私の父の兄(つまり私の叔父)が亡くなったと聞き、お通やに行きました。
私の喪服は特に用意していなくて、いつもそんな時はブラックスーツを選びます。
夫は2年前に礼服をオーダーしたのですが、それがなぜか見当たらないばかりか、夫は礼服なんてオーダーした記憶がない、と言い張ります。
歴代ほぼ日手帳には、しっかり夫の礼服のオーダー日が記載されていました。
確か6~7万した記憶があります。
じゃ、礼服はどこにあるのでしょうか?
私「最後はKさんの葬儀で着たでしょ?」
夫「・・・」
私「職場に持って行って、葬儀に参加してそれからどうしたの?」
夫「記憶にない。全く覚えていない」
クローゼットの礼服は、夫が若い時に購入したダブルボタンや、虫さんの餌食になった礼服も。
夫の部屋にも礼服は見当たりません。
夫「着ていく服がないから行かない!」
私「なにそれ?」
近年ないくらいに呆れたというか、私の夫として残念過ぎて空しく感じましたが、グッとこらえて我慢。
結局、ダブルボタンの礼服に、最近購入したというユニクロの黒いズボンでお通やに行きました。
お通やに行くと、記憶のなかの叔父叔母は皆年を重ねていました。
父の兄弟は半分になっちゃったね、と。
子供の頃から実家のお母さん(長男の嫁)は、いつもご馳走を並べてくれた、とても優しい方です。
夫(父の長男)はとうに亡くなり、今は次女が押し付けてきた猫が17歳で、いつも布団に入ってきて一緒に寝ている、と楽しく語ってくれました。
次にみんなにこうして会うのは、また誰かの(葬儀)ときなのかねぇ~、と少し寂しそうな事も。
帰りの車で、夫「葬儀会館でするのは空しいものだね」と。
「昔は近所とか親戚が集まっていろいろ料理を作って、自宅のなかでもてなししたもんね。」
私「私が子供の時、父の実家に行くと叔母がいつもご馳走を並べてくれるんだけど、親のしつけで座布団はお客様が座る物だから座布団には座ってはいけないとか、食事を提供されても頂いてはいけないとか、そんなルールがあって、おかげで正座は1時間でも辛くないけど、今思えば親の考え方は間違いで、食事は喜んで進んで頂くべきだったんじゃないかと思う。私が逆の立場だったら、喜んで食べて欲しいし・・・。」
夫「座布団に座ってはいけないなんて可笑しいよ。今でいうと暴力に近いよね」
そんな会話をしながら、私は両親のことを考えます。
今までは、いつも叔父たちの葬儀が済んでからの事後報告で、お通やも葬儀もお世話になったのに行くことができませんでした。
私が選んだ夫のことが、心配だったんだと思います。
夫の父親のことになりますが、かなり強烈な自己中心的な性格で、結婚して間もなくの私に粗相があり、東北から横浜に呼ばれ、私の父は土下座させられたんです。
夫は子供の時、小児ぜんそくを患っていて、それを良く思わない夫の父は都度頭を殴ったそうです。
今でも夫は、時々遍頭痛が起こります。
私が東北に逃げたことで、そんな暴力的な夫の父との縁はとうに切れていますが、長年夫と一緒にいて、日常の記憶を定着する脳の機能が正常ではないと感じます。
ボケじゃなくて、生活の記憶を定着することが・・・つまりすぐに忘れる、覚えることができないのです。
だから礼服を無くしたことも私自身は戸惑いやまたオーダーしなければならない状況に腹立たしさも覚えますが、、それは夫が子供の時に受けた暴力が原因で、夫はなにも悪い事はなく、いわば病気だから致し方ない、と思うしかありません。
今日のブログ、暗いですよね。
物事の本質って、闇の影がありますね。
「いつも笑っていなさい。いつも感謝してなさい。」
そんな言葉に支えられます。
体がある、自由に使えるんだから、良い行いに使いたいです。
いつか、与えて頂いた体を返却しなければならないときが来たら、この体で良かった、と思いたいですね。