷きになっていますが、路面が濡れているときには注意しなければ行けません。

堀切が見えてきました。



三の丸


コノ字形土橋
わざとカーブさせておりいろいろな角度から侵入者を射ることができます。


千畳敷

隣接した角馬出

二の丸下にある馬出



行き止まりの曲輪
「行き止まりの曲輪」とは「ふくろのねずみ」という意味で、両端が狭い土橋になっていて行き止まりのような形になります。
寄せ手側には行き止まりのからくりだが、城兵からすると格好な馬出(出撃用)となり、実に巧妙な防御が施されています。


信濃屋敷
家臣の居住地です。


刑部屋敷
ここも、家臣の居住地跡です。


中の丸に向かいました。


中の丸


この建物は以前ここにあった国民宿舎滝山荘の一部です。

続日本100名城スタンプはここにも設置されています。

滝山城の背後には多摩川が流れ、その流れによって削られた急峻な崖となっています。
つまり、河岸段丘上に築かれているわけです。


木橋
本丸(左)と中の丸(右)を結んでいます。


本丸入り口
滝山城は山城であるため急坂が多いのは当然ですが、さらに土が剥き出しになっている部分がけっこうあり、滑りやすいです。
訪問する際には、杖を持参することをお薦めします。

本丸


滝山城は、武蔵国守護代山内上杉氏の重臣、大石定重が、1521(大永元)年に築城したといわれています。(その子定久の築城とする説もあります。)
やがて、北条に降って傘下となると定久は北条氏康の三男、氏照を養子に迎えて隠居.。
滝山城は氏照に任せられます。
1568(永禄11)年には、武田信玄が侵攻してきましたが、何とか絶えることができ、滝山城をあきらめ、小田原城へと向かったそうです。
ただ、この後、城主氏照はより堅固な要塞を求めて八王子城築城を決意、1584(天正12)年ごろ、八王子に城を移して滝山城は廃城となりました。

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品川台場

2018-08-25 | お城巡り(続日本100名城)

猛暑の中、石垣山城、寒川神社、鶴岡八幡宮、三笠公園、古机城と見て廻ってきました。

見学地を欲張りすぎたと思っていましたが、ここまでは予定どおりに進めることができました。
しかし、次の目的地である品川台場に向かうために首都高速を走っているとしっかり渋滞にはまってしまいました。
この日は8月10日ですから、帰省ラッシュではなく日常的な渋滞なようです。
首都高を使ったことはありますが、バイクで東京を通過する程度であり、今回のようにクルマで都心を走るのは、思えば初めての経験です。
さらに臨海副都心出口がよくわからずに行き過ぎてしまい、回り道をする羽目となってしまいました。

そんなこんなで、16時40分頃ようやく潮風公園第一駐車場に到着できました。


潮風公園第一駐車場管理棟
所在地: 東京都品川区東八潮1
利用時間: 9:00~16:00

ここの1階受付前で続日本100名城のスタンプを押すことができます。
実は私、大きな勘違いをしていました。
17:00に間に合うように焦ってきたのですが、受付時間は16:00まででこのときすでに時間を過ぎていました。
そうとは知らず、お邪魔してスタンプを押してきてしまいました。
まさに、知らぬが仏でした。

1853(嘉永6)年、ペリー艦隊が来航して幕府に開国を迫りました。
これに脅威を感じた幕府は、江戸の直接防衛のために海防の建議書を提出した伊豆韮山代官の江川英龍に命じて、洋式の海上砲台を建設させました。
品川沖に11基ないし12基の台場を一定の間隔で築造する計画だったそうです。
工事は急ピッチで進められ、およそ8か月の工期で1854年にペリーが2度目の来航をするまでに砲台の一部は完成し、品川台場(品海砲台)と呼ばれるようになりました。

現在、お台場といえば東京港埋立第13号地全体を指し、さらには同埋立第10号地をも加えて東京臨海副都心地区を指します。

海岸沿いは、お台場海浜公園として整備されておりここから台場を臨むことができます。

後ろに見えるレインボーブリッジには、歩道も設けられており、そこから台場を見下ろすことができるそうなので、ここをめざして歩きました。

しかし、まだ数kmあること、さすがに疲れてへとへとになってきたこと、日が暮れてきたこと、予約したホテルは荻窪にありそこまでの道の渋滞が心配だったことなどから、写真だけ撮って近づくことをあきらめちゃいました。




疲れたので、駐車場へは「ゆりかもめ」で帰りました。


何気なく車窓を見ていると赤い自転車がたくさんとめてあるのに気づきました。
後から調べてみると、「江東区コミュニティサイクル」だったようで、これを利用すればレインボーブリッジまで行くことができたかなぁと反省しています。

予想どおりホテルまでの道は渋滞していましたが、無事に到着することができました。

夕飯は、スタミナ丼をいただきました。


これ愛知県にないのです。
出店したら売れると思うは私だけでしょうか?

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小机城

2018-08-23 | お城巡り(続日本100名城)

旅行に出かけた頃、東海地方は災害的猛暑でしたが、

横浜もまた暑かったです。

JR横浜線小机駅南口近くにある横浜市城郷小机地区センター前のコインパーキングに駐車しました。


横浜市城郷小机地区センター
所在地: 神奈川県横浜市港北区小机町2484−4
開館時間: 9:00~21:00(平日・土曜日),9:00~17:00(日曜日・祝日)
休館日: 第4月曜日(祝日の場合は翌日),12/28~1/4
1階で続日本100名城スタンプを押して、パンフレットをもらいました。

小机城へはここから徒歩10分程度です。


民家の向こうの小山の中にあります。

新横浜から1駅しか離れていないのに、田畑が見られます。

住宅地脇に入り口があります。

小机城は15世紀半ば(室町時代)には築城されたと考えられています。
戦国時代には北条氏の軍事拠点になりましたが、徳川家康の関東入りの後に廃城となったようです。
現在は小机城址市民の森として保存されています。


根古谷
平時の城主や家臣の屋敷がありました。
現在はトイレや水場がある広場となっています。

杉林になっている城跡はよくありますが、ここは竹林になっています。


空堀に土橋がかかっています。

本丸と二の丸の2つの曲輪を中心にそのまわりを土塁と

空堀で囲み、

さらに腰曲輪を配置しています。
そのひとつ

櫓台跡

こちらも櫓台跡


井楼(せいろう)跡
どこに井戸があったかはわかりませんでした。


二の丸跡

少し離れたところにある

本丸跡



この門は最近作ったものでしょう。


本丸南にあった腰曲輪?

残念なことに小机城の西部は第三京浜道路によって分断されています。

第三京浜よりも西は富士仙元とよばれています。
櫓跡と思われる土盛りに「富士仙元大菩薩」と彫られた石碑が建っていました。
これは関東でよく見られる富士塚とよばれるもので、江戸時代になってから櫓跡に富士山信仰のための石碑を設置したようです。

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三笠公園

2018-08-21 | ドライブ・旅行

今回の旅の目的は第一に続日本100名城を訪問すること。
一之宮に参拝すること。
さらに、ルート上に道の駅があれば立ち寄ることです。

ただ、これに加えてどうしても行きたかったのが三笠公園です。

小説「坂の上の雲」ファン(というよりも司馬遼太郎ファン)である私にとって、日露戦争当時の連合艦隊の旗艦が保存してあるここを訪れるのは長年の夢でした。


公園入口
この写真を撮っていると、小学生数人が走ってきました。
その先を見ると列ができているではないですか。
「三笠ってすごい人気なんだ。」と驚きました。
が、よく見ると列は猿島へ向かうフェリーに乗り込むためのものでした。


戦艦三笠をバックにした連合艦隊司令長官東郷平八郎像
よく見る写真ですが、 私は現地に行くまで大きな勘違いをしていました。
この東郷元帥側が三笠の船首だとずっと思っていました。
実際は、こちらは船尾であり、

船首は皇居方向を向いています。

三笠について

黄海海戦で破損した主砲の一部


砲弾


無線電信室


煙突


15cm副砲を操法する様子

外から見た副砲

この灯籠は日本海海戦で射貫かれた三笠の鉄板で作られたもので被弾鉄板雪見灯篭と名付けられています。


8cm砲台


大きい方が15cm副砲、小さい方が8cm砲です。


船首甲板
けっこう傷んでいます。


Z旗がなびくマスト
この時代の軍艦は非常に高いマストをもっています。
帆船時代の名残だと思っていましたが、レーダーがなかった時代ですから、策敵のためにも高いマストが必要だったそうです。


艦橋にある海図室


照準機器


艦橋から見た艦首
主砲である30.5cm砲が見えます。


羅針盤


艦橋最上部
日本海海戦の時、東郷元帥はここで指揮をとりました。
危険なので屋内に入るように勧められたのですが、「ここでよい」と頑張っちゃったもんですから、秋山参謀、加藤参謀長、伊地知艦長もいっしょに立たざるを得ませんでした。4人の立っていた位置にプレートがつけられています。





長官浴槽


東郷司令長官が使っていた部屋


この日は金曜日でしたので、昼食はカレーにしました。
かつて海軍では、単調な艦上勤務で曜日感覚をなくなるのを防ぐため、毎週金曜はカレーを出していたそうです。


よこすか海軍カレー
店名:  VEGE CHEF(ベジ シェフ)
所在地: 神奈川県横須賀市新港町6
営業時間: 10:00~19:00
定休日: 毎週火曜日(祝日営業)

ふつうに美味しいカレーでした。
旧海軍でもこんなにスパイシーなカレーが出されていたのでしょうか?

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鶴岡八幡宮

2018-08-19 | 一の宮巡り

相模国一之宮は2箇所あります。
寒川神社と鎌倉にある鶴岡八幡宮です。


八幡宮には駐車場もありますが、1時間あたり600円もするので、
西門近くのタイムズに駐車しちゃいました。
もっとも、こちらも400円かかったので、大して変わりませんでしたが。


段葛
北条政子の安産を祈願してつくられた参道。
周囲より一段高いのでこうよばれています。
鎌倉駅から500mほどまっすぐに続いています。


三の鳥居
鎌倉はクルマで走りにくい。
山と海が迫って、道が限られていること、車幅が狭いこと、、観光客を含め交通量が多いこと、さらに鶴岡八幡宮周辺はこの三の鳥居前の交差点に必ずつながる構造になっていることが原因だと思われます。
すり抜けていくバイクも走りにくそうでしたから、ここは電車で訪れるのが良いかと思います。


新しそうな常夜灯


本宮は少し高いところにあるので境内に入るとすぐに見えてきます。

太鼓橋

左右に大きな池が広がっています。


長くまっすぐな参道


手水舎


舞殿


1219(建保7)年、鎌倉幕府第3代将軍である源実朝は参拝の帰りに、ここで甥の公暁に襲われ落命。
源頼朝の嫡流は途切れてしまいました。


そのときに公暁が身を隠して待ち伏せに使った大銀杏
残念ながら2010(平成22)年、強風によって倒壊してしまいました。

幸いなことに根元から若芽が生えてきたので、これを移植して育てています。


狛犬


本宮

八幡宮の「八」の字が鳩になっているのは有名は話ですね。

境内には人に慣れた多くの鳩がいて、猛暑の中でも自由に振る舞っておりました。


鶴岡八幡宮は、源頼義が前九年の役での戦勝を祈願した京都の石清水八幡宮を鎌倉にとして勧請したのが始まりです。
御祭神は八幡神すなわち、応神天皇,比売神,神功皇后です。


丸山稲荷
鶴岡八幡宮が鎮座される以前からあったといわれている神社で、八幡宮造営の際に現在地へ遷されたといわれています。


鶴岡研修道場
武道錬成、各種研修の場として使われています。


西門


鶴岡八幡宮
所在地:神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-31


このあと横須賀の三笠公園に向かいました。

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寒川神社

2018-08-17 | 一の宮巡り

石垣山城を後にして、相模国一之宮である寒川神社(さむかわじんじゃ)に向かいました。


一の鳥居

ここから、800mほど参道が続いています。


二の鳥居


神池橋と三の鳥居

三の鳥居脇の第一駐車場にとめることができました。


境内を進みます。


末社 宮山神社


昔の一の鳥居
安政の大地震と関東大震災で倒壊したそうです。


手水舎
この神社は建物が新しいことと整備が行き届いており、とてもきれいでした。


客殿
参拝前にこちらで、御朱印をお願いしておきました。


神門



狛犬


御社殿


寒川神社の御祭神は、
寒川比古命 (さむかわひこのみこと)および寒川比女命 (さむかわひめのみこと)
で八方除の神とされています。

こちらで参拝した後、左側に進むと内陣に入ることができ、再び拝礼、さらに建物内を右側に進むうちに見覚えのあるところに着きました。
御朱印をお願いした、客殿の入り口でした。


南門から駐車場にもどりました。


寒川神社
所在地:神奈川県高座郡寒川町宮山3916

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石垣山城

2018-08-15 | お城巡り(続日本100名城)


湾岸弥富ICを朝3時半に出発です。
午前4時よりも前にのって、深夜割引を受けるのは私の常套手段ですが、
休日割引の対象であるこの日はそれが目的ではなく、欲張って多く見学地を設けてしまったためです。

7時過ぎに石垣山一夜城歴史公園に到着しました。

石垣山城は8年前に訪れたことがあります。
その時、「これだけすばらしい城跡がどうして、日本100名城に入ってないのだろう」と思いましたが、やっぱり続日本100名城に認定されましたね。


砂利敷きだった駐車場はアスファルトで整備されました。


なんと、駐車場脇に鎧塚ファームができていました。

綺麗なトイレは地元の方が掃除されていました。

このトイレ前に続日本100名城のスタンプが置いてあります。


利用時間前でしたが、押すことができました。

駐車場から道路を隔てて城跡の入り口があります。
杖が用意してありました。

標高差はさほどありませんが、足元が荒れているところがあるので使った方がよいでしょう。



さっそく石垣が見えてきました。

この建物は以前なかったような?



なるほど、周囲に対し違和感のないデザインにしたのはさすがです。


二の丸櫓台跡

二の丸から25mほど降りると、



井戸曲輪跡

もともと沢のようになっていた地形を利用し、北と東側を石垣の壁で囲むようにして造られている場所です。


二の丸から見た本丸石垣
石垣山城は豊臣秀吉が1590(天正18)年、小田原征伐の際、構築しました。
小田原城から見えないように築き、完成後に周囲の木を伐採したため、北条氏側に一夜にして築城されたかのように見せて驚かせ、戦闘意欲を失わせる効果を果たした、といわれ、一夜城ともよばれています。
ただ、私が疑問に思うのは、なぜこれほどまで立派な石垣が必要だったかということです。
この城は小田原征伐の際の一時的な砦です。
北条氏滅亡後も江戸時代を通じて使われた小田原城に対して、石垣山城は放置されます。
そんな城にここまで立派な石垣を組む必要があったのでしょうか。
思うに、籠城した小田原勢に対し、これ見よがし築城したのではないかと・・・
つまり、秘密裏に立てたのではなく、石垣を組むところから、その大がかりでかつスピードの速い工事を北条に見せつけたのではないかと考えました。
籠城している者からすれば日に日に大きくなる巨大な要塞を見れば士気も落ちると思うのです。


本丸跡


小田原を臨みます。
↓が小田原城です。


天守台跡


西曲輪跡


南曲輪跡


本丸・二の丸下の腰曲輪


石垣山城は関東で初めて本格的な石垣を組んだ城です。
一部は関東大震災で崩れてしまいました。

続日本100名城に指定された石垣山城ですが、崩れた状態のまま、しっかり保存されており、これはこれで趣が感じられます。


石垣山一夜城
所在地:神奈川県小田原市早川1383-12



このあとは寒川神社に向かいました。

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出足をくじかれる

2018-08-14 | ドライブ・旅行

お盆の時期は、まとめた休みが取りやすいのですが、どうしても高速道路が混んでしまいます。

ただ、今回の東京遠征は混雑の向きとは逆方向なので、あえて8月11日(土祝)・12日(日)の一泊二日を選びました。

しかし、

「え~、休日割引適応されないのぉ?」
お盆期間の交通量分散化を図るために11日(土祝)・12日(日)のETC休日割引を注視するそうです。

ただ、よく見ると8月9日(木)・10日(金)に適応されるみたいです。
そうならば、計画を早めるだけなこと、
幸いにも9日(木)・10日(金)は休みが取れそうです。

ところが、ここに来て、もうひとつの問題が浮上・・・いや、近づいてきました。



日本のはるか南東海上で発生した台風13号が関東に近づいてきました。
どうやら、9日(木)に関東に最接近するようです。

11日は山の日であり土曜日で休みなので、1日ズラして8月10日(金)・11日(土祝)の日程にするだけの話なのですが、
となると、前述のように11日の休日割引は効きませんし、帰路、帰省ラッシュの影響を受けそうです。

とはいえ、台風には勝てるわけがないので、1日遅らせて出かけることにしました。

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なんだか後ろめたい気持ち

2018-08-13 | ドライブ・旅行

私は日本百名城の他、全国の一之宮や道の駅にも廻っています。
よって、ツーリング計画を立てるときには、まず行きたい城をピックアップしてルートを決め、これに近い一之宮を追加します。
さらに、道沿いにある道の駅を追加します。

今度の東京遠征では、往路で石垣山城,小机城,品川台場を訪れ、ビジネスホテルに一泊した後、滝山城、さらに時間があれば新府城に行くことにしました。

これに、相模国一之宮である鶴岡八幡宮を加えます。
道の駅に関しては、「箱根峠」は行ったことあるのでパスすることし、「八王子」は帰路に寄ることにします。

あとひとつ、「坂の上の雲」ファンとしては、三笠公園にも是非とも行ってみたいです。

どんどん見学地が増えてきてしまいました。
その上、調べてみると相模国一之宮はもうひとつあり、寒川神社も加えるとずいぶん忙しくなってしまいました。

慌ただしい計画を立てる傾向にあった日本100名城訪問に対し、「続」では余裕を持つように心がけていたのですが、どうも長年染みついた貧乏性はなおりそうもないです。

で、心配なのが体です。
たかだか、東京までですからバイクの方は大丈夫(距離感が麻痺してますね)でしょうが、問題は見学地です。
この暑さの中、熱中症が心配です。
とりわけ城を見て回るとかなり汗をかきますから。

そんなわけで、今回はバイクではなくクルマで出かけることにしました。
クルマならば、移動中にエアコンで涼むことができますし、着替え用の衣類もたくさん詰めます。
高速代や駐車料金が掛かりますし、なんだか堕落して後ろめたい気持ち(誰に対して?)もありますが、年齢を考えてみれば健康の方を優先すべきでしょうね。

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