デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



映画「サラエボの花」を見て一時間も経たないうちに、ファストフード店でショーロホフの『静かなドン』の続きを読んでいた。
私から一つテーブルを置いて、勉強している学生がいたので、これは静かに読めるわいと思っていた。しばらくして、横の席にかなり年配の女性と大手のちょっと有名なデパートの紙袋を持った中年の女性と三十台前半ぐらいの男性という三人連れが座った。
あー、ついてない、と思いつつ気にしないように読書を進めていた。しかし、中途半端に声が大きく、いやでも会話内容が聞こえてしまうのであった。
いやらしい話だが、三人づれのその会話の流れと内容が嫌でも気になってしまった。どうやら年配の女性を顧客に持つ中年の男女という構図らしく、「株の配当が出て、本当によかった」と年配の女性に対してとすごく丁重に言葉を選びながら中年の女性の方がその場の会話をつづけようとしている。
会話は株の配当の話しから、世間話、年配の女性が着ている服がヨーロッパのどこどこで作られた生地のしっかりしたものだとか、外国で食った料理に舌鼓を打ったとか、株の配当が出た割にはファストフード店のフルーリー一個で続ける会話とは思えないようなものだった。
しかし、外国で食したものが時に戦前の日本の食糧事情と似たものに出くわしたことの回想が、年配の女性の記憶を鮮やかに甦らせたのか、18の少女だったころの学校の訓練で、アメリカ軍が本土に上陸してきたことを想定し、兵が来るという設定の下、木でこしらえた鉄砲で「敵」を撃つ訓練をやらされ、おかしかったことといったらありゃしない、といったことを、年配の女性が語りだした。
私は語りに火がついたな、と思った。それからというもの、中年の女性が「聞き上手」に徹する更に低い物腰で、年配の女性を語らせるように相槌をうつ。男の方も「その時代、誰もおかしいとはいえなかったんでしょうねえ」と負けてはいない。
年配の女性は空襲の際、電灯の光が家からもれないように電灯を布で覆ってこと、完璧に覆ったはずなのに、近所の人から文句を言われたこと、その文句は年配の女性がピアノを練習していたときに空襲に遭い、音が漏れていることと混同されて近所が文句を言ってきたことなどを語り、終戦が近づくにつれて食べ物であればなんだって食べた話しへと移っていった。
芋のつるは今でも郷土料理として食べられているところもあるが、戦前のことを思い出すご老人は食べたがらない人もいるそうですねぇと、中年の女性が話題を加速させるのを聞こえてしまうなか、私は『静かなドン』のダーリアがシドリン将軍から褒章をもらってからたどったエピソード、パンテレイ・メレホフの一家が散り散りになっていくさま、そしてナターリヤの悲惨な運命をグリゴーリイが知った場面を読み、抗争や戦争、紛争の映画・小説・生の語りを数時間のうちに鑑賞したり読んだり聞いたりすることになったことで、「なんて日だ。しかし印象に残る日には違いない」と思いながら背筋を伸ばしたり腰を少し動かしたりしていた。
そのとき、男の方の様子が目に入った。「お客」とはいえ明らかに長い語りに辟易としているのが分かるように身体を背もたれにもたれ、視点が定まらず、そわそわしようとするのを隠すにも隠し切れないようすであった。それでも中年の女性は「接待」をやめようとしない。こりゃ長期戦だなと、正直私は思い、「はて? それにしても戦時中にピアノある家庭もあるにはあったろうが、電灯の光が漏れるうんぬんで文句言われるのであれば、少なくとも夕刻、夜の空襲時であろう。しかし夜にピアノなんて弾けたんか?」などと聞こえてくる話しに対して、愚かしい疑問を頭の中でこねくりましていた。
そして、時は来た。年配の女性の話しが落ち着いてきて「何より平和が一番」という締めが何度か繰り返された直後、中年の女性が間髪いれずの見事なタイミングで「配当も出たことですし」と言い放った。その一言で三人に共通の満面の笑顔が戻り、おしゃべりを「満喫」した三人連れは満足げに、うち中年の二人は接待の態を崩さぬように店を後にしていった。
ただの話しだと私は思うように努めた。人が人と話す限り話題と言うものはころころ移り変わるのが常だし私もそのように思う。しかし見た映画や読んでいる小説のこともあってか、私の中で何かが引っかかった。
しばらくの間、気を落ち着けてから、私はナターリヤがたどった運命の最後の描写まで読み進めた。

つづく

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