橋本屋吉次郎電子日誌

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鎌刃城

2019-05-26 | お城巡り(続日本100名城)

鎌刃城は琵琶湖湖北と湖南をつなぐ要衝として、北近江の京極氏・浅井氏と南近江の六角氏がその領有をめぐってたびたび争った城です。
城主の堀氏は浅井長政に臣従しながらも織田信長に内応したことが露見したため、長政に攻められ落城しました。
「姉川の合戦」後には織田家の領地となり、堀氏は城主に返り咲きましたが、すぐに廃城となりました。

まずは、中山道番場宿にある


Cafe&Gallery「源右衛門」
所在地: 米原市番場1844
こちらの店先に続日本100名城のスタンプが置かれています。


100円入れて「鎌刃城トレッキングマップ」をゲット。
注意書きを読みます。


少し離れた駐車場にバイクを止め、登城開始。


名神高速に向かってたんぼ道を進みます。
このあたりで、殿屋敷跡の遺跡が発見されたそうですが、よくわかりません。


名神高速彦根43ガード
獣害対策の柵がしてありますので、通過後は必ず閉めなければ行けません。

熊よけの鈴をつけ、ヤマビル避けに首のまわりにタオルをまき、


いざ、登山開始です。

竹林の中を進みます。


熊捕獲用の罠が仕掛けてあります。

熊よけのベルも用意してあります。


竹林から硬葉樹林へ


坂道を登ったり、


細い道を歩いたりして、


駐車場から約1時間、ようやく到着です。
ところで、案内板には「←北副郭虎口  大堀切→」とありますが、どちらへ進めば良いでしょうか。

答え、どちらも正解です。
大堀切方面に進むと、堀切の底にたどり着きます。


北郭を登ります。

北郭端に設置された大櫓跡

大櫓跡からの眺め

鎌刃城北副郭から上流700mの青龍滝の落ち口に鎌刃城へ水を引いたとされる「水の手」の跡が残っています。幅20㎝深さ10㎝の岩を水路状にくりぬいた取り口の跡です。
今もここからパイプを引き鎌刃城まで水が流れています。

北郭の虎口

こちらにも櫓跡


先ほどの大櫓跡からは北西から北東方向の景色が見えましたが、こちらからは西方向が見えます。
ここに城を築いた理由がよくわかります。

尾根沿いに小さな郭が直線上に並んでいます。

主郭

主郭の虎口


主郭の土塁

よくみると石段が埋もれています。

南郭

南郭からの眺め

南郭端の土塁


この林を進むと西郭があるのですが・・・
とりあえず、ここまでとします。

全体で2時間かかりました。

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田丸城

2019-05-19 | お城巡り(続日本100名城)

赤木城から、バイクで移動すること食事休憩を含めて3時間、田丸城へやってきました。

村山龍平記念館の駐車場にとめました。


村山龍平記念館
所在地: 度会郡玉城町田丸114番地1
開館時間: 9:00~19:00 ,土・日・祝祭日9:00~16:30
休館日: 年末年始
入館料: 無料
村山龍平は玉城町出身で朝日新聞を創設しました。
受付脇に続日本100名城のスタンプがあります。

アンケートに答えたら、ステッカーがもらえました。


田丸城の模型
本丸の左右および手前にT字形に郭が配置されていますね。


天守閣の復元模型

記念館の二階にはパンフレットが置かれていました。

大手門橋から散策開始
まずは堀の様子


大手門跡
右の白い建物は村山龍平記念館


三の丸奥書院
明治維新に廃城になった際、一度は民間に払い下げられ、明和町竹川にある農家が住居として使用していましたが、1991(平成3)年に城址に再移築されました。
一見「ふつうの家じゃん」と思いましたが、ふつうの家だったんですね。


二の門跡


富士見門
田丸城にあった8つの城門のうちのひとつで、三の丸と二の丸をつなぐ場所に設けられていました。

三の丸跡は現在、中学校となっています。

中学の向かいにに5台ほどの駐車スペースがあります。

この駐車スペースから見上げると・・・
「わぁ!カッコいい!」

本丸虎口


本丸にある天守台

天守台からの眺め

田丸城は南北朝時代に北畠親房、顕信によって築かれたといわれています。
戦国時代には織田信長の伊勢侵攻に伴い、織田信雄の居城として、3重3階の天守を備えた近世城郭へ改修されますが、5年後に火災で焼しまいました。
江戸時代には紀州藩の所領として、久野氏が城主を務めました

櫓跡

本丸と北の丸の間の堀切

北の丸へ


現在は、城山稲荷神社が置かれています。

東側端には土塁が築かれていました。

一方、三の丸側にはありませんでした。

本丸と二の丸の間の堀

二の丸

富士見台跡

北側から見た二の丸
崖状になっています。


搦手門跡
発掘の結果、土塁(正面)、側溝(左)を備えた枡形であったことがわかりました。

このあと、三の丸の遺構を見ようと歩いていると、中学校のグランドに入り込んでしまいました。
そこで見つけた。
金明水・銀明水の碑

水源地は見つかりませんでしたが、中学校北には蓮池の跡が見られました。


見学所要時間は、村山龍平記念館とあわせて約1時間でした。

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赤木城

2019-05-12 | お城巡り(続日本100名城)

赤木城は、1589(天正17)年頃、一揆勢力を抑える目的で、藤堂高虎によって紀伊国牟婁郡北山郷(現在の三重県熊野市)に築城されたといわれています。

まずは予習。


紀和鉱山資料館
所在地: 三重県熊野市紀和町板屋110-1
開館時間: 9:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日: 月曜日(月曜日が祝日の場合は開館、翌日休館),12/29~1/3
入館料: 一般 300円,小・中学生 100円

続日本100名城スタンプは、自動ドアを入って右側に置いてありますが、ぜひ入館されることをお薦めします。
赤木城についてのコーナーもありますし、鉱物についての展示もなかなか面白く、300円以上の価値は充分あると思います。

なお、パンフレットは100m離れた道の駅「熊野・板屋九郎兵衛の里」に置いてあります。

道の駅よりバイクで15分、赤木城駐車場に到着。

いざ登城。


登城口横に鍛冶屋敷があったと伝えられています。

大手道

東郭の石垣が見えてきました。


東郭門跡

東郭1


東郭2
東郭が二の丸として使われていたと考えられています。


虎口

主郭門跡




主郭

主郭からの眺め

主郭の石垣
藤堂高虎らしく直線的で力強い感じがします。




北郭

東郭


ここまでの郭はそれぞれつながっていますが、南郭だけは少し離れたところにあります。


南郭へ向かう道。
階段を下っていきます。


さらに下ると、

まわりを森に囲まれた南郭が見えてきました。


南郭は低いところにあり、普段の生活の場であったと考えられています。


真っ青な青空をバックにすると沖縄の城のような明るさを感じます。
伝説によると、この城ができたとき村人に「一同登城して祝うこと。昨年の一揆に参加した者も許すので参加すること。」と達しが出たそうです。
しかし、一揆参加者はその場でとらえられ、みな処刑されたという暗い過去があるそうです。

見学時間は紀和鉱山資料館と合わせて1時間ほどでした。


おまけ


丸山千枚田
4kmほど離れたところにあります。

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多気北畠氏城館(詰城跡+霧山城)

2019-05-08 | お城巡り(続日本100名城)


居館跡を見学した後、詰城と霧山城に向かいました。


北畠神社 神饌田とありますが、


ただの広場にしか見えませんでした。


神饌田の奥に井戸があり、その右奥に、霧山城跡への登城口がありました。


このあと、山道を距離1350m、標高差200m歩きます。


一気に標高差80m程登ったところで、視界がひらけた場所に出ました。
詰城の跡です。


詰城からの眺め


多気北畠氏の遺跡がこのように発見されているそうです。


詰め城からしばらくは緩やかな道にかわります。


谷間が天然の堀切になっており、ここを渡るためなだらかな土橋が造られているようでした。


再び、坂道を登ります。


中間地点到着、「まだ半分なのぉ」と泣きたくなる気分。

登山すること40分、ようやく鐘突堂跡の入口に達しました。


現地案内板
霧山城は本丸跡を挟んで矢倉跡と米倉跡があり、少し離れて鐘突堂跡があります。


鐘突堂跡は小さな丘の上にあります。


鐘突堂跡

鐘突堂跡からの眺め



鐘突堂跡から本丸方面に向かう道
急な下り坂に加えて、砂地であり、踏ん張りのきかなくなった疲れた足では転げ落ちること必至です。

急がば回れ、ここは遠回りをすることにします。



本丸の入口につきました。

本丸



本丸からの眺め


米倉跡


矢倉跡
疲れ切って、指が入っちゃってます。

アラ還の私にとって、山城の連チャンはキツく、足を引きずるようにして降りてきました。

往復3.5km、1時間47分かかりました。

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多気北畠氏城館(居館跡)

2019-05-05 | お城巡り(続日本100名城)

宇陀松山城から、国道369号線を通って多気北畠氏城館に向かいました。
紀伊半島の3桁国道ということで、酷道も覚悟していましたが、あにはからんや、気持ちの良い快走路でした。

途中、道の駅「伊勢本街道 御杖」で昼食。


いただいたのは、卵かけご飯
御杖村は卵かけご飯が有名と聞いたことがあるような気がしたので選びましたが、どうも記憶違いのようでした。
まあ、ふつうにおいしかったですけど。

ほどなく、美杉に到着
まずは予習を兼ねて、美杉ふるさと資料館へ


日曜日なのに駐車場はガラガラです。


美杉ふるさと資料館
所在地: 津市美杉町上多気1010
開館時間: 9:00~17:00(入館は16:00まで)
休館日: 毎週月曜日(ただし、祝・休日の場合は翌日)、12/28~1/4
入館料: 無料

城跡に関する展示物の見学と城跡のパンフをもらいました。


北畠城館の復元模型

なお、隣には映画WOOD JOB!の撮影で使われた小学校が隣に有りました。
WOOD JOB!は地味ながら良い作品でした。

折良く、JAが日曜定休だったので、失礼してとめさせていただきました。

すぐとなりにある北畠神社


現地案内板
初期の山城では、普段の生活は麓にある居館でおこない、いざ有事の際には頂上につくられた詰城に立てこもる構造が多く、ここもそのタイプのようです。
居館の跡は北畠神社となり、詰城のさらに奥にはは霧山城が設けられていました。

橋を渡って境内に入ると、


左右に道が分かれており、左は霧山城登山口、右は北畠神社の参道となっています。

まずは、北畠神社に向かうことにしました。





手水舎


社務所
ここで、続日本100名城のスタンプを押すことができます。


せっかくですから参拝。
主祭神は、初代伊勢国司として南朝奉護に尽くした北畠顕能です。


なにげない中庭に見えますが、


北畠氏居館の入口部分であり、中世館跡では日本最古の石垣だそうです。

角度を変えてみてみましょう。



北畠顕能がよまれた歌


北畠顕家像
北畠顕家は、建武政権で叛した足利尊氏を、新田義貞や楠木正成らと協力してこれを京で破り、九州に追いやりました。
やがて任地に戻るも、尊氏が再挙して南北朝が分立するに及び、再びこれを討とうとして西上し、鎌倉を陥落させ、上洛しようと進撃しましたが、遂に和泉国堺浦・石津に追い詰められ、奮戦の末に討ち取られて戦死しました。
公家出身で容姿端麗といわれていますが、後世に脚色されている部分も多いとか・・・でも、映画の題材になりそうな


なんと当時の庭園が現存し、日本三大武将庭園のひとつとされているそうです。
さほど庭に興味はありませんが、せっかくですから、社務所に300円払って見学させていただきました。













いかがでしょうか。

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宇陀松山城

2019-05-02 | お城巡り(続日本100名城)

宇陀松山城の築城時期についてはわかっていませんが、南北朝時代には構えられていたと思われています。
豊臣政権下において、改修が行われ近世城郭へと移行し、大和郡山城や高取城とともに大和国支配の要としてに認識されていたことが窺えます。
1615(元和元)年、大坂夏の陣において豊臣方に内通したとして、城主福島高晴は改易され、城も小堀遠州らによって破却され廃城となりました。

道の駅「宇陀路大宇陀」にバイクを駐めました。


似たようなバイクが並びました。

道の駅から少し歩くと古い街並みが残されています。




その一角にある千軒舎に立ち寄りました。


宇陀市松山地区まちづくりセンター「千軒舎」
所在地:奈良県宇陀市大宇陀拾生1846番地
開館時間:9:00~17:00午後5時00分
休館日:12/29~1/3

こちらで、続日本百名城のスタンプを押し、地図をいただきました。


千軒舎の裏手から登城開始。


杖が用意してありますね。


城跡まで600m


城跡まで400m
舗装された緩やかな坂道が続きます。


城跡まで300m


城跡まで200m
左の曲がりくねった路は車道で、歩行者は右側の階段を登ります。


かつての大手門は、現在の春日神社となっています。
残念ながら、そこからの大手道は工事中で通ることはできませんでしたが、ここで合流することとなります。


このあたりは、雨天時ぬかるんで厳しいでしょうね。


堀切が見えてきました。


虎口に到着しました。
千軒舎からここまで15分でした。


石段の一部は土のうで修復されています。


本丸に到着しました。
宇陀松山城は本丸を中心にして、周囲をいくつかの郭でかこんだ縄張りとなっています。

本丸の奥には一段高い天守郭があります。

天守郭からの眺め


枩尾龜斎翁碑
よくわかりません


松◯鶴斎翁碑 ?
そもそも読めません


白髭大明神

本丸を取り囲む郭へは通行止めになっており、行くことができませんでした。


本丸東側の大御殿曲輪


東帯郭


北帯郭

見学時間約1時間でした。

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