大洲から車で1時間ほど、宇和島にやってきました。
宇和島は宇和島城の城下町であり、江戸時代には宇和島藩の藩庁もおかれていました。
市街地に入ると、丘の上の城を簡単に見つけることができます。
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桑折長屋門
開門:6:00~17:00(10月~3月),6:00~18:30(4月~9月)
藩政時代宇和島藩の家老桑折(こうり)氏の長屋門として使用されていたもので、現在は城山の北登山口に移築されています。
桑折長屋門前には市営城山下駐車場があり、そこに駐車しました。
駐車場向いにある、日本料理店。
まずは、ここで昼食をいただきました。
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一心
所在地:愛媛県宇和島市丸之内1-3-2
電話:0895-24-6698
営業時間:11:30~14:00,17:00~22:00
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鯛めし定食
宇和島名物の鯛めしは炊き込みご飯ではありません。
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鯛の刺身を出汁につけ「ヅケ」の状態にしたものに、生玉子をかき混ぜていただくという、超リッチな玉子かけご飯です。
どういう処理がしてあるのかわかりませんが、柔らかく味のしみた鯛は玉子ご飯とよく合います。
なお、市営駐車場1時間分100円のサービス券をいただきました。
さて、桑折長屋門から登城します。
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現地案内板
もっとも、2つとも反対側の登城口に建てられていたものです。
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門脇には杖が用意されています。
利用されると良いでしょう。
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すぐに道は二手に分かれます。
短いが急な坂道と長く緩やかな坂道です。
私は急な坂道を選びました。
緩やかな坂はおそらく工事車両が通行できるように新しく作られたものであり、本来の登城路は急な坂道の方だと思うのです。
急坂と行っても、かつては鎧兜を着用し、刀や槍を持って登城したわけですから、丸腰・軽装のくせに避けてはいけないのです。
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井戸丸跡
大きな井戸が残っていました。
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城山郷土館
所在地:宇和島市丸之内1
開館時間:9:00~16:00
休館日:月曜日
入場料:無料
三の丸に建てられていた山里倉庫(武器庫)を移築したものです。
民俗資料や古写真などを展示している他、宇和島出身の偉人やゆかりの人物にスポットを当て、映像、パネル、関係資料などで紹介しています。
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穂積陳重・八束の生家長屋門
穂積陳重は、明治から大正期の日本の法学者で日本初の法学博士です。
また、弟の八束は憲法学者です。
建物の入り口には「城守屯所」との看板が掲げられており、管理事務所として使われているようでした。
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天守が見えてきました。
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三の門跡
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二の丸に到着しました。
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石段を登って本丸へ
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本丸
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天守
開館時間:9:00~16:00(10月~3月),9:00~17:00(4月~9月)
休館日:無休
入場料:大人200円,小・中学生100円
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三重三階の現存天守です。
日本百名城スタンプは天守1Fのテーブル上にあります。入口から入って右手です。
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宇和島城は、藤堂高虎によって築かれた近世城郭です。
西側半分が海に接し、東側は海水を引き込んだ水堀に囲まれた海城でした。
現在見られる、天守などの建築は藤堂氏の後に入った伊達氏によるものでですが、縄張そのものは藤堂高虎の創建した当時の形が活用されたと見られています。
最大の特徴は、五角形平面の縄張りです。
城を攻める側は当然方形の縄張を予想して攻めてきます。しかし実際は五角形だから、一辺が空角になります。つまり、城を攻める側にとって、完全に死角になってしまい、攻撃は手薄になります。
この一辺の空角は、敵の攻撃を避けられるとともに、敵を攻撃する出撃口ともなり、さらに、物資搬入口、城から落ちのびる場合の抜け道ともなります。
現に幕府の隠密が江戸に送った密書(『讃岐伊予土佐阿波探索書』)には「四方の間、合わせて十四町」と、誤って報告されています。
天守からの眺め
北西方向
宇和島湾が見えます。
北東方向
南東方向
南西方向
埋め立てによって増えた市街地に囲まれており、海城の様相はもはや見られません。
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雷門跡
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帰りは南登山口に向けて降りていきました。
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式部丸跡の石垣
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上り立ち門
現在は、城山南側の登城口として機能していますが、江戸時代の絵図によれば、天守へ登城していく搦手筋に位置していました。
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児島惟謙像
大津事件で司法の独立を守った事で有名な、宇和島出身の司法官です。
この日は、高知市へ移動し、宿泊しました。