橋本屋吉次郎電子日誌

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飯盛城

2020-10-12 | お城巡り(続日本100名城)
飯盛城と芥川城は、大阪西部にある続日本100名城ですが、いずれも三好長慶の居城でした。
となれば、大河ドラマのブームに乗って、現在登城者も急増中?
さらに、どちらも手頃なハイキングコースにもなっていますので、陽気がよくなってきた昨今、週末はきっとにぎあうこととなりそうな予感がします。

ということで、たまたま平日休みが取れたので、少々天気は心配なれど、出掛けることにしました。


通常、歴史資料館などに先に訪れて、予習と資料収集を行いますが、今回は雨が降る前に任務を終えたいため、開館時間前に登城を開始することにしました。

飯盛山山頂に向かう道は細いですが、大東市立野外活動センター(キャンピィだいとう)までは舗装されており車でも行けます。
ただ、野外活動センターを越えると未舗装でさらに細くなります。
桜池の湖畔に車数台ぐらい駐められるスペースがあったので、ここにバイクを駐め、登城することにしました。


このあたりから山の中に入れば、大手道につきあたるはずですが、自信がないので、飯盛山山頂をめざして歩くことにしました。(この立て札では四條畷方面の方向)


山頂までは約15分でした。



楠公寺
かつては飯盛城の馬場でしたが、遺構は見当たりませんでした。


少し歩くとこのような道しるべがありました。


飯盛山頂に向かって歩くと3分で山頂です。


山頂すなわち本丸展望台郭です。


現地案内板
飯盛城山頂を中心にして、尾根沿いに郭がつくられています。

1560(永禄3)年、三好長慶は芥川山城から拠点をこの城に移しました。
彼はこの城を拠点に五畿内(大和、山城、河内、摂津、和泉)と四国の一帯を統治し、室町幕府の政治を動かしました。


本丸からの眺め
どの郭からも大阪が一望できます。

一段高くなっている本丸高櫓郭にある国旗掲揚塔


太平洋戦争時に本土空襲に備えた監視哨があったそうです。



楠木正行像
楠正成の長男で、南朝の後村上天王に仕え、1348(正平2)年この山の麓の四条畷で北朝方の高師直軍と戦い、敗れた。
この像は1937(昭和12年)年に建立されたが、太平洋戦争のさ中の1943(昭和18)年台座を残し、上の銅像の部分を供出。
戦後1972(昭和47)年に再建された。


傍らには、再建に尽力した田伐兼松氏の銅像があります。


本丸蔵屋敷郭


北条神社から登るとここにたどり着きます。
こちらのルートの方が急なようです。


本丸三本松郭


木々の向こうに石垣があるのがわかりますか。


二ノ丸御体塚郭


ここにある石碑は登山三百回記念であり、飯盛城には関係ありません。

郭と郭の間は堀切と


土橋によって仕切られています。



二ノ丸史跡碑郭


飯盛山史蹟碑


本丸高櫓郭と本丸千畳敷郭の間に自動車が停めてありました。
頑張ればここまで来られますが、すれ違いを考えるとやめた方がよいと思います。


本丸千畳敷郭に建つ、FM放送電波塔


本丸千畳敷郭


虎口
左手前に石垣が見られます。

虎口からしばらく降りていくと「←桜池・野外活動センター」の表示がありました。



桜池
水がよどんでいるので、名前から連想するほど綺麗ではありませんでした。


やっぱり、出発したところに戻ってきました。


距離2.54 km、所要時間1時間10分でした。



桜池湖畔よりバイクで約20分、四條畷市の歴史民俗資料館へやって来ました。


四条畷市立歴史民俗資料館
所在地: 大阪府四條畷市塚脇町3-7
電話: 072-878-4558 
開館時間: 9:30~17:00
休館日: 月曜日

続日本100名城スタンプは、入り口で押すことができます。

平日、資料館あるあるで学芸員さんがマンツーマンで詳しく解説して下さいました。
内容は面白かったのですが、飯盛城に関する展示・解説は少なかったです。



このあとは、芥川城に向かいました。

コメント (2)
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