
選択肢は、常に自分にある、というのがオレの持論だ。
つらい時は逃げるも良し、しんどい時は休むも良し。
一方、つらい時ほどアグレッシブに自分を奮い立たせるのもいいし、しんどい時ほど、ソレを忘れるほど忙しくしてみるのもいい。
じっと、伏竜となるのも、いい。
他人がチカラになってくれたり、同情してくれたり、期待してくれたり、そんなことも、あったりする。
んでも、選択肢は自分にある。
ただし、その結果は、全て自分もちだ。
当たり前だが、自分がヒトに理解されようなんて、独善的な自己欺瞞でしかない。
理解されなくて当たり前で、チカラになってくれなくて当然で、同情してくれたりするヒトも負担を求めたとたんに自分の前から去っていくなんてよくあるハナシだし、期待してくれるのは彼らが自分に利益あっての期待だったりする。
もちろん、そうでない場合もある。
だから、自分がどう選択して、どんな結果になるのかは、全て自分持ちだ。
でも、本当に自分を愛してくれているヒトや、信じてくれるヒトや、支持してくれるヒトには、なんとしても報いたい。
それは、自分が彼らを信じるかどうか、信じる勇気があるか否かの差異でしかない。
信じたことが実態とかけ離れていても、ソレを受け入れる勇気があるかないかの差でしかない。
孤独を選択するのも、自分自身だ。
ソレを受け入れて信じることを忘れて、自分の都合で泣き言だけを言うのは、失うだけの結果しか残らないと思うし、その通りの現実だ。
永遠の何かは、自分の中にしか存在しない。見出せるかどうかは、自分次第、すべて自分持ちだ。
それは、勇気の要ることだと思う。
自分の想いが伝わるか、伝わらないか。
理解されるか、されないか。
いつもいつも、うまくいってばかり、ってなコトなんか、ありえない。
そんなことは、子供だって知ってる。
ばかばかしいハナシだ。
願わくば、勇気を与えたまえ。
今のあなた、みっともなくて、見てらんないよ。
見てるほうが、ツライ。
あえて、同情はしない。
自らの力で、自分自身&周囲に対してケリをつけるしか、抜け出す手立ては、ないはずだ。
こんなの、誰かに支えてもらって解決しても、本質は何も解決しない。
一時の対症療法は、モグラタタキでしかないから。
早く立ち直って欲しい。
わかるヒトだけ、わかればいいやってのが、オレの生き方です。
誰にでも優しいヤツは嘘つきか、バカか、聖人です。
オレは、いづれでもないフツー人ですので。
読み返して思いましたが、「選択肢」じゃなくって、「選択権」が正しかったです(笑)。