橋本屋吉次郎電子日誌

YAMAHA SR400・マツダ デミオ・ツーリング・城廻りについて・その他

非常食

2009-10-30 | 防災

もう3週間も前の話ですが、台風18号が上陸しました。
日本に接近するまでは、伊勢湾台風とほぼ同じコース、
勢力も同様かそれ以上ということで大変な警戒をしました。

この地域は50年前の伊勢湾台風でかなり悲惨な被害を受けました。
新築中の我が家も倒壊してしました。
だから、私は生まれたときから貧乏暮らしです。

幸いにして、今回の台風の被害はほとんどありませんでした(子ども達が休校になって喜んでいましたが)。
最悪の事態を想定して、押し入れの奥から出した救助袋も元に戻します。
その前に中身を点検したところ、非常食の賞味期限が2009年11月になっていましたので、新しいものに取り替えました。

カンパンより、これの方が好きです。

非常食としてでなく、酒のつまみとして食べることができて幸いです。

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清洲城

2009-10-25 | お城巡り(日本100名城)


清洲城は愛知県清須市(町村合併により清洲→清須となる)にあり、織田信長が桶狭間へ出陣した城です。

この城はとても不幸な歴史を背負っています。
第一は「清洲越し」です。
清洲は尾張一の繁栄した都市でしたが、江戸時代初期、徳川家康はこの都市機能のすべてを那古野(名古屋)に移転しました。
清洲越しは、家臣、町人のみならず、神社・仏閣も町のほとんどが移転するとともに、清須城小天守も名古屋城の櫓として移築されたとされています。
このため、城はおろか城下町も田畑になってしまいました。

時は流れて明治時代になりますがここで第二の悲劇に襲われます。
東海道本線の開通により城趾が南北に分断されてしまったのです。
さらに、東海道新幹線も平行して敷設されました。

現在は五条川の東側に天守閣がありますが、本来は西側の清洲公園が城趾だったのです。

当時をしのぶことができるものは、石碑と祠くらいしかありません。

平成元年(1989年)、旧清洲町の町制100周年を記念して再建することとなりましたが、
ここに、第三の悲劇が襲います。
第一・第二の悲劇により、史跡も資料も残っていませんので、安土城などを参考に有識者らでデザインしました。
費用の一部には、竹下内閣のふるさと創生基金も使われました。
ふるさと創生基金は、全国すべての市町村に一律1億円ずつ配られましたが、使用方法に悩んだあげく非常に趣味の悪い使い方をした例も少なくありませんでした。
清洲城も「史実に基づかない」とか「派手すぎて悪趣味」とさんざん非難されました。時はまさにバブルの真っ最中でした。
現在でも、農地が点在するこの地にこんな立派な城があったはずがないと思うのもいたしたかありませんが、かつては日本有数の都市だったはずです。
また、天守閣は安土城以降のものであり、清洲城は砦程度だったという方もみえますが、信長没後も織田信雄(信長の二男)、福島正則、松平忠吉(家康の四男)、徳川義直(家康の九男)と錚々たる面々が城主となっておりますので、充分ド派手な天守閣であった可能性はあるのです。
じじつ、この夏には金箔が残っている瓦が発見されています。

大手門から天守を望みます。

大手門の周りは、信長塀になっています。

ここでオヤっと思った方はかなりのツウです。信長塀とは熱田神宮に現存する土塀で、信長が桶狭間の戦いに勝利した礼に寄贈したと言われています(日本三大塀の一つだとか)。
天守閣の前には、なぜか石庭があります。

石垣は野面積みという原始的ですが強固なものです。

天守閣の中に展示してある甲冑は、よくある話ですが、

手作りとなると珍しいですね。

裏門にあたる、搦手門です。

天守閣横には、本丸御殿を模した芸能文化館があります。

ここは、講演や研修の施設としてつかわれるようです。
また、五条川西には清洲ふるさとのやかたがあり、休憩施設としても利用できます。

2年前まで、清洲城の近くで働いていましたが、その間にも少しずつこの近くは整備されるとともに市民の憩いの場所として利用されている様子がよくわかりました。
天守閣西にある五条川堤防には桜の木が並び、春になるととても美しくなります。

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鯖を買いに小浜へ

2009-10-20 | ツーリング

日曜日、自宅で昼食をとっていてふと思った。
「鯖、食べたい!」
で、「ちょっくら鯖買ってくるわ」といって家を出たのが12:40

前日、仕事をしていると関西名物ゲリラメールがきました。
残念ながら、日曜までに仕事が済みそうもなく断念したのですが、それも午前中に片付き、遠くに行きたい病がうずうずしはじめたのでした。

羽島ICから名神高速に乗り、さらに北陸道へ向かい木之本ICで降りました。
そこからは、一般道です。琵琶湖の北岸をかすめるように進み、国道303号、別名鯖街道で小浜まで行ってきました。

小浜に着いたのが15時少しまわったところです。
ほどなく、駅前商店街に魚屋さんが多そうな一角を見つけました。

半分くらいはもう店を閉めていましたが、
無事、「浜焼き」を発見!

これです!1匹を竹串に刺して豪快に焼いたものに生姜醤油をつけてたべるとおいしいのなんの。一度味わうとやみつきになります。
鯖に塩を振って糠漬けにした「へしこ」ももちろんGET!

次は焼き鯖寿司です。ヨメさんには夕食はご飯炊かなくて良いと言ってあるので是非買って帰らなければいけません。
商店街をバイクでまわりつつ、「焼き鯖寿司」ののぼりが出ている店を探しますが・・・見あたりません。
ようやく見つけても、しまっています。
しかたがないので、製造工場へ行ったところ、

直販店がありました。焼き鯖寿司GET。任務完了です。

往路を逆向きに帰るも、どうしても名神高速では渋滞に引っかかってしまい、家に着いたのは16:30になってしまいました。
往復308kmは半日ではギリギリですね。
この日は、焼き鯖寿司を食べ、浜焼きを皆でつつきました。
翌日は、もう1本の浜焼きをほぐし、酒・みりんを加えて炊き込んで鯖ごはんにしました。意外と生臭くなく家族にも大評判でした。

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30人31脚 東海大会

2009-10-12 | 家族

小学校6年生の長男が、「30人31脚 東海大会」に出場しました。
テレビ朝日系で放映されるこの大会は、小学生がクラス単位(30人以上)でとなりに並んだ人と足を結び、50mを駆け抜けるというものです。

会場には、東海地方では有名なこんな方も見えていました。

事の起こりは昨年の運動会でした。
クラス全員で足を結んで対決する競技がありました。
6年生は、ごく普通におこなわれたのですが、5年生は1組も2組もとても速かったのです。
どこからか、30人31脚に出場しようという声が上がりました。
やがて、6年生となり、参加することが正式に決まりました。と同時に優しかった担任の先生は鬼に替わりました。
夏休みも、ほとんど毎日、出校して練習をしました。
中学のハンドボール部に所属するおねえちゃんよりも、お父さんが顧問をする高校のソフトテニス部よりも練習日が多かったほどです。

東海大会は愛知・三重・岐阜3県から17校が出場し、小牧パークアリーナで開催されました。

まずは、予選です。これで6位の以内のタイムを記録すれば決勝進出です。
親としては、途中でこけずに無事、走り抜けることだけを祈っていました。
なにしろ、1回だけの勝負です。
1校ずつ出場します。午後になり、いよいよ息子の学校の番です。

気合いを入れます。


さらに円陣を組んで、


疾走!

記録は、な、なんと8秒88!東海記録です!ちなみにギネス記録は8秒80です。

続く決勝も、他校も好記録を出すなかで、9秒10で優勝することができました。

しかし、この大会が難しいのはこれからです。
予選大会は全国21会場で行われています。
11/8の全国大会に出場できるのは10校のみです。
つまり、優勝してもタイムが上位でなければ全国大会に進出できないのです。

公式陸上記録員2名による、タイムトライアルが表彰式の後に行われました。
1時間のうちに、3回計測し、もっとも良い記録が残ります。
この日までの全国10位の記録が9秒83でこれ以下では、横浜アリーナへは行けません。逆に暫定5位が9秒64なので、これを上まわれば翌日行われる五つの他地区の結果を待たずして出場が決まります。

予選タイムから見れば簡単に思われますが、二回の全力疾走に加えて、朝早くから緊張しっぱなしです。身も心も疲れています。
さらに、優勝したことから気持ちもゆるんでしまい、あまり記録が伸びないという他地区からの情報です。

17時15分から、タイムトライアルが開始される予定でしたが、10分たっても20分たっても子どもたちは現れません。
担任の先生がとった作戦は、30分間かけて、休息をとり、モチベーションを上げ、一回の計測にかける、というものでした。

で、予定通り17時45分、胸を張って入場。みごとに走り抜け、9秒24という暫定日本一の記録を出しました。

本人が希望しないので、息子はいわゆるスポーツ少年団には参加していませんでした。
今まで、スポーツだけでなく勉強とか楽器とか何かに一所懸命努力するというという姿を見たことがありませんでしたが、はじめてこの大会に参加することでできたような気がします。大変感謝しております。

もちろん、担任の先生の尽力は言うに及ばず、学校や父兄の皆様の協力がなければできなかったことです。そんな意味でも親子共々貴重な体験ができたと思っています。

インフルエンザに負けないで、

11/8に横浜アリーナへ行ってきます!

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松本城

2009-10-10 | お城巡り(日本100名城)

松本城は、歴史の表舞台に大きく出たことはありません。
しかし、この城が有名であるのは国宝に指定された天守閣があるからです。
ちなみに、他に国宝に指定されているのは、姫路城・彦根城・犬山城です。

そもそも、現存する天守閣は意外と少なく、12城あるのみです。
弘前城・松本城・丸岡城・犬山城・彦根城・姫路城・備中松山城・松江城・丸亀城・高知城・松山城・宇和島城なので機会があったら訪れるといいと思います。(小天守が残っている熊本城と大洲城をこれに加える研究者もいます)

典型的な平城である松本城の天守閣は、いろいろな角度から見ることができます。
いずれの角度からも、美しい姿を楽しむことができます。




別名、烏城(からすじょう)とよばれていますが説明は要りませんね。
*岡山城は烏城と書いて、うじょうとよばれています。

黒門は松本城の正門にあたります。この下にオリジナルスタンプが置いてありますが、日本百名城スタンプは事務所にありますから間違えないようにしましょう。

天守閣東には二の丸の跡があります。

かつてはこんな御殿があったのです。

平成11年に復元された二の門です。その奥には時をつげる太鼓を備えた太鼓門が続きます。

松本城は、松本市内の中心にあります。

松本はいい町です。レンタサイクルで市内を散策することをお勧めします。
しかし、皆さんよくご存じなようで、お城の内外も大変な人出でした。

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「国道152号線を走ろう」ツーリング

2009-10-05 | ツーリング

ガス山さん主催の国道152線ツーリングにスポット参戦してきました。
土曜日、茅野から南下された面々はしらびそ高原に宿泊し、日曜の9:00に道の駅「遠山郷」で合流することになっています。

地図上では、道の駅「遠山郷」は飯田の少し東ですが、その間には1000m急の山々があり、いずれのコースを選択してもくねくね山道は避けられないようです。

5:00に自宅を出て、程なく中央道でまっちゃんのシルバーウイングを発見、追尾しました。

待ち合わせ場所である恵那峡SAで中綿のインナーを着たします。

飯田ICで降り、国道151線をしばらく走った後、県道251号線へ進みました。
増設したACCソケットの接触が思わしくなく、ナビがついたり消えたりでした(なぜか、午後はばっちり直ってました)が、道路案内の「三遠南信道 矢筈トンネル →」の表示に従い順調に進むことができました。
県道251号線は狭い部分もありましたが、交通量が少なく気分よく走ることができました。

しかし、寒い!まっちゃんはカッパのようなオーバーパンツを、私はカッパのようなカッパを着用しましたが、冷えます。
トイレが近くなりますが、道沿いにトイレがありません。ようやく発見したキャンプ場でトイレを済ますと、

その先に巨大なループが現れました。

将来的には三遠南信道の一部となる矢筈トンネルです。

およそ4kmのこのトンネルを抜けると国道152号線であり、しばらくすすんで道の駅「遠山郷」です。
集合時間の30分以上前ですが、東組の皆さんはすでに到着されておりました。

FSOCのメンバーは集合が早いですね。

ここから先の行程は、ガス山さんまたは石井さんがブログに書かれると思いますので、そちらを読んでください。

ガス山のバイクライフ http://plaza.rakuten.co.jp/gasuyama1483
VIE AVEC SKYWAVE http://53445335.at.webry.info/

佐久間レールパークに寄った後、


道の駅「天竜相津 花桃の里」で昼食をとり解散です。

愛知県民のカモメさんとその友人のTさんと私は、まだ時間があったので浜松航空自衛隊基地内にある広報館の見学をしました。

ここは、航空自衛隊の装備や活動を展示・解説してあるだけでなく、実物の航空機が展示されていました。

この日は好天でしたが、朝の1000m級の冷え込みと打って変わり、昼間は暑かったです。カモメ号の温度計は31℃を指していました。
さらに、なぜか伊勢湾岸道を走行していると風がでてきて、名港トリトンでは吹き流しが真横になる始末。
そこで、大型トラックの後ろにコバンザメのように張り付いて走行しました。おかげで、風と夕日のまぶしさを避けることはできましたが、気がつくと長島ICまで乗り越してしまいました。
そんな、こんなでしたが、楽しい一日を過ごすことができました。皆様に感謝いたします。

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荒砥城

2009-10-03 | お城巡り(その他)


荒砥城(あらとじょう)は、長野県千曲市にあった山城です。
幾たびか合戦の舞台になり城主も交代しています。村上氏→武田氏→上杉氏と盟主も変えてきたようです。
最後の城主である屋代秀正は、上杉の傘下であったにもかかわらず徳川に内通したため、上杉川に攻められ敗走しました。これにより廃城となりました。

千曲市の戸倉上山田温泉街のメインロードを西に進むと登り口に到着します。
けっこうな急坂を登っていきますが、道幅は観光バスも通行できるくらい広いので安心です。
駐車場に設置された案内図です。

案内所まで舗装された山道を登っていきます。

案内所で入場料は支払います。トイレはこれより上にはありませんのでここで済ませていきましょう。
さらにしばらく上り坂を登ります。
途中の路面にはこんなものが埋め込んでありました。

最近は鎧を着た侍達が登城する姿を思い浮かべて登ります。そうすればさほど苦にもなりません。
帰るとき、腰の曲がったおばあちゃんが「止まらない!止まらない!」と叫んで孫娘にしがみついておりました。足腰が弱って踏ん張りがきかなかったみたいです。登りよりも下りに注意が必要かも知れません。

この城は下から「三の郭」「二の郭」「本郭」といった構造になっています。三の郭には復元された建物はありません。
いよいよ、二の郭の門です。

くぐりぬけると、櫓が目につきます。

この上からは上田まで見晴らすことができます。方向を変えると川中島まで見えます。

兵舎です。内部は解説パネルが展示され、VTRを見るスペースにもなっていました。

いよいよ、本郭です。

石垣は平石を積み重ねたものです。

門をくぐって内部に入る(虎口)とまっすぐには進めない構造になっています。


本郭には二つの建物があります。

1つは兵舎です。

もう1つは館です。山城ですから本丸も質素なものです。

城主の席です。

座って、外を眺めてみました。

荒砥城跡は、2007年大河ドラマ『風林火山』において、武田晴信(信玄)の初陣となった海ノ口城攻防戦のロケ地として使われました(このときは海ノ口城と見立てていました)。

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