橋本屋吉次郎電子日誌

YAMAHA SR400・マツダ デミオ・ツーリング・城廻りについて・その他

リアウインカー交換・移設

2015-04-28 | SR400


SRに取り付けたサイドバッグ
カッパ+αぐらいしか収納できませんが、それだけのスペースでも大変便利がよく、ほど付けっぱなしとなっています。

ただし、本格的なツーリングとなるとこれでは容量不足となります。
大きなのバッグに付け替えればよいことなんですが、問題があります。
現在のものより、横長になるとリアウインカーが隠れてしまう恐れがあるのです。

これを解決するために、リアウインカーをテールランプ横に移設することにしました。

これはよくある手法で、かつてSERROWでもおこなったことがあります。
ただ、そのときはホームセンターで適当なステーを買ってきて取り付けたのですが、アフターパーツが豊富なSRでは専用品が用意されていました。


Sym'z Craft リヤウインカー移設ブラケット
先日、Sym'z Craft社製サイドバッグサポートバーを取り付けましたが、作りがしっかりしている上、質感が高く気に入っています。

ところで、このリヤウインカー移設ブラケットには次のような注意書きがあります。
「ノーマルウインカー対応ですが、ウインカー本体が重いので、リヤフェンダー取り付け部に不具合が生じる可能性がある為、軽い社外品のウインカーご使用をお勧めします。」
SRのウインカーは大きく出っ張っています。
納車以前は、「速攻、社外品に替えてやろう」と思っていたのですが。
いざ乗り出してみると、「これはこれでいいんじゃない」と感じていたので若干複雑な重いです。
ただ、振動の影響を受けやすいリアフェンダー上に移設するわけですから、メーカーのいうように小型軽量のものに替えた方が無難なんでしょうね。

数あるウインカーの中で選んだのが、


ワイズギア スモールウィンカーセット SR
メーカー純正なので振動対策もばっちりかと思ってこれにしました。
ドラッグスター400のウインカーって話もありますけど・・・


取り付け作業に先立って、バッテリー端子をはずします。

SRのバッテリー端子はこんな風になっているのですね。知りませんでした。
 

次にフロントウインカーを取り替えるためにライトをはずします。
 


ウインカーの説明書には、右が濃緑、左が茶色のコードありましたが、車両側は逆でした。
もっとも「車両側配線色と一致しない場合がありますが、水抜き孔方向を優先させて下さい」と注意書きはありました。
ヤマハのバイクとワイズギアでもこんなことがあるのですね。


向かって左がノーマルウインカー、右が交換したもの
ずいぶん小さくなったでしょ。もちろん車検には対応してますよ。

今度は、リアウインカー
シート下の配線をいったんはずします。
 

リアランプのボルトをはずして、移設ブラケットをはめ込みます。
 

テールランプを引き込む孔を通すので、コードは目立たなく処理できました。
 

ウインカーは電流が小さくなると、点滅が速くなる機能があります。
これは、バルブ切れをライダーに伝えるためにあるのですが、消費電力が小さいものに交換したときもこのハイフラがおこります。

これを防ぐにはリレーを交換すればよいのです。
 


2つ並んだリレーのうち、奥のDENSO製がウインカーのリレーです。
今回はウインカーセットに付属してきたリレーに交換しました。

完了です。
 


交換前


交換後


交換前


交換後


交換前


交換後

いかがでしょうか。 

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革グローブを買ったという話

2015-04-26 | バイク

SRに乗るまでは、グリップヒーター+ナックルバイザー+ハンドルカバーの完全防備で冬を過ごしてましたが、乗り換えによってそのすべてを失ってしまいました。

この冬は昨年末に購入したグローブのみで耐えてきました。
 

指先の感覚がなくなりそうになるぐらい寒いときもありましたが、
SevenFiftyさんに教わった「エンジンヘッドで指先を温める」という方法を実践し、窮場をしのぎました。

さて、暖かくなりグローブも冬用からスリーシーズン用に替える時期になりました。
橋吉はスリーシーズン用革製グローブを持っています。
これはBSイレブンの番組の視聴者プレゼントでもらったものですが、Mサイズで少々小さいのです。
しかし、我々貧乏人は体の方をサイズに合わせたり、服や靴を広げたりする特殊能力を子どもの頃から培われているので何とかなると思っていました。

たしかに、最初は着脱するのもキツかったのですが、多少伸びて扱いやすくなりました。

しかし、

ものには限界があるようで・・・
はちけてしまいました。
 

やはり、サイズが合うものを選ぶべきなんでしょうね。

ということで、バイクセブン名古屋店に出かけてグローブを捜してみました。
いろいろ試着(というのかな?)してみて、気づきました。
私は成人男子の中では手の小さい方(だと思っていました)なので、Mサイズだと思っていましたが、小さくて入りません。
グローブのサイズ表示はユニセックスなんでしょうか。

それどころか、LLサイズでも手を入れにくいものがありました。
ただし、このサイズだと指の部分に隙間が空きすぎます。
足の場合、甲高というのがありますが、手にもあるのですね。それともただ単にデブなのか・・・
指の長さから考えるとLサイズが適当なようです。

まあ、そんな私でもジャストフィットする製品はありました。


DAYTONA HBG-009 ゴートスキングローブ
着脱だつも楽で、オーダーメイドみたいにぴったりです(オーダーメイドしたことないけど・・・)。
いろいろ試してみることは重要ですね。
しかも、このグローブ、スマホのタッチパネルに対応しているのです。
試してみると、素手よりは若干反応が鈍いですが、充分実用可能で、これはありがたい機能です。

けっこう気に入っています。

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遠近両用レンズのインプレ

2015-04-24 | なにげない日常

先日、マイクロフォーサーズの単焦点レンズとともに遠近両用の多焦点レンズのメガネを購入したことを報告しました。

単焦点レンズと多焦点レンズ

この記事に対してSevenFiftyさんから、遠近両用レンズのレポもよろしくと要望がありましたので、インプレを述べておきます。

そもそも私は中一の時、近視と診察されメガネを使い始めました。
初めは授業中のみでしたが、高二からは日常的に使用するようになりました。
その後も、近視は進行しましたが30歳を過ぎると悪化することはほとんどなくなりました。
特に40歳代では仕事でも趣味・遊びでもPCをよく使うようになりましたが、視力に変化は見られませんでした。
同世代の人たちが老眼鏡や遠近両用レンズを必要とするようになっても、近くの文字をはっきりと読むことができたのです。
おそらく、強度の近視のため、発症が遅れたのでしょう。

しかし、50代になるとピントが合いにくくなり、ここ一年くらいはメガネを上げて肉眼で近くの文字を見ることもしばしばありました。
三歳下女房はすでに遠近両用めがねを使っていましたので、試しに借りてかけてみました。すると近くがはっきり見えるではありませんか。
それも、矯正されてよく見える感じではなく、自然な感じで「あ~ぁ、以前はこんな感じだった」と思われるぐらいでした。
そんなこともあり、今回はじめて遠近両用レンズのメガネを作ったのです。


私の好みで枠が細く、つるの部分がセルでできています。
遠近両用では、遠距離はレンズ上方で近距離は下方で見分けるので、メガネフレームも上下枠がなるべく大きなものが良いそうで、そのあたりも気にして選びました。

近視が強いので、レンズは超薄型し、傷防止コートをオプションで付けました。
なお、今回初めて、PCやスマホのブルーライトをカットするコートも施工してもらいました。
この結果、赤札堂でありながら19,000円と高額になってしまいました。

それともう一本
 

こちらはバイクや野外活動用です。

こんなのの両端に磁石が仕組まれており、
 


ワンタッチでサングラスになります。
今まで単焦点の近視用レンズをはめ込んでいましたが、半年ほど前に落としてレンズの縁が欠けてしまったのです。
フレームはまだまだ綺麗でしたので、レンズだけ交換してもらいました。
こちらは、ブルーライトカットは付けませんでしたが、レンズ交換費用12,000円でした。 フレームとレンズセットはお買い得ですが、レンズのみの交換は割高な設定になっているようです。

「慣れるまで、ゆがみを感じたり、ふらつきを感じることがあります。」と店員に言われましたが、かけ始めたときより違和感はありませんでした。
もうすでにメガネになれているからでしょうね。
そう言えば、3月末に数回軽い立ちくらみを感じましたが、そのときは「季節の変わり目だから」と気にしませんでしたし、実際メガネとの関係はわかりません。

食事をしながらテレビを見ていると見えにくく感じることがありました。
よく見ようとするとますます見えにくくなりました。
どうも私はあごを上げてみる癖があるようで、レンズの下方で見てしまっているようでした。
そんなみっとない癖があるとはまったく知りませんでした。

後方から光が当たるとブルーライトカットコーティングが反射することがあります。
最初は違和感がありましたが、じきになれました。

近くはよく見えます。
細かい文字を見るときもメガネをはずす必要はありません。

遠くも問題ありません。
ヘルメットを被ってバイクを運転するときも、今までと感覚は変わりません。

少なくとも今は快適ですが、そのうち・・・
まぁしかたないですけどね。

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岩国・広島で食べた美味しいもの

2015-04-22 | グルメ

岩国・広島の旅でいただいた美味しいものを紹介します。

まずは岩国での昼食です。
街を歩いているとあちらこちらで「岩国寿司」という文字を見かけます、この名物をいただくことにしました。


 緑の里
所在地: 山口県岩国市岩国1-4-10
営業時間: 10:00~18:00(LO17:00)
定休日: 不定休

ぱっと見、こぢんまりとした土産物屋ですが、奥にゆったりできる喫茶・食事スペースがあります。


岩国寿司は、木製の型箱に入れ上から押して作る押し寿司の一種です。
けっこう歩いた後で汁物もほしかったので、岩国寿司+小次郎うどんのセットを選択しました。


我がふるさとの愛知県津島市も押し寿司が名物で、子供の頃は慶弔時には女子衆が早朝から用意して出されたものです。
ネタはモロコなどの川魚やレンコン・田麩・角麩(尾張地方独徳のもの)などです。
岩国寿司の場合は、五目ちらしと同様の具材です。
実は私、故郷の押し寿司も五目ちらしもあまり好きではないのですが、こちらの寿司はほどよい味わいでなかなかよろしかったです。

うどんの方は、まぁ関西標準と言ったレベルでしょうか。
ごちそうさまでした。

次は夕食です。
この日は広島市西区のビジネスホテルに泊まりました。
無料駐車場で選んだため、中心街ではありません。
いつもの私ならば、市電に乗っていそいそと出かけるところですが、この日はその気力はありませんでした。
ETC深夜割引を受けるため朝が早かったからです。
それどころか、遠足の前日の小学生みたいに寝られなくなって、なんと朝1:30におきてしまったぐらいですから、この状態でアルコールが入るとすぐに寝てしまうこと必至だったのです。

ですから、ホテルの近くの飲み屋で済ませようとGoogleストリートビューを見ていたのですが、
見つけちゃいました♪
お好み焼き屋♪


 よしだや
所在地: 広島県広島市西区観音新町1-4-25
営業時間: 11:00~14:00(L.O.13:45),17:30~23:00(L.O.22:45)
定休日: 無休

平日の夕方でしたが、程なく満席になり、かなり人気があるお店のようです。

愛知県にもお好み焼き屋はありますが、その多くが具と生地を混ぜ合わせて焼く大阪風であり、薄く広げた生地の上にたっぷりのキャベツ、さらに肉、玉子と層状に焼いていく広島風お好み焼きはあまり見かけません。

冷や奴、モツ煮、サラダで一杯やった後、いよいよ元祖広島お好み焼きを注文しました。
 

一緒に焼きそばを入れることがあることがあるのは知っていましたが、うどんを選択することもできるのですね。知りませんでした。


元祖広島お好み焼き(うどん入り)
この店では、キャベツを大量に載せた後、しばらくドーム型の蓋を載せて蒸し焼きにするのです。
このため、キャベツも生地も柔らかくふっくらしているのが特徴でした。
うどんはオタフクソース+チリパウダーで味付けてあります。
焼きそばに比べ、含有水分が多く柔らかいのでここのお好み焼きには合いますが、その分食べ応えありおじさんにはちょっとボリュームが多いようでした。


翌日はホテルで朝食を撮った後に郡山城に向かいました。
一通り見学した後、安芸高田歴史民俗博物館近くのお好み焼き屋で昼食としました。


 お好み焼88(ハチヤ)
所在地: 広島県安芸高田市吉田町吉田522
営業時間: 11:00~19:50(L.O19:20)
定休日: 火曜日(祝日の場合、翌日)

こちらは山里のアットホームな店構えです。

メニュー
 


お好み焼き(肉・玉)そば
今度は焼きそば入りを選択しました。
こちらでは細麺を使っており舌触りが良いですね。
縁っこのカリカリになったところの食感も楽しいです。

あ~ぁ、名古屋でこんな広島焼きが食べられるお店内かなぁ~

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郡山城(安芸国) 後編

2015-04-20 | お城巡り(日本100名城)

【勢溜の壇】

いくつかある壇の中で最大のものです。
平野が広がる南側の防御がより厚くなっています。


【満願寺跡】

満願寺は郡山城築城前からあったとされますが、のちに毛利氏とともに広島、萩と移設し現在は防府市内にあります。


【尾崎丸跡】


三本堀切で防御を固めてあります。

 



階段状の山道
段差が大きく、歩きにくいです。



旧本城を攻めます。
「間違えたかな」とおもいたくなるような細く荒れた急勾配の道を歩いて行きます。
ふと前方に気配を感じ立ち止まると、巨大な生物がいました。
鹿です。
しばらく、にらみ合いましたが、向こうから去って行きました。
この日の写真はすべて20mmパンケーキレンズで撮っていましたが、このときだけはズームレンズ方が良かったかも・・・

ご丁寧に堀切が刻んであります。
 


ここはちょっと・・・登れないなぁ


ここならば何とかなるかなと思い四足で登りました。
しっかり登山しています。


【旧本城】

郡山城は1336(建武3)年、毛利時親が築いた城です。
山全体に広がる巨大な城に変わったのは、元就の時代の話です。

安芸高田の町を一望します。
 


一通り見て回ったので山を下りることにしました。
山の中腹にあった展望台
 

ひと休み
 


【郡山公園】

遊具が置かれた広場に出てしまいました。
こんな山奥?と思いましたが、

さらに下ると
整備された公園になっていました。
 

郡山公園です。
 

明治天皇聖徳碑
 


【清(すが)神社】
さらに下ると清神社の裏手に出ました。
 

祭神は、素戔嗚尊(スサノオ)で毛利氏よりずっと古くからこの地に鎮座しているそうです。

参道を降りたら人里です。

 


こんな道標がありました。
 


安芸高田歴史民俗博物館にもどってきました。
所要時間は3時間でした。


ところで、安芸高田周辺の家の屋根にはどこも鯱がのっていました。
何かいわれがあるのでしょうか?
 



 

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郡山城(安芸国) 前編

2015-04-18 | お城巡り(日本100名城)

広島市内のビジネスホテルで朝食を取り、国道54号線を北東に進み安芸高田を目指します。

まずは史料館を見学しました。


 安芸高田歴史民俗博物館
所在地: 広島県安芸高田市吉田町吉田278-1
開館時間: 9:00〜17:00
休館日: 毎週月曜日(祝日の場合、翌日),祝休日の翌日,12/29〜1/3
入館料: 一般 300円,小学・中学生 150円

ここで日本百名城のスタンプを押し、地図および案内図をもらいました。
その時の会話
係員「城跡を見て回りますか?」
橋吉「見て回ります。どれくらいかかりますか」
係員「あなたは健康そうだから1時間ぐらいでしょうか。旧本丸も行かれますか?」
橋吉「行きます!」
係員「攻めますか?」
橋吉「攻めます!」

「攻めますか?」と聞かれて俄然モチベーションがわいてきたのでありました。

歴史民俗博物館に車を置いて歩き始めました。
いざ、毛利氏の本拠地、郡山城に向けて出発です。


私は登山用ステッキを用意していましたが、そうでない人はここで借りて下さい。
郡山城登城は登山です。

【毛利元就公像】

安芸高田少年の家に置かれていました。


【毛利元就火葬場跡】

1571(元亀2)年、元就は75歳で逝去し、ここで荼毘に付されました。

【薬研堀】

薬研堀とは広島の歓楽街の固有名詞と思っていましたが、するどくV字型に掘られた堀をさす一般名詞だそうです。知りませんでした。
薬研(やげん)とは漢方薬を作る際に材料をすりつぶす道具です。



1540(天文9)年、尼子晴久はこの山の麓に陣を置き、5か月にわたって毛利と対峙しました(郡山合戦)。


【毛利元就墓所】

この鳥居から長く緩やかな坂道が続きます。
しばらくすると荘厳な光景が眼前に飛び込んできます。




元就の墓所


毛利一族の墓所


百万一心碑
郡山城の改築の際、人柱に代えて、元就がこの石を埋めたところ、普請は無事に終えられたと伝えられています。
百万一心とは、「百」の字の一画を省いて「一日」、
「万」の字を書き崩して「一力」とすることで、
縦書きで「一日一力一心」と読めるように書かれています。
「日を同じうにし、力を同じうにし、心を同じうにする」ということから、皆で力を合わせれば、何事も成し得ることを意味です。
三矢の教えと共通していますね。


いよいよ本丸に向かいます。
「登山」と言う文字が見えますか。
ここから先はまさに登山でした。


こんな道や


こんな道

足を滑らせたら谷に落ちてしまうような道を進まなければ行けません。
 


【嘯岳(しょうがく)禅師墓】

禅師は2度も明に渡り、帰朝後、丹波高源寺、京都の建仁寺、南禅寺を歴任していましたが、元就の要請により三原妙法寺の住職となりました。
元就逝去の際には禅師を葬儀の導師とし、また三回忌には禅師を開山として、菩提寺洞春寺を建立しました。


【御蔵屋敷跡】
 

土塁
 

郡山城はもともと旧本城とよばれる麓の部分だけであったが、元就の時代に山全体占める強大な砦に変身しました。
 


【三の丸跡】

三の丸
一段高いところに二の丸、さらに奥は高くなり本丸と階段状になっています。

三の丸と二の丸の間の石垣
 


【二の丸跡】
 
 

春先の登城は正解だったかもしれません。
 


【本丸跡】
 

ここまではハイキング以上登山未満といった感じでしたが、こんなところを降りてこざるをえず、きちんとした登山装備で出かけるのが正解でしょうね。
 


【厩の壇跡】

吉田城では、本丸・二の丸・三の丸を中心に放射状に壇とよばれるいくつもの郭が形成されています。
厩舎が近くにあったのが、ここの名の由来です。


【釜屋の壇跡】

炊事場があったので、この名で呼ばれています。


【姫の丸壇跡】

名称からも姫・または奥向きの人々が生活していたと考えられるます。


【釣井の壇跡】

ここには井戸がありました。


多くの城マニアがそうであるように、私も見学しながらどこから攻めるか考えるのが好きです。
郡山城の攻め方はすぐに思いつきました。
この城は「攻めぬが吉」です。
この広大な自然の要害は来る者を拒みます。
ですから、この城を攻め落とすには、ずばり包囲戦だと思います。
もちろん、これだけ広大な城を完全に包囲することは難しく警備の隙を見て食量や物資の補給はおこなわれるでしょうが、城を守るたくさんの兵に対応する量を満たすことはできず、自滅に誘うことが可能と考えます。

ただし、そのためには敵を城に押し込めるだけの兵力が必要であり、毛利相手にそれはたやすいことではなく、この城を攻め落とすのはかなり難しいと推察されます。

広大な郡山城はまだまだ紹介しきれません。
後編に続きます。

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岩国 城下町を歩く

2015-04-13 | お城巡り(日本100名城)

岩国城を見学し終え、ロープウェイで降りてきました。
このまま帰ってはもったいない。
岩国はまだまだ見所たっぷりなのです。

【横山白蛇観覧所】

岩国市横山2丁目4-2

ロープウェイ駅の向かいにあります。
入場は無料ですが、協力費を求めていますので100円寄付しました。


白蛇は、アオダイショウのアルビノ(色素ができない突然変異体)です。
通常、アルビノは天敵に見つかりやすく自然淘汰されるのですが、米蔵の鼠を餌にすることもあり幸運を呼ぶ家の守り神として大切に保護され、岩国ではよく見られるそうです。このような観覧施設は市内に何か所か設置されています。


【香川家長屋門】

岩国藩家老香川氏の表門です。


【旧目加田家住宅】

江戸時代中期に建てられた中流武家屋敷です。
錦川の氾濫に備えて二階建てになっているのですが、藩主が通る際に見下ろすことがないように配慮し、表側は大屋根としてあり、一見して平屋に見えます。


【吉川家墓所】

岩国吉川家初代広家から、六代経永を除く十二代経幹までの当主及び一族の墓が、51基立ち並んでいます。


【紅葉谷公園】

江戸時代からあったいくつかの寺院跡地を公園化したものです。
名の通り紅葉の名所なんですが、
この季節ですから、代わりに桜や桃の花が楽しませてくれました。

 


【藤岡市助像と岩国美術館】

藤岡市助は岩国生まれの工学者・実業家で、日本に電気・電球灯の普及させ「日本のエジソン」・「電力の父」とも評されています。
東京電気株式会社(後の東芝)創業者でもあります。

岩国美術館は、日本の優れた伝統文化・芸術品が展示されていました。
美術好きだけでなく歴史が好きな人も是非とも寄ってみるべき施設です。
 開館時間: 9:00〜17:00(12月から2月は ~16:00)
 休館日: 木曜日(祝日の場合は翌日)
 料金: 大人 800円,,・大学生 500円,小・中学生 200円


野外展示されていた木炭自動車
戦中戦後に使われていたものではなく、復元されたもので、ガソリンエンジンも使用できるハイブリッド仕様のようです。


【吉香神社(きっこうじんじゃ)】

岩国藩主吉川家の先祖が祀られています。





これはは何でしょうか。
愛知県では見られない風習です。


すこく高い常夜灯
義済堂とは現存する岩国市内のアパレルメーカーです。


錦雲閣
かつてここには岩国城の櫓がありました。
現在は絵馬堂となっています。
 

【岩国徴古館】

吉川家ゆかりの文書、歴史資料、美術工芸品などの他に、錦帯橋に関する展示があります。石造り風の重厚な建物も必見です。
 開館時間: 9:00~17:00(入館は16:30まで)
 料金: 無料
 定休日: 月曜日(祝日のときは翌日)・祝日・12/28日~1/5・展示替えによる臨時休館


【吉川資料館】

岩国藩主吉川家に伝来した歴史資料や美術工芸品を収蔵しています。
正門として使用されている昌明館付属屋長屋門 は1793 (寛政5)年 に七代藩主吉川経倫の隠居所として建造された建物の一部です。
 開館時間: 9:00~17:00(入館は16:30まで)
 料金: 大人 500円,大学・高校生 300円,小中学生 200円
 休館日: 水曜日(祝日の場合は翌日),年末年始,展示替え(年4回)

 

【岩国高校記念館】

旧制岩国中学校の後者として建てられ、その後、岩国高等女学校の校舎、岩国中学の武道場、岩国高校の体育館として使われてきた建物です。


懐かしいです。
私も小学校低学年までは明治期に建てられた校舎ですごしました。


【佐々木小次郎】

佐々木小次郎の出自については、諸説ありますが、吉川英治は小説「宮本武蔵」で周防国岩国の出身と書いています。


また、錦帯橋のたもとにあるこの柳を相手に燕返しが編み出したとしています。
もっとも、錦帯橋ができたのは巌流島の決闘の60年後であるのでこれは吉川の創作であるようです。


【槍倒し松】

江戸時代の大名行列の先頭には「槍持ち」がいて、街道では槍を垂直に立てて進むが、他の大名の城下では槍を倒して通るのが礼儀とされていました。
ところが、岩国を通る大藩の中には、槍を立てたまま城下を通過する者がいました。
これに憤慨した岩国の武士が、槍を倒さなければ城下を通れないように、錦帯橋のたもとにわざと邪魔になる松を植えたそうです。
このことは岩国の置かれた複雑な立場が絡んでいると考えられています。
一般的には岩国藩は6万石の大名として認められていましたが、吉川家は毛利家の家臣であり、長州藩では独立した藩でも支藩でもなく単なる岩国領として扱っていたのです。


錦帯橋を渡ると趣のある建物がたくさん見られました。

 
 


 


【岩国学校教育資料館】

岩国学校は、1870(明治3)年岩国藩主吉川経健が藩の青少年を教育するため学制の大改革を行い、旧兵学校と文学校を公中学・公小学に組織を改めて現在の岩国小学校近くに新築したものです。
当時のさまざまな教育資料や民俗資料、郷土資料を展示しています。
また、岩国学校を卒業した藤岡市助の関連資料も多数展示されています。


藤岡市助博士制作のアーク灯を模した街灯

 開館時間: 9:00〜17:00
 入館料: 無料
 定休日: 月曜日(休日のときはその翌日),12/29〜1/3

岩国は見所が多く、城と合わせて4時間かかって見学を楽しみました。
この日は、広島市内のビジネスホテルに宿泊しました。

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岩国城

2015-04-10 | お城巡り(日本100名城)

ある春のこと高速を使って500km超の旅に出ました。
平日でしたので、深夜割引を利用せざるをえません。


春とはいえ、こんなに寒いので、クルマを使っちゃいました。
なぜか、バイクを使わないと負い目を感じてしまいます。

河原に設置された無料駐車場にとめました。
 


いきなり出ました、ベストアングル
錦帯橋の向こうに岩国城が見えます。

江戸の初め、幅200m の錦川に橋を架けても、洪水によって流されてしまうことが続いていました。
なんとか、流れない橋を架けたいとのおもいから、人工的に石垣で囲んだ島を作って橋脚し、それらを結ぶアーチ橋を作りました。
木造の橋ですのでその後何度も補修・掛け替えがおこなわれ、現在のものは2001(平成13)年、「平成の架替」で作られたものです。

入橋券(往復のみ) 大人300円,小学生150円
セット券(※錦帯橋入橋券、ロープウェー(往復)、岩国城) 大人1,110円,小学生520円


勾配部分はけっこう急で小股で歩くことになります。
とても大きな橋で当時の技術の高さに驚かされます。

三代目岩国領主で錦帯橋の創建者である吉川広嘉公
 

岩国城は山城ですから、ロープウェイで登ると良いでしょう。
 


ロープウェイ山頂駅から岩国城へは2つの道があります。
ひとつは緩やかなスロープ、もうひとつは階段状になっている山道でどちらも距離時間はそう変わらないようです。
私は往路と復路で別の道を通ることにしました。

往路に山道を選びました。
 

ほどなく石垣に遭遇しました。
 

先日購入した20mmパンケーキレンズで撮影しています。
 

山道コースを選ぶと案内図下、スロープコースだと上に到着します。
 

大手門
 

関ヶ原の戦いにより、吉川広家は米子から当地に3万石で封じられました。
1601(慶長6)年、広家赴任と同時に岩国城の築城が開始され、1608(慶長13)年に竣工しました。
しかし、完成からわずか7年後の1615(元和元)年、幕府の一国一城令により廃城となりました。


鉄筋コンクリート構造による復興天守ですが、三層四階の上に物見を置く桃山風南蛮造りは独特な優雅さを感じます。

内部では刀剣等が展示されていました。
なお、日本百名城のスタンプを受付で押しました。 
 
 

天守閣から見た錦帯橋と城下町
 


天守閣跡
本来、天守閣は復元天守の約50m南側にありましたが、錦帯橋からよく見えるよう位置を変えて復興されました。

二の丸
 

出丸跡
 

本丸の石垣
 
 

山城ですがロープウェイがあるので登山の用意は必要ありません、でも
 

空堀
 
 

櫓跡
 

北の丸跡
 

帰路は緩やかなスロープを通ることにしました。
 


大釣井(おおつるい)
築城と同時に作られた大井戸で、非常脱出口であったとも言われています。

 

このあと城下町を散策しました。

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単焦点レンズと多焦点レンズ

2015-04-08 | カメラ

3年前に購入したPanasonic LUMIX DMC-GX1
 

付属の電動ズームレンズ(LUMIX G X VARIO PZ 14-42mm/F3.5-5.6 ASPH./ POWER O.I.S. H-PS14042-K)はなかなか使いやすく、これだけでもだいたいの用途はことたりました。

沈胴式でコンパクトになるのも○です。
 


昨年、望遠レンズがほしくなり、焦点距離45~175 mm の電動ズームレンズを買い足しました。


Panasonic LUMIX G X VARIO PZ 45-175mm/F4.0-5.6 ASPH./ POWER O.I.S. H-PS45175-K

あれから一年、小遣いが貯まったところでもうひとつ買い足すことにしました。
というのも、建物写真を撮ったときのゆがみが気になり単焦点レンズがほしくなったのです。

選んだのは、評判が良く値段も手頃なパンケーキレンズであるPanasonic LUMIX G 14mm/F2.5 II ASPH. H-H014A-Kです。


ビックカメラの店頭では税込みで41,040円でした。

家に戻ってネットで調べてみたらカメラのキタムラで30,000円でした。
何と店頭価格よりも1万円以上安いし、価格.comの最安値よりも安価でした。

翌日には到着しました。
 
 

出っ張りが少なくて良い感じ。
 

さっそく、撮影してみました。


20mmパンケーキレンズ


14-42mmズームレンズ

違いがわかりません。


20mmパンケーキレンズ


14-42mmズームレンズ

なんか、ぼかしが不自然ですね。
まだまだ、修練が必要ですね。

多焦点から単焦点になったものがあれば、
単焦点から多焦点になったものもあります。


強めの近視だったせいか、老眼の進行は遅く、いままで単焦点レンズのめがねですごしていましたが、齢52となってとうとうギブアップです。
遠近両用レンズとなりました。

この多焦点めがねをかけ、単焦点レンズカメラを持って旅に出かけました。
詳細は次回!

コメント (10)
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大和郡山 城下町を歩く

2015-04-06 | お城巡り(日本100名城)

大和郡山の城下町を散策してみました。

【キリシタン殉難の碑】

大和郡山カトリック教会内にあります。
1869(明治2)年、異教徒として捕らえられた長崎浦上の信者のうち、86人がこの地に強制送致されてきて、吉野の銀鉱等での重労働をさせられました。
その後1873(明治6)年、政府は「キリシタン放還令」を発表、帰郷することができました。

 

【大納言塚】

名君の誉れ高い郡山城主 豊臣秀長の墓所です。
秀長は秀吉の弟でしたが、52歳で病死してしました。
秀長が長命を保っていたならば家康に豊臣家を滅ぼされる事は無かったと言われています。


お願いの砂
秀長は「学問の智将」ともよばれていました。
蓋を開け、願い事を言いながら3回箱の中に砂を通します。


【郡山八幡神社】

郡山城鎮護の八幡宮として代々の城主の保護を受けていました。

神社っぽくない山門
 


渋い旅館
 


【洞泉町の街並み】
花街の面影が残る、細い格子の建物が残されています。
 
 


【源九郎稲荷神社】

日本三大稲荷のひとつに数えられるそうですが、
ここよりも大きな稲荷社をいくつも見たことがあります。 

 


レプリカのように街並みを残すのではなく、このように普通に残っている街並みが好きです。

 
 


【薬園八幡神社】

何か良い雰囲気の神社だと思いませんか。

 

 


【外堀緑地】

なかなかおしゃれに整備されています。


【高田町大門跡】
何も遺構はありませんが、街並みは趣があります。
 

何屋かわからない店や
 

誰が見てもわかる店が共存しているのがおもしろいです。
 


【羅城門跡】
羅城門とは、平城京や平安京といった条坊都市の中央を南北に貫いた朱雀大路の南端に構えられた大門のことです。
平城京の羅城門が復元されているとの情報を元にてきてき歩いて行きました。

ところが、
 

羅城門を模した水門の管理小屋でした。
誰だ?いい加減な情報をネットに書いた奴はもう!

ただし、この近くに羅城門があったことは事実のようです。
 


これ何かわかりますか?
 

金魚池です。
大和郡山は金魚の生産で有名なのです。

実は、私の家の近くにも金魚池はあります。
これは大和郡山の商人が名古屋の熱田まで、販売に出かけたとき、金魚を休める池を作ったのが始まりとされています。
台風の後などは、逃げ出した金魚を捕まえたものです。

ただの用水にしか見えませんが、これも大和郡山城の外堀の跡です。
 


【春岳院】
秀長の菩提寺です。

 

大和郡山にはこのほかにも多くの寺社がありました。


【大和郡山城頬当門】
 


この日、私は昼食難民になりました。
町歩きしながら、美味しそうな店を見つけて寄ろうと思っていたのですが、見つかりません。
前日、ネットで下調べしたのですが、そのときもろくにヒットしませんでした。
気づいたのはこの町は外食店舗が少ない割に、弁当屋が多く、いずれの店もけっこう人が集まっていました。
外食よりも、弁当という土地柄なんでしょうか。

やっとみつけたのが西友 大和郡山店にあるレストラン街
そのなかにある麺店 数寄文(すきぶん)で昼食をとりました。


日替定食 750円
蕎麦に関してはそこそこでしたが、天丼が美味しかったです。
注文を受けてから上げるのでかりっとしています。
何よりも、この価格で提供できることが驚きです。

ただ、西友 大和郡山店は4月30日閉店となります。
その後、数寄文さんはどうなるのでしょうか。

コメント (4)
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