昨日ジムに行ってお風呂からあがり、ドライヤーで髪を乾かす場所に大きなテレビがあるのですが、その時間は東日本大震災の特集番組が放映されていました。
「その時は何していて、どう行動したか?」
「そうしてそれがどのようなものだったのか?」
「その記憶を今はどう思っているのか?」
「その記憶から学んだことは?」
「そうして今、どんな生活をしているのか?」
「経験して何を皆に伝えたいのか?」
そういう内容が繰り返されていました。
お隣の中年女性は、「そうだったのね」とひとり呟きながら、深く何度もうなずき、悲しまれているようでした。
そうしていると、ガツガツと中年女性がやってきて、いきなりチャンネルを「野球」に変えました。
ちょっと私はビックリしました、というかショックを受けました。
その後、自宅に戻ってからもその事が心から離れられず、もしかしてチャンネルを変えた女性は、震災で大きな被害にあって、そういう記憶に向き合うのが怖いので、あえて野球に変えたのだろうか?とかいろいろ考えました。
確かに震災の番組は心が痛みます。
6年経っても、あの震災時の記憶や、好きだった景色や様々なものが変化してしまい、本当に心が痛みます。
今日のその時間、家の掃除の最中に手を止め、ひとり、黙とうしました。
あの震災で一瞬に命を落とされた方々、流されてしまった同僚のご冥福をお祈りしました。
そして、心があの時間で止まってしまったままの方や、仮設住宅のままで死を迎えてしまった方々にも、ご冥福をお祈りしました。
私の出身の中学校の一部の方々が、津波の壊滅的な被害を受けました。
小学校は違うのですが、壊滅的な被害を受けたその地区の住宅は津波でなくなり、そのため小学校が取り壊されてしまうそうです。
その前にセレモニー(お別れ会)があると知りました。
震災後に流されて拾われた写真を丁寧に洗浄し、元の持ち主に返すボランティア団体が各地にあります。
私は引っ越しを機に、仙台新港のとある倉庫にすべての写真を保管して頂いていた為、それも津波によって流されてしまいました。
流された写真がボランティア団体の活動により、公開される機会があり、その場所がその時の職場の最寄の場所で、昼休みに探しに行くと・・・「あなたの事を知っている被災者の方が、心配されていましたよ」と受付で1冊のアルバムを受け取りました。それは私が倉庫に預けたアルバムのひとつでした。
「どなたが?」とお聞きしましたが、その時はそこまでは把握する状況ではなかったと。
きっと私の同級生が・・・と思うと、残ったアルバムを手にした嬉しさ以上の、悲しさがこみ上げてきました。
もうこんな未曾有の大震災が、日本に起こらないことを願いたいものですが、現実にはまたいつか悲しみはやってくるのでしょう。
でもそんな悲しみを乗り越えようと頑張っている人も多いのですが、それを軽視する社会動向もあります。
切ない現実です。
どうか、この3・11のブログに来て下さった皆様にお願い致します。
こんな現実が島国日本で、まかり通っていると現実いう悲しみを共有して頂けたら、本当に幸いです。
クリックして、「現実」という重さを・・・。