岐阜城の歴史は古く、1201年(建仁元年) 二階堂行政が稲葉山の上に砦を築いたのが始まりです。
その後、いったんは廃城になるが15世紀の中頃からは、美濃の守護代が居城としています(当時は稲葉山城とよばれていました)。
その後何度も城主を換えてきましたが、1541年(天文10年)には城主の斎藤利道三が、守護の土岐頼芸を追放し名実ともにこの地を支配します。
しかしながら、息子の斎藤義龍に討ち取られてしまいます。
そして、1567年(永禄10年)に織田信長によって攻め落とされると、この地は岐阜と改名され、この城を本拠地にして天下統一へと乗り出すのでした。
金華山の頂上に立つ岐阜城は市内はもちろん、愛知県からも確認することができ、広範囲から見られる城としてはおそらく日本でも5本の指にはいるのではないでしょうか。
麓にある岐阜公園です。
この三重塔は大正天皇の即位を記念して立てたそうです。
偶然にも、訪れた日は信長公居館跡発掘調査の現地公開日でしたので寄っていきました。
城へのアクセスはロープウェーを使うほかにいくつもの登山道があります。
登りは西から北へと回り込む「瞑想の小径」とよばれる道を選択しました。
所々岩が露出しているのと木の根が這っているので気をつけなければいけませんが勾配は緩やか・・・
とおもいきや、だんだんと道は荒れ坂も急となり・・・
こんなになってしまいました。
それでも、
驚いたことはこのルートで出会った人たちです。
七十過ぎとおぼしきおばあさん、幼稚園児らしき子供を歩かせるお母さん、走ってトレーニングする中学生、果ては乳児を背負って登る女性!さすが高橋尚子さんを産んだ土地です!
汗だくになり、息をあげ1時間、ついに到着しました。
1601年(慶長6年) 徳川家康は岐阜城の廃城を決め、天守、櫓などは加納城に移されたため、現在のものは鉄筋コンクリート建築の復興天守です。
天守から岐阜市街を眺めてみました。
お城時計です。
隅櫓を模した岐阜城資料館です。ここで百名城スタンプを押すことができます。
井戸です。岐阜城のある金華山は巨大な岩の塊(なんと古い時代に南半球で作られたものが
地殻変動で移動したらしい)であるので湧き水はなく、この井戸は大変大切なものであったそうです。
閻魔堂がありました。
土塀も再建されたものです。
「天下第一の門」と名付けられた門です。
ロープウェーの山頂駅
隣にはリス村がありました。
帰りは南斜面を通る「七曲がり登山道」で下りました。
前半の20分ほどはこのような緩やかな階段が続きます。
中間あたりに分岐点がありました。岩戸公園は駐車場が無料なので自動車の方はこちらを利用されるとよいと思います(バイクはどちらも無料)。
後半はこのような道がだらだらと続き、計35分で岐阜公園に到着しました。
「七曲がり登山道」は広く緩やかですが変化なく単調でおもしろみはありませんでした。往路「瞑想の小径」、復路「七曲がり登山道」という今回の選択は正しかったようです。
「七曲がり登山道」を降りた岐阜公園には岐阜市歴史博物館と
子供の頃来たくてしょうがなかった(でも、そんな思いもいつか忘れていた)名和昆虫博物館があり、ゆっくりと見学していきました。
岐阜城
岐阜県岐阜市金華山天守閣18
時間: 3/16~5/11 9:30~17:30
5/12~10/16 8:30~17:30
10/17~ 3/15 9:30~16:30
(元旦のみ 6:30~16:30)
料金: 大人200円、小人100円(天守閣・資料館共通)