
昨日の続き。
読み返してみたら、もっと云いたいコト、あった。
オレは、疾く走らせようとする意志に、価値があるのだと思う。
はて、それ以外の意志は、無価値なのか???
答えは、否。
あくまで、オレにとって価値があるかと言う命題に過ぎないからだ。
ライダーの中でも「疾いコト自体に価値があるのか」とおっしゃる御仁もいると思う。
もともと、疾く走らないカテゴリーもバイク乗りのなかには、実在する。
思いつくだけでも、55MPHの世界もあるし、トライアルだってそうだし、旅ライダー(仮称)ってなカテゴリーもあると思う。
この類のバイク乗りは10万K超とか、15年超なんて乗り方をしている哲人も割と、いたりする。
否定はしないが、オレが忌避する、理解不能なカテゴリーとしては、お祭り(家内が命名:オミコシのことか?)系や、カスタムスクーター系や、コスプレ系、これら総合して「ファッション系」も実在している。
ん~。。。
こうやって挙げてみると、どうやら、オレ的に価値観が見出せるか否かの基準は、ソコに「意志の力」が存在するかどうか、のような気がする。
ファッションと言うものには概ね、こうありたいという「意志」は存在すると思うのだが、自らに真贋のありようを迫る「力」は感じられない。
そもそも、ファッションとは、それを創り出すコトは真贋を問われる行為なのだが、それに「ノる」行為は「マネ」に過ぎないと思えてならないのだ。
「ちょいワル」と同じラインだ。
ファッションとは、多分、飽きたら、そこで終わる、もしくは別のモノにスリ換わるものではないだろうか。
そこに、「意志の力」は、ない。
疾さに価値基準を置いているのではないけれど、バイク乗りとして「意志の力」を感じるヒトは、少なくない。
少し話せば、割と、何となくではあるが、感じるコトだ。そして、それを感じる時、これまた何となく、微反発と僅かな畏敬を覚えるのも、事実。
お!
だから、オレって、疾いか遅いかには、あまり、興味がないのかも知れない。
今現在の興味は、薄手のブラウスからスケて見える、ブラ線の色、だし。
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