橋本屋吉次郎電子日誌

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岐阜関ケ原古戦場記念館

2022-05-29 | ツーリング
珍しく、火曜日に休みが取れました。
そこで、岐阜軒不破郡垂井町にある竹中氏陣屋へ訪れることにしました。

出掛ける直前になって、あらためて確認してみると陣屋に隣接した菁莪記念館の休館日でした。
資料館・博物館の類いは月曜休みが多いですが、火曜休みのところもときどきありますね。

さて、こんなこともあり目的地を急遽、関ケ原古戦場記念館に変更しました。
関ケ原古戦場記念館は2020(令和2)年10月に開館しましたが、新型コロナウイルスの感染が拡大していたことと、開館したては混むことが予想されたため、適当に時期を置いて訪れるつもりでした。

この博物館では巨大スクリーンによる映像展示も行っていますが、定員があり、ホームページからの事前予約が必要です。
出発前に確認したところ、午前中の2枠で「満員」となっていました。
おそらく、遠足か校外学習に使われているのでしょう。

当日予約はできませんが、予約者数が定員を下回っている回については、当日の受付にて空き席分の当日札を先着順に受け取ることができるそうです。
この日も午後から空いていそうだったので、空き席を狙って出掛けました。



岐阜関ケ原古戦場記念館
所在地:岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原894-55
電話:0584-47-6070
開館時間:9:30~17:00
休館日:月曜,12/29~1/3
入館料:一般 500円,高校生・大学生 300円,中学生以下 無料

入館しますと制服を着た女性が5名ほどで出迎えです。
うれしいやら、驚くやらしていると、そのうちの1名が「私がご案内いたします」と近付いてきました。
「ここは、ずっとお姉さんがついて回るのだろうか。」とほのかにあり得ない妄想を膨らましているうちに、券売機に案内されて入場料を支払いました。

さらに、体調に関するアンケートを答えた後、受付へ案内され、最初のお姉さんとはお別れです。
次に、受付のお姉さんに「映像展示もご覧になりますか?」と尋ねられ、希望すると答えました。
「次は12:40からで、空きがございます。」とのことで、12:40と書かれたプラスチックの札を手渡されました。

時間になり指示された場所へ行きましたが、私以外の観客は見当たりませんでした。
そこで、係のお姉さんに衝撃の事実を伝えられました。
「この回はお客様のみです。貸し切りでございます。」
なんと!

映像展示は2部編成で、前半は関ヶ原の合戦の概略を映像で学びます。
それをグラウンド・ビジョンとよばれるホールの中央の床面に仕掛けられたスクリーンをまわりから立って見ます。
池のまわりに立って、魚を見ているような感じですね。
視覚的には、鳥かドローンになった気分で、上空から広い範囲を見渡す気分になり、わかりやすかったです。

後半は隣の椅子席のシアターに移動します。
前面には天井まである巨大なスクリーン、さらに画像にあわせシートが振動し、風まで吹く仕様。
ここで、関ヶ原の合戦のCGアニメを見ました。
なかなか迫力があって面白かったです。

約30分の映像展示が終わると係のお姉さんに案内され2階の展示コーナーへ移動しました。
ここには、関ヶ原の合戦に関する説明・展示がされていました。
ただし、展示品の多くは複製品でした。
各武将の甲冑も並んでいましたが、複製品だからこそ色鮮やかでまぁこれもありかと思いました。
展示コーナーにも映像による説明がありました。
1階の映像展示に比べ迫力はありませんが、同じような内容であるので、定員超過により映像展示が見られない場合は、2階の動画を見るとよいかと思います。

2階展示コーナーを見終わると、係のお姉さんにエレベーターで5階の展望室に向かうように案内されました(3階はセミナールームとなっています)。
360度全面ガラス張りの展望室からは、現在の関ケ原を一望できます。


東側
正面の小高い丘には、黒田長政,竹中重門の陣が置かれました。


北側
正面の山の麓に石田三成の陣が置かれました。


南側
工場の向こうに見える小山に小早川秀秋が陣を構えていました。
彼は、西軍でしたが、右側の大谷吉継を攻めたのは有名な話ですね。
私が思うに、この戦いでは、豊臣恩顧でも東軍についた大名は何名もいますので、小早川秀秋を裏切り者というのはかわいそうな気がします。
見方を変えれば、この戦い第一の功労者ですから、戦後堂々と威張っておれば良かったものを・・・、所詮、戦国大名の器ではなかったのでしょうね。

博物館というよりは、博覧会のパビリオンといったイメージです。
展示についてはこれから増えていくのかもしれませんね。
映像展示は面白いので是非とも見ていただきたいです。
映像展示抜きだと、入館料500円が妥当かなという感想です。

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西高木家陣屋

2022-05-22 | お城巡り(その他)
江戸時代の身分制度は複雑であり、なかには例外的なものや特殊なものも存在していました。
殿様の世界も同様で、ピンからキリまで複雑だったようです。

美濃国石津郡・多良郡を治めていた西高木家(2,300石),東高木家(1,000石),北高木家(1,000石)の三家は「美濃衆」とよばれ、旗本でしたが大名的に扱われ、公儀の役務を負い参勤交代も行っていたので、交代寄合と呼ばれていました。
三家とも少禄のため城は持てず、陣屋が置いていました。


このあたりは、鈴鹿山脈と養老山地に挟まれた山間の小さな盆地で、北は関ヶ原に続きます。


【西高木家陣屋】
西高木家陣屋跡には、上石津郷土資料館が置かれています。



大垣市上石津郷土資料館
所在地:岐阜県大垣市上石津町宮237-1
開館時間: 9:30~16:30
休館日:毎週火曜,祝祭日
入館料:一般100円,18歳未満無料

入館料100円の郷土資料館となると、高校の郷土研究部の発表程度の展示に農家の納屋で埃をかぶっていた農機具や調度品が置いてあるぐらいで、あまり期待はできないものですが、ここはよい意味で裏切られました。
郷土の歴史や自然に対しかなり詳しく展示されておりましたし、企画展も興味深いものでした。


関ヶ原の合戦の際に島津隊はこの地を通って退却したそうで、これもウリにしているようでした。


郷土資料館には上屋敷が、向かいの駐車場には下屋敷が置かれていたようです。




長屋門
1852(嘉永5)年、建造の下屋敷御門を移築しています。
この奥には明治年間建造の主屋がありましたが、公開されていませんでした。


郷土資料館の西は一段高くなっていました。


分家である東高木家と北高木家もそれぞれ小さな陣屋を建て、隣接していたようです。


陣屋入口は石垣に囲まれています。


高さはたいしたことないものの、曲線を帯びて積まれています。


埋門跡


この角度で見るとちょっと迫力があります。


【東高木家陣屋】
西高木家陣屋の東に、東高木家の陣屋がありましたが、現在は、土蔵が残されているのみです。






海鼠壁が綺麗です。



西高木家陣屋,北高木家陣屋とは伊勢街道で、隔てられていました。


当時の伊勢街道は蔵の北側に曲がっていました。


現在は行き止まりになっています。


伊勢街道
道の左が東高木家陣屋跡、右が東高木家陣屋跡、石垣は当時からのものかもしれません。



【北高木家陣屋】
写真中央の道は伊勢街道の新道です。
ここは、陣屋跡地の中央にあたります。
よって、遺構は何も見当たりませんでした。



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規制ないとはいえ・・・

2022-05-05 | お城巡り(続日本100名城)
九州遠征では、予定どおり、続日本100名城を9、その他の城跡を2、一之宮を2箇所(日本100名城を1)訪問することができた。

遠征前こうだったのが、


遠征後はこうなった。


ちなみに、赤は日本100名城を制覇したところ、オレンジはさらに続日本100名城も訪問済みであることを表している。

西九州の福江城,原城,唐津城へは行けなかったが、福江城の五島氏庭園が冬期休園で見られなかったので、後回しにしたまでのこと。
五島や雲仙は、細君も行きたがっておるので、後日あらためて訪れたいと考えている。

さて、今回の遠征は、新型コロナの第6波が収まりかかるのを見計らって、実施した。

ただ、旅行中も新規感染者は徐々に下がっていくと踏んだのだが、実際はいまいち下げ止まっており、地域によっては増えたりしていた。
状況を読み間違えた黒田孝高の心境である。


続日本100名城も残すところ22城だから、一気にたたみ込もうと思ったのだが・・・
コロナの状況を見ながらの漸減戦を続けることになりそうである。

世間では、3年ぶりの何の規制もないゴールデンウィークなんて言っているが、まだまだ全国で1万人以上の新規感染者
重症化しないとはいえ、感染して仕事を一週間も休むことはできぬから、行動には気をつけなければいけない。

もうちょっと落ち着いてくれないかなぁ。

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熊本城の今

2022-05-03 | お城巡り(日本100名城)
九州遠征で計画していた続日本100名城・一之宮の訪問をすべて済ませました。
しかし、もう一か所どうしても見ておきたい場所があります。
熊本城です。
ご存じのとおり、2016(平成28)年に発生した熊本地震により天守閣をはじめ、多くの建物・石垣に多大なる被害が発生しました。
2021(令和3)年3月、天守閣の復旧工事が完了し、今後は櫓群の解体復旧•修復工事が始まると報道されましたが、現在の様子ははたしてどうなんでしょか。


三の丸第二駐車場
桜の馬場駐車場に停めたかったのですが、ナビの指示を聞き間違えてしまいました。
まぁ、駐車場はいっぱいあるので問題ありませんが・・・。
観光客は多かったですが、駐車場はまだまだ余裕がありました。


二の丸御門
コンクリートで固められたり、積んだ石垣を鋼材で囲み込んだり、いかにも応急処置が目立ちます。


二の丸広場


戌亥櫓
地震で石垣が崩落し、一本足状態でかろうじて倒壊を免れた櫓が、戌亥櫓と飯田丸五階櫓です。
このうち、戌亥櫓は修復の様子を見ることができました。
なお、飯田丸は進入禁止でした。


堀に落ちた石垣はそのままです。


宇土櫓
天守閣に比べ、被害は小さかったとは聞いていましたが、痛々しい姿で、立ち入り禁止になっていました。


天守閣に向けて巨大なスロープがつくってありました。
工事用車両が通るためです。


復活した天守閣


黒と白のコントラストが美しいです。


櫓群の復旧は、まだまだこれから


多くの場所が立ち入り禁止になっています。


逆に観光客が通行できる範囲が空中回廊となっています。
こうすれば工事車両との接触も避けられるので、グッドアイデアだと思います。


未申櫓
熊本城に多くの建築物がありましたから、中には被害に合わなかったものもあります。
石垣の扇の勾配も健在でした。

平日でしたが、春休み中だったこともあり、けっこうな人手でした。
土産物屋や飲食店の並ぶ桜の馬場城彩苑は、地震前に訪れた時と変わらず賑やかでした。



茶房 櫻ン坂


阿蘇自然豚 ブレッドサンド

天守閣の修理が終わりました。
次は櫓やそれを支える石垣の修理が行われると思います。




石垣だけの門の跡の修理は、ずいぶん先のことになるでしょう。


除草作業などはできないため、


まだまだ完全復活までは時間がかかりそうです。

このあと、阿蘇くまもと空港にレンタカーを返却し、空路帰宅して、九州遠征を終えました。
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田原坂

2022-05-01 | ドライブ・旅行
西南戦争の激戦地である田原坂は、鞠地城よりクルマで30分ほどでした。



駐車場にレンタカーを止めました。

西南戦争(西南戦争)とは、





弾痕の家
土蔵の壁に当時の弾痕の跡が残されています。


熊本市田原坂西南戦争資料館
所在地:熊本県熊本市北区植木町豊岡858-1
開館時間: 9:00~17:00
休館日:12/29~1/3
入館料: 一般(高校生以上) 300円, 小・中学生 100円



当時の貴重な政府軍と薩摩軍の武器、弾薬、備品などの遺品や戦争資料、約600点が展示されています。


良い戦争なんてありませんが、とりわけ内戦は悲惨なものです。
西南戦争を最後に、我が国で内戦が起こってないことはありがたいことです。


コメント (2)
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