社会規範において、ことごとく否定的なオレでも、例外的に社会に賛同することがある。
最近話題の、飲酒運転。
流行を追いかけるマスコミの「棒小針大」のラレツと感じないわけではないが、こいつは、いただけない。
っつーか、オレはヨッパライが大っキライで、「ヨッパライのタワゴト」なんてのも宥恕して見逃したりしない。他人にクダまいたりするヤツがたまにいるが、法的に許される時は、容赦・躊躇なく鉄拳制裁に及ぶことにしている。
そう、オレがヨッパライを叩きのめしたことが、今までの人生で1回もない(本当は1回、ある)のは、ソレが法的に許されない、と言う理由のみだ。
罵詈雑言、言いたい放題に他人の人権を蹂躙しておいて、なんの制裁もないなんて、ありえない。
悪態を背中に受けながら、この世の王のように振舞うヤツからそそくさと逃げるように立ち去る行為は、受け入れがたいのだ。
しらふの時は許されないことが、酩酊時に許されるなんて概念はオレには、ない。
職場の同僚はそんなオレのことをよぉ~く知っていて、飲み会の時なんかはオレにあまり話しかけない。
ウサ晴らしの飲み会の場でも、不適切発言でオレがカンタンに不愉快になる事実を彼らは体験済みなのだ。
そもそも、なぜか、日本社会はヨッパライに寛容だ。
オレがハラを立てると、モノや家畜が吼えるのと同様にあつかうように、たしなめられる。
それなら、彼らに対しては、モノや家畜と同様の限定された特別の人権を与えるべきだと思う。彼らを叩きのめして物損事案ですむなら、公共の利益のために私財の一部を喜捨して、オレは実行に及ぶ。
法曹関係の皆様。
飲酒運転。危険運転致死傷などとヌルいものでなく、ぜひ、「未必の殺人」を適用できるよう、働いていただきたい。
路上ある乗用機械は、その全てが殺傷能力を持つのだ。
酩酊してソレを運用する行為によって、人命をたやすく奪うことができるのは明白なのだ。まさしく、対象が不特定ながら「未必の故意」に該当するのではないのか?
そして、路上にあるライダーとしては、ヨッパライ運転のドライバーの操るクルマと不期遭遇によって物理的に接触/被害を受けることは、ライダーがどんなウデマエであっても確率論以外のナニモノでも、ない。
ヨッパライ運転のクルマにブツけられても、「運が悪い」としかしようがないのが実情と思う。
そんなんで、死んだら、死に切れない。
飲酒運転は殺人行為と等価値だ、と断言する。